本日は仕事を再開しました。もちろん誰も来ないと思いますが、とりあえず仕事を始めました。でも電話も通じないから何からしたらいいのだろう、と考えていたら、やっと電話が通じました。実は昨日の夜いたずら半分に電話したらつながったので、もしやと思っていましたが、これで皆さんと連絡が取れる。
で、一日中電話が鳴りっぱなしです。皆さん安否確認のために当初から電話下さったようで、なかなかつながらないとやきもきしていたようです。遠くは関西、九州から、近くは隣町東松島市から。電話したくても出来ない人か多い中、電話が使えるようになった人から沢山の電話が入りました。本当に嬉しい一日でした。
本来日曜日で、松島の町も観光に人が出てくる季節。さくらの花も後一ヶ月かなと楽しみになる時期なのですが、今のところ花見と言うよりは生活の安定ですね。電話がつながったことで、今まで消息不明だった人からも電話頂き、少し明るい希望が見えました。人と話をすると言うことはやはりとても大切ですね。
皆さん、お話ししましょう。声をかけ、話をすることはとっても大切ですよ。
と思った一日でした。
本日は奇跡ですね。仕事場の片付けを予定していましたが、あまりにひどい惨状で人手が足りない。何せ重いものを動かすにはとうてい今いる人数3人では足りないと思っていたのに、なんと本日六人そろいました。
実は昨日書き損ねていましたが、3/18日金曜日に妻の両親が来ました。と言うのも妻の両親は福島原発の避難地域に指定されていて、取るものもとらず避難中でした。最初いわき市に避難していたのですが、いわき市も屋内待避地域になりましたからそれならばと、こちらに来てくださいました。と言うのもテレビやラジオでの一連の報道から、松島の被害状況がさっぱりわからず、とにかく無事を確認したいと車に沢山の物資を積んできてくださいました。それはもう沢山です。いったい何人分?何日分?と思ってしまうくらいの量です。これでしばらくは安心。原発が爆発でもしない限り、ここは安全だ、と思えるくらいです、笑
なので、本日は仕事場の片付けと思っていたら、今度は栃木から救援が来ました。何の連絡もなかったのですが、この大惨事にかき集められるだけの物資をかき集め、これまた車に沢山積み込んで来てくれました。おかげで物資も片付けする人の手も足りました、笑。栃木も相当揺れましたから、一時停電、断水だったそうですが、とりあえず落ち着き急いで物資を集めてくれたそうです。東京方面の方に頼んで必要な物資を送ってもらったり、自分たちで近所のお店で買い込んでいると、まるで買い占めしているみたいでちょっと・・・と思ったらしいですが、間違いなく買い占めです、笑。でもこれは必要な買いものでしょう!!ありがとう、助かりました。
そんなわけで、人手が集まったところで仕事場の片付けを一通り終了。本日はかなり見た目が片付きました。後は細かい仕事は追ってするしかありません。本当に不思議な一日でした。必要な日に、必要な人と物資が沢山集まりしました。そして久しぶりに仕事らしい仕事をしました。明日から、また生活の準備です。
テレビでガソリンがない、と言っていますがどの程度無いのでしょうか。実は松島あたりはそんなに深刻ではないと思います。と言うのも、とりあえず入りますから。昨日3/27日あたりから、一度にいれれる料金が3000円になりました。先日までは2000円でしたから少し増えました。それから台数制限も特になくなったようです。塩釜や利府の方では、場所によっては満タンで対応してくれるそうです。もちろん並ぶそうですが。
ですから問題はさらに沿岸部。東松島市以北ですね。ここから先、先日行った様子ではガソリンスタンドが動いていたのは、矢本駅側のスタンドだけです。その他はやっているのかいないのか。スタンドの前にでっかくある看板。「ガソリンありません」これはもうとらないで、と悲痛の叫びのようでした。相当治安が悪化しているとのことですから、ものを持っているとなれば集団で襲われる可能性も否定できないのでしょう。
でもでも、本当に物資が必要なのはこの先なのです。ガソリンがあまり行っていない地域というのは、ガソリンよりも食べるものが必要なのです。ガソリンが必要になるのは、とりあえず食べるものが困らなくなってからのことですから。
是非皆さんさらに北の沿岸部への支援よろしくお願いいたします。
それから食糧事情
松島では生協・農協で普通に買い物できるようになってきました。品物も偏りはありますがだいぶ入ってきています。なかなか手に入らないのは、納豆、豆腐、牛乳などの乳製品。肉、魚はほどほど。まあ何とかななりつつあります。後は水道の安定供給ですね。
本日は二日分の記載です。なぜ二日分かと言いますと、この二日間沢山の物資を頂いたのです。
昨日は岩手内陸部から、わざわざ車で物資を運んできてくれた方。しかも灯油やガソリンまで。さんざん報道でガソリンがない、灯油がないと言っているので、事前に電話で十分間に合ってます、と言ったのに「そんなはずはない」とわざわざ来てくださったのです。もちろん無いものはないのです。でも、わざわざ来てくださらなくても何とかなるそう思っていました。でも来てくれた・・・。感謝の言葉もありません。しかも、車に一杯の荷物を積むために、可愛いお嬢ちゃんと二人で来てくれました。食料や水、ガソリン、灯油。いったいこれだけの量をどうして買えたのだろうと思うくらい。ありがたい、としか言いようがありません。
しかも今日もなのです。こちらは遠方から、なんと愛知県です。こちらの状況を知って、宅急便が動き出したのにあわせて送ってくれました。なんと段ボール箱五箱分!!ミカンや納豆。歯ブラシから野菜まで。何でもあります。こちらでは手に入りにくいものや、生活必需品の数々。いや~、これまで全く不自由しないでいるのは、全てこんな状況を知って応援してくれる皆さんのおかげです。電気ガス水道。ライフラインが止まっても人の思いは止まらない。震災にあってとても嬉しい瞬間です。
もしかすると、震災前よりも豪華な夕食食べているかも・・・なんて思いながら本日も頂きます。
感謝感謝の毎日です。
本日は・・・う~ん、特にないです、笑。と言うか、昨日書きましたが、野蒜での話が全てですね。あまりのことでほか記憶にないです、笑。
今にして思えば、野蒜地域の人に限って言えば避難所に行った方は亡くなり、自宅の二階で一夜を過ごした方は助かっています。もちろん家ごと流された方もいますから、どちらが正解とも言えませんが。避難所に逃げて津波に遭うなんてまさに想定外。でも、何度も言いますが、この地域はそんなに高台はないのです。どこまで逃げれば安全かなんてよくわかりません。ちゃんと避難所に逃げて亡くなった人の数を考えると、とても心が痛みます。
本日はここ2~3日のように穏やかな日かと思っていました。とりあえず片付けとこれからのことを検討する日々。ところが、夕方にそれは一変しました。東松島市の知り合いが亡くなったとのこと。実はなかなか連絡がつかないので、やっと思い出して携帯にかけたところ「今火葬場です。まもなく火葬されます」とのこと。最初何を言われたのかよくわかりませんでした。ご高齢の方ではあるけれど、きっと大丈夫と信じていたのです。それがやっと連絡とれたと思ったら「火葬場」??しばらく呆然としていました。
落ち着いてから詳細にお話を聞きますと、どうやら震災の時に車で避難所まで逃げたらしいのです。この避難所というのは小学校で、ここまで来たら大丈夫と思ったとのこと。本来学校の中に入るはずなのですが、高齢のせいかあまり車から降りたがらなかったそうで、近くの人が手伝いをしようとしていたらいきなり津波にさらわれたそうです。その後車もさらわれ、見つかったときには三台もの車が重なった状態でその真ん中の車だったそうです。幸いなのは車から助け出そうとしてくれた人は、無事助かったとか。避難所まで逃げてきたのに、その避難所の中で津波にさらわれ帰らぬ人となったとのことです。
後から聞きますと、この避難所はかなりの地獄になったとか。体育館に逃げていた人もほとんどが津波で水死。幾人かが舞台に上がってぎりぎり助かったとか。話が前後してしまいますが、24日に通り過ぎたとき、薄暗い中で見たとはいえ、その凄惨な現場は当時を忍ばせます。体育館は確かにあまり高い場所にはなく、津波が来たとすればひとたまりもないでしょう。でもこの避難所は、堀の外側なのです。つまり、本来ならここまで津波は来ないはず・・・だった場所です。今回の津波の恐ろしさはここにあります。
これまで生きていると信じてきた人の死亡が確認され、一気に暗い一日になりました。唯一救いなのは、こんなに混乱している中ですぐに見つけられ火葬にしてあげられたことです。家族全員で見送ることが出来たのが、救いでした。しかし、私たちはその顔を拝見することも出来ずただただボー然とした日でした。
今日までこれほど悲惨な震災にあって、奇跡的に亡くなった方の連絡を頂いていませんでした。ものすごい奇跡ですが、ついに現実に戻された気分です。こうなると、まだ連絡が取れていない方々がとても心配になりました。でも信じて待つしかありません。
本日は大変めでたい日。我が愛する妻の誕生日。・・・・なのにケーキが準備できない。プレゼントも・・・・。まぁ、こんな状態ですからね。でも、今日は子供達とケーキを作りました。あまり飾り付けは出来ないけれど、まずまずのケーキ。こんな状況にありながら生きていることに、ここに皆全員がそろっていることに感謝しつつお祝いしました。
そして実は子供から大きなプレゼントが!双子が寝返りを初めて打ちました。いきなりごろんと寝返りを打ち、一同びっくり。最初に弟が。次に兄貴もがんばりました。不思議です。何も二人一度にしなくても、と思いますがある意味忘れられないプレゼントでした。
今日午後から携帯が普通に使えるようになりました。昨日までの苦労はなくなりました、笑。その代わり沢山のメール返信が・・・。皆さん本当にありがとう。こんなに心配されて私たちは幸せです。
本日は家で片付け中心に過ごした。と言っても、たいてい双子の世話がほとんど。何するわけではないのだが、気がつくと一日が終わっている。
ちょっと昨日の出来事で忘れていたことが・・・。相当重要なことです。実は昨日15:25頃電気が来ました。仕事場に行こうと玄関で靴を履いていたら、いきなりぴかぴか、と明かりが。一瞬何のことだろうと思ったけれど、ついに電気が来ました。おかげで昨日は寝不足です。明るいもんだから、色々としているうちに遅くなりました、(*^^*ゞ)
さて、本日は夕方に嬉しいことがありました。県内の内陸部の方が食料などを持ってきてくれました。それも大量に。食料に水。灯油に防寒着。沢山の物資とともに来てくれました。灯油は補給のめどが立っていなかったのでものすごく嬉しいですし、そもそもよくガソリンが手に入ったものだと。聞いてみたら、松島行きたい・・・・と願っていたら手に入ったのよ、と言うことでした、笑。だからって来なくても良いのに・・・。こんな大変なときにわざわざ来てくださる。とても嬉しいことでした。しばしの間時を忘れて話し込みました。子供達も楽しい一時だったようです。そろそろ子供達はストレスがたまってきています。外で遊ばしてあげたいけれど、原発の問題があり、また親がついてあげられないので結局家で遊んでいます。何とかしてあげたいのに・・・。そろそろ子供達は限界です。
昨日からついた明かりはある意味困りものです。明るいものだから、ついつい夜更かししてしまう。やはり、日が沈んだら自然に眠るのが良いものですね。
本日、野蒜の知り合いの方が訪ねてきて震災当日の話をしてくださいました。
震災直後は津波がくる、と言うことで家で貴重品の整理をして逃げ出す準備をしていたそうです。でも心のどこかに、「きっとすぐそこの堀までだろう。それを超えてきてもせいぜい床上くらいかな」、と考えつつ整理していたそうです。で、やつと荷物や食料の整理がついて逃げだそうと思ったら、家の前にすでに水が。これは間に合わないと思い、慌てて二階に駆け上がったそうです。水を見てから津波が来るまで五分もかからなかったと言います。あっという間に水が来て、一瞬にして一階を飲み込み一気に二階まで来そうになったので、慌ててベランダから屋根の上に逃げたそうです。八十を超えるおばぁちゃんの尻を押し上げて、二階から布団を押し上げて一晩を過ごしたそうです。津波は波と言っていますが、感覚的には壁のような水の塊が一気に流れてきて、気がつくと周りは水だらけ。頭は真っ白になったそうです。
屋根に上がって見えてくる景色は、まるで映画の様だったと言います。新築の一戸建ての家がまるまる流されていく光景。車や荷物おきは、水が来ると一瞬で持ち上がり40~50km位のスピードで一気に流れていったそうです。自宅よりも海側には防風林として松林がありましたが、その松が根こそぎ引っこ抜かれて次々に各家に突き刺さっていたそうで、海側の家やそこで壊され流されてきたものが、自分の家にどんどんと当たり祈るような気持ちで朝を迎えたそうです。何がどうなって朝になったのか。記憶にないと言いますが、とにかく見えてくる光景は現実ものとは思えないくらい不思議なもので、でもそれが間違いなく自分の目の前で起きている。言葉にならない一夜を過ごしたとのことです。
慌てて二階に上ったので、足は裸足、着るものも決して防寒着というわけではなく、かろうじてあった布団を体中に巻いて眠れぬ一夜を過ごしたとのこと。
水か引いて行くのはよくわからなかったそうです。気がつくと水が引けていて、一階に降りて靴をかき集め、家族でどうしようかと相談していたら、避難所は入る隙がないくらい込んでいるとの情報。それならばと、ほかの町に住んでいる人に連絡を取り救助に来てもらって今まで過ごしたそうです。その時の一階の様子は、自分たちの持ち物は何もなし。あるのはゴミばかり。そして一階の天井にどこの家のテーブルかわからないけれど、200cm画の大きなものが突き刺さっていたそうです。まるでオブジェのように。
実はこの方、私たちは亡くなったと思っていたのです。何せ新聞に名前が出ていたので。ただ、珍しい名前ではないので色々調べてみたら、同姓同名の別の方で、実際500mも離れていない方のようでした。でも不明なのは確かなので安否を気にしていたら、今日ひょっこり連絡が来て訪ねてきてくれました。それもそのはず、別の町に動くための方法が少し強引でした、笑。水道工事をしている知り合いに頼み、緊急のマークを張りつけた車で迎えに来てもらったとか。そうでもしなければ、間違っても震災直後のあの町には誰も入れなかったとでしょう。ある意味納得。
話は聞けば聞くほど非現実的な話で、もし自分がいたらと考えると恐ろしさを感じます。一昨日見てきた東松島の街並みは、まさに話の通りですがその光景と、今日の話が繋がり余計リアルに感じて怖かったです。
本日はほっとしたのと、ぞっとしたので変な一日でした。
そうそう一つ訂正があります。あまり防災設備内がないのではと思っておりましたが、そうではありませんでした。チリ・三陸津波の時にこの町は先ほどの堀までしか水が来なかったそうです。つまり、町の対策としては十分と考えられていたのでしょう。なので今回もそこまでかな、と思ったようですが、実際はその堀を大きく越えて津波は押し寄せました。避難所になっている小学校を飲み込み、避難所に避難していた多くの人が命を落としたのもそのせいです。堀より海側は特に何もありませんが、堀を越えて避難所に行けば・・・・、この思いは無残にも破られました。
想定外・・・・人の想定することなんてこの程度ですね。絶対は無いんだと言うことを肝に銘じながら、よりよい明日を信じて作り上げたいものです。



