TPPの真の狙いは農協の共済年金?
TPPは、結局、反対派が騒いだけれど、大した影響もないんじゃないの、なんてことを某TV番組の無能コメンテーターがおっしゃってましたね。
まあ、何をもってして大した影響もないと、今の段階で断言できるのかはさておき、確かに、アメリカも馬鹿じゃないので、露骨に日本人に分かるような搾取はいたしませんね。
日本国民の視点を逸らし、見えない所でこっそり搾取していく、そんなずる賢さがあるのがアメリカです。
例えばこれ。小泉郵政改革で、誰が得をしたのか。
http://biz-journal.jp/2013/08/post_2645.html
簡単に言えば、日本郵政がアフラックに切り売りされた、ということ。
そして今度のTPPでターゲットになっているのはこちら
https://shiryo.ja-kyosai.or.jp/life/lp01.html
http://www.ammanu.edu.jo/wiki1/ja/articles/全/国/共/全国共済農業協同組合連合会.html
長期共済保有契約高 360兆2,845億円
はい、これで全農を解体し、外資規制もなくTPPで堂々と外資が参入してくるという話。
要するに、日本の資産を次々にアメリカに切り売りしているという現状。
これ、じわじわと貧乏になっていっているので国民も気づきづらい。
また国民を欺くために、目先を変え、争点や焦点を変える事で、危機感を抱かせないようにしている、ということ。
今回のTPP合意も、一見、あれこんなもんだったの?と国民の思わせ、裏では金を合法的に日本人から巻き上げるつもりなわけで。
まあ、アメリカのポチやって、搾取されまくって、みんな貧乏になれば、それはそれでいいのかもしれませんね。
いまこそ保守思想を学ぶとき
TPPの妥結、第三の矢と呼ばれる構造改革の数々。
着々と、リベラルな政策が進んでいます。
もちろん、これらは多くの国民が望んだ結果であることを踏まえると、国民の大多数が、リベラル系であるとも言えるのではないでしょうか。
そもそもリベラルとは何か?
自由主義と訳させる場合もあるし、根本的には啓蒙思想であるとも言えるのだけれど、要するに、経済に限っては「政府は黙っておれ!われわれ市場が自由にやります!」ということ。
さて、そんな自由を手にした人々はどのような行動を取るかと言えば、「合理的」「功利的」「個人主義」な行動を取るようになります。
さらに、自分の利益拡大のために、他者の需要を奪う必要も出てきます。
言い換えれば「競合」が出てきます。
もちろん、社会は一定の競合なくして、活力は生じません。競争する精神こそが大事ではあるのです。
しかし、それにはルールが必要です。ボクシングにしても、ルールを無くせばただの喧嘩ですし、体重別に階級が決まっているのも、放縦を避けるための規則です。
また,ルールを一本化する(例えば階級を無くす)と、多様性が失われます。例えば、ミニマム級の東洋太平洋チャンピオンを目指していた人にとっては、それが無くなるわけですから、選択も出来なくなるわけです。
要するに、自由だ、平等だ!とやると、むしろ選択肢を狭め、画一化に進むのです。
にも関わらず、ここ最近の風潮は、そのルールを取っ払ってしまえ!政府は何もするな!というある種の放縦と矛盾(取っ払え!と政府に要望しているのに、何もするなですからね・・・)を抱え、民間議員なるもののレントシーキングが横行するという自体にまでなっています。
また、自由競争は勝つ側と負ける側を明確に分けるので二極化が進みます。これによって個人の努力ではどうしようもない差別的社会になってしまうでしょう。そうなればルサンチマンが煽られ、全体主義化することもあり得ます。
また、社会は格差が広がれば広がるほど不安定になり、未来の予測は困難になります。当然、ただでさえ予測できない未来がより不安定になれば、経済活動も滞ります。(デフレ化です)
要するに、規制なき、秩序なきリベラリズムは、格差は拡大(差別)し、画一化(非多様性)し、不安定化し、市場の活力を奪い、未来の予測をより困難にし、殺伐(もしくは退廃や全体主義化)とした社会にしていくということなのです。
こんな社会で貴方は生きたいですか?
私はまっぴらごめんです。
さて、そこでそのリベラルに対抗する思想、「保守思想」というものを学ぶ必要に迫られます。
過去を切り離したリベラルの特徴とは対照的に、保守は、未来への予測を過去から学びます。
すなわち、その思想の根本には、「平衡」と「安定的持続」(継承)があるので、構造改革などには当然、消極的です。
むしろ、より安定するための手段というものを過去の事例から学び、保護や規制も必要に応じてするのです。(もちろん社会主義的なものではない)
もちろん、それらは好奇心旺盛な人間にとって、ときに退屈と思うかもしれませんし、自分の能力を頭から抑えられている、そう思うかもしれません。
しかし、投資であったり、消費をする上では、社会全体の安定は非常に重要です。安定していれば、未来も大きく予測から外れることもないだろう、という安全、安心の心理が生じるからです。
そうなれば経済活動も大きく混乱することはないでしょう。
この一見、安定を求め、保護、規制を掛けるような保守政策は、市場の活力を奪うように思われがちですが、実は長期的、また全体(マクロ)としてみれば、全くの逆なのです。
もちろん、自分だけのこと、今だけのことを考えれば、リベラリズムというものは、合理主義的視点からは、得かもしれません。
しかし人間は自分だけでは生きて行けません。今だけを考えて子孫を蔑ろにもできません。当然、合理主義だけでは解決出来ない問題や、心のもちようもあります。伝統、慣習、精神世界、宗教観なども合理主義では語れません。
このように考えれば、如何にリベラリズムが、実社会、実践と乖離しているのか、ということがわかるかと思います。
今こそ、保守思想的、実践主義へと舵を切るべきです。
マイナンバーで社会は歪む
自由と平等、民主主義。
多様な選択と権利。
これは理想主義の根幹思想なのだが、この主義を掲げている国であるアメリカ、そしてそれを追従するペット日本を鑑みると、どうも理想とは名ばかりの歪んだものばかりが目についてしまう。
しかし安倍総理は、どうやらその歪んだ理想主義を大事な価値観として持っていたいようだ(演説を聞くかぎりは)
さて先般、皆さんの知らない?所でマイナンバー制度が国会で可決され、早くも施行されることとなった。
実は私、兼ねてからこの制度に強い懐疑を持っていた。
その一番の理由は、平等主義と、合理主義という効率性を重視したシステムは、必ず社会に歪みを齎すであろうことが予測出来るからだ。
例えば私が、40km/hの道路で、10km/hオーバー、すなわち50km/hで走っていて捕まったとしよう。
その私の目の前を別の車が41km/hで通り過ぎたとき、私は「なぜあの車も摑まえないのだ!」と訴えたらどうだろうか。
これは法律に照らし合わせれば、法律遵守という全うな主張(権利)であり、平等主義の観点からも間違いではない。
しかし現実は、あくまで判断するのは、その場にいる警察官だ。
ここで考えるべきは、単に捕まらなかった者がラッキーだったのか、もしくは、たった1km/hの速度違反はグレーで違反ではないということなのか、という点だ。
おそらくほとんどのケースが現在は後者である。
要するに、40km/h道路では、50km/h以下では摑まえないという暗黙のルールという社会の余白(寛容)があるわけだ。
しかし、平等主義者からすればこれが許せない。「あくまで1km/hでも、法律違反は法律違反だ!」となるわけだが、(一票の格差問題とかはまさにこれですよね)実際に、それが適用されればどうなるだろうか?
渋滞は増え、交通の効率性は落ち、経済や環境にも悪影響を与えるかもしれない。
さらに事故が増える可能性についても否定はできない。渋滞などで疲労が溜まれば、(特に職業ドライバーなど)、集中力が切れ、事故を起こしてしまうこともあるだろう。(他にも上げれば色々でてきそう)
このように、一つの事象を平等や正義や効率という名の元に正せば、その他に歪みが生まれてしまうというのは、社会の常である。
さて、話をマイナンバーに戻してみよう。
マイナンバーの基本理念は、あくまで税、社会保障、年金、預金の可視化、効率化、平等化である。
それぞれの機関で行っていたものを統括することで、効率性を上げ、また税や社会保障費、年金などの未払いを防ぎ、さらには銀行預金も監視できる、というものだ。
しかし,先に例を上げ、述べたように、社会には一定の余白が無ければならない。この余白こそが、社会の寛容さと言う名の強さであり、そしてなにより多様性を生んで行く地盤なのだと私は思う。
さらに、それら多様性や寛容性は、活力の源泉だ。この活力こそ、発展的な社会、健全な社会を維持、もしくは造る上では絶対に欠かせない。
しかし、この活力を削ぐ行為こそ、平等主義、効率主義に基づく政策(マイナンバー)実行に他ならないのだ。
管理され、監視され、少しでもルール違反が起きれば事務的に処罰する。
さて、そんな社会に貴方は住みたいですか?
そんな社会に活力が生まれると思いますか?
私は正直、すでにビール一杯で飲酒運転で捕まる世の中には、うんざりしていますがね。