とりたてて 

 優秀な親から生まれたわけでもなく


志の高い熱心な親に

導かれたわけでもなく 


なんらかの特別なプログラム教育を

受けてきたわけでもない。 


その結果

田舎の小学校で

わりと成績がいいくらいで 


全国模試で上位になったわけでも

ない。






 

「俺より、りくのほうが頭がいいよね」


ふたりの息子たちは、

同じ母から別々に産まれ


それぞれが

各々のペースで

18年の時を経て

平等に18歳になった頃

同じ身長になり同じ大学に通った。 


彼らにとってたった一人の母親である

私の記憶に残る確然たる違いは、

小、中、高校の通知表に示される


「出席すべき時間」と「出席した時間」の隔たりである。



 

長男と次男の18年については、

あちこちに散らかって綴られているが

 


18歳になった彼らが

飛び立った先には 


意外にも


人が「エリート」と

みなすのであろう大学があった。



戦闘狂でなければ

誰だって戦いたくはありません。


たいていの軍人は

戦闘が好きではありません。


真っ先に弾に当たるのは自分たちですから。



国の舵を取る人
つまり、


エリート層だけが

実際に戦争を防ぐための

駆け引きをすることができる。



「私もそう思っていましたよ」と錯覚するほどの説得力をもちながら


「ほんとは、そんなふうに考えたこともなかったです」とあっさり口に出てしまうような


不思議な感覚にとらわれた。
そんな母親として思うところは

つづく



と書いたものの、


混沌とした思う「ところ」は

どこにあるのか。




とりあえず


それは、どのくらい

意外だったのか。。。


ということに 実は

私自身、かねてより興味があった。


その件に関して

まず、というのか

またリブログを。。。




我々は歴史的に

教育イコール善

という刷り込みに毒されています。


教育という単語の定義の中に 

善という意味をいれて 

考えてしまうことも しばしばです。


しかし

教育の定義の中に善という意味を

入れてしまっては、


「教育は施した方が良い」

という文言は


「善は善」という

トートロジーになるので

意味をなしません。


 「最悪のケースが起こる確率を意図的に小さくする」ことは大切です。


具体的にいえば、


親が子に虐待しないようにする、などです。


親が子育てを金で雇った他人任せにするというネグレクトも含みます。


小学校ができた1872年においては、親の識字率が低かったので、学校教育を普及させることはとても大きな効果がありました。


しかし今の時代は、

親が意図的に勉強から遠ざけるような行動を徹底的に子供にさせるのでなければ、


親は普通にしてれば、嫌でも

子供は勉強環境に触れます。



将棋の才能がある人が小学校低学年までに将棋に触れなかったために、後々プロ棋士になれなかった、というのはあるでしょう。



しかし、大学受験で出るような知識の入門的なものは、小学校時代に学校で全員が自然に触れます。1872年とは状況が違うのです。


 

小学生将棋名人戦の歴代ベスト4を見ればわかりますが、後のトッププロ棋士が小学生の頃から同年代でトップだったかというとトップではないことが分かります。


ただ、プロ棋士トップになれる人は、同年代で全国トップではない事はよくあるが、県大会レベルではほぼトップなみであることは確実です。


ペーパー試験力もそうで、

一流大学に合格できた人が、

一流中学に不合格だったというのは

よくあることですが、


平均的な小学生よりは

上だったはずです。※1


あるいは

ペーパー試験の数字には

現れてはいないとしても、


間近で見ている親か教師からみれば、

普通の子とは違うというのは

察知できるはずです。※2



血縁者の誰もが 

行き着こうともしなかったところに 

いつのまにか彼らは 

なぜか昇っていった。



※1 

それは、たしかにそうである。

長男は、長期欠席児童であったに関わらず「弟のりくに比べて」学力が劣る(おそらく、中学以降に示されるようになった学年順位)ことを自覚した発言をしたが、逆に言えば、同学年の子どもたちのなかで学力不足を痛感したことはない。


長男の定期試験結果は概ね上位10%〜20%でありトップとはいえないところを行き来していた印象が強く


当時、中学校内で同じ学力層にあった友人たちの進学先は、地方国立大か中堅といわれるらしい私立大学であるが


ただ、塾のクラス分け試験のような、テスト勉強というものの影響があまり強くない「範囲が広すぎる試験」については、特設クラス該当者に分類されてしまうがゆえ、異様な雰囲気を醸し出すのか?それが塾長による「来るな発言」の誘因だったのかもしれない。



校内学力試験(定期試験ではない)では、1度だけ学内1位になった(いつもの1番が欠席だった定期試験)ことがあったのだと思う。


私のその記憶は

中学卒業間際に「もう一回だけ1番になりたかった」と言っていたからであり、その言からは彼自身には隠し持つ負けず嫌いはあったのかもしれないとも思う。


しかしながら、「なぜ、なれなかったのか」を面白半分に訊ねた私に「2度とあいつが休むことはなかったからだ。」と彼らしく答えたので、真意はいまだ不明である。


次男りくの試験結果は、たしかに長男よりも少し上位だった。

定期試験で1番だった記憶はあまりないが、多くは10%以内に位置づいていたはずである。

学力試験のみ1〜3番あたりを行き来しながら、当時この層にいた友人たちも、のちに旧帝大に進学したわけではない。


ただし、りくの場合、同じ小学校の同じクラスから中高一貫校(エリート校と言われるところではない)に進学していった仲良しの同級生は誰もが認める日本最高峰の国立大学に現役合格をしている。



※2

これも、たしかにそうなのだとは思う。

ただし「エリート校に通う身近なヒト」がわが子しかいない生活圏の母親からみると、※2の中学時代の「同類層」との違いは、正直よくわからなかった。



とはいえ

長男は中学数学に関して教科担当の先生により「授業は聞かなくていい」と言われていたことを後に述べているから、数学教師からは他の生徒と異なる扱いを受けていたことが伺える。


りくに関しては、

中学2〜3年生の頃、家庭訪問に来た担任教師が「頭の良さ」を話題にしたことがあった。


「勉強に向いている」という話

ではあったが、


その話の結末は

「自分(担任自身)もそうだったから、高校にいってどうなるかは自分次第(担任教師は高校以降、さほど伸びなかった)ということで、


少なくても


「高校を卒業する頃には、お母さんの驚くべきところにいるはずです」という予言ではなかった。



母親としては我が子のその時点での才を誇りに思いつつ「まぁ、よくある話だなぁ」と思いながら




「勉強の話はそんなにしない」先生が多数の『ど田舎』の中学教師のなかでは、


都会育ちの異動者のせいなのか


「当たり前のように、

受験や勉強の話をちゃんとするんだなぁ」と思っていた。



『ど田舎の中学生』

彼らは、定期試験前の部活動の休止期間に備えて


地域の体育館の利用予約をする。 


平成時代のその伝統は

令和の今も受け継がれていることを


私は最近、偶然にも確認することができた。



とりあえず

どうでもいい記事になってしまい


リブログ元のブロガーさん方には

申し訳ない思いを抱えながら


せっかく書いたので


中学受験が一般的な地域の方々が読んだら、「田舎すげぇ」みたいな話なのかもしれないことを期待して投稿する。