自己肯定感と
セルフ・エスティーム 


 文化的背景の異なる他国と
なぜか

わざわざ
比較した上

わざわざ
「低い」と啓発し

 高いことが良いことであると評価した上、なにかの方法で高くなるもののように錯覚させ、

〇〇であることが☆☆できない根源
であるかのような論調で、脅し脅され競争させる。

大丈夫だと思えない。 

 その心情は



人間が「人材」として商品化され,機会やモノのごとく性能・機能によって評価され,その評価の高低によって,

人間の存在価値
られるようなシステム
無関係ではない。



7日の入学式を前に

       わたしは今現地にいる


誰に頼まれたわけでもないが

現地リポーターの気分だ


   誰のためのリポートなのか


ニーズのないところに

仕事はないといわれるが


しあわせ🍀とは

未来のニーズが

みえるということ

 

遠くはるばる

✈️で

やってきたのは


引っ越してから一週間のりくの部屋


入居時からの床のへこみと

ドアの大きな傷はさておき


まずまず綺麗を保っていた

かわいいも綺麗もつくれる



わたしは いったい

なにをしに   ここへ来たのだろう




洗濯は毎日ではないし


掃除は

ワンルームのクイックルワイパー


まだ大学の授業も始まっていないので そんなに負担でもないそうだ


近所のスーパーには

置きチラシがあり

ティッシュは

安い日がもうわかっているので

その日に買い足す予定


これまでの数日間で

夕方に買い物に行き

半額の肉とモヤシをゲットしたと


自身の才に

酔いしれて語る

独り暮らしは快適らしい



 唯一の悩みは

ガスコンロが一口しかない


ために


副菜と汁物の

同時調理が

困難だということ




やっぱ  自由だわぁ

                                                 というので


今までは   家で

自由じゃないこともあったの?

                                                     ときいたら


ハハハ  と軽く笑い


自由っつか、いままで

人に気ぃ使って生活したことないから



生まれてから

ずっと  自由だわ


と もう一度笑った



生まれながらの自由


勉強ってなんのためにするの? 

                  自由になるためだよ


りくはこの対話を

    自問自答でできる新生児

        だったのかもしれない


さぁ、明日は

さらなる自由への出発の儀式


入学式だ桜桜チョコチョコチョコ桜桜

   

            リベラルに学べ


おにぃちゃんと同じ大学とはいえ

コロナで勝手が異なる


写真撮影はできるのだろうか


孤独なリポーターの

唯一の心配ごとである





家族のための  人助け

家族のために 命を懸けて

立派に死んでいく


そんな男としての

     人生だってあるんだ!


             

立派じゃなくてもいいよ

息子たちはアホでもいい。


立派に命を懸けなくても

元気に楽しく生きてくれたら

それでいい


                                         

まこちゃんは  やっぱり母親

その考え方は

             母親だよ


男の子には

父親が必要なんだよ



母子家庭

子育てさなかの私に対して

 力説される  


   「男の子には

      父親が必要論」とは


すなわち


再婚

推奨論





「選択」の認識は、人や文化によっても異なります。

この点に触れているのは、
教授が結婚相手を自ら選べない
インド人でありながら

自己責任を追及される
アメリカで仕事をしてきたことと
無縁ではありません。

国や組織文化の影響を知らずして「社員の自主性」を声高に叫んでも空回りするばかりです。

欧米では、個人の意志の大切さを
子供のときから
徹底的に
たたき込まれ、

アジアの多くの国では、
社会的義務の大切さを教え込まれます。


その結果、例えば

「人生で決めたいこと」
というアンケートをすると
アメリカ人は日本人の4倍もあるし

「前日に何を選択したか」
という質問でも
アメリカ人は日本人の1.5倍の項目があげられるという結果が示されています。

なぜなら

アメリカ人は
歯を磨く、アラームを止めるボタンを押すといったことまで、『選択』としてリストアップしていた」からです。

また、金融などで企業の不祥事が起きると、アメリカのマスコミは個人的行動をあげるのに対し、


日本のマスコミは
制度的要因、例えば
経営者による監督不行き届きをあげることが多い
という研究も示されています。


大切なのは

文化が違えば単純に
「自分で選択するからよい」
ということにはならない

ということです。

確かに、アメリカでは自分で選択できるようにした方がモチベーションも上がり、良い結果が出ることが多いのですが、アジアでは全く逆になることがあると、アイエンガー教授は指摘します。

権限委譲こそが動機付けの原則と考え、従業員が自ら考えることを求めたアメリカ企業は、

「なぜ上司が、管理するという自分の仕事を部下に押し付けるのだろうと、いぶかしく思った」という、アジア人従業員の反応に

方針を改めざるを得なくなったという事例も示されています。


  「自主性」の本当の意味


日本企業でも、「自主性」「自分で考える」ことが大切で「指示待ち」は悪であると、最近とみに言われることが多いと思います。

しかし

こうしたことを考えると、私たちは本当に「日本人」「日本文化」をわかってそう言っているのではなく、単純に「アメリカではそうだから」やっているのではないかと思わざるを得ません。

元産業再生機構にいた知人によれば、「権限委譲と言って、自分は何もしないし責任も取らない上司が多すぎる」そうです。

同じようなことが「マニュアル」についても言えるのではないでしょうか。

自分が選択できることがいろいろあると思っているアメリカ人にとってのマニュアルの意味と、日本人が感じるマニュアルとは違うはずです。

最近「物事をきっちりこなすマネジャーよりも、大胆な発想をして人を引っ張るリーダーが大事だ」的な発言も時々耳にしますが、

これも日本という「文化」
を考えると

まずきっちりと現場を押さえること
が日本の強みでさえあるわけで

それを軽視した
リーダーシップ待望論は

一時的には盛り上がっても

長い目で見ると間違った方向に進むのではないかと思われてなりません。

最近特にそう思うのは、慶応ビジネススクール(MBA)を受験しにくる若い人、特に大学を卒業したての人たちが、

「会社に入ると
視野が狭くなる」

というようなことを、平気で言うのを聞くようになったからです。


「何しろ自由、何でもあり」が良いと思っているのではないかと心配です。

「守破離」
という言葉で言われるように
あるいは「型破り」であるためには

そもそも

型がなくては
破れないように

自分の足元を
しっかり見つめ

制約
あるいは運命を
認識した上で

「選択」を前向きに考えることが必要なのだと思います。