ひより -19ページ目

構造改革という名の破壊主義

構造改革をなぜするのか。



それを一言で言うならば、利権が無い者が、自分にその利権を移動させたいがためだ。



以前にも書いたが、既得権というのは、日本人であれば全員、何らか得ているわけで、その既得権の奪い合いこそが、構造改革の本質である。




しかし、ただ利権が移動しただけならば大きな混乱も起きなければ、マクロ的な経済損失も起きないはずだ。



にも関わらず、その実体は混乱と経済の低迷である。



ではなぜそのようなことが起きてしまうのか。



ある一例を挙げて見よう。




ずいぶん前の話になるが、カリスマ美容師が美容師免許を取得していなかったことが問題となり、メディアが大騒ぎした結果、本来インターン制度(1年学校に通い、1年はサロンで実践訓練をしないと免許取得の権利がない)が廃止され、美容学校が2年制(学校さえ卒業すれば免許取得の権利が与えられる)へと変わった。





これを既得権という観点から考えると、改革前は、1年目が学校側。2年目以降が全国のサロン側だったわけだが、改革後は、2年が学校側(要するに既得権が2倍になった)、そして3年目以降がサロン側となったわけだ。



これを聞けば、一見、たかが1年分じゃないか、と思うかもしれない。



しかし事の問題はそんな単純ではない。



美容免許を学校を卒業するとほぼ同時に取得できることで、美容師の免許取得率が向上したのだが、一方でサロンで働き始める1年目(学校からでは3年目)からの離職者が、急増したのだ。



なぜなら、本来ならば1年間、実労働の中で嫌でも修練をつまなければ免許を取れなかったため、皆、必死にその辛い修行を耐えたのだが、制度が変わったことで、既に免許を持っているから、辛ければ辞めれば良いと、退職のボーダーが低くなったのだ。




それによって、サロン側は、慢性的な人材不足に陥ることになり、サロン同士で人材の奪い合いが起きるようになった。



さらにサロン側は、人材を離職させないために、教育のレベルを下げ、甘やかすようにもなった。



結果、技術レベルは格段に劣化し、劣化したことで彼らの給与も伸びず、経済的理由で離職が続くという悪循環に陥ってしまったのだ。


さらにサロン側も、レベルの低い技術者に対し、それ以上の対価を払わなければならず、経営を圧迫し始め、サービスを劣化させざるを得なくなったのだ。



また、そのような美容業会全体の劣化は、2年制にして、一見、既得権益を増やしたかにみえた学校にも跳ね返ってきた。



なぜならば、美容業会全体の魅力が低下したことで、わざわざ2年分の授業料を払うリスクを選ぶ側の生徒達が負わなくなったのだ。




選ぶ側としては、免許取得までの負担が、



改革前   1年分の授業用 ー 1年分のインターン時の労働所得=低負担



改革後   2年分の授業料=高負担 → 魅力低下


このように負担が増えてしまったにも関わらず、技術はその対価ほど得る事が出来ない。(所詮は学校教育は実践ではないから)




要するに、これから美容師になって行こうという卵の方々からも利権を奪い、全国のサロンからも利権を奪い、全ての利権を学校側が取りながらも、結果、学校側も、美容業会全体の魅力低下と、生徒達の負担増の影響で、疲弊し始めたということだ。(厚生労働省だけは、免許問題を解決したと喜んでいるのかもしれないが)





このことから考えても、構造改革が結果として、業界の破壊に繋がったことは言うまでもない。しかも、一旦壊されたものは、なかなか元には戻らず、むしろ悪化の一途を辿って行くのだ。




このようなことを平気で行う政治が、果たして善なのか。私には単なる破壊主義としか思えないのである。




そして、次はまたどこかの業界がこのような破壊の犠牲者となるわけで、大衆は他人事のように、メディアに乗って、特定の団体や業界を批判をしているのだが、次は自分の番かもしれないということを忘れては行けない。



その想像力なくして、安易に特定の業界を批判するなど愚の骨頂であると私は思う。


ビジネスマンは忙しい人

ビジネスマンとは、ビジーとネスとマンで構成されてますが、訳すと、「忙しい状態の人」となる。



自ら、ビジネスマンを自称するということは、「おれ、忙しい状態の人なんだよね」と言っているようなものです。


いなみに、忙しいとは、立心偏に亡くすです。これは「心を亡くす」という意味です。


てことは、「おれ、心を亡くした状態にある人なんだよね」ということになります(笑)



ちなみに、ビジーの反対はスカラ。暇人(学者)という意味で、以前にもブログで書きましたが、スクールの語源にもなっている言葉です。



今の教育をみると、知識を詰め込むビジーなネスのチャイルドです。


はい、「ビジネスチャイルド化」しているわけです。



心を亡くした大人達。


心を亡くした子供たち。



そりゃ、公徳心なんか考える余裕はありませんね(笑)

新自由主義はギャンブル依存と同じ効果がある。



私が再三に渡ってアベノミクスを批判してる訳は、まあ過去のブログを読んで頂ければわかるとは思いますが、そもそも第一の矢と第三の矢、そして消費増税にその問題は集約しているわけでありまして、とくにこの第三の矢である成長戦略の中身はというと、完全な新自由主義政策に他ならず、まさにフリードマンやハイエクの新古典派経済学そのものなわけです。




この新自由主義というのは、私は兼ねてから反民主主義であると訴え続けているのですが、とにもかくにも国民にその危機意識がまるでない。



ではなぜこのような反民主主義的な新自由主義が、民主主義国家で受け入れられているのか?という点につきまして、前回のブログでも申し上げましたが、今回はそこに新自由主義政策と民衆心理というものを考えまして、それを書いていこうと思います。



まず、新自由主義の特徴としてみますと、規制がある場所に対し、緩和させ自由競争をもたらすわけですが、ある意味、元々経済的には閉塞的な市場の規制が緩和されると、競争原理が働き、一時的に市場が活性化し、所得が増えるという経済的にはプラス面があるわけです。



もちろん、散々言ってきたように、それは最終的に負の側面が上回ってしまうから問題なわけですが、この一時的に所得が上がるという特徴が、私たち国民に、良いイメージを与えることは確かなのであって、このイメージがその後に、負の方向に行ってもなお拭えず、そこにしがみついてしまうというわけです。



これは、フランスの人類学者であるエマニュエル・トッド氏も指摘しており、「新自由主義の一時的な景気浮上効果は、民衆に快楽を覚えさせ、また、民衆はその快楽を忘れられないが故に、同じ過ちを繰り返すのだ」このような表現で揶揄しております。


その民衆心理は、まさにギャンブルや麻薬にハマる心理と極めて類似しているわけです。




例えば、ギャンブルに誰かをハマらせよう、または勝手にハマる人は、必ず最初に大勝ち(少なくとも美味しい思い)させます。(たまたまする場合も一緒)



すると、その快楽は麻薬のように、たとえ、その後にそれが身を滅ぼすようなことになったとしても、その快楽が忘れられずに、いつまでもそこに固執し、続け、自らを滅ぼしていくのです。



これだけ問題の多い新自由主義がここまで民衆に支持される訳は、まさにその一時的快楽が、小泉構造改革のいざなみ景気という形で国民が味をしめ(政治家や経済学者も)、それを忘れられずにいるという、民衆心理が少なくとも関与していると私は思うのです。



要するに、日本国民も含め、世界中(レーガノミクスやサッチャーイズムによって)が、新自由主義という中毒に犯されてしまっているというわけです。



こんな中毒に犯された世界を、元に戻すというのは並大抵のことではありませんが、中毒に犯されていない人間が発信することで、少しづつそれが中毒であったということに気がついてくれる人を増やすしかないでしょう。