①  《痛みは昨年から》

 

昨年夏から腰椎椎間板ヘルニアで腰に激痛が起きてきた。

学校園の耕運機での畑おこしや田んぼの代掻きなどで無理がたたり、痛み止めの薬を2種類服用しても改善しなかった。

 

医師に「手術した方が良いですよね」と云うが「手術しても痛みは取れない」とつれない返事。

「手術すれば神経管は広がりますよね」と云うと、薬を追加し「様子を見ましょう」と。

 

 

しかし、薬を追加しても少しも良くならない。

階段の昇り降り、身体を反らすことが出来ない、背筋伸ばして歩けない、歩いては止まる間欠性跛行や脚や腰や背中の痛みが日によって変わるし、電車も座らないと無理になった。

痛み止めの薬を死ぬまで飲み続けるのも嫌だし、担当医師を変えて手術に踏み切ることにした。

 

 

②  《手術は脊椎固定術》

 

手術は脊椎インストールメーション(脊椎固定術)と云う技法で、二個の背骨を4本のチタン製のネジと2本のロッドで固定する方法です。

手術担当のN医師は「医師が勧める名医」として週刊誌にも紹介されている。

他に神経管を圧迫している骨を削る手術も行うことになった。

手術室に入って3時間後に無事終了、「手術は成功した」と家族に報告があったが、手術室から病室への移動については全く記憶にない。

 

 

③  《「せん妄」に苦しめられた術後の夜》

 

 術後の夕方から「せん妄」(後で看護師に教えてもらった言葉)が翌朝まで一晩中私を苦しめていた。

「このまま死ぬのかな、苦しい、傷口が痛い」「こんな老人にどれだけの医療従事者が関わっているのかな」とか「苦しみながら死んだ人は沢山いる、白昼ミサイルで亡くなったガザの子ども達や市民、10万人も焼け死んだ東京大空襲」「毒ガスで亡くなったユダヤ人」とか「みんな苦しかったに違いない」などそんなことが頭の中をぐるぐるとよぎっていった。

 

術後から過ぎていく時間の長さは、一分が一時間以上にも感じるほど途方もなく長く感じていた。

痛さと殆ど身動き出来ない辛さで、終わりのない暗闇に意識が混濁していた。

 

 

④  《朝の来ない夜の長さは生き地獄》

 

「明けない夜はない」はウソで、「朝の来ない夜はある」と信じ込むほど長い夜だった。

傷口の痛さに加えて身体には①酸素マスク②点滴の針③排尿の管④背中から髄液を流す太い管⑤血圧計が腕に巻かれ⑥両脚に血栓予防のフットポンプ⑦指にパルスオキシメーターが付いており、まとわりついている管の多さで寝返りも思い通りに出来ない。

看護師が二時間おきに寝返りを手伝ってくれたようだが確かな記憶はない。

深夜の午前1時ごろ看護師が痛み止めの点滴を追加してくれたが、痛みは無くならず「生き地獄」状態が朝まで続いていた。

翌朝外されたのは血圧計と酸素マスクとパルスオキシメーターだった。

 

 

(つづく)

 

 

 

 

<チタンのデラシネ>

 

 

今回、三多摩平和運動センター「沖縄慰霊の日ツアー」を実施することを聞き、無理やり参加をお願いしたところ参加をさせていただくことができ、たいへんありがたかった。

 

沖縄慰霊の日に沖縄を訪問するのは、昨年に続いて2回目となった。

沖縄を訪れるたびに新しい発見があるのだが、今回もまたそうだった。

 

 


ツアー1日目、昼前に那覇空港についた私たちを、沖縄平和運動センター岸本事務局長が出迎えてくれ、岸本さんのガイドで、ひめゆり学徒隊などの足跡をたどった。

 

 

 

この写真は、学徒隊が、病院号に配属になる前に、研修を受けた東風平中学校だ。

ここから、彼ら・彼女らの悲惨な旅路が始まったのかと思うと、無責任な戦争指導者・権力者に対する怒りがこみあげてくる。

 

 

 

2日目、いよいよ「慰霊の日」当日を迎え、追悼式典会場までのシャトルバスに乗車するべく県庁前に向かった。

 

すでに、乗車待ちの人々の行列ができていたので、そこに並ぶと、一人のおばあさんが「どちらからですか?」と尋ねてきた。

「東京です」と答えると、おばあさんは「ご苦労様、本土の人は、艦砲射撃とか知らないから。日本軍も、悪かったよ」と言った。

5歳の時に沖縄戦に巻き込まれたそうだ。

 

 


平和祈念公園についてから、式典が始まる前に自分だけ「摩文仁の丘」を登ることにした。

 

昨年上ったときは、「黎明の塔」が立ち入り禁止になっていたので、そこまで行ってみたかったのだ。

今年は、立ち入り禁止にはなっていなかったが、戦没者墓苑で献花をしようとしたら「この時間は、入れません」と断られてしまった。

 

 

式典では去年に続いて「平和の詩」の朗読が、心を打った。と同時に、自分の勘違いに気づかされた。

というのは、この小学生の「平和の詩」にある、おばあさんが泣きながら歌った「艦砲ぬ喰え残さ」という歌の意味が、文字通り「艦砲射撃の食べ残し(生き残り)」という意味だったと分かったのだ。

 

 

自分は、昨年の夏にこの「艦砲ぬ喰え残さ」の碑を訪ねていたのだが、その時は「喰え残さ」を「悔いが残る」という意味だと思っていたのだ。

艦砲射撃の中を生き延びたことを、「食べ残し」と言い表した、その背後にどれほどの悲しみが込められていたのかと改めて思うのである。

 

 

 

 

<K.H>

 

④田んぼも自然観察園もある恵まれた環境

 

 

 

都心のビルに囲まれた学校では、土は屋上の「プランター」にしか無いと云うことも聞く。

以前在職していた校長が区教委に予算化させ、学校園に田んぼを作ってくれた。

 

五年生の総合学習の一つに組み込まれ、田植から観察し収穫・精米し食べるまで行っている。

また、校長は様々な草花が生える場所を「自然観察園」と名付けて、子ども達が自由に入って虫を見つけ探して楽しむ場所として整備してくれた。

 

そこには木々や様々な草花が生えて生い茂り、素晴らしい植物・昆虫教材園が出来て、憩いの場ともなった。

草むらを探せばカナヘビが見つかり、エサとなるバッタを必死になって探す子ども達の目は輝いている。

「虫かごが欲しい!!」「虫取り網を貸して欲しい」と理科室にやってくる子の目も輝いている。

虫が捕まえられなくても満足げで「ありがとう」と返しに来る。

 

 

 

 

⑤木々や雑草や草花は無用・不要な存在なのか?

 

 

 

残念なことも多々ある。

私と管理職や用務主事とで立場や考えの違いでいさかいもあった。

私は木々や隙間の地面に生える草花は、なるべくそのままにして欲しいと思っている。

 

教科書に掲載される植物もたくさん生えるし、一年を通して観察する木や植物もある。

剪定や植物に理解のある用務主事なら、教材としてある木々や草花に極端な除草はしない。

 

しかし、以前五年で使うアサガオを金網フェンスの下に植えて、花もたくさん咲き花の形や花粉など観察と思っていた矢先に根元から全て切られてしまった。

 

このアサガオは宿根で、ツルが勢いよく伸びて毎年使えると思って買ってきて植えたものだった。

ツルが金網に絡んで邪魔だと云う。

金網の下に植えるな!!と。

 

畑もあるがアサガオは絡むところがあると良く育つので、私と言い合いになりその主事は翌年異動した。

 

また、ツバキの葉にチャドクガなど毛虫が着くからと云って、葉を全部切り落されたこともあった。

 

ドウダンツツジやグミの木などは二度も三度も剪定するので枯れてしまった。

 

ザクロの木もたくさん実を付けていたのに、花もあまり咲かない木になってしまったと嘆いてしまう。

 

梅も杏も今年は実が殆どついていないと落ち込む。

 

草の生える地面を黒い除草シートで覆う場所も増えてきた。

ここにドクダミがあり、春にはハナニラがたくさん咲くのに、タンポポも咲く場所なのにと思う。

 

 

 

 

⑥研究発表の犠牲になったヘチマやゴーヤ

 

学校園ではヘチマやゴーヤがネットを這い上がり、花を咲かせ実を付ける。

そしてヘチマもゴーヤも枯れるまで観察期間になる。

 

ところが研究発表があるからとの理由で、枯れてネットに絡んでいたヘチマとゴーヤが抜かれてしまったこともあった。

ヘチマの実は収穫してあったが、ヘチマやゴーヤ根の根粒菌やツルの長さなど観察することもあったのに…。

 

管理職の指示で私に断りなく主事が抜いてしまった。

枯れて最後まで観察する教材で不要なものではないのに悔しさが残った。

 

 

見かけを考える管理職と仕事と云って、木々の無意味な剪定をして枯らしたり、草花の生える地面を除草シートで被うことに教育的配慮は感じられない。

 

私も木の選定は「一年に一回だけ」とか、「バッサリと強い選定はダメ」とか「雑草は土を抑える作用」もあり、「抜くと泥が流れ出て靴の汚れの原因になる」とか、「学校の草花や木々は全て教材」と話してはいるが、自然豊かな環境をそのままにして欲しいことを言い続けることにもう疲れ果ててきた。

 

子ども達が喜ぶ自然環境が無くされていくことをこれ以上見たくない気がしてならないが…。

 

 

 

2025/07/07 

      

<デラシネ>

庭のキンカンにアゲハの幼虫がすくすくと育ち6cmにも大きく成長した。

鳥に見つかると食べられてしまうので、虫かごに移して蛹(サナギ)になるのを待ちたい。

 

 

①植物教材「ホウセンカ」「ひまわり」と「ヘチマ」「ゴーヤ」

 

 

3.4年の理科講師をしているが、一学期は植物や昆虫など生き物教材が主である。

 

3年生は「ホウセンカ」「ひまわり」の種の色・大きさ・形など観察してカードに記録する。次に牛乳パック一人二つ分に土を入れ、芽が出て畑に移植できるまで理科室で観察する。

その後学校園の畑に移植して、一年間観察する。

 

4年生も「ヘチマ」と「ゴーヤ」を同様に育て、学校園の畑に移して一年間観察する。

私は週に二度だけの出勤なので、理科室での水やりは子ども達に任せる。

 

種から全員育つとは限らないし、観察中に苗を触りすぎて茎を折ることもある。

だから予備として教師用に10個以上作っておく。

 

 

 

 

②昆虫教材 「アゲハチョウ」と「モンシロチョウ」

 

 

 

昆虫も「モンシロチョウ」「アゲハチョウ」があり両方育ててきた。

 

学校にはミカンの木もあり、「アゲハ」は育てやすいし観察も楽しく出来る。

卵から孵化すると4回脱皮を繰り返し約三週間で蛹になる。

蛹は10日くらいで羽化の準備をして、成虫(チョウ)になる。

 

大抵は虫かごの中でバタバタしているので、タブレットで映して観察がおわると外に放つ。

二匹育て無事に外に放した。

 

「モンシロチョウ」はキャベツ畑や菜の花畑から、卵やアオムシを見つけてくることから始まる。

アゲハもモンシロチョウも卵を見つけるのは難しい。

 

四月末に学校の畑に植えたキャベツには、モンシロチョウが卵産んだ形跡は無く、自宅庭の小松菜から8匹ほど「アオムシ」を捕まえ学校に持って行った。

 

アオムシを学校の畑に移しても継続的に観察は難しい。

大きなプラスチック水槽に土を入れ、キャベツを2本移植してアオムシを育てた。

 

葉を食べて脱皮を繰り返し、10日ほど経つと蛹になる準備をする。

この方法はとてもうまくいって、毎日の観察が可能になった。

 

蛹の期間は7日くらいで羽化するが、これも蛹から脱皮の瞬間は殆ど見られない。

チョウが飛んでいるのを見て、子ども達が外に放つことにした。

これも8匹全て蝶になり外に放した。

 

 

 

③昆虫の「完全変体」「不完全変体」は三年生に必要な知識なのか?

 

 

 

チョウを育てたあとは、昆虫のからだの造りを学習する。

頭・むね・はらの3つの部分に分かれること、胸から6本の脚がある、4枚の羽のあるのもいる、頭には触覚・目・口がある。

 

また、昆虫には「たまご⇒幼虫⇒成虫」の不完全変体と「たまご⇒幼虫⇒さなぎ⇒成虫」の完全変体があることも教える。

 

不完全変体の昆虫はショウリョウバッタとトンボが教科書に載っている。

これらは飼育・観察は無いが、「完全変体」「不完全変体」など小学3年生に必要な知識なのかと疑問に思う。

 

また、モンシロチョウの「アオムシ」は幼虫と教え、チョウになったものは「成虫」と教える。

テストで「たまご⇒アオムシ⇒チョウ」と書く子もいる。

トンボは「たまご⇒やご⇒トンボ」と書く子もいる。

 

答えは「幼虫」⇒「成虫」だが、子どもは理解しているので「別な言い方は?」と聞いて私は正解にする。

 

アオムシを手でつまんで喜ぶ子やダンゴムシを拾って集める子ども達に、アオムシやヤゴは「幼虫」で、チョウやトンボは「成虫」と無理に教え込みたくない気もする。

 

しかし、それにしても教える内容が多すぎる。

 

 

 

2025/07/07      

 

<デラシネ>

学校や教員をめぐる話題は多くの人々に関心を持たれるのか、メディアは必要以上にセンセーショナルに報じる傾向があるようだ。

最近では教員による性犯罪がメディアを駆け巡り、子どもを学校へ行かせるのが心配だという危機意識が醸成されるに及んだ。

「先生が目の前の子どもを対象に犯罪を犯す」などという行為は絶対に許されないものだが、それを理由に学校に対してまた新たな規制をかけてくるようだ。

ただでさえ窮屈な現在の学校に益々自由が失われてくるのは必至である。

 

学校や教員による不祥事が発生するたびに「教育の危機」だと言われ続けているが、政府や文科省にとっては国家による教育管理体制を維持するための道具として有効活用しているのが現実である。

 

学校現場の日常は、しばらくの間そこにいて観察してみれば様々な問題点を発見するに違いない。

固い言葉で言うなら、学習指導・生活指導の在り方やその内容、上司たる人間や同僚との関係性、施設・設備の状況、義務付けられた事務処理等々であるが、それらのどの部分でも最低一つは問題点が見つかるはずだ。

 

例えば一つだけ本当の「教育の危機」をあげるとしたら、私は「国家による自由な学びの剥奪」を指摘したい。

多かれ少なかれどの国においても、国は学校教育の大綱を定めて一定の枠を設定しているが、日本の場合は「民主主義陣営」といわれる国家群の中でも異様なほどに現場への介入や締め付けが強いように思う。

 

敗戦後の国づくりは教育の力に頼るものも大きく、「戦後民主教育」の出発点は1947年の教育基本法(47教基法)の制定と言ってもよい程に理想としての教育理念を掲げていた。

例えば「教育が不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきである」と述べられている。

この文言が日本国憲法に附合するものとして、第一次安倍内閣によって教育基本法が改悪されるまでの長い間評価されてきた。

しかし、これは、「47教基法」制定に関わった田中耕太郎(後の文部大臣・最高裁長官)の要綱案では、「教育は、政治的又は官僚的支配に服することなく」と記されていたようだ。

つまり、より具体的に権力を規定した官僚的支配となっていたのだが、日教組の力が強くなることを想定して採用されなかったようだ。

それにしても、47教基法は日本国憲法と並んで戦後の民主主義国日本を象徴するものでもあった。

 

その後も教育委員会の公選制が定められたりして戦後の民主化は教育がその旗頭となった。

しかし、この理想は「教育改革」と称される権力による制度変更の度に歪められ今日に及んでいる。

マスメディアや「専門家」が「教育の危機」を叫ぶのは、むしろ文科省が進めよとしている教育政策が何らかの「妨害」によって円滑に進まなくなる現象を指していると考えた方が分かりやすい。

今回の教員による性的犯罪もその一つに値しているに違いない。

すなわち、そんな破廉恥教員が明るみに出て社会から叩かれたりすると、文科省が進めているマニュアル化された教育を更に細かく再編する手間が必要とされるからであろう。

 

また、私のように文科省路線にアンチを突き付けるのも「妨害」であり、当局は「教育の危機」としてとらえることだろう。

その意味では破廉恥教員も闘う教育労働者も、当局にとっては厄介な存在に違いない。

ただ、一つだけ言えることは、概して今回の様な破廉恥教員たちは犯罪行為がなければ、当局の敷いた路線を忠実にこなす害のない教員であったと思う。

 

さて、私の考える本当の「教育の危機」は「国家による自由な学びの剥奪」と述べたが、少し具体的な事例を示すと以下の様なことになる。

 

自由な学びは自由な教員による創造的な授業づくりから始まるが、これが近年は容易に実践できなくなっている。

その一つが指導内容から指導方法、指導時間、評価の観点まで定められ、いくら文科省が「主体的・対話的で深い学び」なるきれいごとを並べても学習者一人ひとりには響きわたっていかないのが現実だ。

 

考えようによっては、この文科省の言葉を盾にして自由な学びを組織することも可能だが、全面的に一教員の自由に委ねられるわけではなく一定の帰着点に収束するように導かれがちだ。

特に経験の浅い教員たちにとっては自由な冒険など容易にできないだろう。

 

子ども側に立場を置けば、自由な学びは自らの欲求が基盤になり、教員側が示す内容が受け入れられないものだとしたら、スタートからつまずくことになる。

であるならば、教員はどの様なものをどの様に示すかが、まず問われるのだと思う。

ここは時間が必要になってくる。

場合によっては、真正面から本題に向かうのではなく日常の諸々な問題から話を始めて、少しずつでも子どもの問題意識を喚起できればよいだろう。

 

これは学習の様々な段階においても言えることであり、ただ筋書き通りに授業を進めれば良いというわけではない。

何故、自由な学びが大切かというと、お仕着せの授業では、良くてもせいぜい知識の丸暗記であり、「自分の頭で考える」というプロセスが省かれてしまうからである。

指導者側は学習者へ「自分の頭で考える」契機や場を提供しなければならない。

これは、文科省が言うところの「対話的」な学習をその指導のプロセスで取り入れることも重要になるのは言うまでもない。

 

因みに、私は現役のころ、校内研究で校長とも協力しつつ「対話型授業」をテーマに学校ぐるみで社会科自主研究発表を行ったことがある。

(その実践を日教組全国教研社会科分科会で発表した。)

回顧主義に陥るのは自戒したいが、自分だけではなく同僚とも協力しつつ「対話型」

を追求した授業研究は楽しかったし、子どもたちも生き生きしていたように思う。

ただ、課題として残ったのは本当に個々の問題意識は解決できたのか、授業の定型化の弊害はないのか、というものであった。

これらを含めても真摯に授業の在り方を問うことができたのは、文科省が定めた一定の枠に沿いながらも随所で逸脱(これこそ自由な発想)しながら進むことが可能であったからである。

あの当時、子どもだった青年たちが今、どのような生き方をしているのか、とても知りたい思いに駆られるのである。

 

今日における本当の「教育の危機」は、かつての様な実践が容易でなくなったことを含め、子どもたちが一人の主権者として自立できる学びが保障されなくなっている現実にこそあると断言できると思う。

 

 

 

<すばる>

自らの労働条件は自らの手で!教え子を再び戦場に送るな!日教組・東京教組と共に闘おう!

               NEWS  江 戸 川 区 教 組

2025/6/25  No.2504 江戸川区教職員組合(江戸川区東小松川3-35-13ニックハイム船堀204)

◇フッ化物洗口 意見交流会  

  〇日 時:7月4日(金)18:00~       

  〇場 所:タワーホール船堀

  〇内 容:・江戸川区フッ化物洗口実施について、また今後について意見交流を

        する。

       ・区教委給食保健係との交渉に向けて、現場の要望を聞く。

  〇お願い:自校の養護教諭にも是非お声かけください。

 

◇夏の合宿  ~石川県奥能登を訪ねて~

  〇期 日 :7月26日(土)~28日(月) ※参加者には、栞をお渡しします。

  〇集 合 :新高岡駅(※5月号のニュースに記載した高岡駅は誤りです)

        北陸新幹線「はくたか555号」(東京 8:41発 ・上野 8:47発)に

        乗車して下さい。

  〇宿 泊 :1泊目⇒「花ごよみ」和倉温泉、  2泊目⇒「禄光旅館」珠洲

  〇内 容 :以下の場所で訪問、意見交流を検討中です。

       *仮設住宅で自治会長の話を聞く *奥能登支部教育会館で意見交流         

       *見附島見学

       *珠洲市見学 *珠洲市の組合員との交流

 

 

 

◇【お勧め映画】 

     ドキュメンタリー「能登デモクラシー」 

 監督は、石川テレビ記者の五百(いお)旗頭(きべ)幸男さん。

 舞台は、人口6888人(25年1月現在)の石川県穴水町。

 

 「何もしなければ何も変わらない」と、2020年から手書きの新聞『紡ぐ』を発行し、町の未来に警鐘を鳴らし続けている元中学教師の滝井元之さんを中心に、穴水町の役場や町議会、そこに暮らす人々を取り続けているドキュメンタリー映画です。

 

 これまで私は、教育や社会の出来事、様々な問題に関心はもっても足元の「地元」に目を向けることは、ほとんどありませんでした。

 

 滝井さんの手書きの新聞が、町の政治を動かし、人を動かしていくその様を、このドキュメンタリーは見せてくれました。

驚きでした。

 

真似の出来る事ではありませんが、「デモクラシーとはなんぞや」を考えさせられました。

特に、田舎にありがちな、企業や地元の産業、そこに暮らす人と政治家とのなぁなぁの付き合い。 

それをつつけば狭い町の中では村八分にあいかねない。

 

 そんな中で、震災を経て、更に過疎化する町に一石を投じ続ける滝井さんの行動と新聞が、町の政治をそして人を動かし、変えようとしている姿にエールを送りたいです。

 

 また、監督の五百旗頭さんが映像を通して、町長や議員に食い込み、議会の不正を見逃さずに暴いているところにこのドキュメンタリーの誠実さと迫力を感じた次第です。

-Y.H-

 

    

 

 

 

◇今後の予定

7月4日(金)  フッ化物洗口 意見交流会  

           会場:タワーホール船堀  405室  18:00~

〇7月8日(火)   江戸川区教育委員会定例会 傍聴      

          場所:教育委員会         13:30~

 

〇7月26日(土)~28日(月)  江戸川区教組  夏の合宿 

 

〇9月5日(金)  分会代表者会                                                 

         会場:タワーホール船堀  405室  18:00~

 

 

 

 

 

生活と権利を守るためにみんなで力を合わせましょう!

                      江戸川区教職員組合加入届

 

江戸川区教職員組合   書記長 〇〇〇〇 様 

            私は江戸川区教職員組合に加入いたします。

            (       )学校分会   

            氏名:(         )印

今、私たちの世界は、そして地球は破滅の道を猛スピードで突き進んでいる。

 

その先頭で旗を振り続けている三バカがいる。

トランプ、プーチン、ネタニヤフの3人である。

 

 

大統領の肩書と強大な軍事力に包まれ他者がどうなろうとも、思いつきで自分のやりたい事をやる幼児的思考のトランプ

 

帝政ロシアの幻影とロシア皇帝の栄光を追い求めてウクライナに侵略したプーチン

 

自らの犯罪で逮捕されるのを逃れる為に意図的な紛争状態を作り出し、パレスチナの人々を虐殺するだけでなくイランにまで触手を伸ばしたネタニヤフ

 

 

3人とも自国の市民だけでなく多くの人々の命を奪い、その屍の上で権力にしがみついている狂気に満ちた三バカなのである。

 

 

私達の悲劇は、こうした三バカがいまだに権力を持ち強大な軍事力で生き長らえていることに反撃できず、悲惨な状況を許してしまっていることに尽きるだろう。

 

「バカにつける薬はない」と言うが、その薬の代わりになる全世界の人々の力を叩きつけ、三バカを権力の座から引きずり降ろさなければならない。

 

 

 

<T.O>

 

 

※「三ばか大将」というのは、1930年代アメリカで人気のあったコメディー短編映画が基になり全米で人気を博したテレビ番組だが、日本では1963~1964年に日本テレビで吹き替え放映されたコメディー番組である。その後も、1966年に「トリオ・ザ・3バカ」という題名でNET(現テレビ朝日)で放映され人気があった。この「三バカ」のネーミングをいただいたのだが、今日の「三バカ」はコメディー役者にとどまらず世界を破滅の道へ向かわせようとしている。

 

関東も10日に梅雨入りになった。

 

気象ニュースによると今年の梅雨入りは5/16九州南部からスタート。

沖縄や奄美より先に梅雨入りしたのは、統計史上初めてのことで平年より二週間以上も早かった。

 

沖縄は平年より12日も遅い梅雨入りで、早くも6/8には梅雨明けした。

これは統計史上最速の梅雨明けで、梅雨の期間は17日間だったと云う。

 

九州や特に鹿児島では激しい雨や雷を伴う「線状降水帯」が発生し、河川の増水・氾濫など警戒が必要な状況になっている。

地球温暖化による世界的な気候変動により、海面上昇や氷河が崩壊し様々な環境悪化が進んでいる。

 

日本も春夏秋冬の四季が、いつの間にか曖昧になり二季に感じた年もあった。

じとじと雨が止まない曇り空を見ていて憂鬱な気分になるが、スカシユリはうっとうしい気分を和らげてくれる。

 

プランターに植えた4種類のスカシユリが豪華な花を付けたので、ユリについていろいろ調べてみた。

 

 

 

《日本のユリの歴史》

 

①  日本は野生ユリの宝庫

ユリは北半球を中心に70種が分布し、日本にも15種ほど自生している。

日本は「ユリ王国」でヤマユリ・コニユリ・ササユリ・タケシマユリ・ヒメユリ・サクユリ・カノコユリ・テッポウユリ・スカシユリ・クルマユリ・オトメユリ・オニユリなどある。

 

「万葉集」に12首詠まれ「古事記」「日本書紀」にも記載がある。

 

 

②  江戸末期、日本の野生ユリがヨーロッパへ

江戸時代末期、シーボルトがアジサイと共にヨーロッパに持ち帰ったのが、カノコユリ・テッポウユリ・スカシユリで、その美しさから人気を呼んだ。

 

特にカノコユリは宝石のルビーにたとえられ、同じ重さの銀と同等の価格で取引されたとか…。

 

同じく江戸末期には外国人商館によるユリの球根貿易が始まり、ヤマユリ・ササユリ・オリユリなど横浜港から輸出された。

 

 

③  外貨獲得の花形に テッポウユリが軍艦に…

明治になると日本人による貿易会社できて、カタログを制作し種類豊富なユリをヨーロッパに紹介した。

 

明治末期にはヤマユリ・テッポウユリなど4千万球以上輸出し、世界のユリの90% を日本のユリが占めた。

特にテッポウユリは人気を博し、生糸と共に外貨獲得の花形となり”ユリで軍艦を作った”と云われるほど経済力、国力に影響を与える存在になった。

 

ユリにそんな時代があったとは、教科書で習ったこともなく初めて知って驚きだった。

 

 

 

 

《ユリの主な分け方》

 

「ヤマユリ亜属」「テッポウユリ亜属」「カノコユリ亜属」「スカシユリ亜属」の4つの亜属に分類されている。

 

①  ヤマユリ(山)は本州が原産地の日本固有種である。

直径25cmほどの大輪の花を咲かせ、全体に赤褐色の斑(まだら)が特徴で、球根は「ユリ根」として食用になる。

 

ヤマユリを基に改良した園芸品種はオリエンタルハイブリッドと呼ばれ、カサブランカはオランダに渡った日本の山ユリを交配したものと推定されている。

 

 

②  テッポウユリは屋久島や沖縄など南西諸島や台湾に分布している。

先端の開いた筒状の白い花を横向きに咲かせる姿がラッパ銃に見えることから、この名前が付けられた。

 

純白の花を開くのでイースター(キリストの復活)祭では、テッポウユリの切り花が大量に使われていると云う。

種子繁殖力が強くこぼれ種で増えやすい。

 

 

③  カノコユリは九州や四国に分布している。

開花するとそっくり返った(反転)したような花姿で下向きに咲き、花弁に鹿の子模様の斑点がある。

オニユリはこの仲間である。

 

絶滅危惧種とも云われている。

 

 

④  スカシユリ(透ユリ)は日本の中部以北の海岸の砂礫地や崖、岩場に生育している。

花の付け根付近がやや細く、隙間が見えることから「透かし」百合の和名がある。

上向きに花が咲き香りは殆どない。

 

プランターに植えたスカシユリの写真は、原種のイワユリとエゾスカシユリなど元に交配された「アジアティック・ハイブリッド」と云う園芸品種で花色はオレンジ・黄色・濃赤がある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

《花言葉》

 

①  ユリ全体の花言葉は「純潔」「無垢」「威厳」

 

②  色別の花言葉

  ・白色「純潔・威厳」

  ・黄色「偽り・陽気」

  ・オレンジ「華麗・愉快・軽率」

  ・ピンク、赤「虚栄心」

 

さて、品種別も調べたがスカシユリのみ紹介、「注目を浴びる飾らぬ美」とあった。

うっとうしい梅雨空に立ちつくす、ユリに出会える幸運を祈ります。

 

 

 

 

2025/06/15    

 

<デラシネ>

「ピュリダンのロバ」というお話があります。

 

等しい量の「えさ」が2か所にあって、その中間にロバがいると、ロバはどちらの「えさ」も選びとることができないで飢え死にしてしまう!という話です。

 

ちなみに、ピュリダンとは人の名前で、自然科学ができ始める前の時代(中世)の人です。

この話は、一方を選びとることができない状況を表す話として有名で、アインシュタインの「自伝的ノート」でも登場します。

 

 

ところで近頃は「エビデンス」という言葉がよく使われていますよね。

エビデンス(証拠と言え!)にもとづいた判断を下すことはもちろん大切ですが、それだけでうまくいくのか?というと、問題があります。

 

 

初めて出会った場面では、たいてい誰でも「ピュリダンのロバ」の状況です。

(「えさ」があるのに飢え死にしてもいいのかい?)

 

そんなときには、自分の判断に「賭ける」しかありません。

根拠なしの「思い込み」です!

 

エビデンスを求めて右往左往する人たちを横目に、初めての状況を「思い込み」で飛び越えていってください。

大いに期待しています。

 

 

 

2021年9月

 

<M.I>

  6月6日日本教育会館で日退教第51回定期総会が開催された。

出席者は北海道から沖縄まで全国から結集した代議員85名に役員・来賓含めて総勢110名以上だった。

 

               

 

《会長あいさつ》

 

竹田邦明日退教会長から、差し迫った課題として7月に実施される参議院選挙に勝利すること。日政連議員水岡俊一に、期日前投票の依頼と家族や知り合いにも広げること。   

今年は戦後80年・沖縄返還53年目の節目になる。

沖縄では米軍による女性への暴行事件や事故が絶えず、県民の怒りと不安は限界に達している。

また、自民党西田昌司議員の発言は、沖縄「ひめゆりの塔」の事実を歪曲し歴史を改ざんする行為であり、県民の記憶と尊厳を踏みにじるものと訴えました。

 

その後、日教組委員長をはじめ来賓あいさつのあと、24年度の経過報告と25.26年度の活動方針が提案されて昼食・休憩となりました。

 

 

 

《各県からの意見討論》

 

午後からは活動方針案について、およそ20単会から質疑や意見が出されました。

 

①    反戦・平和の取り組み

 

反戦・平和に関しては、北海道からは日高で自衛隊による地対空ミサイル実射訓練反対の取り組みと寿都町・神恵内村の「核のゴミ処分場」交付金の件について報告。

 

広島からは、被ばく80年がたち年々被爆者が亡くなり、被ばく体験伝承活動が2世に移っていること。

海外から訪れる人や子ども達にガイドなど活動を工夫している。

被団協のノーベル平和賞受賞に伴い、被ばく認定されていない方々の国家賠償請求を求めているが棄却されていることが報告されました。

あらたな動きとして、天皇・皇后が6/19原爆慰霊碑と原爆資料館の訪問に際し、商工会議所(日本会議系)が「天皇皇后陛下 提灯奉迎の集い」をゲートパーク(旧広島市民球場)で実施することに抗議文を出すと云う。

 

沖縄からは、辺野古基地建設の軟弱地盤工事に巨額な税金が投入されていること、宮古島に自衛隊ミサイル基地や弾薬庫建設が実施されたこと。

沖縄本島だけでなく鹿児島奄美大島や石垣島・与那国島など、西南諸島のミサイル基地化は進行しており、戦争に向かってまっしぐらに進んでいる危険な状況にあることが報告されました。

 

神奈川からは、リニア新幹線建設について地下40m以上の地下空間は、地上の地権者の交渉なしに利用できる「大深度地下法」という法律がある。

東京・神奈川・愛知・岐阜ではシールドマシンで掘削が行われているが、地盤沈下や地下水位の低下など重大な問題が起きている。

原発推進政策と同じで、今後の推移を見守っていきたいと報告。 

 

 

埼玉からは狭山事件に関し、えん罪被害者に対しての再審法改正の署名の取り組み

新潟からは柏崎刈羽原発の再稼働反対の署名が14万3千集まったことの報告された。

 

 

②    組織拡大について

 

組織拡大では秋田・新潟・滋賀・千葉・高知・宮崎などから報告があった。

定年延長後の雇用形態の違いもあり、退職者が直ぐに加入しない現状がある。

会員の平均年齢が80才以上で活動が停滞している。

組織の維持が困難で従来の運動では限界がある。

高齢者はバラバラで孤立しており、いろんな繋がりを持つことが必要。

活動をすればお金がかかり、署名やカンパは難しい。

一つの支部で内向きの活動をしても広がらない。

ニュースを手配りで会員に会って話していたが、高齢化で配布も無理で郵送にしたが関りが無くなった。

地域では自治会長や民生委員・保護司など退職した人が関わっている。

地域と結びつくことは大事ではないか等々、高齢化と会員の減少や活動の停滞化や今後の展望など様々な問題が提起された。

 

 

③    日退教4部会の活動についての紹介

 

日退教は「広報部会」「福祉部会」「組織部会」「ジェンダー平等部会」の4部会を設置している。

広報は定期総会の各種学習会の記録や日退教だよりの発行。

福祉は医療・介護・年金等の学習会の実施。組織は組織拡大と福島・沖縄の学習交流の実施と日退教組織活動交流集会の実施。

ジェンダー平等は組織の女性役員増の提言や女性差別撤廃やジェンダー平等に関する学習会の実施を行ってきた。

 

 

④    日退教組織活動交流集会で思ったこと

 

毎年10月に実施されている「日退教組織活動交流集会」で司会をしてきたが、元校長が行政の政策と連携した「社会貢献活動」の報告があった。

また地域の「文化サークル団体の運営」に日退教組合員が中心的に関わっている報告などもあった。

平和教育の取り組みや教科書採択の取り組みなどの実践報告も多々あったが、「旅行や忘年会」を初めて実施して交流が出来たと云う報告もあった。

旅行や忘年会が日退教の活動なの?とその時は違和感もあった。

近年では、自治会長になった会員が「イージスアショア」配備反対の自治会決議や抗議声明を挙げて阻止した報告もあり、こんな凄い実践をしているのかと云う驚きもあった。

 

 

⑤    活動の場は地域社会にある

 

その時思ったことは、「退職した組合員の活動の姿」の多様性が浮かんできた。

日教組組合員のときは職場が活動の場だった。

退職しても体力・気力が充実していると働くことも出来る様々な活動や闘争にも参加できる。

しかし、病気や家族の介護などあると、誰もが現職と同様な活動は出来ない。

学校に代わって家庭や地域が職場のようになっていく。

 

かつて日教組組合員だった個々人が、地域社会の中でどのように生きていくのか、それぞれの生き方は同じではない。

歳月や時間は誰にも平等にあるが、個々に残された歳月や時間には限りがある。

だからこそ、教師として日教組組合員として培った経験値の広さや深さは、地域社会の中に還元されるべきと思う。

 

「今、出来ること」「まだ出来ること」は何か、そこに生きがいを見つけ身体や頭を使って人と関わり一歩でも動くことが大切と思う。

そこに日退教運動の原点があるような気がする。

               

 

                  

 

                             

 

2025/06/09

 

 

 

<デラシネ>