
幻と対峙し続ける母【実母】
母は保育士歴ウン十年のベテラン保育士だ。
何十年も子供だけを相手にしてきた母は、夢見がちで世間知らずだった。
そのうえ若い頃から小説を書くのがライフワークで、常に妄想の世界に入り浸っている事に自分でも気づいていなかった。
私は地に足がつかない母を冷めた目で見ていた。
何度か貰った事がある私への手紙も恐ろしいほどのポエム調で、小説を書く事の延長。
少女漫画か何かですか?みたいな自分に酔った言い回しで、私には何も伝わって来なかった。
今考えれば、愛情だったのだと思う。
母はそれを「伝えたい」ばかりが暴走して、娘の言葉や思いを「受け取る」事を一切しなかった。
母自身は無自覚だが、その両方のバランスをとる事が出来ない人だった。
もっと言うと、母の中には「受け取って」「返す」という価値観がなく、また「受け取りやすいところに投げる」事もできず、私はいつでも後ろから一方的に千本ノックされているような感覚だった。
死角から飛んでくる1000個のボールが常に私の足元を邪魔してくるから、私は母の愛情を拒絶した。
愛情って、伝わらなければ無意味なのかな。
母は今も昔も独りよがりなまま。
母の目に映っているのは、母が妄想世界の中に勝手に取り込んだ幻の誰か。
それが私じゃない事には、気づかない。
↓毒両親と毒娘エピソード
他人と比較しない事イコール
他人との比較について書きましたが
それは子供に対しても同じで
あの子は出来るのにうちの子は、、、とか
あの子よりはうちの子のほうが、、、とかで
評価した事はないと思います。
これはなんとなく良い事のような気がしている。
兄弟間の比較も、気質の違いを感じる事はあるけど、それ以上でも以下でも無いかなぁ
一方、私の場合、他人と比較しなくて済むイコール他人に無関心という事でもあり、弊害は色々あります
普段は無関心でいられても、コミュニケーションをとらざるを得ない場面では、まじで最強の破壊力を発揮します
昨日も保育園で一緒だったママさんに声をかけられて、誰だかわからず相手に名乗らせてしまった
ごまかし切れてなかったー
ゴメンナサイ
コミュ力のある人は、私みたいなコミュ障をものともせず自分でスマートに名乗れるんだなと、自分の失態を棚に上げてとても感心しました
いつでも自分と戦っている
誰かの期待に応えたい(応えなきゃ)とか
よく思われたい(思われなきゃ)とか
そういう気持ちは今も昔も一切ありません。
他人から自分がどう見えているかにも
興味がないです。
人から好かれようと無理をした事もないし
人と比較して落ち込む事も羨ましい事もない。
(あんな風にできる人はすごいなーと尊敬することは多々あるけど、自分とは別の次元というか)
昔から、敵はいつも自分だけ。
私はいつでも私と戦っています。
敵対せずに味方になってあげる方法がわかりません。
こう在りたい自分像みたいなのがいつも自分の中に強力に存在していて、その目指す自分像は、多分毒両親との長年のバトルで形作られたもので。
おかしな大人に傷つけられたりしない、強い自分になりたかったのだと思います。
強さの意味は今もわかりません。
もうひとつの感覚過敏【私】
以前、自分の聴覚過敏について書きました![]()
もうひとつ、地味に面倒くさいのが
濡れた床の感覚が無理(足の裏)![]()
プールサイドとか1000%無理![]()
室内プールの床とか言語道断![]()
床に水がたまってるのが無理。
想像しただけで無理。
水滴が垂れてる更衣室の床は濡れ具合によっては無理。
なんなら自宅のお風呂も微妙に嫌。
お湯が流れていれば大丈夫だけど
シャワーを止めた途端に嫌。
だから身体を拭くのもそこそこに外に出る。
という全く同じ話を大昔KinKi Kidsの光一くんがしていて
めちゃくちゃシンパシー感じた
娘も足は若干過敏で、保育園の水遊びを嫌がって、靴下を履かないと足が気持ち悪くて楽しめなかった
(濡れた靴下は平気らしい。私も平気)
子供が言葉で説明できない「なんだか嫌」の原因が意外なところにあったりして
娘の感覚過敏については自分もそうじゃなければ「水がまだ怖いのかなー?慣れさせなきゃ」
なんて無理強いしちゃった可能性もあるなーなんて![]()
私は子供の頃、苦手を訴えても母に軽くあしらわれた。
過敏レベルで不快なものは慣れでどうにかなるものじゃないから、なるべく避けて取り除くのが正解だと個人的には思ってる![]()