人種差別はいけないと言うのに
人種で差別する人がまだまだ多い現代
昔の身分制度の差別のなごりもあり
まだまだ理不尽なこの世の中
ユダヤ人は悪い奴だから●せという権力者こそが
ユダヤ人だったとかなんとか
今だ昔の戦争犯罪(日本が悪い)とか言ってるのに
また始めようとしている
政治家に騙されてはいけない
以下7巻より
異なる民族が互いに闘争しているのではなく
異なる思想が「民族を利用して」闘争している。
美しい言葉や呼びかけにより
実際の状況はさらに深刻化する。
そういった言葉の陰に巧みに隠されて
突然やってくる「Xデー」に大爆発が起き
国家が滅ぶのだ。
「他者の信仰に対して寛容になろう」
多くの人々がそうであるように
私も寛容になることに反対はしない。
しかし、この場合
人々の信仰には何が起こるだろうか?
各々の宗教は、その隙に全力で
できるだけ早く力をつけて
できるだけ多くの追随者を得ようと躍起になる。
その結果、十分に強固な立場を獲得できたと見なした時
相反する2つの思想は、必ずや闘争することになる。
このことは、終わりなき衝突の歴史がはっきりと証明している。
それにもかかわらず
人類はまるで暗示にかけられているかのように
何度世紀をまたいでも
まったく同じ轍(てつ)を踏み続けている。
相反する2つの思想を創造した神官たちは
この事を当然知っていた。
様々な国の何百万もの人々に心理的作用を与えることのできる者たちが
人々に暗示をかけることのできる者たちが知らないわけがない。
ユダヤ人は選民であると話した彼らは
本当にユダヤ民族を幸福にしたいと願っていたのだろうか?
その目的がまったく別だった事は
歴史が証明している。
何世紀にも渡り、ユダヤ民族は捨て駒として
他者の罪を負う身代わりとして利用されてきたのだ。
ユダヤ民族は、人々の注目を逸らすための楯として
ユダヤ教徒とキリスト教徒を
さほど難しくないゲームで歩兵扱いしながら
「ゲームを楽しんでいる」者たちに、利用されてきたのだ。
そして、この暗示はユダヤ民族にも他の民族にも
苦しみしかもたらしていない。
今、すべてが何に向かって動いているのか。
世界では、攻撃のエネルギーが日々蓄積されている。
例えば、イスラエルとパレスチナの間では
衝突が続いている。
イスラエルは高い軍事技術とアメリカの支援を利用して
パレスチナを占領し
パレスチナ人たちに自分たちの要求をのむよう強要できるが
これでは隣合って暮らす2つの民族の間で
互いへの敬意が生まれるはずがない。
むしろその反対で、ユダヤ人への攻撃的なエネルギーの量が
イスラム世界で急激に増大してしまうのだ。
このエネルギーは
イスラエルやアメリカの領土で
やまないテロのようなかたちを含め
必ず発現するのだ。
しかし、問題はイスラエルとパレスチナの直接的な衝突だけではない。
この惑星に暮らす多くの人々に
文明の発展への道が
行き詰っているということがより強く見えてきたのだ。
エイズ、麻薬中毒、犯罪、あらゆる人災が人々をのみ込んでいる。
この惑星に住む圧倒的な数の人々が
健康を害さない食べ物を食べ
汚れてないきれいな水を飲み
有害な空気ではなくきれいな空気を吸う可能性を
奪われているのだ。
もし、大衆の前に
社会的そして人的要因の大変動の
真の原因についての情報が現れたらどうなるだろう?
この惑星の重苦しい状況をつくり出した
真の悪者を人々に示すリーダーが現れ
悪者たちのゲームや目的、任務を解明したとしたら?
まさにこの事を
世界的なイデオロギーを主導している者たちは恐れてきたのだ。
だから、全人民の怒りが自分へと向かないよう
彼らはすでに検証済みの、ユダヤ人というカードを切るのだ。
全部ユダヤ人が悪いのだ、奴らを捕まえろと言って。
怒りに燃えた人々は
ユダヤ人と見れば手当たり次第に襲いかかる。
そんな事が、何世紀にも渡り幾度も行われてきた。
それで悪が一掃できると考えて襲いかかるのだ。
しかし、実際には鬱憤を晴らしているに過ぎないのだ。
略
強力なキリスト教の教えは
ユダヤ人の小さな共同体が集まってはじめられた。
では
この小さな共同体の教えが
いったいどのようにして、突然にローマ帝国
現在のヨーロッパやロシアに取り入れられたのか?
そもそも
イスラエルでさえ一部の人にしか知られていなかったのに
どうしてこれほど多くの国々に知れ渡るようになったのか?
当時ユダヤ教徒たちを掌握していた神官たちは
キリストの教えに対して
一定の仕上げ
より正確には一定の細工をすれば
操りやすい奴隷型の人間をつくることができる
という事に気がついた。
このタイプの人間は
自分自身の論理的思考を部分的
または完全に停止させて
聖職者やその他の者の言う事を信じるようになる。
さらに言えば
課せられた暗示のプログラムに従う
バイオロボット人間となるのだ。
バイオロボット人間とは
もちろん完全に自発的にというわけではないが
オカルトのプログラムの作用のもとで
非現実の世界を現実であると信じる事に甘んじている人間である。
非現実の世界は
何者かにより一定の目的でつくり上げられており
その者は自分こそが
非現実の世界の法則を知っているのだと主張し
人々がその法則に従うことを求める。
しかしその実
人間はその法則ではなく
その何者かに服従しているのである。
そして
自分たちに必要な類の教えを大衆に根づかせるための知識と
実践経験を有した
当時のユダヤ教の司祭たちが
キリスト教徒の中から何百人もの宣教師を養成し
資金を与えてあらゆる国へと送り込んだ。
紀元2世紀の終わりに
ユダヤ人キリスト教共同体が
突然に様々な国で大々的な布教活動を展開した。
この活動に先行して
熱心な福音伝導(聖書の出版とその多部数の複写)
が行われている。
誰もがよく知っていることだが
本の出版には今日でもお金がかかる。
遠い昔の時代には、1冊の本の製造には
さらに膨大なお金がかかった。
また、布教のための外国への旅にも
かなりの資金が必要だった。
そのような旅ができるのは
商人か裕福な家の人たちだけだった。
主に農村の住民たちで成り立っていた共同体に
そのような大金がかかる大規模な作戦を遂行できたのだろうか?
彼らは高度な理論的教育とかなりの出資を受けていたのだ。
こうした司祭の階級からの特別扱いや
精神的、物質的な支援は
普通の信心深い農民を狂信者に変えていった。
想像してみてほしい。
イスラエルの村人が突然こう伝えられるのだ。
「君の内に偉大な伝道者、そして宣教師の姿が見える。
少し勉強したら、資金を受け取って人々に教えるがよい。
ただし、この国ではなく外国へ行って教えを広めるのだ」
そして彼らは勉強をし
資金を受け取って他の国々へと出発した。
それでどうなっただろうか?
成功を勝ち取ったのだろうか?
否、成功などはしていない。
すべての国でユダヤ人のキリスト教宣教師たちは拒絶された。
もちろん
人々もただ拒否していたのではなく
はじめは耳を傾けていた。
しかし徐々に
人々は宣教師たちに自分たちの町から離れるよう言うようになり
特にしつこく布教を推し進める宣教師に対しては
殴ったり
犬をけしかけて嚙み殺させるといった仕打ちをするようになった。
このことは、大半の宣教師たちが派遣されたローマ帝国にも
数多くの裏付けが史実として残っている。
この大規模な行動がもたらした成果は
ローマ帝国に
キリスト教共同体のネットワークをつくったことくらいだった。
結局彼らは、伝統的な信仰の基盤に対しては
いかなる影響も与えられなかったのだ。
古代ローマは多神教であり
それがそのまま残っていた。
だから、セクト集団たるキリスト教共同体は
政治体制においても
神官たちが夢みていた新しいタイプの人間
つまり奴隷たるバイオロボットの製造においても
ローマ帝国に何も影響を与えられなかったのだ。
ローマ皇帝たちは
第一派の期間に訪れた宣教師たちを友好的に扱わなかった。
皇帝ネロは
あらゆる多神教の宗教的信仰を寛大に扱っていたが
一神教であるキリスト教にだけは敵愾心(てきがいしん)
をあらわにしていた。
さらにデキウスやディオクレティアヌス
そして主な迫害者の一人である
ガレリウスといった皇帝たちにいたっては
敵愾心をあらわにするどころか
自国の領域からキリスト教徒たちを追い出していた。
第二派の宣教師たちが訪れるようになると
ようやく成果を得ることができた。
第二派の宣教師たちは
もはや宗教の狂信者たちではなかった。
神官たちは
宣教師たちにキリスト教という信仰について
美しく語れる方法
そして野心を持っている人につけこんで
その人に強力な影響を与えるための
心理学的知識を身につけさせたのだ。
第二派の宣教師たちの任務は
何よりも第一に
統治者たちに影響を与えることだった。
つまり
キリスト教を信仰させることで統治者の権力が強化され
永遠のものにできること
さらには国家を完璧にコントロールしながら
国を繁栄させることが可能となることを
統治者たちに確信させることだった。
この目的のために
「すべての王権は神が与えたもの」
「統治者は地上における神の代理人である」
という教義が広められた。
その中でも懺悔は
国民一人ひとりの思想や希望
行動をコントロールする道を開いた。
こうして、国家をキリスト教化すれば
統治者に最も都合のいい条件をつくり出せるということを
宣教師たちは統治者たちに確信させたのだ。
宣教師たちの主張は、一見納得できるものだった。
しかし、それはあくまで表面的なものだった。
この罠にかかった統治者たちは
実質的に他の勢力の支配下に落ちているのが
他ならぬ彼ら自身なのだということなど疑いもしていなかった。
国内にキリスト教の教会が存在することは
コンスタンティヌス帝にとって有益になると
宣教師たちが説得できた312年から
ローマ帝国における
キリスト教化が目に見えて強化されていった。
コンスタンティヌス帝は
ローマの神々を祀る神殿を保護しながらも
キリスト教を支援した。
その結果
ローマ帝国におけるキリスト教の状況は著しく好転し
その富はさらに増大し
後世になると、司教たちは
ローマ帝国の元老院議員に匹敵する権力を得るようになった。
この史実と後に続く多くの事実は
この教えが、俗世の統治者たちの支援なしには
発展することも
社会に対して何の影響も与えることができない
ということを示している。
だからこそ、キリスト教の指導者たちは
常に権力者に近づこうと躍起になっていたのだ。
今日もローマカトリック教会の権勢は強大だが
ローマ帝国はどうだ。
なくなってしまったではないか。
それは偶然だろうか?
何らかの規則や法則の結果が起きた
例外的な現象だろうか?
この疑問への答えは
その後から今日にいたるまでの様々な時代の
あらゆる国々の歴史が示している。
私たちの惑星において
キリスト教の伝来に伴って繁栄するようになった
国の名前は誰一人として
ひとつたりとも挙げることなどできないのだ。
逆に
ローマ帝国と同じ悲しい運命に襲われた国の名前なら
いくつも挙げることができるだろう。
それに歴史事実として
もうひとつ興味深いものがある。
キリスト教を受け入れたすべての国では
間違いなく直後に
非キリスト教信仰のユダヤ人たちが現れ
はなはだ不可解な活動をして混乱を生んでいた。
そして、彼らはいとも簡単に富を築いていった。
彼らの活動は
すべてのキリスト教国において
政府だけでなく
国民も気づかずにはいられないほどの規模となっていた。
どの国でも、彼らの活動が最高潮に達するたび
国民はユダヤ人を攻撃し、その結果
政府はユダヤ人を国外へ追放するようになっていった。

