本日もいい天気。


午前中安否確認に娘の友達とご両親が来る。そこで色々話が出たが、小学校は水曜日まで休みらしい・・・。オイオイ、水曜日で始められるのか?と言うのが率直な感想。まだ現実を受け入れてはいないけれど、この程度はわかる。水も電気も来ていないのに、どうして学校が始められるのか。給食はどうなる?通学途中に地震か来たら??まぁ、どうせ無理だろうという思いが強かった。保育所からは当分の間お休みですとのこと。こちらの連絡がとても自然に感じてしまった。


 女川にツアーで行っていた人が、原発に閉じ込められているとか。女川の町が壊滅的状態なので当然か。原発にいる人は無事らしいがいつ戻れるのか未だ不明らしい。そもそも女川原発は無事なのか??福島ばかり言われているが、地震の強さではこちらの方が強かったのでは??何も言われないのがとても不気味。しかし、まずは信じるしかない。


 午後には友人が訪ねてきた。彼も同じ松島の人。震災当日は仙台で仕事中で、その後歩いて帰ってきたとか。夜十時くらいには着いたそうな。まあ、歩ける距離です。一応。中学時代、小遣いが少ない学生としては少しでも節約のため何度か自転車で仙台まで行ったことがあるが、歩くことはなかった。歩けないことはないけれど、歩きたい距離ではない。


 続々と連絡が入る。それもあまり嬉しくない連絡が。安否不明者の数がラジオでも膨大な数になるが、そのことよりも自分の周りの人が連絡が取れないことがより実感がわく。電話は通じない。車はガソリンがないから動けない。電車も復旧しない。松島という町は陸の孤島になったような印象だった。


 ところで今の石巻という市は、合併でかなり大きくなっている。津波が一番に到達したと言われている鮎川は、元々は鮎川町だった。鯨で栄えた町だが、捕鯨禁止になるととたんに衰退していった。先頃の平成大合併で合併して石巻市鮎川になっている。内陸部からこの半島の先まで、石巻という市はかなり大きくなった。ほとんどが海沿いか川沿いになるので、被害は甚大だ。この地域の人がとても心配である。と言っても何も出来ない自分がもどかしい・・・。


 震災からこっち買い物はとても不自由です。たいてい店が次の土曜日は休みました。一部のコンビニが営業しましたが長蛇の列。日曜日から大手スーパーと言っても生協と農協だけれど。これらが販売開始。でも変える量も品も少なく、ほしいものはあまり手に入らない。でも、きっとそんなに長く続かないさ、と言う希望から私たちはあえて長い列には並ばなかった。幸い多少の備蓄もあったから出来たことだが。数時間並んでも一品しか買えない。そんな毎日です。


 午後の四時過ぎ、一部の信号機に明かりがともっていた。青信号がとても不思議に見えびっくりした。もしや我が家にも電気が、と思い急いで帰ってみるが家には電気来ていなかった。電気が一番最初に回復するはず。一日も早い復旧を願いつつ今日も日暮れとともに就寝。