自らの労働条件は自らの手で!教え子を再び戦場に送るな!日教組・東京教組と共に闘おう!

NEWS  江戸川区教組2025/10/1  NO.2506 江戸川区教職員組合                                                                                                                                                      (江戸川区東小松川3-35-13ニックハイム船堀204)

 

  9月まで猛暑日が続いた長~い夏も終わり、やっと「天高く馬肥ゆる秋」「灯火親しむ秋」季節になりました。

  学校では、様々な芸術や文学に触れる機会が増える季節でもあります。その分、教師は忙しくなります。

  皆さん、健康第一で活躍してください。そして、私たち自身も学校の外に出て、見聞を広げたいものです。

 

 

江戸川区教組が取り組んできた2つのことを以下の集会で

    報告します。

 

①「江戸川区教組夏の合宿『奥能登を訪ねて』」 

  ・10月10日(金)13:30~日退教の組織活動交流集会の分科会で報告します。

 

②「集団フッ化物洗口」~なにが問題?~

  ・10月25日(土)14:15~東京教組秋の教研集会、分科会で報告します。

 

 

 

'25夏の合宿~石川県奥能登を訪ねて~の感想

 

 前回、合宿の報告をしましたが、今回は参加者の感想を載せます。

 

①   能登合宿~和倉温泉~    (M.H)                                                         

 仮設住宅を見た時、人の住まいとしてはこれ以上簡素な建物はないだろうと、又、残念ながらこれ以上お金はかけられないだろうと思った。

殺風景で人の息遣いが感じられないような硬い空間に思えた。

が、プランターから、植物(たぶんアサガオ)のつるが伸びているのを見た時、マジでほっとした。

植物の成長を愛でる人が確かにいる。いつくしむ人がいる。

植物の成長で心が癒されているのではないか。

 

住む期間が長くなるにしたがって、こういう草花を仮設住宅スペースの周囲に置くことは、災害関連死を防ぐことにもなるので、予算をつけて欲しいなぁと思った。

私も団地のアパート住まいで、ベランダでゴーヤやアサガオ、ミニトマト、マツバギク、日日草、ゼラニウム、ピンクマーガレット、フウセンカズラ、シクラメン、サンスベリアなど、ささやかに育てているが、実に癒される。

    

  また、自治会長さんの話を聞きながら、むしろ自分の方が鼓舞されているような気持ちになった。

個人のプライバシーが守られることはもちろんだけれど、狭い空間に閉じこもるのではなく、みんなが気軽に集まれるような集会所の建設を役所に要望したという。

これは、すごいことだと思った。

話している自治会長さんの背中側にホワイトボードがあり、そこに人の名前が書いてあるのが気になっていたらやはり、この集会所を使って遊びのようなこともやっているとのこと。

個人の居場所を確保すること、トイレや体の清潔を保つことは勿論、その次に、誰でも使える共同の場所を作って顔を合わせられるようにすること。

これって本当に大事だと思う。

自治会長さんは、「ここがこじんまりした小さめの仮設住宅地でコミュニティーの強い地域だったからやれたんだと思う。」と謙遜していたけれど、実行力のある温かい人柄に触れて、ここでは災害関連死という言葉は聞くことがないだろうと思った。

    

        

           

② 能登、再び…(和倉・奥能登・珠洲)   (K.N)                                               

 一年ぶりに能登に行った。日差しは強く猛暑だが、東京と違い湿度の低いカラッとした暑さだった。

 昨年は、倒壊した建物・道路は走行する中央部分以外の両端はそのまま。

主に復旧途中の外観を観てきた。

そして、施設の方や石川県教組の方と懇談した。

今回は、建物の多くが撤去され、仮設住宅も増えて復旧が少しずつ進んでいるように感じた。

 

 仮設住宅の自治会長・市議会議員・現教職の方等から当時のこと、現在の様子を伺うことができた。

 自治会長からは、仮設住宅の人たちの暮らしや集会所を中心にコミュニティを築いてきたこと。

教職員からは、地震発生時の様子や児童・生徒の安否確認、変則的な授業形態、他へ避難している子の当該校とのやり取り等。

生活の中での生々しい話に苦労がしのばれた。

話を聴いて、復旧にも時間を要し、復興までには長い長い時間がかかると感じた。

今年は、集中豪雨(水害)の被害が多く、復旧・復興に輪をかけて大変になっている。

 

夜は、恒例のレポートを持ち寄り学習会。

多岐に渡る問題提起に各自の意見や感想で盛会だった。

帰京時、能登の人たちが一日も早く元の生活に戻れることを願った。

外観だけでなく、人々が戻り生活の場としての能登として・・・。

 

 

 

③   能登半島で実見した自然の驚異    (T.S)  

                                          

  江戸川区教組友の会の合宿に参加し、初めて能登半島を訪れた。

2024年1月1日の地震、9月の集中豪雨と二重の災害の影響はどうなっているのか、ドキドキしながら新高岡駅に向かった。

 

 はじめに仮設住宅を訪問して、自治会長から被災時の様子や仮設住宅での問題点等をお聞きした。

様々な地域から集まっているため互いを知らず、役所からは入居者の情報を個人情報だからと教えてもらえず、孤立を心配されたそうだ。自治会を作ることで希薄だった人間関係が縮まったとのこと。

非常時こそ人間関係が大事だが、互いに不安を抱えながら過ごすのは、本当に心細くつらいことだと思う。

 

 2日目の朝は和倉温泉を見学。

海沿いの大きな旅館は地面が割れ、水が噴き出している状態だった。

私達の宿泊した旅館でも、温泉のパイプを地下から掘り探すのに4ヶ月かかったとのこと。

仲居さん達が話す地震時の話からも状況のすさまじさを知ることができた。

午前中は石川県教組奥能登支部で、被災した輪島の町の様子や学校の状況を伺った。

 

小中学校では生徒の半数が自主避難し、集団避難を募り金沢で授業をしたが、生活リズムや規則もなく2か月を過ごしたそうだ。

学童疎開を想起させた。

震災直後の児童たちの精神状態、何のための避難か…と災害の多い日本では、予想して考えることの必要性を感じた。 

見附海岸への道々に見られる電信柱は傾いたまま、名所の見附島は、Hさんが昔撮った写真と見比べると、大きな岩が崩れており揺れの大きさを知った。

 

  ここから、市議さんの案内を受けた。

倒壊建物の下敷きや津波、そして豪雨で97名もの方が亡くなったとのこと。

市議さんの友人宅の1軒は川沿いで傾き、もう一軒は裏山からの土砂で埋まっていた。東側の海岸線を走ると白い部分があり、それらが隆起した跡だと教えてもらった。

道路やトンネルが土砂に埋まり、海岸の傍に作られた道路を走ることもあった。

山側は、土砂崩れや倒木の散乱が見られた。

地震で緩んだ地面に豪雨では、ひとたまりもない。

 

その後、原発建設予定地だった所へ。

静かな海の傍の漁港は隆起して陸地化し、使えなくなっていた。

「人権東京の会」で「能登半島に学び、脱原発を考える」渡辺敦雄さん(元原発術者)の話を聞いたばかりだったので、ここに原発を建設させないで良かったと心から思った。

 

   3日目の朝早く、宿泊した能登半島の先端、禄剛崎の灯台まで散歩した。

灯台を真っ白に輝かせる明るい陽光と青く澄んだ海の色は美しく、災害の影響を忘れさせた。

けれど、足元には地震による亀裂のため立ち入り禁止の表示があった。

 

朝食後、段差の多いくねくね道路を走り、白米の千枚田を見学。

千枚田は地震の影響で棚田が崩れていた。

長い年月をかけて築いたものが、かくも簡単に壊されてしまうとは。

携わってきた人たちはさぞ無念だったことだろう。

 

輪島の町に入ると、去年も訪れた人たちが歓声を上げた。

ずいぶん整備されたそうだ。

まだ壊しきれずにある場所や壊した為に櫛の歯のように空いた場所もあった。

道の駅を訪れたが、週末だけ開くという所ばかり。 

 

   人口減少とともに観光客も少ないせいではないだろうか。

災害で能登半島の人々の生活が大きく変わってしまったのは明らか。

働き場所が減り、若い人の流出も多くなった。

災害の恐ろしさを実感し、できることは何かを考えた。

また、夜の学習会では色々な方の提案を伺い、刺激を受けた。

 

 

 

④   ’25夏の合宿in奥能登に参加して    (K.H)  

                                            

 昨年に引き続き、被災地能登半島を訪れた。

2024年1月1日から1年半。被災地はどれくらい復旧したのだろうか。

七尾や珠洲の被災状況はどんなだったのだろうか。

今回は、居住している方たちから被災状況を生の声で聞けるという。

 

「奥能登で、見たこと、聞いたことを伝えることも被災地支援」だ。(石川県教組委員長)しっかり、見て、受け止め、そして伝えたい。 

そんな思いで参加した。

 

七尾、珠洲、輪島市と見て回り、あちらこちらに倒壊家屋を公費解体した後の更地が目についた。

仮設住宅が増えていることにも気づいた。

高齢の方たちは住宅再建もままならないだろう。

珠洲の漁港では海岸が隆起して、船が出せず漁業を廃業せざるをえなかったという。なりわいまで地震で失った方たちがいる。

 

奥能登支部の教員の方の報告では、地震後に転出した子どもたちが多く、輪島市では小学校6校を1校に統合するという。

地震によって、生活を一変させられてしまったリアルな現実を仮設住宅の自治会長さん、各地区の市議さん、奥能登支部の方たち、旅館の仲居さんたちから聞くことができた。

 

珠洲のFWでは、地震後の9月の大豪雨によって、大量の土砂がなだれ込んだ家屋に案内してもらった。

大量の土砂は時間を経て硬くかたまり、いまだ撤去されていないままだった。

温暖化の影響の異常気象とはいえ、地震後のケアは適切だったのだろうか。

国や地方自治体の長は、そこに生き、暮らしを営む人を何より大切にした行政をおこなってほしい。

いや、おこなうべきだと強く思った。 

 

現地に赴き、体感したことを周りの方たちに伝えていこうと思う。

石川県教組の委員長さんには、今年もいろいろお世話になり、ありがとうございました。

 

 

【お勧め映画】 

 

ドキュメンタリー「黒川の女たち」  松原文枝監督

 

「戦時下性暴力と差別を告発」「尊厳回復の道のりを記録」という見出しで、新聞や雑誌で何度か取り上げられたドキュメンタリー映画「黒川の女たち」を観ました。

 

 岐阜県旧黒川村の満蒙開拓団が、敗戦直後に現地住民から襲撃を受ける中、未婚女性を差し出して旧ソ連軍に助けを求めました。

帰国後、性接待を強要された女性たちは、故郷で「向こうでやられた女」として蔑まれ差別を受けた上、長い間性暴力はなかったことにされ続けていました。

 

女性たちが声を上げ始めたのは、2013年。

松原監督は、2018年に『朝日新聞』で佐藤ハルさんの証言集会の記事を見て作品を制作することにしたそうです。

 

 映画を観ながら、女性を差し出させた開拓団男性幹部たちの誹謗中傷や世の中の偏見、差別の中で、声を上げた女性たちの強さに目頭が熱くなりました。

そして、新しく開拓団遺族会会長になった藤井さん(父親が団員)が、加害に向き合い、犠牲になった女性たちのための碑文を建立して謝罪をされた。

彼女たちの尊厳回復はここから始まるのだと、再生への第一歩を踏み出されたのだと、胸がギュッとなりました。

 

満蒙開拓団の犯した罪は、国の政策によるものです。

しかし、国は戦後80年を過ぎた昨今、近隣国の武力攻撃に対する防衛力強化、防衛費増額等、新たなる理由を付けて戦争への道を着々と切り開いています。

 

 政治を担う多くの人たちに、是非とも「黒川の女たち」を観て、戦後80年の振り返りだけでなく、その前の戦中の日本が何をしてきたのかを正しく理解し、国の政策が戦争につながるものとならないよう考えて欲しいです。

 

 

 

  今後の予定

 

10月03日(金)     分会代表者会

             会場:タワーホール船堀  405室  18:00~

 

〇10月10日(金)   日退教組織活動交流集会分科会      

                                                     会場:ラポール日教済       午後

 

〇10月11日(土)   「障害」児教育分科会(東京教組)    

                                                     会場:ラポール日教済 13:30~16:30 

 

〇10月14日   (火)     江戸川区教育委員会定例会 傍聴      

                                                  場所:教育委員会  13:30~

 

〇10月25日(土)     秋の教育研究集会(東京教組)         

             会場:ラポール日教済 12:00~16:30

 

〇10月29日  (水)       江戸川区教育委員会定例会 傍聴      

             場所:教育委員会  午後の予定

 

〇11月07日(金)    分会代表者会                                                                             会場:タワーホール船堀  405室  18:00~

   

 

例によって田舎の仲間(中学の同級生)からいただきました。

 

 

 

 

今回はちょっと大き目の栗(利平)と落花生(オオマサリ)もありました。

 

柿は富有柿と三太郎柿(田舎ではそう言います)。

特に後者は子どもの頃、お腹が空いたら適当にとってかじってました。

タネは多いけどとても甘いのです。

 

すっかり田舎から縁遠くなった今の自分には尊いものです。

 

今日はオツレアイの運転でした。

近々、白内障の手術をするから・・・と言って。

 

お礼を言うと、「とにかくとれすぎて、処分に困るから皆んなに配ってるだけだよ」と返されました。

よく、友達から「そんなにいただいたら、お返しにはいつも何をあげてるんですか?」聞かれますが、「いや、何にも・・・」と言うと、信じられない様子でした。

 

 

今月末か来月初めには私が田舎へ向かう旨を伝えました。

まっ、流石にその際は手ぶらでは行きませんよ😄

でも、お店で買ったお菓子等は絶対に受け取りませんからね。

そこはそこ、私にも秘策はあるんです。

 

ところで、この写真は一部のみで、栗だけでも10㎏は超えてます。

早速いつものように、ご近所さん4軒にお裾分けしました😊

 

 

 

 

<すばる>

秋分の日が過ぎて、朝のひんやりとした空気と抜けるような青空になった。 

遅すぎた秋が来た気もするがどうだろうか。

 

 

例年なら彼岸花が揃って咲いている筈だが、今年は花が不揃いで綺麗さがない。

茎立ちも「生き生き」とすっくと伸びている筈が、苦し紛れに仕方なしに地面にから出たとように見える。

 

 

 

 

他の植物も花が咲かなかったり、葉が毛虫に食われたり枯れたり悲しげな姿である。

 

異常な暑さで植物もまっとうに育っていかない現実がある。

今では一昔前の夏が懐かしく、どこに行ったのかと思う。

 

 

 

暑い8月の風物詩は金魚・スイカ・風鈴・打ち水・浴衣・など、古来から生活の工夫で暑さをしのぎひと夏を楽しむという一面もあった。

しかし、近年地球温暖化で夏日・真夏日・猛暑日(酷暑日)・熱帯夜と云う気象用語も生まれ、また高温で体温調整が困難になり、「熱中症」で亡くなる方も増えており危険な夏になった。

 

 

地球環境は高温・乾燥・強風・洪水などで世界的に悪化の一途であるが、そんな地球環境を意図的に破壊しているのが戦争だ。

イスラエルのガザへの大量虐殺行為やロシアによるウクライナへの侵略戦争は日々残虐さを増しており、命を守れない己の無力さを痛感する。

 

 

今年の8月は戦後(終戦・敗戦)80年の節目でもあった。

広島・長崎に原爆が投下され、8/15日の玉音放送により戦争が終結した。

戦争体験者が僅かとなり、戦争未体験世代が多数になった今、「平和とは何か」を再考する時代と思う。

 

 

異常に暑かった8~9月も終わり、まもなく10月だが暑い日はまだ続く。

セミに代わりキリギリスの鳴き声も終わって、夜長を鳴き通す虫たちの声がひときわ賑やかになった。

虫たちは来年も鳴いてくれるだろうかと思うと、平和を訴える声にも聞こえる。

 

 

 

2025/09/24

                           

 

 

<昆虫好きなデラシネ>

 

<江戸川区教組 '25夏の合宿 

          7.26~28>の報告①

 


  昨年度に引き続き、地震後の石川県に行ってきました。

今回は、地震の中心だった奥能登のフィールドワークです。

   

仮設住宅の自治会長、石川県教組奥能登支部のAさんとBさんに、地震当時から現在までの仮設住宅や子どもたちの状況と課題について話も聞くことができました。

 

フィールドワークでは、奥能登を和倉温泉から出発して、富山湾側を車で走り、突端の禄剛﨑を通って日本海側に出て(半島をぐるりと回るように)、輪島市から出発点の新高岡駅に戻ってきました。

 

石川県教組の委員長、“花ごよみ”の女将さん、市議のCさんとDさんには、計画段階から相談にのって頂きました。

 

お陰様でたくさんのことを見聞きし、学ぶことができました。 

感謝しかありません。  

 

 

◆ 2泊3日の主な流れ

 

26日(土)  

〇新高岡駅集合  11:29

〇七尾市田鶴浜舟尾(ふのお)仮設住宅訪問 

              上島自治会長の話を聞く  15:00~17:00

〇夕食後、夜の学習会・交流会 20:00~22:00  

 

※花ごよみの女将さんの計らいで市議のCさんに、舟尾仮設住宅自治会長を紹介して

 もらう。

※石川県教組のフィールドワーク(昨年度)の様子を視聴。

 

 

27日(日

〇わくら朝市、和倉温泉周辺を歩く。(自由行動) 

〇石川県教組奥能登支部を訪問し、話を聞く。

 <市議のDさんの案内でフィールドワーク>

 見附島、飯田港、若山川沿い、大谷町、仁江海岸 道の駅“すず塩田村”、

 垂水の滝、長橋漁港、高屋、蛸島町、災害ゴミ置き場、寺家(じげ)等

〇夕食後、夜の学習会・交流会 20:00~22:00

 

※わくら朝市、加賀屋等大型旅館の様子を見てくる。

※輪島市6校合同学校Aさん、宝立小・中学校Bさんの話。

※フィールドワークの場所は、見たいものを伝え、Dさんに場所は選定してもらっ

 た。

 

 

28日(月)

〇禄剛﨑散策

〇白米千枚田  

〇輪島朝市、輪島道の駅“ふらっと訪夢”、輪島中学校、6校合同仮設の小学校(河井

 小) 

〇新高岡駅で解散

 

※昨年度行った輪島朝市や輪島

 中学校の他、奥能登支部で聞いた話の場所を訪問する。

 

 

合宿で得たことは、10月10日の日退教の集会で報告します。

 

 

 

〇下の写真は、七尾市田鶴浜舟尾(ふのお)仮設住宅です。

 

 

仮設住宅は、命をつなぐためになくてはならない。

しかし、命をつなぐには、心の健康が重要で、地元から離れ、友人知人と離れ、一変してしまった生活の中で、部屋にこもりがちになることで心を病み身体まで病んでいくということが、話を聞いて良く分かった。そこに、ボランティアや行政が関わることの意味の大きさを知り、命にかかわることだということを実感した。

 

自治会長は認知症の方のカフェも開いているとのこと。

心を配りながら、様々活動されていることに拍手を送りたい。

 

 

〇下の写真は奥能登支部で二人の方の話を聞いた時の様子です。

 

 

「地震で唯一の救いは、『冬季休業中』で、児童が家族といたこと。

もし、平日に起こっていたら…。

学校の被害を見る限り、もっと怪我人が出て命が失われていた可能性がある。

余震が止まらない一夜を児童と過ごせるか、備蓄は十分なのか等、改めて見直すことが必要だと感じた。」

  

「集団避難したクラスの8人中4人は、1週間で帰ってきた。辛くて耐えられない子もいた。県教委は、中学生の集団避難について、プラスとマイナスの面を集約して次に生かして欲しいが、何もやっていない。やって欲しい。 

珠洲市は、コミュニティー力となる公民館が色々ある。なので、『学校は、学校でやっていいよ』ということだった。それで学校を再開した。校舎も何とか大丈夫だった。

しかし、受け入れ体制ができていなくて再開が早すぎた。」

 

 

〇フィールドワークでは、隆起した漁港や海岸、逆に津波にのまれ流された家や海岸沿いの道、地滑りや山の崩落で埋もれた民家、地震後の豪雨で傾いた家、珠洲原発予定地だった高屋と寺家(じけ)地区、災害ゴミ置き場を視察した。

 

 

今回の訪問で実感したのは、能登半島地震から1年半を過ぎているけれど、復旧、復興までには、まだまだ時間がかかるということです。

今年も豪雨に見舞われており、道のりは厳しく遠いものと思われました。

しかし、私たちが出会った地元の方たちは、「能登をよく見ていってね。」と、明るく元気でした。

 

2泊3日の合宿を通して考えさせられた「復興」とは…。

「生活(心も含め)の再建」、「産業・経済の再建」「インフラ・防災の強化」の3本柱ではないかということです。

住民の声を聞きながら、官民が連携して行うことの大切さも話を聞いて思いました。

私たちの合宿は、観光という支援、そして能登半島の今を様々な人に伝えるという支援を担うものと捉えました。

  

今後、機会があるごとに、このニュースを配布したり、学習会や集会で報告したりしていきたいと考えています。

 

言葉でも写真でも伝えきれない思いでいます。

 

是非多くの方に、石川県の特に奥能登を訪ねて頂きたく報告します。

                                                        ※「夏の合宿」報告の第2弾は、後日。乞うご期待!

 

 

<今後の予定>

9月05日(金)  分会代表者会

          会場:タワーホール船堀 405室 18:00~

〇9月09日  (火)    江戸川区教育委員会定例会 傍聴

                 場所:教育委員会 13:30~

〇9月24日(水)  江戸川区教育委員会定例会 傍聴     

                                  場所:教育委員会 13:30~

〇10月03日(金) 分会代表者会                                                                   会場:タワーホール船堀  405室  18:00~

 

 

生活と権利を守るためにみんなで力を合わせましょう!

                                江戸川区教職員組合加入届

 

江戸川区教職員組合 書記長    

 

私は江戸川区教職員組合に加入いたします。

(                  )学校分会                                氏名(        )印

7月の最終日曜日に、自宅のマンションの管理組合の総会があった。

ここ3,4年はなかなか忙しく出席していなかったのだが、今年は出席することにした。

 

さて、管理組合の総会と言えば、だいたいが、管理会社からの説明があって、理事会からの提案事項が承認されて終わりというのが一般的ではないか?

本当はそれではいけないのではないかと思うが。

 

 

で、今年の総会ではちょっとした事件ともいうべきことが起きたのだ。

出席組合員数は、委任状・議決権行使を含め23名で、出席率100%。議事は、

 

①第40期の事業報告・収支決算報告の承認

②管理委託業務締結案の承認

③防犯カメラの設置・運用規則制定の承認

④長期修繕計画の見直し案の承認

⑤第41期事業計画案・収支予算案の承認

⑥第41期管理組合役員選任案の承認

 

となっていた。

問題となったのは、3号議案の防犯カメラの設置の件である。

導入には60万円近くかかることなどから、組合員からいろいろな意見が出た。

 

自分も事前のアンケートで「オートロック付きのマンションでの空き巣などの被害状況はどれくらいなのか?」と質問をしていたのだが、それ以外にも「修繕積立金が不足している中での導入はどうか」「通販の置き配でオートロックの暗証番号はどう扱われているのか?」「民泊が行われているのではないか?」「カメラのスペックが低い」などなど出席者からの質問意見が相次いだ。

 

結局のところ、賛成が過半数とならず、3号議案は否決されたのである。

マンションのセキュリティについては課題が残ったにせよ、出席者の半数以上が意見を述べ、原案が否決されたことは、総会が総会として機能したと評価できるのではないだろうか?

 

読者の中で、マンション住まいの方は、セキュリティについてどのようにお考えだろうか、教えていただきたい。

 

 

 

ーK.Hー

今年は「戦後80年」の節目。

だからということはなく、8月に広島と長崎を旅してきた。

 

もちろん6日と9日の「原爆忌」に合わせて開催される「原水禁世界大会」に参加するためであり、東京平和運動センターの役員として、各構成組織からの参加者への資料配布などの業務をするためでもある。

 

 

広島と長崎は、完全退職して東京平和運動センターにお世話になって以来、毎年のように訪れている。(コロナで規模縮小になった年を除いて)

 

今年の広島では、交通機関に大きな変化があった。

広島の路面電車(広電)は、自分が広島入りするちょうど8月3日から、広島駅の2階に新しい電停ができて、そこから出発することになっていた。

当然駅前の大通りをまたぐルートになっている。

かつての「猿猴橋町電停」は廃止となって、広島駅の直前で止まってしまうこともなくなっていた。

 

さらには、今年の3月末にそれまでの「パスピイ」というシステムが廃止になり、使えなかった「スイカ」が使えるようになっていたのである。

 

4日の開会総会、5日の分科会を経て、6日は早朝入場規制がかかる前に平和公園に行き、慰霊碑に参拝・献花した。

手ぶらで行っても、早朝参拝をする人のために、献花用の花が用意されていたので助かった。

 

 

翌日7日からの長崎大会に備えて、6日の午後に新幹線を乗り継いで長崎に向かう。

 

長崎では、これまた市電の電停名が二か所変わっていた。

開会行事の行われる長崎ブリックホールの最寄り電停は「茂里町」なのだが、その手前の電停が「スタジアムサウス」と「スタジアムノース」という名前に代わっていたのである。

 

その電停からすぐのところに、サッカーJ2に所属するVファーレン長崎のホームスタジアムであるサッカー場だけでなく、ホテル、ショッピングモール、オフィスなどが合体した「長崎スタジアムシティ」ができていたのだ。

 

思わず、元の電停名はなんだっけ?とあたりの交差点の表示を見て「宝町」と「銭座町(ぜんざまち)」だったことが分かったのだった。

 

さて、長崎まで来たからにはと、昨年から9日の原爆忌の後で「おまけ旅」をしている。

 

昨年は、九州を横断するコースで「阿蘇山」と「別府の地獄めぐり」をしたが、今年は、熊本の「通潤橋」を訪ねてから、鹿児島に向かうことにした。

 

行ってみるまで通潤橋が「国宝」だとは知らなかった(なんと迂闊な!)。

2023年の9月に「国宝」に指定されたそうだ。

 

 

 

 

 

勘違いが判明したのは、熊本である。

 

昨年、熊本城を見ておこうとお城の近くまで行ったものの、開園時間前だったので断念した。

お堀のそばに「城見櫓」なる建物があったので、ここに登れば見れるかと期待したが、ドアが開かない。

ここもオープン前かと残念に思っていた。

 

さて今年は、ちょっとした行き違いで時間ができ、熊本城を見ることができた。

 

熊本地震で大きな被害が出た熊本城だが、石垣や櫓は修復工事の真っ最中である。

 

 

 

 

 

まだまだ先は長そうだ、と思いながら、城跡公園を出てきたら、あの「城見櫓」があったので、昨年のリベンジを果たそうと入ってみたのだが。

 

何とそこは、「城見櫓」という名前の日本料理屋だったのである。

何という一人合点をしていたのか!と自分にツッコミを入れたことは言うまでもない。

 

 

さて、熊本の市電は九州の「スゴカ」が、使えなくなっている。

その代わり、クレジットカードのタッチ決済で乗車することができる。

鹿児島の市電もスイカ系のカードは使えないが、タッチ決済は可能だ。

 

さらに、鹿児島市と桜島を一日中往復しているフェリーもタッチ決済で乗船できた。このフェリーは、乗用車を上下二段に積んでいるという、びっくりな船だった。

 

 

 

 

関東でも「タッチ決済で乗車」の私鉄が出てきているが、九州のほうが進んでいるようだ。

 

 

 

―K.H―

自らの労働条件は自らの手で!教え子を再び戦場に送るな!日教組・東京教組と共に闘おう!

NEWS 江戸川区教組

2025/8/22/NO.2505 江戸川区教職員組合(江戸川区東小松川3-35-13ニックハイム船堀204)

フッ化物洗口 意見交流会を開きました

              

7月4日(金)18時から、タワーホール船堀405にて「フッ化物洗口意見交流会」を開催しました。

実施校の様子や養護教諭の方から電話で教えていただいた現状などについて出し合いました。

長年にわたって「フッ化物洗口」に反対の立場で研究し、とりくみをされてきた東京教組養護教員部(現在休部中)の元部長のIさんからは

「今の子どもたちにはむし歯はほとんどない。治療勧告が出されるのは、むしろ歯肉炎や歯垢、歯石などが原因の歯周病。実態に合っていないのでは?」という指摘がありました。

10年以上前から、江戸川区議会で審議されてきた経緯の紹介もあり、驚きの声が上がりました。

「フッ化物洗口」問題の核心に迫る意見交流ができたように思います。

主な討論を報告します。

 

 

 「フッ化物洗口」について

A: 学校で養護教諭から洗口液をもらって、実際にやってみた。何とも言えないまずい味。1分間もブクブクと口のなかでうがいをするのはとても苦痛だった。

子どもは大変だろうと思う。

子どもに実施する教員は、フッ化物洗口が実際にどういうものなのかを試してみた方がよい。

 

B: 吐く子どもがいると聞いていたが、なるほどそういうことなのか。「ブクブク、ペッ」と吐き出せずに飲み込んでしまう子どもも出るのでは?

 

C: 江戸川区は保育園でも実施を検討しているようだが、WHO(世界保健機構)では「6歳以下のフッ化物洗口は禁忌」とされている。 

幼児はブクブクうがいができない。

 

D: WHOでは、「6歳以下のフッ化物洗口は禁忌」ということだが、孫の発達を見ていても分かる。

「グチュグチュ、ペー」とやれるのは6歳からだった。

6歳近くにならないとやれない。

 

E: 「幼児は水で練習し、ブクブクうがいができるようになってから実施せよ」と東京都教育庁(R5年)から文書が出ている。 

 

C: 保育園児への実施は、危険性がさらに増大する。

 

  健康被害・事故発生のおそれ 

A: 洗口液をつくる薬品ミラノール顆粒は鍵のある保管庫で管理するとされている。

また、洗口後はそのまま流さず、水で薄めてから水飲み場で流すとされている。 

毒性が強いからだ。 環境汚染に繋がらないか?

 

B: 歯科医師の「フッ化物洗口指示書」に従い、実施日当日か前日、養護教諭か学校常勤職員が洗口液を作るとされている。

申し入れ時に区教委は「養護教諭の負担が大きいから、SSS(スクールサポートスタッフ)に作らせる」と言っていた。 

本来は医療行為で、歯科医師か薬剤師が行う調合をSSSにさせてよいのだろうか。 

 

C: 日教組教研集会でS県の教員が「洗口液の希釈を間違えて実施してしまった。今でも自分を責めている。」

と涙ながらに報告していた。 

実施県からは、事故報告が多数出されている。 

 

D: そんな危険なことを、こんなに忙しい学校に丸投げするなんて…。  

事故が起きてからでは遅い。

 

E: 低学年の誤飲がこわい。 

洗口液を1分間も口の中でブクブクできるのだろうか。

フッ化物を過剰に摂取すると、フッ素中毒や斑状歯(歯の表面に白い斑点ができる)などのリスクがある。

長年洗口していると、口の粘膜を通して毒性が浸透していかないか? 

心配だ。

 

 

  なぜ導入されたか?

A: 区議会の議事録を読むと、公明党の議員が2010年(H22)からフッ化物洗口を強く推奨している。

2024年(R6)健康推進委員会では、自民党の議員も「小6、中1むし歯罹患率がワースト1位。今は19位、20位」と煽っている。

公明党は、予算特別委員会総括で、党として「フッ化物洗口の粘り強い推進を要望」、合わせて「保育園での全園実施」を要望。 

2023年(R5)第3回区議会定例会では、自民党議員が「本区の小・中学生のむし歯罹患率が他より高い。未処置数も多い。学校現場でどのように取り組むのか」と質問。 

教育長は「中一の永久歯の平均未処置指数、2021年(R3)0.34本。 23区中最下位。平均値は0.20本。

2022年(R4)は0.20本。 23区中18位。平均値は0.18本。 かなり改善している。

フッ化物洗口はモデル校で実施。学校歯科医師会、歯科医師会と連携してしっかり取り組んでいきたい」 と答えている。

 

B: 平均未処置指数0.20本って、どういうこと?

 

C: 一人の生徒の未処置のむし歯が0.20本ということよ。

 

B: えー、1本以下ってこと?

 

C: そうよ。今はむし歯はすごく減っている。健康診断で治療勧告を出すのはむし歯ではほとんどない。

出すとしても歯肉炎とか、歯石とかが多い。

 

E: ある養護教諭に電話したときに、「『区や歯科医師会から言われているからやらなきゃならないが、歯垢が残っているので歯みがきが大事だと校長とも話している。

むし歯がへったエビデンスはあるということだ。今は歯肉炎が問題』と自校の歯科校医は言っている」と伝えてくれた。 

そういうことだったんだね。

 

F: 子どもたちの実態に合っていないよね。 

 

 

   今後のとりくみ

区教組は、昨年末以来、フッ化物洗口について、区教委申し入れを2度行い、養護教諭に向けたアンケートを実施しました。

全校の約4割の38校から回答があり、フッ化物洗口への疑問・不安という意見が自由記述に多数寄せられました。

 

区教組は、一人職種の養護の方に情報を共有してもらうために、申し入れ報告やアンケートのまとめなどをできるだけ速やかに返すように心がけてきました。

電話や職場訪問で養護の方たちから意見を直接聞かせていただく機会もありました。

 

目の前の子どもたちの実態をしっかりつかんで、何が必要かと考えて話されているのがよく分かりました。 

むし歯の治療勧告はほとんどないことを何人もの養護教諭(歯科校医も)が指摘していました。 

保育園児への実施という新たな課題も浮かびあがってきました。

 

現場教職員の声を聞かず、トップダウンで一方的におろされる施策が、新たな業務となり、養護教諭をはじめとした教職員に過重労働を強いるものになっています。 

そして、子どもたちの健康被害や事故発生にもつながりかねないのです。

 

秋には、保護者や議員、養護教諭、教職員を対象にした学習会を予定しています。 

ある学校の保護者説明会では保護者が疑問を訴え、フッ化物洗口に反対する発言もあったとのこと。 

「フッ化物洗口、何が問題か」を学んで、子どもたちや保護者の問いにも応えていきたいと思います。 

開催の案内は、追ってお知らせします。 

ご参加を!

 

 

お知らせ

 ☆彡   関東ブロック 母と女性教職員の会 記念講演  

 

9月7日(日)までアーカイブ配信。ご視聴ください。視聴後、アンケートにご回答を。 

 

講演:子どもの未来を拓く~子どもの権利条約がめざすもの

講師:柳原 由以さん(弁護士)

 

 

 

☆彡 東京教組憲法学習会 教室での憲法 

           教室で、憲法をどのように伝えていますか?

〇8月30日(土)15時~17時   日本教育会館 8階     

              教室のとりくみを紹介し合おう!

 

   

①  《息が吸えない!! 薬も効かない 

                                             いつまで続く深夜の不眠症》

 

 事実、夜間にいろんな症状で看護師に迷惑をかけてしまった。

 

術後からほぼ一週間後の7/28深夜の2時過ぎに寝ていると息が止まり苦しくて起き上がった。

何故かあくびがしたくても途中で止まり苦しかった。

ナースコールで看護師に来てもらう。

血圧は159-95 以前健康診断で不整脈があったので心電図検査もしたが異常なしだった。

夜間担当の医師が来て、苦しかったらコルセットを外しても良いと云われたので外したら、げっぷは出来たが、あくびは出来なかった。

 

3時過ぎに何とか眠りに着けた。

あくびは朝、しっかりと出来た。

 

翌日も夜おかしかった。

9時半の消灯後寝ていると息苦しくなり直ぐに起きてしまう。

 

ベッドに腰かけていたら看護師に見つかり、軽い睡眠剤を貰い飲んだが、横になると息苦しくて起き上がってしまう繰り返しだった。

 

深夜1時にナースコールで血圧測って欲しいと訴える。

「横になると苦しくて息が吸えなくて跳ね起きるので見て欲しい」と様子を見てもらった。

3時ごろやっと寝られた。

 

 次の日も消灯後全然寝られない。

10時までに睡眠導入剤を持ってくる約束なのに看護師が持ってこない。

1時近くまで寝られず待っていたが、もう限界とナースコールを押し、睡眠導入剤をお願いする。

 

4時に血圧測定し、氷枕をもらう。

夜寝られないので昼間に3時間くらい寝てしまうので、悪循環になっている。

 

 

②  《昼寝をしないで歩行訓練》

 

 こんな状態が7/28から8/2まで6日間繰り返された

睡眠導入剤はあまり効かず、息苦しくて跳ね起きてしまうことが何度もあった。

それで身体を疲れさせることも必要と思い、昼間眠くても寝ないで廊下を歩くことにした。

8/2 6093歩 8/3 7147歩 8/4 9337歩と 朝・昼・夕とひたすら歩いた。

 

8/3になって睡眠導入剤を他の薬に替えてくれた。

なんと効果抜群で夜中に息苦しくて起きだすことは無かった。

もっと早く替えておくべきだった。

浅い眠りが続いたのは、睡眠導入剤の副作用の可能性だったかも知れない。

 

 

③  《令和のブラック・ジャックに質問》

 

8/4もぐっすりと寝られた。

手術したN医師が朝巡回に来た。

 

子ども達に「令和のブラック・ジャック」に手術してもらったと、自慢したいので「チタンのネジは骨にどうやって、埋め込むのですか?」と質問した。

先生は埋め込む場所に小さな穴をあけて、位置を決めてドライバーでねじ込んで入れ、手の感触が必要と云われた。

 

私は電動ドライバーを使うのかと思っていたが、なるほどと感心した。

ちなみに、骨を削る時もノミとトンカチのような道具で行うと云う。

骨大工のようで意外だったが、熟練度が違うのだと思った。

 

 

④  《退院当日 抜鉤は26本》

 

 8/5退院の日を迎えた。

8:20に医師が来て抜鉤(ばっこう)をしてくれた。

糸ではなく医療用ホッチキスで傷口を止めてあり、針を抜き去る処置の時「チクッ」とするので数えていたら26回だった。

 

傷口を聞くと縦に一直線の20cmほどの長さと言ってくれた。

 

 10:20 一年間装着するコルセットが来た。

これから退院の準備と手続きで支払いも済ませた。

 

11:00病院を後にする。

ちょっと後ろ髪を引かれる思いもあったが、一歩一歩ゆっくり地面を踏みしめ駅に向かった。

入院期間の2週間に全身麻酔による「せん妄」や夜間の不眠症など、辛いことも体験したがどれもかけがえのない体験だった。

 

 

⑤  《多くの医療従事者のお陰で》

 

 手術に関わってくれた医師や麻酔医・薬剤師は5名、リハビリ看護師1名。シャワー室の介助の方2名。

日々担当してくれた看護師は10人以上だった。

 

 せん妄状態にあったとき、その時の担当看護師さんに訳の分からないことをたくさん言って散々迷惑をかけてしまった。

どなたも直ぐに否定せず、私を責めたりもせずに、時間をかけていつも優しく丁寧に対応してくれた。

 

誰がどの時間に担当していたかも記憶もあいまいだったので、23日24日私の担当だったか確認して数々の迷惑を詫びた。

 

燦樂病院の医療従事者は、全員患者に優しく寄り添い対応も丁寧で素晴らしい病院でした。

手術が出来て本当に良かった。

感謝しかありません!!

 

 

(おわり)

 

 

 

 2025/08/15  <チタンのデラシネ>

 

①  《深い眠りの世界に引き込まれる》

 

ともあれ、薬を飲んで30分後には、深い眠りに入った。

幻覚なのか妄想なのか訳の分からない夢をたくさん見た。

 

夢の中で私のベッドは誰もいない廊下の隅だった。

身体の管は無くコルセットも付けていなかった。

 

夕食で起されたがほんの少し食べただけで、また夢の続きと眠りの世界に引き込まれた。

 

 

②  《せん妄が消えて頭すっきり すべての管からの解放》

 

翌朝奇跡が起きた。

頭がすっきりしている。

頭のモヤモヤやうつ状態が無くなっていた。

痛みも殆ど無くなっていた。

昨日までのことがウソのようだった。

 

8:30過ぎに担当医師がやってきて、背中の傷の確認と髄液の太い管を抜いてくれた。尿道の管はトイレで看護師が抜いてくれた。

身体に付いていたすべての管から解放された。

 

生きている実感がした。

 

9:45にリハビリ看護師に案内され、リハビリ室で歩行や脚の開脚・階段の昇り降り・股関節ストレッチなどやった。

 

せん妄で二日間散々苦しんだ。

身体のふらつきもあり歩行器もまだ必要だが、明るい展望が開けてきた。

 

 

③  《錯乱・幻覚・妄想の 術後せん妄とは》

 

 早速全身麻酔による術後せん妄について調べてみた。

 

手術の後、数時間から3日くらいで脳の機能が一時的に混乱し、錯乱・幻覚・妄想状態が現われる状態で高齢の方に多く、簡単に言うと「頭がぼーっとする」「訳の分からないことを言う」「現実と夢の区別がつかなくなる」といった状態とあった。

 

術後の回復期に起こるので看護やケアの妨げになることがあり、怒る・否定する・命令するは良くないとあった。

また、せん妄の症状が夜間に悪化する場合、「夜間せん妄」と呼ばれ、これは夜間の暗さや静寂・睡眠リズムの乱れが原因で不安や混乱が起きるなど紹介されていた。

 

 談話室で私よりずっと年上の女性に「せん妄」について話したところ、空襲で逃げていた夢を見たと語ってくれた。

 

また、術後せん妄と思われる医師へのえん罪事件も知った。

2015年足立区で乳腺手術を受けた30代女性患者が、外科医からわいせつ行為を受けたと術後5時間後に知人が警察に訴えた。

 

一年後医師が準わいせつ行為で逮捕・起訴された事件が紹介されていた。

一審東京地裁は無罪、二審東京高裁は懲役2年の有罪、最高裁は二審判決を破棄し、東京高裁に審理差し戻し。

 

差し戻し審で東京高裁は無罪判決。

東京検察は上告断念し無罪確定。

 

女性患者は術後「せん妄」状態にあったと思われるが、術後「せん妄」についての理解が検察には無かった。

乳腺手術なので何人かの看護師や医師が触れることもあり、乳房に微量の唾液反応があったとしても、手術した医師を有罪にする根拠は希薄なのに検察は控訴をした。

 

実に無罪まで9年間かかった。

その間、医師は勤務出来ず経済的・社会的に損失を受けた。

 

術後「せん妄」について、患者や家族への丁寧な説明や社会一般に理解の浸透が必要と思った。

医療従事者にとっては、看過できない事件と思った。

 

 

 

(つづく)

 

 

 

 

 

<チタンのデラシネ>

①  《「せん妄」は続くよ どこまでも》

 

 妄想と意識混濁状態のままようやく朝を迎えたが、睡眠不足と吐き気がして朝食を拒否した。

朦朧とした状態は依然続いており、看護師に起こされると「ぼーっ」として返答するが、これが「訳の分からない」対応になっていた。

 

飲むべき前立腺肥大の薬と腰の痛み止めの薬を「排尿に管がある」から飲んでも意味ないとか、痛み止めは「手術したから飲まない」とか「薬は身体に悪い」「朝食食べてないから飲まない」など屁理屈を言って看護師を困らせていた。

 

気分の悪さとすっきりしない身体なので昼食も断った。頭が「ぼーっ」として自分ではない自分が続いていた。

 

 

②  《記憶が失せて人生は終わるかも…》

 

 午後からもせん妄状態は消えなかった。

頭が「ぼーっとして自分ではない」気がしていた。

看護師に「イライラするし身の置き所がない、どうしていいか分からない」と訴えると「手術した後は麻酔が残っており、不安になったりする方がいますよ」と云う。

そして「気持ちが落ち着く薬」ありますが、「液状ですこし苦いです」と提案された。

 

即座に「苦いのは嫌です」と返答したが、5分後に「飲みます」とナースコールを押す。

飲んで横になり「自分はどうなっているのだろう」と自問自答をする。

このままでは自分はダメになる。

頭が自分を支配しているので、「今までの記憶は失せて人生は終わりになるかも知れない」と絶望感が襲ってきた。

 

そして「私はどうしたのだろう」「こんな自分は初めてだ」「落ち着かなければ」と焦りの気持ちがどんどん大きくなってきた。

過呼吸になり「そうだ深呼吸だ」「腹式呼吸もあった」と腹に手を当てるが、コルセットが邪魔をして出来ない。

 

ベッドに横になる。

ビルに囲まれた病室の窓から曇った空が少し見える。

カーテンに囲まれた狭い世界に言いようのない不安が一気に押し寄せてきた。

 

 

③  《発狂寸前でナースコールを強く押す》

 

 「もうダメだ、一人でいると狂ってしまう」とナースコールを強く押す。

看護師がすぐ来て「どうしましたか?」と聞く。

「今すぐここを出て談話室に行きたい」「発狂しそうです」と訴える。

 

しかし、身体中に点滴をはじめ管が何本も付いており、当然にも無理と云われた。

それなら他の部屋に移してもらって「全身麻酔で眠らせて欲しい」と要求する。

「夜が怖い」「長い夜の時間をこのままでは過ごせない」と訴えた。

 

 看護師はそれなら「強い睡眠導入剤」を飲んで、「少し眠りましょう」と提案されたので薬を飲んだのが午後二時半過ぎだった。

 

 

④  《手術前夜は極度の睡眠不足だった》

 

 そういえば殆ど寝ていなかったことに気付いた。

手術前夜の2人部屋は隣の患者の「超どでかいイビキ」で起された。

午前1時から3時まで我慢したが耐えきれず、ナースステーションに訴えて、別の部屋で寝ることになった。

5時半まで寝てこっそり元の部屋に戻った。

 

手術当日の朝食後に、看護師は部屋替えをすると云って、私を4人部屋に移してくれた。

隣の患者も他の部屋に移った。

たった一日だけの2人部屋だったが、4人部屋も2人だけだったし広かったのでほっとした。

これなら安心して手術に臨めると。

 

 

(つづく)

 

 

 

 

<チタンのデラシネ>