カナダ政府の外相が、サウジアラビアの人権にかかわる問題を非難したことにより両国の緊張が高まっている。

 

 サウジアラビア政府は、カナダに留学しているサウジアラビアの学生をすべて帰国もしくは他の国への留学へ切り替える措置をしているという。

 

 それに対してカナダ政府も語調を弱めることなく、当初の立場を一貫している。

 

 サウジアラビアは、イスラム教スンニ派の国である。イスラムの戒律に厳格で、宗教の聖典であるコーランに即した法体系を維持している。イスラム教では、女性は肌を見せてはならないなどの規則がある。そうした傾向から、女性の人権が男性よりも著しく制限されているのは客観的事実である。

 

 これを「良い」とみるか、「悪い」と見るかは、個々人の社会的、文化的、家庭的違い、あるいは個性にもよるのであまり意味はない。

 

 蛇足ながら筆者の個人的主観を述べるならば、これは当然「悪いこと」であり、女性はすべからく男性と対等であるべき(主観意見)というものになる。しかしこれは、筆者の個人的な主観意見なので、ここでは特に重要ではない。

 

 重要なのはあいも変わらず「客観的事実」であり、これを見ていくことがこのブログの目的である。

 

 こうした宗教的な戒律を理由に女性の人権を制限しているサウジアラビアを非難しているカナダという国は、世界でも屈指の、自称ではあるが、「人権大国」であり、カナダ人の大半を占める人々がいわゆる「リベラル」と呼ばれる人権派である。

 

 だいぶ昔の記事でも書いたが、筆者はこういうカナダ人を、さしずめ「正義の味方カナディアン」と呼んだりしている。

 

 この自称ではあるが、正義の味方、人権の守護神の国、カナダはどういう国なのか。客観的な実態としてどういう国かというと、北米に住む原住民、アメリカンインディアン(ネイティブアメリカンともいう)という人種に対して、隣国のアメリカや南半球のオーストラリア、中南米のラテンアメリカ諸国と同様、苛烈なまでの差別をしている。

 

 もちろん、公式には差別はないし、社会保障手当も支給しているが、実態をこの目でみた筆者からすればとんでもないペテンである。

 

 まず、先住民にはつける仕事がほぼない。教育レベルも極端に低い。カナダ北部には先住民居住区があるが、そこに住む女性などは、性的ハラスメントはもちろん、強姦されたり殺害されたりすることが日常茶飯事である。しかも、これは公にはされていないが、ほとんどが現地に駐在する白人警察官によってなされているので犯人が捕まる見込みがまずない。調査すらされないことがほとんどである。とある州では州議会でこのことに関する調査を州政府が拒否するほどである。やばすぎて手をつけられないというのが実態である。

 

 一例をあげると、後ろ手に縛られて後頭部から頭を撃ち抜かれた女性が、「自殺」として処理されるなど当たり前のことである。

 

 ここで読者に注意願いたいのは、筆者は現在、主観的に判断、つまり裁いているわけではなく、客観的事実を述べているにすぎない。ただ、カナダは実態としてこういう国であると紹介しているだけで、それを善悪の視点で判断するのは個々人に関わる話である。私がここでとやかくいうことではない。

 

 ここで客観的に言えることは、人権問題で批判されるサウジアラビアも、批判しているカナダも、共に、人権に関しては深い深い闇を抱えた国であるということである。どちらが良くてどちらが悪いという話はここでは一切していない。

 

 読者の方々はこれをどうご覧になるであろうか。

 

 今回もお読みいただき、ありがとうございます。

 

 初めての方は、このブログを通して貫く基本概念である主観と客観との違いについての説明をしている以下の記事をご覧ください。

 

 主観と客観

 客観についての補足

 外国人には思い遣りがガチでないという事実

 優しさ(主観的)と思いやり(客観的)

 二種類の「正しさ」

 日本の常識は世界の非常識、日本の非常識は世界の常識