反論や反発は大事
反論や反発と言うと余り良いイメージは無いと思います。
偶に意見が合わずにとことん議論したということもあれば、いつも反発する人も中にはいるのではないでしょうか?
しかしこの自分とは反対の意見を頂けるというのは、自身の考えの検証という意味では実に重要であり、反論を頂けることは有り難いこととも言えます。
仮に満場一致で反対意見が出なかった場合、意見の精度を高めるためには自身の中で敢えて逆説を唱える、反対意見を出してでも検証していくことが大事だろうと思います。
特に広報の場合は”客観性”が大事であり、思い込みや単独意見で進めてしまうことは要注意であり、常に検証していくことが重要だろうと思います。
またそれ以上に重要なのは”表現方法”だろうと思います。考え方が固まった、検証も十分だからといって高圧的に表現してしまうと伝わるものも伝わりません。表現方法にも工夫が大事だろうと思います。
社内には必ずといって良いほど、ネチネチと屁理屈をこねる方がいます。
これらの人は考え方を検証していく上でも、伝え方を検証していくためにも重要な方々と言えます。邪険に扱わずに”有り難い人”と思えば怒りもおさまるはず。向こうも反発していると認識しながら発言をしているのに、”ありがとうございます”と言われれば表現の仕方も変わってくるのではないでしょうか?
周囲の賛成意見ももちろん大事ですが、反対意見ほど重要なものだと思います。
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「親父の背中」は未だ通用するのか
”親父の背中を見て育つ”という言葉があります。
意味は文字通り、親父(親)がいちいち1~10まで口頭で子供に言わなくとも、子供は親の生き方や姿勢を背中で感じとり人生観などを勝手に学ぶ(伝わる)ものといったものでしょうか。
実に日本的で良い言葉、良い文化だと思いますが、気のせいか最近聞かれなくなったように思います。
ビジネス界でいうと”技術は盗め”という職人の世界では未だに健在している文化なのだろうと思います。
しかし広報の世界では”親父の背中”は通用しません。
幾ら特定の業界では確固たる地位を築いていても、何も情報発信しなくては業界外には伝わりません。幾ら優良企業であっても情報発信しなければ、塀の高い工場などはブラックボックスであり不信感を抱かれていることもあるでしょう。
誠実に実直に事業を行っていれば、必然的に周りから評価を得られるという時代は終わった様に思います。昨今のクレーマーの台頭が時の移り変わりの良い例ではないでしょうか。
また情報発信しても必ず伝わるとも限らないのも事実。まずは積極的な情報発信を行い、その上で情報の質を向上させていくことが大事だろうと思います。
対外的なことのみならず、社員に対しても情報発信していかなければ、子供と同様に何も伝わらない、継承されないのだろうと思います。
早期辞任大臣は二度と立候補するな!
菅政権に終止符を打ち、漸く人並な政権ができると思っていた矢先、失言を理由に鉢路経産相が辞任した模様。
鳩山、管政権は、政権交代してみたかった内閣、大臣等やってみたかった内閣、つまりは想い出作り内閣だと思っていたが、ようやく骨のある内閣が出来たと思った矢先の辞任劇に諦めを感じずにはいられない。
正に今回の失言は認識の甘さから辞任に値すべきことだろうとは思うが、挽回しようとは何も思わなかったのか?が疑問に思う。あっさり辞任したことを考えると、何も拘りは無かったのか。単に”大臣経験者”という経歴が欲しかったのか。
首相が任命した意味合いはその程度のものだったのか、極めて違和感を感じざるを得ない。
政治生命のワンステップの如く考えているのであれば、二度と政治家として立候補などして欲しくないものだ。財源確保に奔走している中、このようななんちゃって議員を食わしていかなければならない国民や被災者の想いを感じてもらいたいものだ。