オオクニヌシの怨念を恐れたアマテラス | 天然記録

徳川家康のお墓、日光東照宮は

三代将軍家光が建てたらしいけど

家光の「光」は明智光秀の「光」との俗説も

三代目にして血筋が入れ替わってる?

 

 

↑より抜粋

 

日本は、神仏混淆の国であるから実質的に国教は2つあり

「神道の神殿」は出雲大社で「仏教の神殿」は東大寺大仏殿

それに「国王の宮殿」である天皇御所が続くと

考えればいいではないかと思うかもしれないが

出雲大社に祀られているのは神道の最高神アマテラスではなく

オオクニヌシなのである。

アマテラスが祀られている伊勢神宮が第一位に入るのならばわかるが

オオクニヌシは通常あり得ない。

忌憚(きたん)なく言えば、オオクニヌシは「負け組」であり

アマテラスのような「勝ち組」ではない。

それなのになぜナンバー1の神殿に祀られているのか?

 

なぜ「負け組」の神様が「勝ち組」の神様より大きいのか?

そこで注目しなければならないのは

「何事も話し合いで決める」

「話合いで決めたことは必ず正しくうまくいく」

という聖徳太子の憲法17条で宣言されていることが

それよりも古い時代の神話の中でも実践されていたということだ。

「国譲り」である。

つまり、出雲大社がナンバー1であるのは

オオクニヌシを祀ったということよりも

オオクニヌシが実践した「話し合いによる国譲り」つまり

「和の精神」を示す建物であるからではないか、と考えられるのである。

 

ここで考えて頂きたいのは

本当にオオクニヌシはアマテラスの要請を受けて

「話し合いによる国譲り」をしたのだろうか、という点である。

オオクニヌシは苦労して苦労してようやく国造りを成功させた。

そこへ突然アマテラスの使者がやって来て

「私の孫にこの国を譲りなさい」と頭ごなしに命令したのである。

神話では「待ってください、息子たちと話し合わせてください」

とオオクニヌシは答えた。

しかし息子の一人はアマテラスの使者に反抗し封じ込められ

もう一人は自殺した。

その上でオオクニヌシは「穏やか」に

アマテラスに国を譲ったことになっているが

本当にそうだろうか?

息子2人は殺されたも同然ではないか。

私は、オオクニヌシは徹底的にアマテラスに逆らったのだと思う。

しかし刀折れ矢は尽き、アマテラスに敗北した。

あるいは自殺したのかもしれない。

だからこそ、その怨念を恐れたアマテラスは

自分を祀る神殿より大きい神殿を、オオクニヌシに提供したのであろう。

 

日本は「負け組」に「勝ち組」が名誉を譲る国である。

宮本武蔵と佐々木小次郎が決闘し

武蔵が勝利を収めた「船島(ふなじま」は

後に巌流島(がんりゅうじま)と呼ばれた。

巌流は「負け組」の佐々木小次郎の流儀だ。

いや、もっと大きい、日本を真っ二つに分けた

天皇家の南北朝の争いにおいても

勝ったのは北朝だが明治になって正統とされたのは

負けた南朝のほうであった。

外国では絶対にあり得ないことだ。

 

平安時代、藤原氏はライバルの豪族をすべて倒して

中央の官職を独占した。

その最後のライバルが、天皇を父に持ちながら

藤原氏に対抗するため臣籍(しんせき)に降下した源氏一族であった。

しかしその最後のエースであった左大臣源高明(みなもとのたかあきら)

も藤原氏に陥れられ失脚した。

それが安和(あんな)の変(969年)で

冷泉(れいぜい)天皇の時代である。

しかしその後「勝ち組」の藤原道長は

自分の彰子(しょうし)付きの女官紫式部に

「臣籍降下した源氏の若者がライバルを退けその息子が皇位につく」

という物語を書かせた。

ご存じ「源氏物語」である。

これがイギリスなら「エリザベス女王付きの女官が

ライバルのメリー・スチュワートが勝ったという物語を書く」

ということだ。

エリザベス女王ならばその女官の首を切るだろう。

しかし道長は紫式部を応援していたのである。

世界の常識では絶対にあり得ないことだ。

 

ちなみに「源氏物語」はフィクションである。

フィクションでば現代もそうだが実在の人名は使わない。

だが「源氏物語」では

実在の人名を使っているところがたった2ヵ所だけある。

一つは「光源氏」で、個人名を明かしてはいないものの

実在した源氏一族の一員であることを明記している。

ライバルのほうは藤原氏ではなく

「右大臣家」とぼかしてあるのだが

主人公のほうは源氏一族と明記してある。

ここをぼかしてしまったら

源氏一族に対する怨霊鎮魂にならないからである。

ではもう一人は誰か?

源氏が父の帝の妻の一人(藤壺)と不倫して生まれた子

そして後に皇位につき

源氏一族の「右大臣家」に対する勝利を確定させる人物。

この天皇の名を覚えておられるだろうか?

それは冷泉帝なのである。

実際の歴史では冷泉帝の時代に源氏は永久に失脚した。

しかしフィクションの世界では冷泉帝の時代に源氏は

ライバルに対して確定的な勝利を収めるのである。

わざわざ冷泉帝という実在の人物の名前が使われていること自体

きわめて意図的であるということがわかるだろう。

しかもこれを書いたのは源氏一族ではなく

藤原一族に属する紫式部なのである。

 

そろそろお気付きだと思うが

じつは「和」と「怨霊鎮魂」は固く結び付いている。

一つの概念と言っていい。

病気にたとえるとよくわかると思うが

怨霊鎮魂というのはじつは「失敗」なのである。

すでに病気になってしまい鎮魂という手術が必要な状態だからだ。

どんな病気でもそうだが手術が必要なほど悪化する前に

そうならないように手を打つことが大切だ。

それが和を保つことなのである。

なぜ怨霊が発生するのか。

それは怨念を抱いてこの世を去った者がいるからだ。

その結果、常に「勝ち組」となった藤原氏は

「負け組」となった源氏一族や菅原道真を

せっせと怨霊鎮魂しなければならなかったのである。

 

もっとも良いのは「勝ち組」や「負け組」が出来ないようにすることだ。

出来るだけ競争しないように、話し合いで和を保つ。

 

 

「魏志倭人伝」には、卑弥呼の跡を一族の女性である

台与(トヨ)が継いだとされている。

じつは大分県というのは旧国名で言えば

大部分は豊前国ではなく豊後(ぶんご)国なのだが

この2つの国を合わせて古来から何と呼ぶかご存じであろうか?

そう、「豊の国」なのである。

「古事記」の時代からすでにそうなのだ。

これが「トヨの国」を意味するということは充分に考えられる。

ちなみに卑弥呼が個人名ではなく称号であるように

台与も実名ではなく称号であろう。

言霊信仰の強い日本人にとって

女性の権力者の実名を呼び捨てにするなどということはあり得ないからだ。

 

不思議なのは、邪馬台国は卑弥呼の跡を

女性の台与が継いだことでもわかるように

女系優先の国家なのに、それと同じものであるはずの

大和朝廷は男系優先の国家となっていることだ。

どこかで原理が変わったのである。

その原理が変わった時に、「時期女王」になることを予定されていた

「トヨ」は、一体どうなったのだろうか?

殺害されたか追放されたか、いずれにせよ

そうしなければ男系優先の国家にならない。

その「トヨ」が仮に平穏な人生を送ったとしても

予定されていた女王になれなかったのだから

その死はこの世に不満を抱いた死であり

放っておけば大怨霊になる。

 

まさに出雲大社にお祀りしたオオクニヌシのように丁重に祀らねばならない。

つまり、それが宇佐神宮の比売大神(ひめおおかみ)なのではないだろうか。

そう考えれば比売大神が神功・応神母子に

挟まれるようにして祀られている事実もなかなか暗示的と言える。

原理が変わったのがまさにこの時代で

だからこそ「加害者」である2人は「比売大神」を祀らねばならず

そしてここから実質的にスタートした

男系優先の天皇家の始祖が応神天皇であるが故に

和気清麻呂(わけのきよまろ)はここに神託を求めに来たのだ、と

説明出来るからである。

 

2015年〈平成27年〉11月30日

漫画家水木しげるさんが亡くなられた。

水木さんと私は、ある意味で同志であった。

 

「オオクニヌシは大和朝廷の神話にあるように

話し合いで国を譲ったのではない。

オオクニヌシは激しい怨念を抱いて死んだのだ。

だからこそ、その大怨霊を鎮めるため

出雲大社という巨大な神殿が必要だったのだ」

 

という古代史への解釈において、まったく一致していたからである。

それについては「水木しげるの古代出雲」に詳しいが

その中で水木さんは

 

「オオクニヌシが個人の名前ではなく代名詞とか役職名とかで

オオクニヌシと名のっていたのは5~6人いたんじゃないか」

 

と述べている。

つまりオオクニヌシとは称号という説である。

まったく同感であり、その通りだと思う。

言霊という信仰から考えてみても

オオクニヌシが実名であるはずがない。

オオクニヌシは通説でも多くの別名を持っている。

「オオモノヌシ」とか「オオナムチ」である。

ちょうど徳川将軍が何人もいたのと同じことだと考えれば

最後に「出雲王国」を失った人物が結果的に

「オオクニヌシ」と呼ばれているが

その先代も先々代も歴史上存在したのではないかということである。

あるいは、本当は出雲王国の王者の称号は

「オオナムチ」であったが大和はそれを滅ぼした時

最後の王者に「大国主」を贈ったのかもしれない。

国を失った人は「国主」ではないのに(本当の国主は天皇家)

「大国主」と呼んであげるということだ。

 

抜群の賢者ではあったが不幸な死に方をし

子孫も絶滅した厩戸皇子(うまやどのおうじ)が

後に聖徳太子と呼ばれたようにである。

そう言えば日本武尊(やまとたけるのみこと)という

これ以上は無いほど素晴らしい称号を持つ

小碓尊(おうすのみこと)も、きわめて不幸な死に方をしている。

これも、気付くべきことであった。

 

いわゆる六歌仙 (ろっかせん )と呼ばれる人々も怨霊である。

正確に言えば怨霊になる恐れがあるので

鎮魂された存在であることも当然気付いていい話であった。

六歌仙というのはまさに聖徳太子のように

後から「贈られた称号」である。

 

つづく