日本の家屋と他国のそれとは
原理において大きい差がある。

個室が中心で共通の部屋はサロンだけという彼らと、どの部屋もみんなで利用できる私たちとの違いは大きい。


彼らは、個室にいるときだけは自由だけれど、サロンに出る時は


少しばかり

「よそゆき」になる。


家族が

共有しているものは





文化が遺伝子に影響を与えることもある。たとえば牛乳など家畜の生乳を消費する地域では、遺伝的にラクトース分解酵素を持つ人が多い。

つまり
文化によって
進化が起きている。

このように書くことで
「文化」が、もっとも広い意味の延長された表現型、すなわち「自然」の一部であることが分かるだろう。

「自然」と「人工」という区別が無意味であると論じたいわけではない。

時として両者を区別することは必要である。しかし2つは

本質的には連続することを忘れてはならない。

そして連続性があるからこそ、
「進化」と「文化」という視点からの人間研究は共通の基盤を持ちうるし、持つべきなのである。



  

これは、私の同僚みえさんと
愉快な家族の話である。


 

時は2019年6月


みえさんの娘さんが

中学生の頃のことである。



【語り部 みえ】


娘の部屋で、娘の布団に乾燥機をかけて、布団収納庫に入れようとしたら、なんだかうまく入っていかなくて。


おかしいなと思って、一度出して

収納庫の中を見たら、奥の方になにかがあったの。



お弁当箱よ!

使用済みの!!

3個もでてきたわ。


最近、お弁当箱がいくつか見当たらなくて、気にはなってたんだけど。


まさか、娘の部屋の布団収納庫にあるとは思わなかった。



しかも

天井吊り下げの布団収納庫の奥だよ!

私の手が、届かないと思って!


人をバカにしてるったらないわ。


徹底的に隠すっていうその隠し場所も頭にきて!!


お弁当箱が布団収納庫で、何日寝てたんだか知らないけどね。


私、お弁当箱も箸セットも、全部開けて、キッレーに洗って消毒してね。


リビングのテーブルにひとつずつ並べておいたの。


そしたら、娘が帰ってきて


「アッ」て一言いって

一瞬 間があってから


「まとめて洗おうと思ってた」って!!


そんな言いぐさある?

隠してたくせに!!


「いつ?いつ洗おうと思ってたの??

洗おうと思っているものを、どうして布団収納庫に入れるの!!」


そんな言い訳すぐにバレるのに!



「隠してたってことまで、隠そうとするつもり??」




あんたの名前は

宮迫?

吉本? 


あんたも

隠蔽体質なの?!



って言ったらさ〜。



うちの旦那

笑ったんだよ!!


信じられる??


声出して笑ったんだよ!

ハハハハハーって!!


おもしろいことの一つも

言えないくせにさ!


そんなとこで

笑う父親なんている?


親なのに!




「おもしろいことの一つも言えない」 

「ウンチクが長い」


これは、みえさんからみた旦那氏の一側面であるが


みえさんほどに四六時中、超絶技巧的ユーモラスな言動を見せつける人など、さほど多くはないであろう。



ユーモアレベルを偏差値化した先行研究は、いまのところ見当たらないが 


旺文社パスナビを参照し

大学受験の難易度をもとに

デタラメトリック法を用いて

概算を求めたところ、その値は67.5


この時点で

京都大学レベルに達する。

ことがわかったが、


のちに




スタンフォードレベルだということが判明した、ユーモラスなみえさんの家族文化





特集 ∶

  都市と子ども 家族文化のあり方を考える      高橋 敷


 かつて、イギリスのロックが「家庭は城である」と言ったとおり、彼らにとっての家庭のプライドは昔の私たちのイエ、あるいは国家さえも連想させる。

「家庭は社会を教える学校である」とするルソーの原理※でなくてはならないだろう。

ルソーは「知識を与える前に、諸器官を完成させよ。感覚器官の訓練によって理性を準備する教育を消極的教育と呼ぶ」と自著『エミール』のなかで自己の教育観を提唱しています。

” 本当の教師は父親であり、本当の乳母は母親である” 


母親は子どもに愛を注ぎ、父親は子どもを社会の一員たる人間とする。
それがルソーの考え方です。

 ルソーの教育法は、確かに時代背景や文化など様々な点で現代とは異なる部分が多いため、そのまま参考にできるものではないかもしれません。 しかし、これだけの時を隔てていても通じる部分が少なからずあるという事実はルソーの先見性を物語っているといえるのではないでしょうか。



就学前の子どもが
独り寝をする諸外国では


個室を与える幼児の頃から掃除、整理は厳しく仕込まれている。


個室で自由を持つ彼ら一人ずつは

子どもであっても

自分の部屋は自分で管理


自分の部屋の吊り棚に

お弁当箱を隠し持っていた

みえさんの娘さんは

今春 大学生になり、


みえさん夫妻が築いた家を

出ていった。


みえさんは言った。

「家族で毎年行っていた

まちおこし牛肉パーティー


初めて夫と2人だけで行ったら


ほんっとに

おもしろくなかったわ。


ただ、向かい合ってふたりで

黙々と肉食べるだけでさぁ」











りくの大学入学とともに
締められるはずだったこのブログは

その機会を逸したまま
早いもので3年が経つ


SNSで広がる世界の。。。。
その先に。。。

みつけてもうたのは
おもろいおっさん



 




 

おじさん構文に関するネットニュースでこんな感じでしめられとった。


「おじさん認定されないために気をつけましょう」



いやいやまてや、

おっさんがおっさん認定されて


何があかんのや? 



みえさんのご主人には、
「単身赴任が長くて、家族で過ごす時間が少ないままに子どもが巣立っていった」

そんな悔恨があるらしいが、

みえさんは「そんなこと、べつにいいのにね」と私に言った。

18年間ともに暮らしたのは

母であるみえさんと娘さん


いまや50代夫婦となったみえさんとご主人が結婚し子育てをして巣立つまで、共に暮らした歳月は10年にも満たない。

時を隔て通じる部分は、いかほどあるのだろう。


ふたりきりになった家庭生活に
もはや、おもしろい出来事など
起こる余地はない。

そんなふうにみえさんは憂う。


娘さんの巣立ちの後に残った日常のつまらなさを、苦笑いで諦めつつ半笑いで受け入れているみえさんと娘さんとの、距離の隔たりにあって交わされるのは近況ライン




その内容に限っては
互いに変わりない日常を
確認する程度の
他愛のないものであるという


そう話しながらみえさんは
「うちの娘は、すごいから。」

重々しさを感じさせることなくさりげない仕草でスマホを操り


高邁に巣立ちゆく娘さんとのラインを、惜しげなく私に見せてくれた。






みえチャンビックリマークビックリマーク

きょうは📅イチニチなにしてたカナはてなマークはてなマーク!?

毎日ガンバ💪ってオシゴトしてるから、つかれちゃうことだってあるよ音譜👧

今週もよく頑張った😃✋

えらいえらい🎵こっちはもうアツイyo〜💦💦

海🌊に行ってきタョ🏄

みえチャンも、おいしいもの食べて🎂🍗楽しいことやって🎉元気出して✌️キャワユイ水着🩱👙こんど、ゼッタイふたりで😎👫買いにいこうねビックリマークキューンナンチャッテ笑

ゆっくり、身体休めてネ(^з<)💕😆😃✋会ったとき口笛チューはマッサージグラサンしちゃうyo〜スターラブラブ

オヤスミナサイ💤🛌




















文化によって
進化が起きる。

「文化」が、もっとも広い意味の延長された表現型、すなわち「自然」の一部であることが分かるだろう。

「自然」と「人工」という区別が無意味であると論じたいわけではない。

時として
両者を区別することは必要である。


しかし2つは

本質的には連続することを忘れてはならない。

そして連続性があるからこそ、
「進化」と「文化」という視点からの

家族研究は

共通の基盤を持ちうるし、持つべきなのである。