17(ジュウナナ)のブログ -3ページ目

大谷のユニフォーム「17」が届く!

 

有り難いことに、

ドジャース大谷のユニフォームが届きました。

 

お付き合いのあるエージェントさんが

エンゼルス入団の時と同じく、

現地のドジャースショップに買いに行ってくださり、

運が良いことに、最後の1枚を購入でき、

国際便で送ってくれました! 

   

最高のXmasプレゼントです!

 

最近、お店で領収書をもらう時に

「大谷くんの背番号ですか?」と

訊かれることが多くなったのですが、 

声を大にして言いたい。

 

大谷が高校生の時から、

弊社17は存在しています!

こっちが先です。

 

証拠の2012年当時のブログ↓

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

      

   

 

紅白歌合戦50回連続出場 五木ひろしさんが独唱する線虫N-NOSEの歌

    

生涯独り身だった私の伯母が

「この人の歌には艶がある」と

唯一絶賛していたのが、五木さんでした。

    

また、私の亡き父は歌が上手く、

五木さんの曲をカーステレオで聞いては、

カラオケで歌っていました。  

   

そして、家業が傾いて

苦学生になった私は、

生活費を稼ぐために、

夜は女性が接客をするスナックで

バーテンのアルバイトをしており、

時々、お客さんの要請で歌っていました。

 

ホステスさんと同じく、

指名料と歌唱料が店に入るからと

ママからは「積極的に歌ってね」と言われて、

渋々歌っていました。

  

子供の頃にリピートで聞かされていたおかげで、

五木さんの歌は空でも歌えるようになっていて、

「若いのに、そんな歌をよく知ってるな」と

お客さんに褒められました。

歌う曲は、五木さんを筆頭に、

北島三郎さん、鳥羽一郎さんでした。

 

ある時、大学の英語の授業で、

「英語で恋愛の詩を書く」課題が出ました。

私は、五木さんの曲で一番好きな

「倖せさがして」をそのまま訳して提出。 

女性のカサネイブ先生から

「感動したわ、素晴らしい!」とコメント付きで、

一番評価の良い「S」をもらいました。 

当時は胸が痛みましたが、

今となっては良い想い出です。

    

自分の中ではそれくらい、

五木さんとの縁があり、

今回のCM企画への出演を快諾して頂いた時には、

本当にうれしかった!

 

企画説明で五木さんの事務所で

ご本人に対面した時は、

「伯母さん、親父が生きていたら、

 さぞかし喜んでくれただろうな…」と

感慨深いものがありました。

   

五木さんは、芸名を4回変えるなど、

売れるまでは大変な苦労をされました。 

山口洋子さん作詞の

名詞だけを連ねる画期的な名曲

「よこはま・たそがれ」が大ヒットして、

スターの階段を駆け上がります。

そして、紅白歌合戦には、

前人未到の50回連続で出場されています。

 

見方を変えると、

父親としての五木さんは、

50年間、大晦日には、

家にいなかったということです。  

      

さらに、その昔、

このCMの制作プロデューサーの父上が

祐天寺で床屋をされていた時に、

まだ売れていない頃の五木さんの髪を

カットしていたという新たな縁も見つかりました。  

    

五木さんの曲を愛聴していた親の息子が企画をし、

五木さんの長髪を切っていた親の息子が制作をしたのです。 

          

点は、いつか線になる。

いろんな縁に感謝する仕事でした。

 

CM視聴はこちらから

     

   

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

    

 

  

 

 

なぜ、たんちょう釧路空港なのか?

   

ロケ撮影で初めて行った北海道釧路。

「たんちょう釧路空港」では、丹頂鶴が出迎えてくれます。

  

 

実際、釧路湿原の空には

多くの丹頂鶴が飛んでいました。

 

 

現地在住の方が

「丹頂鶴は、いつも2羽、カップルで飛んでいるのですよ」

と教えてくれた。

たしかに、昔の絵や、写真にも2羽のものが多い。

 

調べてみると、1920年代までは、

日本で丹頂鶴は絶滅したと思われていたが、

釧路湿原でその姿が発見された。

それから冬季の餌付けを始めて、

その数を増やしていったとのこと。 

 

北海道で1952年の生息数は33羽。

1960年代に100羽以上に増え、

2021年は1,516羽で、

調査開始以来、過去最高数になったとのこと。

      

そして、給餌場へ飛んでくるのは

2羽が30~40%、

1羽が20~30%、

3羽が10~20%

とのこと。 

 

なんと、半数以上がペアでは飛んでいない。

丹頂鶴ペア飛行説を披露しなくて良かった…

  

調べてみると、

イメージと事実が違うことはよくある。 

そして、一旦できたイメージは

なかなか塗り替えられない。

人間の不思議。 

 

不思議と言えば、

たんちょう釧路空港には、

鮭をわしづかみする巨大フクロウもいて、

そこには「釧路空港」と書かれています。

 

「たんちょう釧路空港」派と

「ふくろう釧路空港」派が争って、

敗れたふくろう派の形跡なのか… 

 

ご存知の方、その理由を教えてください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

   

 

 

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おもしろいラグビー始まる!

 

今日は、リーグワンのラグビークラブ

『東芝ブレイブルーパス東京』の開幕戦でした。 

 

昨年からチームのクリエイティブディレクターを務めており、

ホスト試合の演出も担当しています。

   

14時35分からキックオフの試合は、

早朝からの設営があり、演出のリハーサルをして、

12時にお客様をお出迎えします。

 

 

試合開始時には、日の当たる暖かいバックスタンドは満員でした。

2階席も一杯になる日が来るようにと、

人気を高める施策を日々、行なっています。

   

今日はシーソーゲームでしたが、

おもしろいラグビーを展開して、勝ちました! 

これで1週間、元気に生きられます。

負けると、数日間、ものすごく重い気持ちになります。

 

皆さんに声を大にしてお伝えしたい。

 

ラグビーの試合は土日にやっています。

12時か、14時30分のキックオフです。

テレビで観るのと、生で観戦するのとでは、

おもしろさがまったく違います。

ぜひ、ラグビー場に足を運んでください! 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

  

 

  

 

 

   

 

 

 

 

IHIの創業170周年 新聞30段広告

    

IHIが創業170年を記念して、

新聞30段広告を実施。 

       

江戸、明治、大正、昭和、平成、令和と

どんなに時代が変わっても、

170年間、地道に技術を磨き続けて、

叡智を受け継いで、

社会の役に立ち続けてきたから会社が続いています。

 

造船業から始まって、

日本の近代化を支える社会インフラを数多つくり、

今では、宇宙ロケットのエンジンや

CO2を出さないアンモニアを燃焼とした

世界初の発電技術をつくっています。 

  

生き残って、ずっと最前線にいるって、

先見の明がある人がいないとできません。 

そして、進んで変化を受け入れないとできません。 

それを170年続けてきたってことは、

ものすごいことです。  

 

それを表すのに、

なぜ、風神雷神なのか。

答えは間もなく…

      

  

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

lHIの企業CMで、日本初のテレビCMを企画制作!

     

IHI(旧・石川島播磨重工業)が

創業170年を迎えて、新企業CMをオンエア開始。 

   

日本初、

サイモン&ガーファンクルの不朽の名曲

「Bridge over troubled water(明日に架ける橋)」を

CMで使えました。

      

1970年の発表から53年間、

一度もCM使用許諾が下りなかった曲。

多くの企業、広告制作者が、

問い合わせをしては、即、断られ続けてきたので、

「この曲は絶対に使えないのだ」と

広告業界全体で諦めていたと思います。

私だけでも、

20数年間で6〜7回は問い合わせました。

    

今回、企画をしている時に、ふと、

「今なら許可が下りそう!」と予感がしたのです。

それは、確信に近い予感でした。

     

交渉にあたってくれた音楽プロデューサーが

「もしかしたら許諾が下りるかも」と

興奮した口調からの数週間後に、

「本当に許諾が下りました!」との決定の時には、

狂喜乱舞の様でした。 

  

それを聴いた私も、

一人阿波踊り、一人よさこい祭り、

一人浅草サンバカーニバルで、

一日中、ずっと踊っていました。  

   

鎖国していた江戸時代に

突如、黒船がやって来て、

西欧列強に対抗すべく

蒸気艦の造船から始まったIHI。

時代の声、社会の声に応えて、

どんどんと主力事業を変えて、拡張し続けて、

今は、宇宙ロケットの効率的な発射と運用、

CO2を減らす高性能の大型航空エンジン、

CO2の排出ゼロのアンモニア燃料発電など、

次の時代のスタンダードを次々とつくっています。

 

それは、170年間の技術と叡智の伝承があり、

それぞれの時代の技術者が、

毎日毎日、1歩1歩、技術を進化発展させてきたことの証です。  

 

なぜ今、亀が歩くだけの企画を見た

ポール・サイモンがOKしてくれたのか。

今のところ、明確な回答はなく。

しかし、きっと、

彼の中に明確な理由はあるはずです。 

   

いずれにせよ、

「日本初」に携われたことは、

とても有り難いことです。

    

企画に命を吹き込んでくれた制作陣に感謝。

 

 

CMはこちらから

 


 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

  

 

  

 

      

 

山田太一さん

 

電通に内定した時、

大学の森川教授(元電通)が「お祝いに」と

サプライズゲストで山田太一さんを招いて、

ご飯をご馳走してくれた。
 

その時点で「ふぞろいの林檎たち」はPart3まで放送されていて、

すべてを集中して観ていたから、

目の前に山田太一がいる状況に、ただただ驚いた。
  
まだ何者でもない学生の

「中井貴一のお兄さん役(小林薫)は、なぜ変わったんですか?」

という好奇心だけの薄っぺらい質問にも、
ひとつひとつ、丁寧に、言葉を選ぶような口調で答えてくださった。

途中で森川先生から

「これから仕事をしていく上で、もっと役立つような他の質問をしろよ」と

嗜められた記憶がある。
      
社会人になり、十数年が経ち、

新入社員の頃から行きつけの店に小林薫さんが常連で来るようになった。
ある日、隣の席になったので、

その話をしたら懐かしがられて、盛り上がった。

 
役者に、自分の脚本のセリフを一言も変えさせないというのは、

信念のいることで、すごい熱量がさせることだとも思う。
テレビが面白かった時代をつくった一人であるのは間違いない。

 

心より、ご冥福をお祈りします。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

社長自らトラックを運転して、Xマスツリーを運搬してきた

  

原材料・燃料・電気代の高騰、

さらに円安で、会社経営では、

徹底的な経費節減が求められています。

 

しかし、

弊社のような仕事において、

ギリギリの心では、

面白い企画は生まれません。

   

そのため、

根付きのクリスマスツリーを飾るために、

今年も、社長自らトラックを11時間ほど運転して、

東京、埼玉、長野を抜けて、群馬県嬬恋村から

「朝掘りの根付きモミの木」を調達して来ました。

   

一部は、もう雪道でした。 

 

    

現地調達することで、モミの木の価格自体は、

東京での市価の半額以下になるのですが、

レンタカー代、高速料金、ガソリン代、人件費を考えると、

東京で買った方がコスパは良い…

  

それでも、毎年、現地調達をするのは、

オフィスに入るサイズで、

根付きのツリーは滅多にないからです。

エアコンの付いているオフィスでは

根付きの方が葉が落ちず、圧倒的に元気です。

   

嬬恋村と言えば、

「キャベツ畑の中心で妻に愛を叫ぶ(キャベチュー)」

という破壊力の大きいイベントで有名です。

昨年、今年と耳を澄ましてみましたが、

カーカーとカラスが叫んでいるだけで、

人間は誰も叫んでいませんでした。

愛はどこへ。

  

予約していた朝堀のモミの木が待っていました。

右端のものが良かったのですが、

4mあり、オフィスに入らない…

その前に、乗って来たトラックにも入らないので諦めることに… 

 

今年のレンタルトラックは、

出発直前にタイヤが釘を踏んでいることが見つかり、

急遽、車両が変更になり、出発が遅れました。

誰も気づかずに乗って、高速でバーストしていたら、

このブログを書くことはできませんでした。 

生と死は紙一重ですね。

  

そのカーナビが昨年とは全然違う山道を示し、

直感が「その通りに行ってみたい」と言うので、

従うと、「中央分水嶺」に出ました。

この地点から右に雨水が流れると太平洋側に。

左に流れると日本海側に流れるという

日本海と太平洋が紙一重の場所へ。

    

 

先日、EV車だらけのJAPANモビリティショーへ行きましたが、

道中、電力供給問題について考えさせられる光景に…

阿蘇山での太陽光パネルの大規模設置が問題になっていますが、

小規模でも…

 

 

難しい問題を考えていたら、

お腹が空いたので立ち寄った道の駅は、

大相撲史上最強の力士

「雷電爲右エ門」の出身地でした。

 

現役21年間で、

通算成績254勝10敗。

勝率.962  

  

江戸時代に身長197cm

体重188kg

 

等身大の銅像があり、

お触れ書きには

「触ると勝負運に恵まれる」と

記されていたので、

触るだけではなく、抱きついて来ました。

さすがは最強力士。

ビクともしませんでした。 

 

  

カーナビの誤作動のおかげで、

いろいろな初体験ができた今年。

オフィスに戻ると、Xマスの飾り付けがされており、

 

植木屋さんが待機しており、

すぐにツリーが移植され、飾り付けされました。

社員全員が木の下にプレゼントを置いて、一気にクリスマス仕様に。

17では、Xmasになったらプレゼント交換をします。

 

夢とか希望は、

夢を見ることを忘れた

大人にこそ必要です。

クリスマスツリーを飾ることで、

その重要性を思い出すことができます。

         

昨今、企業を幸せにするマーケティングが

重要視されていますが、

世の中が住みにくくなったと感じるのは、

企業だけの幸せを追求し、

世の中の幸せを先に考えないから、

「企業」と「世の中」が

離れて行ってしまうのではないでしょうか。 

  

本物のサンタクロースさん、

今年は必ず来てくださいね!

 

今年の17は、

昨年よりも、全員が良い仕事をして、

日本経済と社会に

役立つことができたと思います。 

   

社員一同、お待ちしております!

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   

   

  

   

  

胡蝶蘭のような生き方

    

有り難いことに、

17の創業記念日に、

ファレノプシス、俗称「胡蝶蘭」を頂きました。 

    

花言葉は「幸福が飛んでくる」。 
鉢植えには「根付く」という意味もあるため、

「幸福が根付く」という縁起ものだそうです。

    

胡蝶蘭を育ててみると、

しばし、その生き様に感動します。

 

まず、

手入れは1週間から10日に1度で良いのに、

花が2ヶ月ほど長持ちします。

とてもタフガイです。

 

そして、前夜まで生き生きと咲いていたのに、

翌朝には、シワシワになって花が落ちているのです。

すべての花が人知れず、最期を迎えます。

去り際の美学を持っています。

    

胡蝶蘭は、ギリギリまで命を燃やして、

自分の生を全うしています。

矢吹ジョーのようです。 

  

メラメラと燃えていたかと思えば、

スッといなくなる。

胡蝶蘭のような生き様でありたい。 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 

17(ジュウナナ)は14年目へ

  

2010年11月17日に

創業した「株式会社17」は、

おかげさまで、

本日から14年目となります。

 

1つの仕事もないまま創業して、

4ヶ月目には東日本大震災が起こり、

すべての広告制作が止まりました。

テレビCMは、ACだらけになりました。

弊社も大打撃を受けました。

   

その頃、義理の父が亡くなり、

通夜の寝ずの番をしている時に、

普段はほとんど会話をしない

外科医の義弟が話しかけてきました。 

 

「長時間の手術が終わって帰宅して、

 テレビをつけてボーッと見たり、

 笑っていた時間が

 いかに自分の生活の中で

 大切だったかが、わかりました。

 ACの正論ばかりのCMだけを見せられるていると、

 息が詰まりそうになります…

 お兄さん、

 テレビにはCMが必要だったんですね。

 おもしろいCMをつくってくださいね」 

  

「それ、日本中の企業に聞かせてやってよ!」

と言いたかったのですが、

「わかった。おもしろいCMしかつくらないよ」

と答えました。 

 

広告は企業のもの。

しかし、世の中に出たら、

社会の一部にもなります。

だから、

広告は商業芸術であるべきです。 

 

生活の中に広告がある幸せをかみしめて、   

偉大な師匠、先輩たちから教えられたことを

これからも実践していきます。

 

何よりも、広告の企画制作の仕事は

楽しくて仕方ありません。

 

これからも17を、

よろしくお願い申し上げます。