一日も早い復興を願いつつ・・・・。


 時々復興という言葉は、「元通り」という意味に聞こえることがある。なんか違和感。早く元通りになりたいねぇ・・・等とも言う。皆さん、本当に元に戻るだけで良いのでしょうか。それに元って何時のこと?なんて思ってしまう。震災直前、それとももっと良かったとき。なんかそれよりも復興とは、


 新たによりよいものを作り出し、震災以前の幸せを上回ること


と考えたい。復興万歳です。せっかく壊れたので、よりよいものを作り出し、震災以前よりも、もっともっと幸せな人が増えたら嬉しいなと考えています。


 寒く凍てついた闇の中で、誰だかわからない人に「大丈夫?」と優しく声をかけられただけで安心したように、誰もが安心して暮らせる世の中に早く復興したい、と思っています。

 本日は午後から崩れるという割には、午前中は良い天気です。


 さて、本日から少しずつ仕事再開です。なので時間が無くなりますね。でも、そう言いながらも、うちにこれる人は限られていますから、基本暇です、笑


 一昨日から水がで始めました。出ます、と言う案内はなくただ「通水テストします」と言われていたのですが、その二日目に区長さんが来て「お風呂券」くれました。その際に水出るよと教えてくれたのです。言われなかったらしばらく気がつかなかったも。


 でも出始めた日は本当に水量がなく、ただ出たと言うだけでした。ところが昨日くらいになると、だいぶ勢いも出てきました。それでついにお風呂か?と思いましたが、まだ水が濁っていたので断念。でも、本日はかなり水も改善してきたので、ついに思い切ってお風呂に入りました!!なんと、


 二週間ぶりの風呂です。


いや~、気持ちの良いのなんのって。ただここでも笑い話が。最初に妻子が入りましたが、頭を洗っておしりを洗ったら後は湯船につかったそうです。そしたら程なく湯の中に白いものが。なんか汚いなぁと見ていたら、どうやら自分たちの「アカ」の様・・。別にこすったわけでもないのですが、相当なアカが出たと笑いながら出てきました。まさか、と思いつつすぐに入ると、いや笑えるくらいアカが浮いていました。考えてみれば、上の子達も含め大人は二週間風呂には入れませんでした。私はここまで生きて一週間でさえ入らないと言うことはないです。でも子供達はこの震災で、二週間風呂に入らない経験をしてしまいました。何とも不思議な話です。まだ三ヶ月にならない双子も三日も入らない日がありましたから、いろいろな経験をする震災です。


 仕事が再開すると色々することが増えますが、とりあえずこれからのことを考えていると、隣町の塩釜から来客。お互い復興のことで話していたら、なんと市場で買ってきたという「マグロの刺身」をプレゼント!!これにはびっくり。あまりのことに大喜びしました。本日の夕食はマグロです。久しぶりの刺身に小躍りしながら食べました。子供達もそろってマグロ好き。今日はとても豪華な夕食です。本当に震災地なのか?と疑いたくなるような夕食でした。


 昨日の経験とは全く持って正反対。あんなに大変な地域があるのかと思う反面、自分たちのように夕食に刺身が食べられる人もいる。いや、もちろん被災地でなくても食べ物のない地域は世界にいくらでもある。食べている人もいれば、食べられないで困っている人もいるのは今に限ったことではない。結局食べるか食べないかが問題ではなく、今ある現状で何が出来るか。何をしたのか。これが問題でしょう。


 食べ物がある人は食べましょう。飲むものある人は飲みましょう。着るものがある人は着ましょう。楽しみがある人は楽しみましょう。人がいる限り、人は人を目標にしてがんばります。豊かな、幸せな人を目標に、早くがんばりたいと思った一日でした。 

 刺身うまかった。ごちそうさまでしたm(__)m


 本日はいつも通りに起床、朝食。生活を崩してはならないと言う思い。しかし、狭い布団にぎりぎり寝ているのと、双子はひっきりなしに泣くので夜は熟睡できない。ダブルパンチで寝不足気味。でもいつも通りに動くと気持ちが良い。


 本日は片付けとシャンプーを覚悟。昨日から方々に走り回り水の確保。午前中は大人と上の子達のシャンプー。洗面器に汲んだお湯で洗うが、泡立たない。二度洗い必須です。そしてついに午後から双子の入浴です。まずは一人を入れを入れようとお湯を沸かす。ところが全然お湯が足りない。ベビーバスにお湯を入れると足りなすぎる。慌ててお湯を沸かしつつ、上がり湯の準備や差し水。普段の何倍も疲れて入れました。


 そして入れたらそのベビーバスに入っているお湯で洗濯です。妻は授乳。私は洗濯。しかしこの洗濯が一苦労。これまで服を着替えずにいたので服を洗いたいけれど、それ以上に双子のスタイやガーゼハンカチを洗わなければならない。何せ結構吐き戻しが多くて、一日に何枚もハンカチやスタイは使う。沢山準備していたが、それでも洗わないわけにはいかない。そしてこんな時に限って、おしっこ漏れました~とか、うんち出てます~泣、なんてことが頻発。かくして、必然的に双子の洗濯中心になる。


 洗濯は手間がかかる上になかなか落ちない。洗濯機の開発は、新妻の仕事を少しでも減らしてやりたい、と言う思いから始まったらしいが、全く同感。自分でやるとものすごく大変さがわかる。洗濯機と電気のありがたみがよくわかる瞬間でした。


 で、一度終わってもまだ終わりではない。何せ双子。もう一度同じ行程をする。少しは手慣れているが、大変さはあまり変わらない。そして洗濯も。今度は靴下関係。我が家は上二人は娘である。娘である。なぜ二回言うかと言いますと、女の子なのに男の子並みに服を汚しているから・・・・。靴下やタイツは一冬持たないことも・・・。勘弁してくれ、という感じだが、元気なのは良いことです。と言うことで、この子供達の靴下や泥汚れを中心に洗濯。


 本日はシャンプーの気持ちよさは一瞬で、午後からの洗濯と入浴に疲れ果てました。しかも問題は使用した水の量!なんと双子の入浴には節約して使っても、約30lは必要です。その上洗濯もしたので、だいたい倍の60l位使いました。昨日集めた水が一気になくなり、途中一人は入浴あきらめようかと考えたくらいです。いや~、水は本当に大切ですね。トイレにも使うし手洗いも必要。う~ん、普段から節水に気を付けます。


 ちなみに、水情報


 この時点での水の配給は、基本一人6l。しかも行った人でないともらえない。だから何回もらなんで、何回も運ばないとならない。小さな子供が並べるというのか??母子手帳持参したら入れてくれよ。と強く思った。たまたま暇があるから、と言うか仕事ないから出来るようなもので、これが長く続いたら無理です。


 この日、午後からさらに疲れる原因が。それは不安定ながら携帯の電波が届き始めました。しかも我が家の場合、一階居間の南側の窓際のみで受信が可能なのです。二階ではだめで、なぜか一階。不思議。しかも窓の上の方でないと受けない。冗談半分でやったらなぜか受信したので、喜んでメール受信したら・・・・、え~何件あるの?と言うくらいメールが来ていました。しかも短文で「大丈夫」?という感じのメールが至るところから。

 そう言えば三日目から携帯不通なので、メール受信もしていませんでした。沢山の人から心配のメール。本当にありがたいです。が、返信が一苦労。何せ電波が不安定で、しかも場所が限定されているので何ともなりません。入浴と返信。この二つで大忙しの一日でした。でも、ある意味とっても幸せです。こんなに心配してもらえるなんて。


 笑い話
 
 いや、本当は笑い事ではないのですが今だから言います。妻の実家からこちらに連絡が通じないので、再三連絡をくださりました。ところが、出ない。テレビの報道はあまりにひどく、近隣の方からも「大丈夫なの?」と聞かれるたびに不安に。そのせいで、着信通知のメールがものすごい頻繁に入っていました。一日何回入れるの?と言う感じです。一分おきに、十分おきになんて言うのはざらです。時には同じ時刻で何回も。そして真夜中にも。トイレに起きたときに、「もしかして繋がるかも」と電話くれたらしいですが、いやその時間は寝ていますって、笑。


 こんな状態だったので、電波不安定ながら一瞬つながり「こちらは全員無事です!」と言う一言が、妻の両親にはとっても安心だったらしいです。繋がった。それだけで安心なのですね。震災の被害を受けた人もそうでない人も、是非何でも良いので一言言ってあげてください。もし悩むならこの一言をどうぞ。


 ありがとう! (君がそこにいてくれて)


 そして私からも読者の皆様に。

 震災地にお住まいの人も、そうでない人も、


 ありがとう!


 さて、明日からまたがんばります。

 確定情報と言うよりは、小耳に挟みました、と言うのも含め書いておきます。避難所などを訪れる予定のある方は参考にしてください。


 現状を考えれば当然ですが、私の住んでいる地域よりも東側の海沿いに行けばかなり治安は悪化すると考えた方が良いです。出来るだけ大通りを通り、車には複数の人が乗り、鍵はしっかりとかけておくこと。食べながらや水を飲みながらはあまり通過しない方が良いかもしれません。時々視線を感じるように思いました。私たちは少量ずつ水を飲んでいただけですが、この水が手に入りにくい地域がまだたくさんありますので。


 その他聞いた話ですが、


 1,女性は襲われやすいので複数行動が基本。仮に車移動でも、止まっている最中襲われたりするらしい。

 2,お風呂入っていったら?なんて甘い?言葉にだまされて襲われた人がいるとか。

 3,強盗が多発。しかも複数犯とか。命の危険もあるので人通りの多いところを歩きましょう。

 4,強盗や強姦など凶悪犯罪は外国人が多いとか。

 5,電話しながらの歩きはもっと危ない行為の一つ。

 6,石巻市内や海沿いの津波の被害の多い地域は注意。


 その他あれば随時足します。ただし、あくまでも聞いた話なので絶対視することなく、注意する参考にしてください。

道中、色々気がついたことを箇条書きで書いておきます。



一、東松島市の矢本あたりは本日ガソリン販売していました。もしかすると松島と同じくらいで販売始めたのかも。


二、石巻に入るととたんに店がありません。と言うか、店は存在していますがその店の中に車が入っていたり、ゴミだらけでお店として機能しているところは発見できませんでした。


三、渡波地域は壮絶です。車があり得ない姿で横たわっています。ダブルRが二台重なっていると・・・・ダブルRR??


四、仙石線の線路の上はものすごいゴミの山。その中には車も沢山止まっていました・・・。いつ復旧するのだろう・・。


五、矢本の松島基地のそばの田んぼは、この時期稲の代わりに車が咲いている。いったい何台の車が流されているのか。


六、矢本の駅前あたりは信号機が動いてました。その他はほとんどついていない。石巻市内も、電気来ているようなのだが信号機が動いていたのは大きな交差点だけ。


七、半島の道は通れます。コバルトラインだけと聞いていましたが、本日通りました。

八、でも、かなりの場所ででこぼこです。


九、鮎川の町をはじめ、半島の町はやっとがれきがよけられて道が出来た様子。それもこれもきっと自衛隊の活躍のおかげ。なんせ沢山の自衛隊の車にあいました。


 本当にありがとうございました。>自衛隊の皆様


十、朝行けなかった野蒜方面に帰りに寄ってみた。夕暮れ時だったが、避難場所になっていた小学校前はとても不気味だった。ここは避難所でありながら、津波に襲われて多くの人が亡くなっている。胸が締め付けられる思いがした。


十一、車が流された場所。その時走って逃げた場所を見てきたが、結構な距離を走って逃げた。よく逃げ切ったと不思議な感じ。でも訪ねたお宅はやはりすんではいなかった。


十二、堀の中に家があった。薄暗い時間になっていたので、さらに不気味さがまし、恐ろしい光景に見えた。


 沢山の仕事をしている人、被害にあって困っている人を見かけました。でも、皆がんばっています。そのがんばる姿に沢山の力を頂きました。私もあらためてがんばります。


 皆さんありがとうございます。がんばりましょう!!
 
 以上、番外編でした。

 本日はとてもいい天気でした。昨日知り合いにガソリンを満タンにするように頼んでいたので、本日は初の津波の被災地「石巻市鮎川」へ。ちなみに、満タンにするのに二回並んだそうで、九時間かかったそうです。これまでテレビで話題になる地域にはあまり行っていませんでした。今日本格的に東松島を通り石巻へ。そして牡鹿半島の先端鮎川へ。連絡の取れない知り合いを訪ね、水と食料をおいてくる予定で行きました。


 出発は九時前。まずは鳴瀬の野蒜を目指します。先日の話に出た隣町で車を流されたその車を探すのと、服を借りた人の家にぬれた荷物を置いてきたそうなので荷物を取りに行きました。ところが、町の入り口近くで止められました。ここから先は物資の輸送であっても、軽トラに乗り換えて向かってほしいとのこと。おそらくは治安維持のためかと思いますが、これまた不便。時間もないのでとりあえず石巻へ。


 途中東松島市を通過。矢本の町はなかなかに壮絶です。両サイドに泥水とがれき。あり得ないものがあり得ないところにあります。写真を撮ってきたので、後ほどアップします。たぶんテレビで見慣れた風景かもしれませんが、いやそれほど狙ってとっていませんからかえってあまり迫力無いかもしれません。でも、二週間もたった現在です。未だに処理の出来ない車やゴミ、がれきが山のようにあります。


 さて、石巻でも知り合いを訪ねてみました。連絡がつかないためどこかに避難しているかと思ったら、自宅も無事で家族全員自宅に住んでいました。ただ、親戚の方が行方不明で未だに捜索中とか。この方よりもさらに海沿いにすんでいたので、とても心配です。しかし、まずは顔を見れたことを喜んで目的地鮎川へ。


 この鮎川は、最初に津波が到着した場所であり、事前情報だと役場以外は残っていないとか。知り合いも決して海から離れているわけではないので、何とか避難所で過ごしていることを願いつつ向かいました。鮎川につくまでに小さな漁村が結構あります。その一つ一つはほとんどが海に面しています。最初の集落に近づくと・・・・、言葉になりません。これまでも石巻の町並みがとてつもないことになっているのを見ていますが、この小さな集落の場合、その全てが無くなっているのです。残っているものがない。見えるのは本来海にあるはずのものです。木にオブジェのようにぶら下がっているのは、全て海の中のもの。そして家という家は流されています。基礎から根こそぎ。驚きを通り越して、あまりにも非現実的な光景に意味不明半笑いしながら通り過ぎました。


 そんなこんなでやっと鮎川の町です。ここは予想通りと言いますか、聞いていた通りと言うべきか。町としての機能はほぼ無いですね。小さな町が、よくもこんなにがれきで埋もれるものだとびっくりするくらいです。がれきの高さは、道の狭さも手伝ってこれまで以上です。確かに町のほとんどの家が壊れています。鉄筋の家は、鉄筋は残っていますが、向こう側が見えていて住めません。どの家も被害のない家はありません。役場を超えて、山側にある家だけが一部助かっていました。でも全体の何分の一でしょうか。すさまじいまでの津波の力、自然の力です。


 そんな中で嬉しいことがありました。私たちが訪れた家族はみんな無事だったのです。とてもやつれた顔をしていましたが、幸い訪ねた家族は全員無事です。沢山の方が未だ行方不明なのに、私たちが訪ねた家族は全員無事でした。不幸中の幸いです。自分の車は流されているのに、他人の車が庭に来ていたり、大切にしていたものが流されたのに、ゴミの山が家の周りにたくさんありましたが「無事」なんです。本当に嬉しい事です。しかも、自分たちが大変なのに、こんな大変なときによく来てくれた・・・・。そっちの方が大変だろう・・と気を使われたりして。いえいえ。大変ですが生きています。これからお互いがんばろう、と何度もお互いを励まし合いました。


 今日鮎川に行ってわかったこと。


 鮎川では震災後五日間は何も手に入らなかったそうです。全部自分たちの家にあるもので過ごしたとか。大変だったよ、とぽつりと言っていましたが、その大変さは想像を絶するものでしょう。寒いし、食料ないし。きっと水も無かったでしょうから。かろうじて家にある人はいいですが、そうでなかった人は・・・。手に入れられなかった人は・・。でも、皆助け合って今まで生きて来たのです。世話になった人の息子が帰らない、と自分のことのように泣いて話すのです。


 でも現在は少しいいです。食料も水も、そして灯油も配給されるそうです。問題は燃料系。プロパンガスとガソリンは全く手に入りません。それから小物系。サランラップや箸、コップ。手を拭くウェットティッシュなどなど。電気もまだ。トイレの水に関しては近くにわき水や川があり、そこから調達しているのであまり困っていない様子。


この辺は松島よりも便利になっているかも。松島は避難所以外は全部自己調達です。食料は三時間も並んで袋一つ分くらいしか買えません。しかも目一杯ではありません。毎日買い出ししないと、明日の食べ物がなくなるかもしれませんから不安です。水も自分で取りに行きますし灯油は販売していません。かろうじてガソリンの販売(21日より)と同時に、18l一缶売ってくれますが、6時間待ちは必至です。どちらが良いわけではありませんが、まだまだどちらも不便です。ただ、鮎川は思っていたよりもずっと生活に支障がないので一安心。しかし被害は予想通り最悪の状況。そして、たぶん行く前までが相当不便だったと推測。早く行けなかったのが悔やまれます。でも、少しだけほっとして帰宅しました。


 言葉足らずでうまく伝わらないと思いますが、これだけは言えます。皆さん。まだまだ助けが必要です。よろしくお願いいたします。



 

 本日3/23日の情報です。


 高速道路を通行している人から、給油は満タンでしてもらえるとのこと。遠出する予定の方や少し割高でも満タンにしたい方は、一度高速に乗って給油して降りるのも手かもしれません。

 松島では一昨日から給油が始まりましたが、2000円と決まっているので、満タンにするためには何回も並ばなければなりません。並ぶ時間を考えると十分おつりが来るかも。動く方はご検討を!


追記

 高速は登りのみ確認。松島から福島県いわき市まで。途中のガソリンスタンド給油満タンを確認するも、どの給油所かは未確認

本日もいい天気。


午前中安否確認に娘の友達とご両親が来る。そこで色々話が出たが、小学校は水曜日まで休みらしい・・・。オイオイ、水曜日で始められるのか?と言うのが率直な感想。まだ現実を受け入れてはいないけれど、この程度はわかる。水も電気も来ていないのに、どうして学校が始められるのか。給食はどうなる?通学途中に地震か来たら??まぁ、どうせ無理だろうという思いが強かった。保育所からは当分の間お休みですとのこと。こちらの連絡がとても自然に感じてしまった。


 女川にツアーで行っていた人が、原発に閉じ込められているとか。女川の町が壊滅的状態なので当然か。原発にいる人は無事らしいがいつ戻れるのか未だ不明らしい。そもそも女川原発は無事なのか??福島ばかり言われているが、地震の強さではこちらの方が強かったのでは??何も言われないのがとても不気味。しかし、まずは信じるしかない。


 午後には友人が訪ねてきた。彼も同じ松島の人。震災当日は仙台で仕事中で、その後歩いて帰ってきたとか。夜十時くらいには着いたそうな。まあ、歩ける距離です。一応。中学時代、小遣いが少ない学生としては少しでも節約のため何度か自転車で仙台まで行ったことがあるが、歩くことはなかった。歩けないことはないけれど、歩きたい距離ではない。


 続々と連絡が入る。それもあまり嬉しくない連絡が。安否不明者の数がラジオでも膨大な数になるが、そのことよりも自分の周りの人が連絡が取れないことがより実感がわく。電話は通じない。車はガソリンがないから動けない。電車も復旧しない。松島という町は陸の孤島になったような印象だった。


 ところで今の石巻という市は、合併でかなり大きくなっている。津波が一番に到達したと言われている鮎川は、元々は鮎川町だった。鯨で栄えた町だが、捕鯨禁止になるととたんに衰退していった。先頃の平成大合併で合併して石巻市鮎川になっている。内陸部からこの半島の先まで、石巻という市はかなり大きくなった。ほとんどが海沿いか川沿いになるので、被害は甚大だ。この地域の人がとても心配である。と言っても何も出来ない自分がもどかしい・・・。


 震災からこっち買い物はとても不自由です。たいてい店が次の土曜日は休みました。一部のコンビニが営業しましたが長蛇の列。日曜日から大手スーパーと言っても生協と農協だけれど。これらが販売開始。でも変える量も品も少なく、ほしいものはあまり手に入らない。でも、きっとそんなに長く続かないさ、と言う希望から私たちはあえて長い列には並ばなかった。幸い多少の備蓄もあったから出来たことだが。数時間並んでも一品しか買えない。そんな毎日です。


 午後の四時過ぎ、一部の信号機に明かりがともっていた。青信号がとても不思議に見えびっくりした。もしや我が家にも電気が、と思い急いで帰ってみるが家には電気来ていなかった。電気が一番最初に回復するはず。一日も早い復旧を願いつつ今日も日暮れとともに就寝。

皆さん初めまして、ryuです。私の仕事はカウンセラーみたいな仕事をしていまして、人の悩み事相談を毎日しています。でも、相談事していると思うのですが皆さん同じ事で悩んでいまして、だったらこういうブログで情報発信したらもっと楽になる人増えるんじゃないかと立ち上げました。いや、予定でした。まだ準備が整っていなかったので、四月くらいかなと思っていましたがこの大地震でそんなことよりも被災地の今をお届けすることの方が先かと思い、大地震の地から生の声を届けていきます。落ち着いたら本来の人付き合いのこつ、なんて話が出来ればと思います。是非それまでおつきあいくださいm(__)m

三日目 三月十三日


 この日は朝から携帯電話が不通になる。昨日まで話せたのに、今日はだめになった。基地局の電源が無くなったのかな?早く復旧してほしいところだ。


 昨日はストーブをつけて寝たのだが、暖かいけれど不完全燃焼なのか臭い。一酸化炭素中毒になってはしゃれにならない。しかし、つけないのは寒いしとりあえず我慢してつけて寝た。

 本日はまずは自分の家の片付けをした。明るいうちしか作業が出来ないから、とにかく日が出ているうちに作業をする。双子はいつも毎日お風呂に入れていたのに、昨日は入れることが出来なかった。水か無いので風呂どころではないけれど、月齢からすると毎日お風呂くらいは入れたいものだ。今日は何とか水を確保して、お風呂と選択を試みる・・・・が断念。水がない。その上風呂に入れるにはあまりに寒すぎて、子供達を裸に出来ない。水が出るまでとりあえず我慢です。


 職場の人間が隣の町、野蒜というところから戻ってきた。この町の被害は甚大です。基本的にあまり津波対策はしていないように思うし、高台がない。そんなところにいた職場の人は、車で寸断された道路を迂回して松島に帰る途中に津波にあったらしい。幸い車に乗っているときに津波に気がついて、慌てて近くの高台へ。登り切って振り返ってみると自分が乗っていた車は流されていたらしい。あまりに勢いが強くて呆然として何も出来なかったとか。そのうち、周りを見てみると、小さな子供が水の中に取り残されていた。津波が収まったところで何とか救出。一歩間違えば、誰もが津波に流されるところであった。一晩その場所で過ごして、そこから歩いて今日帰ってきたとか。


 笑い話なのだが、助けた子供の両親に濡れた服の代わりにと服を借りて帰ってきた。見慣れない服で帰ってきた旦那を見た奥様は、「誰が着たのかわからなかった」そうで、普段からどんな服着ているのか?笑


 今日は片付けだけ。なんとしても自宅を元に戻し、少しでも快適な生活をしたい。しかし、私の部屋はとても困る。何せ沢山の本があってその本はかなり方々に飛び回っている。こればかりは地震の対策はとれていない。宮城県沖地震が言われているから、ある程度地震に備えているけれど、この本に関してはどうしよもうない。何か対策考えねば、と何となく考えつつ片付けた。この片付けで終わってしまった一日だ。


 そうそう昨日は、一日歩いて仙台から帰ってきた人にあった。職場で地震に会い帰る方法がないので、近くの人に自転車を借りたらしい。45号線は水没している場所があるので迂回して帰ってきたらしいが、結局松島の海岸通りで水没。松島の水没地域は、まさに観光の中心地だ。お土産物やさんはかなりの打撃だろう。でもまだその様子は見られない・・。