①  《痛みは昨年から》

 

昨年夏から腰椎椎間板ヘルニアで腰に激痛が起きてきた。

学校園の耕運機での畑おこしや田んぼの代掻きなどで無理がたたり、痛み止めの薬を2種類服用しても改善しなかった。

 

医師に「手術した方が良いですよね」と云うが「手術しても痛みは取れない」とつれない返事。

「手術すれば神経管は広がりますよね」と云うと、薬を追加し「様子を見ましょう」と。

 

 

しかし、薬を追加しても少しも良くならない。

階段の昇り降り、身体を反らすことが出来ない、背筋伸ばして歩けない、歩いては止まる間欠性跛行や脚や腰や背中の痛みが日によって変わるし、電車も座らないと無理になった。

痛み止めの薬を死ぬまで飲み続けるのも嫌だし、担当医師を変えて手術に踏み切ることにした。

 

 

②  《手術は脊椎固定術》

 

手術は脊椎インストールメーション(脊椎固定術)と云う技法で、二個の背骨を4本のチタン製のネジと2本のロッドで固定する方法です。

手術担当のN医師は「医師が勧める名医」として週刊誌にも紹介されている。

他に神経管を圧迫している骨を削る手術も行うことになった。

手術室に入って3時間後に無事終了、「手術は成功した」と家族に報告があったが、手術室から病室への移動については全く記憶にない。

 

 

③  《「せん妄」に苦しめられた術後の夜》

 

 術後の夕方から「せん妄」(後で看護師に教えてもらった言葉)が翌朝まで一晩中私を苦しめていた。

「このまま死ぬのかな、苦しい、傷口が痛い」「こんな老人にどれだけの医療従事者が関わっているのかな」とか「苦しみながら死んだ人は沢山いる、白昼ミサイルで亡くなったガザの子ども達や市民、10万人も焼け死んだ東京大空襲」「毒ガスで亡くなったユダヤ人」とか「みんな苦しかったに違いない」などそんなことが頭の中をぐるぐるとよぎっていった。

 

術後から過ぎていく時間の長さは、一分が一時間以上にも感じるほど途方もなく長く感じていた。

痛さと殆ど身動き出来ない辛さで、終わりのない暗闇に意識が混濁していた。

 

 

④  《朝の来ない夜の長さは生き地獄》

 

「明けない夜はない」はウソで、「朝の来ない夜はある」と信じ込むほど長い夜だった。

傷口の痛さに加えて身体には①酸素マスク②点滴の針③排尿の管④背中から髄液を流す太い管⑤血圧計が腕に巻かれ⑥両脚に血栓予防のフットポンプ⑦指にパルスオキシメーターが付いており、まとわりついている管の多さで寝返りも思い通りに出来ない。

看護師が二時間おきに寝返りを手伝ってくれたようだが確かな記憶はない。

深夜の午前1時ごろ看護師が痛み止めの点滴を追加してくれたが、痛みは無くならず「生き地獄」状態が朝まで続いていた。

翌朝外されたのは血圧計と酸素マスクとパルスオキシメーターだった。

 

 

(つづく)

 

 

 

 

<チタンのデラシネ>