天然記録 -140ページ目

今回の文章で地上の星という歌詞がよぎった

私はこの世は幻想と思っているので

ここはコンピューターシミュレーションの中

でも

科学技術にすがって、永遠に魂が支配され

抜け出せないという世界で生き残るのは嫌だ

最後は自分の超能力が開花するってオチなら歓迎

生まれ変わったら前世の記憶を持って生まれたい

と、この前書いたけど、よく考えたら

生まれる前のあの世の記憶を持って生まれたい

 

以下7巻より

 

つい最近ロシアで

世界で起こっている数多くのテロ行為の

おおもとである真の首謀者の正体が

少しだけ明るみになる出来事があった。

 

10月23日から26日の劇場占拠の間

多くのコメンテーターがテレビに出演し

コメントを求められたりしていた。

 

白髪で、引き締まった身体の副大臣は

ほぼ軍人調の毅然とした口調で話していた。

彼の話す言葉の中には

意味のない言葉の挿入や「ええ……」

という間を持たせるような音がまったく入っていなかった。

彼の文言は、その合理性と精度の高さで際立っており

このことは、彼の思考がかなり速く

正確に働いていることを物語っていた。

彼はまさに、最初に

 

「今回の事件にかかわったのは宗教の狂信者たちだ」

 

という言葉を発した一人だった。

おそらく多くの人はこの文言に注意を払わなかったが

言葉の意味を理解できた少数の人にとって

この文言は「青天の霹靂」」となった。

はじめて、それも内務副大臣の口から

テロリズムの原理たるものの名前がひとつ告げられたのだから。

 

テロのあと、「イスラム原理主義」という別の思想が浮上した。

そしてイスラム原理主義者たちが

キリスト教徒とユダヤ教徒

具体的にはイスラエルやロシア、アメリカに対して

宣戦布告をした、という声が広く聞かれるようになった。

 

ここでひとつ疑問が浮かぶ。

そもそも宗教への狂言とどう闘うのだろうか?

落ち着いて、状況をもっとじっくり考えてみようではないか。

何よりまず、宗教への狂信というものが

イスラム教だけに特有なのか

それとも他の宗教にも存在するものなのかを

判断してみようではないか。

そう、もちろん他の宗教にもあり狂信者はいるのだ。

 

歴史を思い出してみよう。

無数のキリスト教徒たちの十字軍や

絵画『大貴族夫人モロゾワ』を。

(17世紀ロシアの教会改革に反対した

大貴族夫人が逮捕され連行されていく場面を描いた歴史画)

 

または、なにかしらの宗教の教義のために

自分の命を犠牲にする覚悟だった多数の殉教者たちの名前を。

彼らは死後に祭り上げられ、聖人にまでなっているのだ。

 

これらから、宗教そのものではなく

あらゆる宗教に根付いた具体的な教義が

人々を自らの命を軽んじる行動に駆り立てているという

事実がはっきりしてくる。

決死の狂信者は、自分が命を軽んじているのではなく

本当の命へと移行しているのだと、本気で信じているのだ。

 

どうしてこうなるのだろうか?

イスラム教であれキリスト教であれ

どの教義にでも身をささげてしまう集団が

いつの時代にも必ず存在する。

そしてオカルト儀式を使って

彼らの信仰を狂信のレベルまで高めてしまうのだ。

 

このようにして、自分の目に見えないものを信じ

自分の論理では導き出せないものを

信じてしまうバイオロボットが出来上がる。

あとは、バイオロボットのどのボタンを押せばよいのかを

手にとるように把握している心理の法則を知る者が

それを押すだけだ。

 

もちろん、実際に指で押すのではない。

バイオロボットである狂信者の高潔な生のために

滅ぼさねばならない対象をただ名指しするだけだ。

バイオロボットたちは

自分で対象を滅ぼす作戦を練りはじめ、それを実行する。

自身の地上の生など彼らにとってはもはや意味がない。

彼らは自分がよりよい天の生へと移行するのだと

確信しているのだから。

 

つまり

地上ではないどこかにある幸福を謳う教理が存在する限り

いかなる特殊部隊や軍隊であろうと

自死的テロリストを排除することなどできないのだ。

 

想像してみてほしい。

列強の特殊部隊が団結し

力を合わせてすべてのテロリストを一人残らず葬り去ったとする。

しかし、それで何が変わるのだろうか?

当然、新しいテロリストは生まれるのだ。

結局は、テロリストをつくり出す教理が存在するのだから。

 

では、どんな打開策があるだろう?

もちろん、従来の予防措置をとることは必要だ。

しかしそれと同時に

次々と自分の命を投げ出すテロリストを生んでいる

教理がいかに有害であるかをみんなが理解し

それを撲滅することが不可欠なのだ。

理解する。

これが今、最も重要なことだ。

さもなくば、テロとの闘いが実情にそぐわない

滑稽なものになってしまう。

 

では、次のような状況を想像してみてほしい。

宗教を狂信している決死のテロリストが

飛行機をハイジャックし

人口の密集した都市にある重要な施設へと向かわせた。

交渉人は、そのテロリストと交渉を行い

彼の要求をのむ用意があると伝える。

しかし交渉人たちは

その要求が狂信者である彼らの

真の目的を満たすものではないことなど

想像すらできない。

 

狂信者の真の目的……

それは死を遂げて

彼が描いている地上ではない楽園へと飛んでいくことなのだ。

地上ではない楽園についてのドグマは

信者以外の人々にも影響する。

そしてこのドグマは、あらゆる信仰の人々の集合意識によって

投影され続けているのだ。

そしてこのようにしてできたドグマは

もう千年以上にわたり

社会と人類全体にこの上なく悪い影響をおよぼしてきたのだ。

 

キリスト教の総主教たち

イスラム教の高僧たち

あらゆる宗教の長たちが

その中でもとりわけキリスト教徒

カトリックそしてイスラム教徒たちみんなが

速やかに一堂に会し

世界に出来上がってしまった状況について

しっかりと見極めなければならない。

 

そして、それぞれの宗教の教えにある

命を滅ぼすような教義を変えなければならない。

宗教的狂信者たちが再び人間的な現実認識を

取り戻せるよう、助けてやらなければならないのだ。

そして「父は、他ならぬこの地上にいるのだ」

と宣言するのだ。

 

では、宗教の指導者たちが集結しなかったらどうなる?

そして、このような宣言をしなかったらどうなるだろうか?

恐れることはない。

 

この宣言はすでになされたのだ!

 

あらゆる宗派の指導者たちが

ただ、「仲良く暮らそう」と表明するだけでは

もう誰の心にも届かない。

「テロとは関係してない」という表明も

信じる人は少ないだろう。

それよりももっと主軸をなすような手を打たなければならないのだ。

私が前述した宗教指導者たちの集会と表明を

非現実的だととらえる人もいるかもしれない。

では考えてみよう。

このようなシンプルで現実的な行動が

どうして非現実的に思えてしまうのだろうか。

 

高い位を与えられた精神性の高い人たちが

互いに腹を割って話し合いをするということを

どうして我々は信じることができないのだろうか?

彼らが合意することができないのならば

一般の信者たちからいったい何を期待できるというのか?

彼らですら合意できないのであれば

そのときには我々の良識ある社会と政府が

彼らを助けなければならないのだ。

合意しなければならない、それができなければ

爆弾があらん限りに炸裂してしまう。

どうせなら、人間の知性

神の子らの知性を炸裂させた方がよいではないか。

 

ロシアであれ他の国々であれ、一見すると

アナスタシアの構想から呼び起こされる善い変化は

人間の意識がゆっくりと変化していき

長い時間をかけて起こるものだと思われる。

だが実際には、多くの読者の意識が一瞬で変わっている。

 

彼女は、単に考えついたことを創造しているのではない。

彼女は、考えついたことをすでに創造し終えているのだ。

今じゃその具現化が進んでいるさなかに過ぎない。

彼らの抵抗こそがその証だ。

ものを建てる時には必ずゴミが出るものだが

のちに必ずゴミは取り除かれ、花々が植えられるのだ。

暑さ寒さも彼岸まで

あと一か月は暑いのヤダな

電気代がバカ高いらしい

デジタル化進めたいくせに矛盾してる

 

Hello, My Friend

 

夏の月

 

最後のサーフホリデー

 

思い出の九十九里浜

 

君がいた夏

 

夏祭り

 

高く上がれ!

 

あの夏のままで

 

夏の記憶

 

fairyland

 

大空で抱きしめて

 

dolphin

 

さよならの夏~コクリコ坂から~

 

secret base ~君がくれたもの~

 

ルビーの指輪

 

少年時代

 

さよなら夏の日

 

夏の終わりのハーモニー

 

時間よ止まれ

 

夏祭り

 

さよならのオーシャン

 

いつか何処かで (I FEEL THE ECHO)

 

 

夏をあきらめて

 

涙のキッス

 

TSUNAMI

 

あなただけを ~Summer Heartbreak~

 

DIRTY OLD MAN~さらば夏よ~

 

壮年JUMP

 

慕情

 

ガラスのメモリーズ

 

湘南My Love

 

十年先のラブストーリー

 

とつぜんfall in love

 

もう一度ハーバーライト

 

Stay My Blue ~君が恋しくて~

 

夏の終わりに

 

もう一度キスしたかった

 

自転車泥棒

 

翼を広げて

 

君がいた夏

 

Your Song 

 

若者のすべて

 

話がしたいよ

 

夏模様 

 

夏の終わり

 

灰色と青

 

ラストソング

 

点描の唄

 

それは恋の終わり

気になってたお店初来店
小エビとオレンジ
オレンジ皮ごと要らないな~
食べずらいし…
ほんとはきのことパンチェッタが
良かったけど今の時期は注文できないとの事

 
こうゆうお皿も謎
 
 
 
ちとお高め
 
 
 
 

イエス・キリストを崇拝するのは分かるけど

今生きている教祖様を崇拝する人達は

どうしてそんなに盲目になれるのか分からない

昔、同じ会社で2回、違う宗教に勧誘されたけど

2人共、教祖様べた褒めだった

 

ひとつの宗教は小さいから名前を忘れたけど

私より2歳年上の当時25歳の女性Oさん

ずっと悩んでいた

アトピーを触っただけで治してくれた人がいて

アトピーになった事はなかったけど

すごい人だとあまりに熱く語るので

健康教室があるからと誘われ、無料というので

興味本位で行ったら宗教だった

 

アトピーを触るだけで治した

すごいおじいさん教祖様ではなく

居たのは、どんな関係者か忘れたけど

高級腕時計をつけた成金みたいな

チャラい色のスーツ着た

中年の体格のいい浅黒い男の人が指導をしていた

健康教室なのに、スーツからして怪しかったけど

みんな迷える子羊のような人達が(10人もいなかったかな)

真面目にひとりでできる簡単なストレッチをやり

その後、その人のお話が40分くらいあり

なんの話か忘れたけど

真剣にその人のありがたい話を聞いていた

 

最後に、あったか靴下とか健康グッズを販売

だけど、高いのでほしいと思わず買わなかった

次は合宿があると誘われたけど断って

宗教のお誘いは2度と行かなかったけど

江■●介の地元でやるコンサートが

新聞で当たったと無料との事で誘われ行った

そのOさん、最初はやけに悩みを聞きたがるし

自分の不幸話を語るな~と思っていただけだけど

すべては宗教に勧誘するためだったと分かった

 

なんとなくOさん、引っかかる所があり

その場にいる人とは仲良くしているのに

いなくなると悪口言うし

時々嫌味な事私に言うし

それにとても口が上手く

おしゃべりですぐ人に言いそうだから

悩みを言わなくて良かった

出会ってすぐ悩みを聞きたがる人には要注意‼

 

勧誘された2人とも

この宗教に入ってから幸せになった

と言っていたけど、同じ悩みがある人同士で集まって

仲間が出来たから心の余裕のおかげなのでは?と思う

 

その後Oさん、借金まで作って貢いだ人と一緒になり

子どもが出来てつわりがひどく会社を辞め

1年経った頃、離婚しましたと連絡があり

好きで好きで何度も告白して

やっと結婚してくれて幸せと結婚した時言っていたのに

合コンしたいから誰か紹介してと

言っていた変わり身の早さ

子どもがいるので

男がいなくちゃ生きていけないんだと言っていた

結婚して離婚した相手はどこで知り合ったか聞いてないけど

10年くらいずーと憧れて好きだったらしく

そのあっけらかんさに

自分発信の身の上話をずいぶん聞いていたので

その中で聞かされた好きな人の

大好きさ加減はどこへ行ったんだ…と思った出来事

それ以来会ってない

 

以下7巻より

 

イエス・キリストのイメージとして

最も鮮明に浮かぶのはどのようなものだろうか?

アンケート調査によると

十字架に磔(はりつけ)された

イエス・キリストのイメージなのだ。

しかし磔の肖像は

正教やカトリックのどんな協会でも目にするものだ。

いったい誰がどんな目的で

そのようなオカルトな手法を考え出したのだろう?

はたしてイエス・キリスト自身は

この肖像がみんなの上に重くのしかかる

主要なものとなることを望んでいただろうか?

 

だが、我々なのだ。

まさに我々が、自分たちの意識で磔のイメージを

創造し続けてしまっているのだ。

気づいてほしい

我々が創造しているのは復活ではなく、磔の方なのだ。

磔がイメージされた像に口づけをしているのだ。

まさにこのように

私たちがキリストを十字架に架けたままにしているのだ。

 

これは最もシンプルなオカルトな手法であり

人間の集合意識のエネルギーを利用して

イメージを形成し続けているのだ。

我々がこのことを理解し

自分の意識でイエス・キリストを十字架から外すまで

彼はずっと十字架に架かったままだ。

すなわち、我々がオカルトの罠に

屈するのをやめるまでこれは続くのだ。

 

宗教をつくり出した当初から

神官たちは自分たちが考えたオカルトな儀式や教理を

全員にたたき込もうと懸命だった。

どんな宗教も、たとえ最も高潔で

善と品格を感じさせるものであっても

神官たちがつくり出した微妙なニュアンスが入った時点で

彼らにとって最強の武器になる仕組みなのだ

 

その仕組みを利用して

彼らはすべての民を支配下に置き

民が完全に自己崩壊するところまで

互いに争うようけしかけてきた。

このようなことが過去に起き

そして現在でも起き続けているのだ。

現在も多くの宗教において

オカルトな儀式や教理は存在する。

それらの真の意味や人類への作用の

度合いを知っているのは神官たちだけである。

 

無数の人々がイエス・キリストの磔を

意識の中に投影してしまうのは

オカルトな儀式があるからなのだ。

しかし、そのような投影をしてしまう人々

正確にはその人々の魂も

磔のイメージを投影し続ける限り

自身をずっと磔にしているということになるのだ。

 

集合意識による磔のイメージは

現代の人々の肉体に浸透してしまうほど強いものだ。

イエス・キリストの血が滴る傷は

時おり何人かの信者たちの身体に現れ

「生痕の謎」と呼ばれる。

多くの学者たちは、血の滴る傷

すなわち生痕は、精神的な病気であると見なしている。

私がそれにつけ加えるのならば

それは特定の人の病気ではなく

社会に巣くう病気なのであり

その第一の原因は、神官たちによって

根強く刷り込まれたオカルト儀式なのである。

それなのに、聖痕という現象について完全に解き明かすどころか

商魂たくましい人たちが聖痕を売り物にしてしまっているのだ。

 

人々が互いを殺し合うことも

君たちがテロリズムと名づけるものも

神官たちが無数の大小の宗教集団に

持ち込んだ教理による結果だ

人間の真の神なる生が地上ではなく

どこかの異なる次元にあるという教理を思いついたのは彼らだ。

神により創造された楽園は地球の外にある

というイメージを思いついたのは彼らなのだ。

この教理のおかげで、宗教の狂信者たちの間で

地上の生をないがしろにすることが発生しているのだ。

彼らはほんのちょっとした心理作用を受けただけで

いとも簡単に自身や他者を殺す覚悟ができてしまう。

 

今日起こっている戦闘とテロの発端を注意深く考えてみてほしい。

そうすれば、おぞましい教理の作用がはっきりと見てとれるだろう。

人々が自分で深く考えることをはじめ

見分けることを学ばない限り

宗教的教えや精神性を説こうとするいかなる師であっても

オカルト儀式や教理から人々を逃れさせることはできない。

長者番付に登場する納税者は

この世界を支配している者ではなく

本当の支配者は納税しないので

決して番付には載らないそう

宗教法人も、ものすごい大儲けしてても

税金払わなくていいので

あちらには都合の良い仕組み

 

以下7巻より

 

2回目の千年紀のはじめにはユダヤ人大量虐殺がすでに起こっており

それが様々なキリスト教国で何度も繰り返されたことは周知の事実だ。

1096年、ライン川流域地域では

数十ものユダヤ人コミュニティが追放されたり

破壊されたりした。

1290年になると、イングランドからもユダヤ人が追放された。

そして14世紀の末には、スペインでも十万人以上のユダヤ人が殺害された。

(迫害からしばらく経つと

ユダヤ人たちは再びこれらの国々に徐々に戻っていった)

 

このような歴史の事例をもっと書き連ねることもできるが

この状況は常に、もう何百年も繰り返されており

いつも似通ったものなのだ。

つまりその状況が

あらかじめプログラミングされていたものであることは

どう見ても明らかなのだ。

また、キリスト教世界の代表者たちと

ユダヤ人自身の両方が損害を被ったということは

被害を受けていない第三者が存在するということである。

この第三者にとって

キリスト教世界の人間とユダヤ教徒たちは

いともたやすく操作できるただのバイオロボットに過ぎないのだ。

 

では、この第三者とは誰か?

歴史研究家たちは

何千年もの間止むことのない世界のこの乱痴気騒ぎを

本質まで、根本の原因まで掘り下げようとするが

いつもユダヤ人のことを示すだけで終わるのだ。

彼らはユダヤ人がすべてにおいて悪いのだと言う。

しかし、もし第三者が存在するのならば

ユダヤ人であれキリスト教徒であれ

どちらもその第三者の勢力の手中にある

ただの操り人形のようなバイオロボットに過ぎないのだ。

しかし、今日、その第三者の特定が可能だろうか?

その存在を証明するものがあるだろうか?

もちろんあるし、特定も可能だ。

歴史事実によって、そして論理的思考によってだ。

 

ユダヤの階級の中のひとつのグループがある。

このグループのことを一族、階級、民族、カースト

何と呼んでもよいが、本質は名称ではないので

簡潔にするために彼らを「レビ族」と呼ぶことにする。

レビ族の祖は、エジプトの神官であったという歴史的文献がある。

より多くの人々に知られている文献

具体的には旧約聖書を読むと

レビ族は独特な地位にいたことがわかる。

たとえば、イスラエルの法により

彼らは軍事行為に参加する必要がなかった。

彼らはどこへも、いかなる税金も支払う必要はなかった。

旧約聖書で言及されているイスラエルの人口調査の際にも

レビ族はそこには含まれていなかった。

 

軍事作戦時には、5万から15万のイスラエル兵によって

レビ族の周りを取り囲むように陣営が配置され

レビ族一人ずつに対して守る場所があらかじめ決められていた。

レビ族を守るために、陣営の東西南北のどこに野営をつくり

どこに護衛を配置するかまで指示されていたのだ。

そして、レビ族が配置されたのは常に陣営の中央部だった。

事実上、イスラエルの全部族にレビ族を護衛する義務があったのだ。

では、このレビ族という階級は、いったい何をする階級だったのか?

 

彼らの義務は、彼らの中から聖職者を指名すること

そしてユダヤ人に定めた掟が守られているかを監視することだった。

ちなみにその掟には、食べるもの、異教へのかかわり方

行くべき場所などが規定されていた。

掟の内容は非常に厳しくかつ具体的で

一日のうち朝から晩まで

目覚めている全時間を網羅しており

誰がどの土地にいなければならないか

誰と闘うべきか、ということにまでおよんでいた。

 

これによって、レビ族はユダヤ民族の実質的な支配者となっていた。

それも、あらゆることから判断すると

管理人としてきわめて腕の立つ人々だったと言える。

レビ族がユダヤ人だったかどうかはわからない。

全ユダヤ人が守らなければならないはずの掟の中にも

レビ族には適用されないものがたくさんあったのだから。

例えば、ユダヤ人にとっては必須の掟だが

それに反して、レビ族は生後8日目の割礼をしていなかった。

 

このようにして彼らは

エジプトの神官たちの秘密の学問を知って

実験にいそしんだり、監視したりして

じっくりと思索にふけることが可能であったし

兵役の義務からも、人々がするような通常の労働からも解放され

世代から世代へと現在にいたるまで

自分たちの知識を発展させてきたのだ。

 

現在にいたるまでと書いたが

レビ族という民族または階級のことなど聞いたことがないと

疑う人もいるかもしれない。

イギリス人やロシア人、フランス人などについては

多くの人が見聞きするのだが、最も頭がよく

ましてみんなを率いているレビ族のことを知る人は

なぜか少ないのだ。

それはもちろん、エジプトの神官たちと同じように

彼らも陰にいなければならないからだ。

いざとなれば、すべての反発を彼らの意思の実行者である

ユダヤ人たちに向けておけるように。

 

こうして世界のあらゆる国々で

何千年にもわたって、ユダヤ人たちはひどく非難されるようになった。

何に対しての非難なのだろうか?

ユダヤ人たちが、あらゆる手段を使って

少しでも多くのお金を手にしようとしていることに対してだ。

そして、多くのユダヤ人にそれができてしまうことに対してだ。

 

では、レビ族はこれと何の関係があるのか?

イギリス、スペインまたはロシアにいるユダヤ人たちが活動して

国家または個人の資産のかなりの割合をなす額を銀行に振り込むことで

レビ族がどのように利益やメリットがあるというのだろう?

一言で言えば、着服でもするのだろうか?

事実、その国または他国の民の統治者は

ユダヤ人の非難すべき行為を目にして

彼らを攻撃し、冷遇しはじめた。

であれば、同じことがレビ族にまでおよんでもよいはずである。

概して、賢明なレビ族の行動は論理的でないようにも見えるではないか。

というのも、レビ族が賢明な助言によりユダヤ人たちを助け

彼らのために狡猾な技を駆使した作戦を用意してやり

他の国々を丸ごと操作してやる必要などないではないか?

 

これには理由があることがわかったのだ。

彼らの利益は直接的で、単純かつ具体的だ。

お金なのだ。富のあるユダヤ人は

どの国にいようが関係なく

自分の収入の一部をレビ族に支払う義務がある。

証明するもの?

旧約聖書に、イスラエルの人々、つまりユダヤ人は

自分の収入の1/10を、レビ族に渡さなければならないとあるのだ。

 

イスラエルに人々が主にささげる聖なる献納物はすべて

あなたと、あなたと共にいるあなたの息子や娘たちに与える。

これは不変な定めである。

これは、主の御前にあって

あなたとあなたの子孫に対する永遠の塩の契約である。

主はアロンに言われた。

 

「あなたはイスラエルの人々の土地のうちに

嗣業((しぎょう)神から賜った土地)の土地を持ってはならない。

彼らのあいだにあなたの割り当てはない。

わたしが、イスラエルの人々の中で

あなたの受けるべき割り当てであり嗣業である。

見よ、わたしはイスラエルでささげられるすべての1/10を

レビの子らの嗣業として与える。

これは、彼らが臨在の幕屋(移動式の礼拝所)の作業をする報酬である。

従って、イスラエルの人々は、もはや臨在の幕屋に近づいてはならない。

この罪を犯して死を招かないためである。

レビ人のみが臨在の幕屋の作業をし

その罪責を負わねばならない。

これは代々にわたって守られるべき不変の定めである。

彼らは、イスラエルの人々のあいだでは嗣業の土地を持ってはならない。

わたしが、イスラエルの人々が主にささげる献納物の1/10を

レビ人に彼らの嗣業として与えるからである。

それゆえ、わたしは彼らに、イスラエルの人々のあいだでは

嗣業の土地を持ってはならない、と言ったのである」

 

主は、レビ人にこう告げるよう、モーセに仰せになった。

 

「わたしがあなたたちの嗣業として与えた1/10を

あなたたちがイスラエルの人々から受け取るとき

その1/10を主にささげる献納物としなさい。

あなたたちの献納物は、脱穀したばかりの穀物と

搾りたてのぶどう酒と同じものと見なされる。

それで、あなたたちもまた、イスラエルの人々から

受け取るものの1/10はすべて主にささげる献納物とし

その中から主にささげる献納物を祭司アロンに与えねばならない。

あなたたちは贈られたもののうちから最上のもの

聖なる部分を選んで主にささげる献納物としなければならない。

彼らに言いなさい。

あなたたちが最上のものをささげるときには、それは

レビ人にとって脱穀した収穫物や搾りたての収穫物と同じものと見なされる。

あなたたちおよび(あなたたちの息子たちと)

その家族の者はそれをどこで食べてもよい。

それは臨在の幕屋の作業に対する報酬だからである……」

 

二千年以上もの大昔に書かれた旧約聖書と

今日の状況のあいだにどんな関係があるのかと思う人もいるだろう。

それに答えることは可能だ。

では、信仰を持つ今日のユダヤ人の中には

聖職者やレビ族はもういないのだろうか。

もちろんいる。

そしてもちろん、多くのユダヤ人が宗教的規則を守って生きているのだ。

ということは、レビ族たちが世界中の銀行に

どれほど莫大な資産を有していることになるかを想像してみてほしい。

 

ちなみに、レビ族たちは自分の資産の保全と増大を心配する必要はない。

あらゆる国の銀行家の多くはユダヤ人であり

それは彼らの任務なのだから。

もちろん、レビ族は、いつどこに投資するべきかを

ユダヤ人に対して示唆することもできる。

彼らは、現行政府に反対する体制や組織のどれを支援するべきなのか

または逆に、金融的陰謀を企てて消し去るべきかを示唆するのだ。

 

アナスタシアが以前話した

地球上のすべての人間社会を

たった数人の神官が操っているという情報に

疑問を感じた人もいたかもしれない。

しかし、歴史から論理の連鎖が成立してしまった今となっては

論理的に思考することができる人ならば

よほど狂信的な人でない限り

彼女の話に疑いを持つことができなくなるだろう。

 

つまり、これも次のような理論となるのだ。

 

神官たちに率いられ

およそ100万人のユダヤ人がエジプトを出た。

神官たちの側近だったのが

ユダヤ人を特定のタイプの人間に

形成するという任務を担ったレビ族だった。

そのために一連の儀式や独特な生活様式を提唱する

一定の思想を持った宗教がつくり出されたのだ。

レビ族たちは自身の任務を忠実に果たすこととなった。

 

こうして何千年か前につくり出された思想は

今日もユダヤ人たちを支配している。

その思想は、彼らを地球上の無数の民族から区別し

特別に扱うものだ。

この思想の主要な教義のひとつが

神の地球に住まわせた様々な民族の中で

選民として定めた民族はユダヤ人だけである

という主張である。

このようにして、この思想はユダヤ人とともに

今日まで存在し続け、衝突は終わらず

よく耳にする話となった。

しかし、レビ族たちはどこにいるのだろう?

耳にすることなどあるだろうか?

ほとんど聞くことはない。

これも賢いと言えるところだ。

これを狡猾と呼ぶか

賢明と呼ぶかは皆さんにお任せする。

 

さて、ここで想像してみてほしい。

地球上に、他の人々よりも高いレベルで秘教の知識を有しており

数千年間

大衆へ作用する実践を絶えず積んできた少数の人々の集団が存在する、と。

では、国の発展問題を研究するどこかしらの国家の研究所が

思想の形成において彼らに太刀打ちできるものだろうか?

 

それはいくつもの理由から不可能なのだ。

主な理由は次のようになる。

レビ族は自身の子孫に代々秘教の知識を伝え

それが今日も続いている。

一方、現代科学は秘教の知識を否定している。

従って、レビ族が研究してきたことを現代科学が真剣に取り扱うことはない。

このナンセンスな状況は、偶然生まれたのではない。

それにナンセンスな状況はそれだけではない。

国家は公的にいくつかの宗教を認めているが

それらだって完全に秘教ではないか。

国家はそれらの秘教に

資金面の形成に有利な条件をつくり出してさえいるのだ。

 

かたや政府は

秘教の分野における科学的研究のための環境をつくり出すことはしない。

つまり、そのような国家の領土内では

国民の心理に作用することのできる構造が

政府により公認されているようなものなのだ。

それなのに、俗世の政府は、その作用が現実の営みにおいて

どのような形をとるかということについて

きわめて漠然としたイメージしか持ち合わせていないのである。

 

最後にもうひとつ。

政府や国家のことを考えるすべての人々は

歴史から教訓を見だすこともできるだろう。

歴史とは、人生においてとても役立つ学校なのだから。

しかし、そのためには歴史を知っておかなければならない。

世界を操っている者たちは、歴史を熟知しているのだから。

しかし、国家の歴史は、政府を含め大部分の国民に

知られていないばかりか、歪められて伝えられている。

ロシアがこれを示すよい例だ。