田舎の小学校で

わりと成績がいいくらいで 


全国模試で上位になったわけでも

ない。

と書いたが、


思い起こせば次男のりくは、

小学5年生頃の

都道府県単位の無料模擬試験では

1位になったことがある。


が、その模擬試験の公開は

CMで流れるものではない(と思う)し、


わりとリーズナブルな塾が主催となっていた、どちらかといえばマイナーなものだった気がする。


受験者数そのものが、たぶん

そう多くはなく


少なくても私は、その結果が

エリート候補であることを示唆するものとは感じていなかった。


その数年後、

職場の女性から


「自慢していい?」と

おもむろに切り出され


「模擬試験で、娘が一桁台だった。天才かもしれない。」と打ち明けられた。


聞けば、そのときと同じ模擬試験だったので「実はうちのりくは。。。」とは


言い出さないまま、そろそろ10年が経つ。


その娘さんは、数年後

中堅国立大に後期試験で合格した。


ちなみに、

この記事を書くにあたり

マナビジョン大学偏差値ランクを改めて拝見したところ、その偏差値は50前後,


前期試験で狙ったところの偏差値は60前後であった。


同時に思い出したのは

昨日の記事中にある

 

「弟のりくに比べて」学力が劣る(おそらく、中学以降に示されるようになった学年順位)ことを自覚した発言

である。

この発言は、このときの模擬試験を意識したものかもしれないと思い至った。


ということは


長男は

この程度の経験さえしていない

ということになる。


当然であろう。



小学校高学年。。。

その頃長男は、闘病の真っ盛りである。



運動会や学芸会、修学旅行の前日に

退院するという裏技で

奇跡的に出席したり



意外にも


ステロイド治療の副作用ニモマケズ、こいのぼりマラソンで五キロを完走したばかりか





地域学童キャンプにおいて

全裸で疾走したりもしたが





「模擬試験」などというものに

費やす時間など

小学生時代の長男には

存在しなかったのだから。



田舎の小学生の

タイムパフォーマンス

とは、

そういうものなのである。




さらに、

中学生になったところについて


 

長男の定期試験結果は概ね上位10%〜20%でありトップ層とは言い難いところを行き来していた印象が強く


当時、中学校内で同じ学力層にあった友人たちの進学先は、地方国立大か中堅といわれるらしい私立大学である。



と、書いたがマナビジョンによれば


ここで示した『中堅と言われるらしい私立大学』は、MARCH未満〜偏差値が40代前半までを含んでいた。



中堅とはどこか。


この広い世界で

受験界に介入していない田舎人と

受験界に介入していない都会人では

違うということもあるのかもしれない。



長男、次男ともに

親しくしていた友人のうち

若干名は 10代半ば以降


大学生をかつあげして

地方紙に掲載された者もおり

(氏名末公表)



また、別の者は

高校教師への複数回の暴力の末

退学となったりもした。


釣り仲間であった

彼らの中学学生服について

りくは


「ズボンが太いのは

太っているからだよ」と言ったが



その心は、

少なくとも母である私にとっては

現在まで不明であると同時に


この先、

エリート街道を歩み始めることとなるかもしれない息子の未来を示唆するものとも


もちろん思わなかった。


20歳を祝う式には、みな揃って

正装の上写真撮影をしていたが

金髪に金の袴の正装者もいた。




そんなこんなで、

田舎中学の男子生徒とは、

限りなく透明に近い海を泳ぐ魚であり


どこが上層で

どこが深海なのか


その感覚さえ


都会、とくに受験界のそれとは、

異なるように思われるのである。


といいながら


普通というか、

学力が平均値よりは間違いなく上、であったその感覚に揺らぎはない。



 

学力試験のみ

1〜3番あたりを行き来しながら、


当時この層にいた友人たちも、のちに旧帝大に進学したわけではない。


ただし、りくの場合、同じ小学校の同じクラスから中高一貫校(エリート校と言われるところではない)に進学していった仲良しの同級生は誰もが認める日本最高峰の国立大学に現役合格をしている。



昨日触れた、

りくの小学校時代のクラスメイトのひとり、日本最高峰の国立大学進学者は


約6割がここに進学するというデータを出している私立中学受験で不合格となっている。


だから、自宅から徒歩で通える

公立中高一貫校に進学したのだ。


ちなみに、この学校の二次試験は、

くじ引きである。


一応の学力試験があって

それは概ね、田舎の公立小学校の

平均より少し上にいればほぼ合格する(らしい)。


とはいえ

そもそもこのあたりの小学校で学力順位を公表するような習慣はないので、


そう言われるのは体感的感覚なのか。

もしかすると小学生対象塾の

なにがしかがあるのかもしれない。


ともかく、そういう事情のなかで

見事くじ引きを通過したので、


その親は

副教材費を支払った。


その途端に

エリート中学から、補欠合格の知らせを受けたのだそうだ。


そのタイミングの良さか悪さかは

わからないが、結果的に


「もう全ての手続きを終えて支払いも済んじゃったし亅

と言って、エリート私立中学の補欠合格を辞退した。


そして、6年後にこの子が

開校以来初の○大合格者となったのである。



田舎の小学生親の

コストパフォーマンス

とは、

そういうものなのである。




東の○大 西の●大

その言葉は、私たち田舎のものも知っている。


息子たちの進学先が話題になるとき

「西の●大の●大だよね?」と確認されたことは一度や2度ではない。


●大。。。略して●大になる大学名は、全国に

たくさんあるということであるが


学年60名ほどの田舎の公立小学校で

同じクラスだった児童が


大学受験時に現役で東の○大 西の●大に合格するということは、あまり聞かない。


が、そもそも多くは

他人の大学入試にさほど関心はないし


少なくても私個人に関しては、

その産業についても


〇〇増進会とか〇成会、○進、河○塾、Z会くらいしかわからなかった。というか、

聞いたことがなかった。



先日、その道に踏み入った息子達に

中学受験塾を経験したお友達はどのくらいいるの?」


と興味本位でその様子を探ろうとしたら


「いるかもしれないけど、わからない」 

「話題になったことがない」と答えた。

 


ちなみに、

親の学歴もわからないのだそうだ。 


「いろいろだと思うけど、わからない」 

「話題になったことがない」と答えた。

 


長男が大学生の頃


私が出張でその地を訪れたついでに

大学の売店で落ち合ったときに

通りすがりの友人と談笑していたので


あとから私が

「あのお友達はどこの出身?」と聞いた。


その談は

「今日、試験の教室に入ってしばらく経ったときに、顔見知りが誰もいないことに気がついて、慌てて試験会場をもう一度調べてから全速力で走ったら間に合った」というだけの話だったのだが、


巧みな関西弁を操るがゆえ、大変に意味深い芸人の面白トークに聞こえたからである。


長男は

「あいつなぁ。。。」と



聞いて驚くなよ、と言わんばかりに

勿体つけて間をおいて


「灘だよ」と言った。


地元社に

その土産話を持ち帰った私に

田舎社員は


「●大の売店なんだから

灘出身なんて 

もったいぶるでもないほど 

大安売りなはずだ。」


と言い


その後、社を訪れる

地方国立大学教育関係者など

田舎では数少ない

高学歴関西人を見かけると


みな「あの方、灘じゃない?」

「あのお方も灘じゃない?」と密かに言い交わすようになった。



田舎のおじさん、おばさんとは

そういうものなのである。





(*)塾産業に意図的に試験力を上げて合格率を上げる力は無い,


(#)中学受験塾産業は社会悪


 

塾業界人は(*)をなかなか認めないだろう.私に言わせればランダムネスを観察しているだけであって,意図的に意図的な方向へ導くことは出来ないのだ.


成績が向上しているのを観察しているだけで,講師(自分)のおかげで向上しているかのような錯覚を感じてしまうだろう.


再現性の無い話なのでこれは

水掛け論になりかねない.



よって(*)を認めないという人には

今は強引に主張しないでおこう.

 

すごく稀なケースとして,塾が成績向上のきっかけになることはあるだろう. 


だが,それは

塾に通っている時間が長かったから

その時間に

ランダムな現象が起こって


たまたま向学心の火が付いただけで,


塾に行かなかったら

他の場所でそのようなことは起こっていたと思う.

 

私が想像するに,


塾が効果的になる

特殊ケースとしては,



通っている学校のクラスでは成績一番でライバルがいない状態で,


複数の学校から各学校一番優秀な生徒が集まっている上位クラスに入塾した場合だ.


入塾しなくても模擬試験さえ受ければ全国的な順位は分かるので,結果はそう大きくない場合が多いし,逆効果になる場合も多いだろう.


だが,一部の生徒はライバルの顔が具体的に見えることで競争心に火がつくことはあるだろう.



それによって自学自習の量が増え,成績が向上することはある.



定期的に成績順に席順を決める塾などは,それを狙っているのだろう.


そういう指導に

向いているかどうかは博打だ.


自分の子供がそういう競争社会に

好戦的に乗り込んでいくタイプである

と確信して,

本人が望むのなら

入塾させるのも手だろう.


通塾の費用と効果にたいしてコストパフォーマンスが良いかどうかは,


その家庭の経済状況にも依存するので何とも言えない.

 

そういう特殊ケースで

中学受験産業が合格力アップにつながっていると主張する塾業界人はいるだろう.



 

 以前,上野千鶴子氏の本(家父長制と資本論(1980))を読んでいた時にも感じたんだけど,彼女は時代の流れとともに,「教育に金がかかるようになったので母たちは賃金労働をする率が上がった」という話を展開する.


「子の教育に金がかかるようになった」というけれど,


私に言わせれば,

教育には金はかからないのであって,


教育産業という詐欺師に騙されたらいくらあっても足りない.



「私もそう思っていましたよ」と錯覚するほどの説得力をもちながら


「ほんとは、そんなふうに考えたこともなかったです」とあっさり口に出てしまうような


あつかましい感覚なのは
田舎の母親共通のものと
思いたい私が、ここにいる。