小泉構造改革は簡単な言葉を何度も繰り返し

意味は分からないけど国民の大半は

日本をぶっ壊すのに熱心な小泉さんに賛同した

結局、郵政民営化の実態は

郵便貯金を外資に受け渡し

いいように運用するためだった

 

当時、反対する政治家の亀井さんなどは

その事をよく分かっていたけど

テレビで説明してても

肝心の投票する国民が無知だと

国民が選ぶという選挙は

派手な宣伝が勝つただの誘導で

まったく意味がない

公約を実行してもしなくても

選挙で違う人を選んで落選しても

「あなた達が選んだんです」と

すべては国民に責任をなすりつけられる

 

「あなたたちが選挙に行かないからこうなった」のではなく

「あなたたちが選挙に行ったからこうなった」と言いたい

 

選挙に行ったとエバってる人に限って

私が政治が悪い事してる話をしても全く興味がない

その上

そんなに政治に不満があるならあなたが政治家になればいい

(不満の無い)私にそんな話ししたって意味が無い

選挙に行かない人間が言っても説得力がないと怒る

 

本当にいい事言ってる人が奇跡的に当選しても

公約実現を邪魔されて

ひどいと●されて

何も変わらない現実

それは、政治家より上の存在がいて

政治家には何の権限もないという事が分かる

選挙や政治家の存在に何の意味もないけど

それを言ってもまったく通じない世の中

 

そもそも

裏に非課税の宗教団体が付いているという時点で不公平

お金や数で、すでに負けているし

与党の裏や表にくっつく宗教団体は朝鮮系

それに

アメリカに負けた時から

代々続く今の政治家は日本人ですらないらしい

そうすると

日本人は増税で、外国人にはいろいろ手厚い謎が解ける

宗教団体に入ると生活保護の申請がすぐ通り

いろいろ公金受け取りが有利らしい

本当に必要な日本人には、なかなか通らないバカな話

すぐ通るのは、お布施をそこからまた取るためなのかも?

 

私が昔からなんだか嫌だなと思う言葉は

選挙に行きましょうもそうだけど

 

納税は国民の義務

健康の為、健康診断を毎年受けましょう

最近は、大切な人を守るため、思いやりワクチン

 

すべて国民の為になってないのが分かった今

できれば全部拒否したい

 

以下6巻の終わりより

私の言いたい事、分かりやすく言ってくれてる

 

我われは今日、どのような社会に生きているのだろう?

我われは何を目指しているのだろう?

未来に何を築くことを想定しているのだろうか?

圧倒的大多数の人々は、なんの躊躇もなくこう答えるだろう。

 

「私たちは民主主義の国に暮らし

西側の文明先進国のような

自由な民主主義を築くことを目指している」

 

大多数の政治家や彼らの戦略家たちが

まさにこのように答えるのだ。

テレビで流され、新聞に書かれるのが、まさにこのようなことだ。

我われの国の大多数の人々が、まさにこのように考えている。

大多数の人々のこの意見こそが

まさに現代文明に生きる人々が現在眠っているか

催眠術にかかりながら、世界の支配者であると

うぬぼれる神官たちの手中のバイオロボットとなっている

というアナスタシアの発言を証明している。

熱病のように単調なせわしない日々から少し立ち止まり

自分で考えてみると、次のようなことを理解することができる。

 

民主主義

 

そのそも、これは一体なんなのか?

この言葉自体はどんなことを定義しているのだろう?

大部分の人は、よく知られた大百科事典や

ロシア語の国語辞典から引用して答えるだろう。

そこには大体同じような簡素な説明がある。

 

「民主主義とは

国民主権を認めることに基づいた国家の政治社会体制。

民主主義の基本理念は多数決、国民の権利の平等……」

 

そして高度な民主主義先進国では

国会議員や大統領を人々が多数決で選んでいる。

 

選んでいるだと?

まったくのたわごとだ。」

完全なる幻想。

選択肢なんてない。

どんなに最も民主的で文明が発達した国でも

国民に権力があったことなど一度もないのだ。

 

選挙?

 

選挙は完全に幻想なのだ!

民主主義国と呼ばれるいかなる国であっても

選挙前になるといつもどんなことが起こっているかを思い出してほしい。

立候補者たちの戦略家のグループが巨額の資金を投じ

マスコミやテレビなどの視覚的な宣伝を通した巧妙な方法を使って

人々へ心理的作用を与えながら競っている。

 

そして高度に発達した国であればあるほど

洗脳の方法が技術面でいっそう巧妙になる。

より強く作用を与え、洗脳をすることができた

戦略家チームが必ず勝つ、というのは明白な事実だ。

人々は洗脳を受けてから、選挙に行き投票するのである。

人々は自分の望みをもとに投票していると思っているが

実際は誰かの意志を遂行しているのだ。

 

このように、現代の民主主義は

大衆の幻想だということになる。

大衆による、非現実的な社会の構築

非現実的な幻想世界への信仰なのだ。

 

そもそも、大多数への服従というものは

自然界には存在しない。

植物や動物、昆虫たちの社会はすべて

本能や惑星たちの動き

自然界に定められた秩序

群れのリーダーに服従する。

同様に、人間社会も、いつも少数によって支配されてきた。

 

革命を起こしたのも戦争を企てたのも

大多数の人々ではなく

少人数の意図的な洗脳によって

大多数の人々が革命や戦争に参加させられていたのだ。

これまでもそうだったし、今でもそうだ。

民主主義とは、膨大な数の人々がさらされている

最も危険な幻想なのだ。

危険だというには、民主主義の世界では

一人または複数の人間が

すべての民主主義国家をいとも簡単に操ることができるからだ。

 

そのために必要なのは

多額の金と腕のいい心理学者と政治家の戦略家チームだけなのだ。

そして今日、親である我われは幻想の中にいながらも

子どもたちを育てようとしている。

しかし実質的には、ほかならぬ我われ自身が

子どもたちの意識を幻想の世界へと誘導し

そこに押し込んでいるのだ。

実質的に、彼らを何者かの手中へと差し出してしまっている。

それは神ではない誰かの手中なのだ。

我われは子どもたちを

神とは正反対のものに差し出しているのだ。

 

神の世界は幻想ではなく

現実的で美しいものだ。

他に勝るものがないほどかぐわしい花の香り

形や音色がある。

その世界への門は常に開かれていて

我われの意識をがんじがらめにしている幻想から

自由になりさえすれば、いつでも入ることができる。