本日、野蒜の知り合いの方が訪ねてきて震災当日の話をしてくださいました。


 震災直後は津波がくる、と言うことで家で貴重品の整理をして逃げ出す準備をしていたそうです。でも心のどこかに、「きっとすぐそこの堀までだろう。それを超えてきてもせいぜい床上くらいかな」、と考えつつ整理していたそうです。で、やつと荷物や食料の整理がついて逃げだそうと思ったら、家の前にすでに水が。これは間に合わないと思い、慌てて二階に駆け上がったそうです。水を見てから津波が来るまで五分もかからなかったと言います。あっという間に水が来て、一瞬にして一階を飲み込み一気に二階まで来そうになったので、慌ててベランダから屋根の上に逃げたそうです。八十を超えるおばぁちゃんの尻を押し上げて、二階から布団を押し上げて一晩を過ごしたそうです。津波は波と言っていますが、感覚的には壁のような水の塊が一気に流れてきて、気がつくと周りは水だらけ。頭は真っ白になったそうです。


 屋根に上がって見えてくる景色は、まるで映画の様だったと言います。新築の一戸建ての家がまるまる流されていく光景。車や荷物おきは、水が来ると一瞬で持ち上がり40~50km位のスピードで一気に流れていったそうです。自宅よりも海側には防風林として松林がありましたが、その松が根こそぎ引っこ抜かれて次々に各家に突き刺さっていたそうで、海側の家やそこで壊され流されてきたものが、自分の家にどんどんと当たり祈るような気持ちで朝を迎えたそうです。何がどうなって朝になったのか。記憶にないと言いますが、とにかく見えてくる光景は現実ものとは思えないくらい不思議なもので、でもそれが間違いなく自分の目の前で起きている。言葉にならない一夜を過ごしたとのことです。


 慌てて二階に上ったので、足は裸足、着るものも決して防寒着というわけではなく、かろうじてあった布団を体中に巻いて眠れぬ一夜を過ごしたとのこと。


 水か引いて行くのはよくわからなかったそうです。気がつくと水が引けていて、一階に降りて靴をかき集め、家族でどうしようかと相談していたら、避難所は入る隙がないくらい込んでいるとの情報。それならばと、ほかの町に住んでいる人に連絡を取り救助に来てもらって今まで過ごしたそうです。その時の一階の様子は、自分たちの持ち物は何もなし。あるのはゴミばかり。そして一階の天井にどこの家のテーブルかわからないけれど、200cm画の大きなものが突き刺さっていたそうです。まるでオブジェのように。


 実はこの方、私たちは亡くなったと思っていたのです。何せ新聞に名前が出ていたので。ただ、珍しい名前ではないので色々調べてみたら、同姓同名の別の方で、実際500mも離れていない方のようでした。でも不明なのは確かなので安否を気にしていたら、今日ひょっこり連絡が来て訪ねてきてくれました。それもそのはず、別の町に動くための方法が少し強引でした、笑。水道工事をしている知り合いに頼み、緊急のマークを張りつけた車で迎えに来てもらったとか。そうでもしなければ、間違っても震災直後のあの町には誰も入れなかったとでしょう。ある意味納得。


 話は聞けば聞くほど非現実的な話で、もし自分がいたらと考えると恐ろしさを感じます。一昨日見てきた東松島の街並みは、まさに話の通りですがその光景と、今日の話が繋がり余計リアルに感じて怖かったです。


 本日はほっとしたのと、ぞっとしたので変な一日でした。


 そうそう一つ訂正があります。あまり防災設備内がないのではと思っておりましたが、そうではありませんでした。チリ・三陸津波の時にこの町は先ほどの堀までしか水が来なかったそうです。つまり、町の対策としては十分と考えられていたのでしょう。なので今回もそこまでかな、と思ったようですが、実際はその堀を大きく越えて津波は押し寄せました。避難所になっている小学校を飲み込み、避難所に避難していた多くの人が命を落としたのもそのせいです。堀より海側は特に何もありませんが、堀を越えて避難所に行けば・・・・、この思いは無残にも破られました。


 想定外・・・・人の想定することなんてこの程度ですね。絶対は無いんだと言うことを肝に銘じながら、よりよい明日を信じて作り上げたいものです。