いまこそ保守思想を学ぶとき | ひより

いまこそ保守思想を学ぶとき

 

TPPの妥結、第三の矢と呼ばれる構造改革の数々。



着々と、リベラルな政策が進んでいます。



もちろん、これらは多くの国民が望んだ結果であることを踏まえると、国民の大多数が、リベラル系であるとも言えるのではないでしょうか。




そもそもリベラルとは何か?



自由主義と訳させる場合もあるし、根本的には啓蒙思想であるとも言えるのだけれど、要するに、経済に限っては「政府は黙っておれ!われわれ市場が自由にやります!」ということ。




さて、そんな自由を手にした人々はどのような行動を取るかと言えば、「合理的」「功利的」「個人主義」な行動を取るようになります。



さらに、自分の利益拡大のために、他者の需要を奪う必要も出てきます。



言い換えれば「競合」が出てきます。



もちろん、社会は一定の競合なくして、活力は生じません。競争する精神こそが大事ではあるのです。



しかし、それにはルールが必要です。ボクシングにしても、ルールを無くせばただの喧嘩ですし、体重別に階級が決まっているのも、放縦を避けるための規則です。




また,ルールを一本化する(例えば階級を無くす)と、多様性が失われます。例えば、ミニマム級の東洋太平洋チャンピオンを目指していた人にとっては、それが無くなるわけですから、選択も出来なくなるわけです。



要するに、自由だ、平等だ!とやると、むしろ選択肢を狭め、画一化に進むのです。






にも関わらず、ここ最近の風潮は、そのルールを取っ払ってしまえ!政府は何もするな!というある種の放縦と矛盾(取っ払え!と政府に要望しているのに、何もするなですからね・・・)を抱え、民間議員なるもののレントシーキングが横行するという自体にまでなっています。




また、自由競争は勝つ側と負ける側を明確に分けるので二極化が進みます。これによって個人の努力ではどうしようもない差別的社会になってしまうでしょう。そうなればルサンチマンが煽られ、全体主義化することもあり得ます。





また、社会は格差が広がれば広がるほど不安定になり、未来の予測は困難になります。当然、ただでさえ予測できない未来がより不安定になれば、経済活動も滞ります。(デフレ化です)





要するに、規制なき、秩序なきリベラリズムは、格差は拡大(差別)し、画一化(非多様性)し、不安定化し、市場の活力を奪い、未来の予測をより困難にし、殺伐(もしくは退廃や全体主義化)とした社会にしていくということなのです。



こんな社会で貴方は生きたいですか?



私はまっぴらごめんです。



さて、そこでそのリベラルに対抗する思想、「保守思想」というものを学ぶ必要に迫られます。



過去を切り離したリベラルの特徴とは対照的に、保守は、未来への予測を過去から学びます。



すなわち、その思想の根本には、「平衡」と「安定的持続」(継承)があるので、構造改革などには当然、消極的です。



むしろ、より安定するための手段というものを過去の事例から学び、保護や規制も必要に応じてするのです。(もちろん社会主義的なものではない)



もちろん、それらは好奇心旺盛な人間にとって、ときに退屈と思うかもしれませんし、自分の能力を頭から抑えられている、そう思うかもしれません。



しかし、投資であったり、消費をする上では、社会全体の安定は非常に重要です。安定していれば、未来も大きく予測から外れることもないだろう、という安全、安心の心理が生じるからです。



そうなれば経済活動も大きく混乱することはないでしょう。



この一見、安定を求め、保護、規制を掛けるような保守政策は、市場の活力を奪うように思われがちですが、実は長期的、また全体(マクロ)としてみれば、全くの逆なのです。



もちろん、自分だけのこと、今だけのことを考えれば、リベラリズムというものは、合理主義的視点からは、得かもしれません。




しかし人間は自分だけでは生きて行けません。今だけを考えて子孫を蔑ろにもできません。当然、合理主義だけでは解決出来ない問題や、心のもちようもあります。伝統、慣習、精神世界、宗教観なども合理主義では語れません。




このように考えれば、如何にリベラリズムが、実社会、実践と乖離しているのか、ということがわかるかと思います。




今こそ、保守思想的、実践主義へと舵を切るべきです。