• 14 Oct
    • 憲法守って国滅ぶか、憲法変えて命(国)を守るか

       前回のブログでも話した内容について、ポイントをさらに明確にしたい。  簡単な話である。現行憲法9条には明確に「いかなる理由であっても国の交戦権を認めない」と書いてあり、そうである以上、国民の生命や財産、領土というものは外国に侵略されることで殺されたり奪われたり、危険にさらされることになる。  憲法9条を何が何でも守りたいという人は、この国民の生命や財産、領土よりも憲法9条が大切ということである。  つまり、憲法9条を守るか、国民の生命財産、領土を守るかという二者択一の話なのである。主観的にどちらを優先するかの話である。   憲法守って国滅ぼすか、憲法変えて国を守るか  戦後72年経っても未だ答えが出ず、憲法の解釈を変えたり、アメリカ軍の駐留などでごまかし続けて小手先の対応を繰り返している日本。  国家の根幹に関わる問題を曖昧にし続けることで、子供達にどういう影響を及ぼしているのか。また、世界にどういう印象を与えているのか。  今回もお読みいただき、ありがとうございます。  初めての方は、このブログを通して貫く基本概念である主観と客観との違いについての説明をしている以下の記事をご覧ください。  主観と客観 客観についての補足 外国人には思い遣りがガチでないという事実 優しさ(主観的)と思いやり(客観的) 二種類の「正しさ」 日本の常識は世界の非常識、日本の非常識は世界の常識 国際政治・外交 ブログランキングへ 

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  • 13 Oct
    • 政治の基本は優先順位の付け方

       昨日に続いて、憲法9条改正の問題を例にしながら政治の基本について話したい。  政治とは、すべからく主観的判断をすることである。もちろん、判断した後は実行される。実権がない場合(野党の立場など)では、主観的判断意見を主張することで終わる。  主観である以上、好き嫌いから始まる感情的な要素、個人的な価値観などが色濃くその政策に反映されることになる。だいぶ以前に書いた例としては、人によって医療問題が最重要となり、また違う人には教育問題が最優先課題となる。安全保障がトップの課題にくる場合もあるであろう。これらの判断は、完全に個人がどう「主観的に判断するか」に左右される話である。  今更ながら、大野伴睦の言った、「政治は所詮好き嫌い」と言う言葉が思い出される。  さて、政治。上記のことを考えれば、政治の基本とは、どの問題を優先するかに尽きてくる。もちろん、一つの問題をどのように処理するか(実行方法)という側面もある。例えば、景気を活性化させるために、財政政策を実行する場合、減税するのか、公共事業などの財政出動をするのかなどの判断がこの「実行方法」のカテゴリーに入る。  しかしその前に、最も大事なのは、「どの問題を優先するか」であり、さらに言うと、「何を優先するか」と言うことになる。  ここで憲法9条の話をすると、憲法9条を厳守することは、すなわち国民の生命、財産、及び国の領土などが外国の侵略で侵されても「抵抗せず放置する」ことになる。「国の交戦権はこれを認めない」と明確に書いてある以上、動かしがたい話である。これを解釈でなんとかごまかしてきたのがこれまでの経緯だが、この憲法を字のごとく読めば、誰が何を言おうと、「敵が攻めてきたら話し合って、それが無理なら、殺されましょう」と書いてあるのである。前回も書いたが、これをごましてしまったら、一切の建設的な話ができない。  つまり、ここでわかるのは、憲法9条を遵守する人たち(日本共産党、社民党、立憲民主党)にとっては、国民の生命、財産、国家の領土よりも、「憲法9条」がより重要な優先事項であるということになる。平たく言うと、憲法9条の条文の方が、国民の命よりも上だと言うことである。  国民の命の方がより重要であるならば、憲法は当然その概念に沿った形で記述されることになる。例えば、「国家の領土、国民の生命財産を保護することは国家の義務である」など、まあ、書き方は色々になるとは思うが。  そうなれば、それに従って国防軍も整備されることになる。当たり前の話である。  現在日本は、シナ(中華人民共和国と自称する国)と、南北朝鮮(韓国と北朝鮮)という、日本を明確に敵視する政策を実行している国に囲まれている。残念ながら友好国に囲まれてはいない。アメリカと同盟は結んでいるが、同盟国といえども外国であり、今後もずっと友好的であるという保証はない。そんな中で防衛権を丸々放棄するような憲法を後生大事に敗戦後ずっと抱えてきている。  ご存知のように安倍総理をはじめ様々な政治家が改憲を試みるが、政権与党に食い込んでいる公明党はもちろん、立憲民主党、日本共産党、社民党など、死に物狂いで現行憲法を死守すると公言している政党が多く、またマスメディアや教職者の中にはびこるサヨク思想信奉者の根強い抵抗によって改憲は未だに実現されずにいる。  これはこれで政治的状況なので客観的に見るべきであるが、ここで国民がしっかりと理解をしなければいけないのは、こうした護憲勢力の政治的優先事項は、あくまでも憲法9条であり、領土や国民の生命は「それよりも重要度が低い」ということである。つまり、前回も書いたように、国民が殺されようが領土が奪われようが、あくまでも守るべきは憲法9条であるというのが、彼らの政治的主張であるということである。  つまり、サヨク政党の人々にとっては、外国の侵略によって国民が虐殺されて、領土が全て奪われても、憲法9条が残ればそれで良いということである。            憲法守って国滅ぶ   それでもなお、憲法9条を守ろうという勢力が、今回の選挙で、立憲民主党、日本共産党、社民党などから立候補している。これはあくまでも客観的な事実である。  この事実を知った上で、どう判断するかは、全て国民の手に委ねられる。それが民主主義国である。選挙結果が待たれる。  今回もお読みいただき、ありがとうございます。  初めての方は、このブログを通して貫く基本概念である主観と客観との違いについての説明をしている以下の記事をご覧ください。  主観と客観 客観についての補足 外国人には思い遣りがガチでないという事実 優しさ(主観的)と思いやり(客観的) 二種類の「正しさ」 日本の常識は世界の非常識、日本の非常識は世界の常識 国際政治・外交 ブログランキングへ 

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  • 12 Oct
    • 左の政党(立憲民主、共産、社民)が「卑怯」と言われる理由

       もちろん全ての人が言っているわけではないが、昔から言われていることに、「左翼系の政党や言論人は卑怯だ」というものがある。その理由は、憲法9条を守れというのだが、「もし敵が攻め込んできたらどうするのだ」という質問には一切答えず逃げ続けているためだ。  森永卓郎のように、「殺されちゃえばいいじゃないか」というと次の選挙でやばいと思うのか、それはさすがに言わない。しかし、これは実に不思議な話である。  憲法9条を守り続ける限り、いかなる交戦権も認めないわけであるからどんな状況下においても全ての正当防衛が違憲となる。つまり、現行憲法下では、字のごとく従えば、何があっても殺されなければならない。  筆者常にいうように、全ての政治的見解は意見であり主観であるので、全てが許容されるべきであると考えている。そうしなければ多様な意見が許容されず、いわゆるファシズムの世界になってしまうからである。言論統制を行うシナや南北朝鮮のような状況になる。意見は意見である限りどんなものもその表現が許容されなければならない。それゆえ、「憲法9条を死守しろ」という意見も、筆者は到底受け入れることはできないながらも、「そういう意見もありうる」という立場だけは維持してきた。そうしなければ互いに互いを尊重し合う多様性の社会は実現しないからである。  しかし、これも常に言うように、一方で「客観的事実を否定することはできない」と言う原則もある。つまり、  1. 全て意見は主観であり、主観は個人に属するゆえに存在することは許容される。 2. 客観的事実は万人に属するものであり、これは意見に左右されず公平に観察される。 この二つの原則が両立するわけである。  この視点からすると、現在の左翼諸君は非常に曖昧かついい加減であるとの誹りを免れない。いや、「卑怯」と言われても仕方ないのである。何故ならば、  憲法9条を守ることで敵国から攻められても防御することができない。したがって敵が攻めきたら領土も黙って奪い取られ、国民も黙って殺されなければならない。とにかく話し合いを要求し、それが通らなければ、強姦されても殺されても盗まれても一切何も抵抗しない。これこそが憲法9条を死守することの真価である。国民の生命も財産も領土も全て奪い去られ殺し尽くされても、憲法9条だけは断固として死守するのだ!全ての国民が死に絶えて、領土が全て奪い取られても、憲法9条だけは断固として守りきるのだ!  このように言うことこそ、正々堂々たる左翼諸君の態度ではなかろうか。憲法9条を守ると言うことは実にこう言うことに他ならないのである。その部分を全てうやむやにごまかして憲法9条を守れと怒鳴り続けるのは、いささか卑怯であると思われても致し方ないことである。  筆者は何度も言うように、いかなる意見も、賛成できなくてもその存在を認める。そうしなければ、民主主義とは言えないからだ。それだけは守るべき原則なのである。だからこそ、己の意見を言うときは、全てを明確に明晰にして、堂々と主張するべきだと考えている。森友や加計の問題で嘘をわかった上で薄汚く追求していることこそ、誠実さを欠く行為であり、また、憲法9条を守ることの結末を隠すのも、実に卑怯極まりない行為であろう。自分の意見に自信があるのなら、正々堂々と上記の主張をするべきなのである。  それでも投票してくれる人がいるなら、彼らも当選するであろうし、騙してすかして当選するよりも、よほど選良としての素質にかなうと思うのは筆者だけであろうか。  ちなみに蛇足ではあるが、「卑怯」は大陸半島の儒教文化の特質であり、「正々堂々」は大和魂の特質である。この両者は明確に別れる。  今回もお読みいただき、ありがとうございます。  初めての方は、このブログを通して貫く基本概念である主観と客観との違いについての説明をしている以下の記事をご覧ください。  主観と客観 客観についての補足 外国人には思い遣りがガチでないという事実 優しさ(主観的)と思いやり(客観的) 二種類の「正しさ」 日本の常識は世界の非常識、日本の非常識は世界の常識 国際政治・外交 ブログランキングへ 

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  • 11 Oct
    • 消費増税について

       このブログの目的は、正義(主観)ではなく公平(客観)を求めて、というところにある。ということで、主観的な好き嫌いは置いておいて物事を客観的に公平に見ていきたい。  筆者は主観的に安倍政権を支持している。もちろん是々非々で、南朝鮮の前の大統領と結んだ日韓合意など、慰安婦問題をより複雑に取り返しのつかない方向に持っていたこととして一切評価していない。オバマのアメリカの強烈な圧力があったことはわかるが、だからと言ってそれを認めることはやはりできない。  このように賛成できることとできないこととは別れるが、とりあえず大筋においては、外交及び経済の政策で国益に沿った政策を実行していると「判断」している。  しかしながら、であるが、今回の選挙で消費増税を前面に押し出したことははっきり言って大きなミスであると考えている。デフレから抜けていない日本で消費増税などはもってのほか、打つべき政策は消費減税である。8%から3%くらいへ下げることが、日本の景気回復への必要な政策であり、増税などはありえない。もちろん筆者は増税が何が何でもダメという立場では全くなく、景気が加熱しすぎてインフレ傾向が強すぎる状況なら、景気を一度冷やすために増税もありうると考えている。要は、必要な政策はなんなのかということなのである。  上げっぱなしも下げっぱなしもありえない話である。  そういう客観的な分析からすると、今回の安倍総理の増税確約路線は非常にまずい。あくまでも財務官僚を適当にあしらうための演技だとしても、マイナスの印象は免れない。以前も書いたが、安倍総理の周囲には、財務省の飼い犬みたいな政治家も多いし、また財務省からの直の圧力もある。それを考えれば、希望やら共産のように無責任になんでも言える状況にないことは間違いない。しかし、だからと言って、今回の増税確約公約はあまりにもひどいというのが筆者の分析である。  もちろん、国民の大多数は消費増税の意味もわからないし、関心もない人が多いので、それほど気にする必要はないという意見もあるはある。しかしやはり、明らかに日本経済を破壊する政策を前面に押し出すのは、如何なものかと思われる。高橋洋一氏や藤井聡氏というブレーンの意見をきちんと取り入れていれば、こうした話にはならないはずであるが、首相の周囲では一体何があったのか。  今回もお読みいただき、ありがとうございます。  初めての方は、このブログを通して貫く基本概念である主観と客観との違いについての説明をしている以下の記事をご覧ください。  主観と客観 客観についての補足 外国人には思い遣りがガチでないという事実 優しさ(主観的)と思いやり(客観的) 二種類の「正しさ」 日本の常識は世界の非常識、日本の非常識は世界の常識 国際政治・外交 ブログランキングへ 

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    • 思想信条を選挙のために即座に変更する希望の党、立憲民主党の議員たち

       各方面から既に問題視する声が上がっているので目新しい話題ではないが、今回の総選挙で解体した民進党の議員たち。彼らの一方は希望の党へ、一方は立憲民主党へ、また少数は無所属として今回の選挙の臨んでいる。この際、彼らはこれまでの信念や思想信条を全て180度変更した、あるいはしようとした。  具体的にいうと、希望の党へ流れた議員たちは、2年前にあれほどまでに騒ぎまくった安保法制にあっさりと賛成。何が何でも阻止すると息巻いて国会前で新左翼系の若者たちとマイクを握っていた細野豪志は、とっとと泥舟(民進党)から逃げ出し、後から来た逃げて来た議員に「安保法制に反対という議員は入党できない」と、したり顔。まさしく、支那大陸、朝鮮半島でよく見る顔をテレビにさらけ出していた。前原誠司も含め、大陸半島の主要文化である儒教文化を信奉する人たちの本当の顔である。  また立憲民主党、今でこそ再度安保法制反対などと騒いでいるが、つい先日、前原誠司が解党、希望の党への合流を決めた時、安保の問題には一切触れず全会一致で可決した。その後、入れてもらえないという話なって慌てて新党を設立し、再度、「安保法制反対」を叫んでいる。  選挙に勝つならなんでもあり、「命をかけて阻止する」という言葉もあっさりと撤回される。  まさに、節も何もない、なんでもありの人たちである。利益のためなら恥すら感じない。主観性の度合いの高い人たちに見られる傾向でもある。  こういう人たちに、国政、つまりは国の運命を託せるというのであろうか。こういう人たちに投票する人たちは、何を考えて投票するのであろうか。極めて心理学的、また社会学的に研究対象となりうる話である。  政治はすべからく主観的な話である。だから色々な信条があるし、それが認められるのが民主国家である。そういう意味で、憲法9条を死守しろという「意見」も、どれほど非合理的でまた国際情勢の実態にそぐわないとしても、存在はできる。それを選ぶのは個々人の価値判断だからである。  しかしだからこそ、思想信条というのはそう簡単に変わるものではありえない。無論、勘違いからAという信念を持っていたが、ある時に新しく新事実を知ることでBという信念に変えるということは大いにありうる。これは当然で、責められることではない。しかし、今回の旧民進党系の議員の「変節(思想を変えること)」騒ぎは、熟慮の結果でもなんでもなく、単に、「どうやったら選挙に勝って議員を続けられそうなのか」という利益打算でしかない。「節を守る」という倫理感は一切ない。だからこそ、立憲民主党の議員は、一度賛成に変節、またすぐに反対に変節という、小学生でも恥ずかしがってやらないようなことを、国政を決める選挙という場で恥も外聞もなくやってのけているのである。  そういう人たちが、希望の党、立憲民主党、無所属の候補者の中にいる。  読者の皆様はどう考えられるか。  今回もお読みいただき、ありがとうございます。  初めての方は、このブログを通して貫く基本概念である主観と客観との違いについての説明をしている以下の記事をご覧ください。  主観と客観 客観についての補足 外国人には思い遣りがガチでないという事実 優しさ(主観的)と思いやり(客観的) 二種類の「正しさ」 日本の常識は世界の非常識、日本の非常識は世界の常識 国際政治・外交 ブログランキングへ 

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  • 10 Oct
    • 完全に終了しているモリカケ問題で安倍政権を批判する空気を作る野党とマスコミ

       平成29年7月25日、国会閉会中に開かれた予算委員会で、安倍総理、愛媛県元知事、売春宿に入り浸っていて文科省をクビになり、さらには安倍総理を厳しく批判している元文科省事務次官の前川氏などが全て集まって、また関係する官僚なども集まって加計学園の問題で徹底的に審議が行われ、その結果、安倍総理が忖度しただの何だのという話は完全に架空のデタラメであったことが客観的に証明された。  しかし、NHKや朝日新聞、毎日新聞や民放各局はこの話を意図的に客観的に報道せず、つまりは国民にしっかり理解できるように報道せず、今回の衆議院選挙で意図的にこの問題をほじくり返し、「あたかも未だに疑惑が残っている」かのように報道を繰り返し、日本共産党や立憲民主党、及び社民党、希望の党などと協力しながら国民の間にデマを流し続けている。デマとはつまり、嘘のことである。  この、客観的事実を意図的に隠し、あるいは歪曲し、あるいは捻じ曲げて印象操作をすることを総じて、「プロパガンダ」と呼ぶ。  森友学園の問題はとうの昔に終了し、すでに問題は検察の手に渡っている。無論、安倍総理は個人的に何の関係もなかった話でそれも明白である。加計学園の忖度の問題も同様に安倍総理が何にも関係ない話で、通常の許認可にか関わる話であったことがすでに100%明白であることは、上記のとおりである。  ところが、マスメディアは、今回の選挙の報道で、安倍政権に打撃を与えたいという「主観的な目的」のために、わざと意図的に、「客観的事実」を隠蔽したり歪曲して報道することで国民の印象を操作している。安倍総理を討論会や質問などでテレビの前に立たせた時は、必ずこの問題で追求する。すでに無罪がはっきりと証明されているにもかかわらず、その無罪を隠し、あたかも未だに問題が残っているように印象付けながらである。こういうマスメディアや野党の一連の行為のことを、「恥知らず」と、日本では呼ぶ。  こういうことをするのが、儒教文化的精神なのである。本来の日本文化の源流である大和魂にはない精神構造である。  目的のためなら手段を選ばず、事実を隠蔽したり歪曲したりして相手を潰すのは、まさにシナ大陸や朝鮮半島で日常的に見られる手法である。これはあくまでも客観的事実である。南京虐殺や慰安婦の強制連行の嘘のでっち上げを見れば明白な客観的事実である。  日本の、マスメディア、小中高大の教職員、野党などにこういう輩が多いというのは、本当に戦後日本の特徴の一つである。   筆者がこのブログを通してなんども言っているのは、意見の違いは当然であるしそれはそれでお互いに尊重するべきであり、ましてや政治は主観的な事項ばかりの話なので意見が違うのは仕方ないが、だからこそここで守るべきルールは、客観的事実の尊重であるということである。嘘がまかり通るようでは、全ての意見が完全に空虚なものになるからである。嘘を根拠にした意見になんの意味があるであろうか。事実を根拠にした上で意見というものは形成されるのである。  国民には常に客観的に事実を分析し観察する力が求められる。でなければやがて国が滅ぶであろう。  今回もお読みいただき、ありがとうございます。  初めての方は、このブログを通して貫く基本概念である主観と客観との違いについての説明をしている以下の記事をご覧ください。  主観と客観 客観についての補足 外国人には思い遣りがガチでないという事実 優しさ(主観的)と思いやり(客観的) 二種類の「正しさ」 日本の常識は世界の非常識、日本の非常識は世界の常識 国際政治・外交 ブログランキングへ 

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  • 09 Oct
    • ユリノミクスって......本気で言っているのか?

       選挙をめぐる各党のあまりのレベルの低さに触れることすら躊躇していたが、最近、希望の党という選挙のために急遽設立された国政政党(?)の党首である小池百合子氏がテレビで自分の口から「ユリノミクス」と言っているのを見て思わず唖然とした。  これについて突っ込む人はいないのかと思っていたら案の定、青山繁晴氏が虎ノ門ニュースで突っ込んでいて少しホッとした。  これは、アベノミクスに対抗するために作った言葉であることはよくわかるが、これを自分で言ってしまうところがこの小池という人間の人間性をよく表している。  アベノミクスという言葉は、2012年12月26日に第二次安倍政権が発足してから金融政策を中心に大幅な改革を行ったことから一部の専門家が作った言葉として広がったのであって、安倍総理が最初から自分で作って言っていた言葉ではない。アベノミクスは簡単にいうと日銀の人事に改革の手を入れ、金融の量的緩和を行ったことを中心とする経済政策を指す言葉である。  しかも、これら一連の安倍政権の経済政策が一定の効果を表したことから専門家の間で使われ始めたのであって、政権を取る前、あるいは実態がない状況からこの言葉があったわけではない。  政権もとっていない、政策も行なっていない、成果も何も上がっていない状況で、自分の口で「ユリノミクス」と言っているのを、昨日の党首討論で突っ込んでいる人がいなかったことそのものが「異常」であろう。「お前、本気でそれ言ってんのか?」という感覚を持った人がいなかったことがむしろ恐ろしい。  早い話が消費増税の凍結だけであるが、そんなことはマクロ経済の知識がある人には当たり前の話であり、むしろ今回、安倍総理が財務省やら党内の財務省の言いなりの族議員やらとの調整があるとはいえこの問題を争点の一つにしたことこそ問題なのだが。  ただ、筆者が安倍総理の本音が別のところにあると推定する理由は、安倍総理の周囲には高橋洋一氏や藤井聡氏など、消費増税に反対する専門家ブレーンがいることを知っているからである。なんどもいうが、安倍総理も党内やら財務省やらという足を引っ張る多くの人間をも相手にしなければいけないということを見逃すことはできない。  選挙に勝つためだけの政党がいくつか新しく乱立し、その政党の党首が自らなんの実績もまた権限もないうちに自分の名前にちなんだ「ユリノミクス」という言葉を意図的にはやらせている。  なんともお寒い状況である。  今回は政治の話なので、主観的な観点から話をした。  今回もお読みいただき、ありがとうございます。  初めての方は、このブログを通して貫く基本概念である主観と客観との違いについての説明をしている以下の記事をご覧ください。  主観と客観 客観についての補足 外国人には思い遣りがガチでないという事実 優しさ(主観的)と思いやり(客観的) 二種類の「正しさ」 日本の常識は世界の非常識、日本の非常識は世界の常識 国際政治・外交 ブログランキングへ 

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  • 08 Oct
    • 独裁の発展途上国、民主主義の先進国

       住む人々の主観性の度合いが高ければ高いほど、経済は発展せず、治安は悪く、政治体制は独裁制になる。筆者が長年世界の情勢を客観的に観察してきて到達した結論である。  その主観性の高さは個々人の個性によるというよりも、主に文化的要素によって決まるのである。文化とは長い時間をかけて蓄積され、形成されてきたものであるがゆえに一朝一夕では変えられない。  そのため、表向きは一朝一夕に変えられる政治制度を民主的なものにしても、結局は文化的な要因で独裁体制となる。中南米やアフリカの多くの国が表面的には民主的な制度(議会制、大統領制)などを採用していても、実質的には見事なまでに独裁制であることからも、そのことは明白である。  ベナンなどでも大統領制であるが、大統領が気に入らない人間は簡単に投獄される。これはベナン人から何度も聞いた話である。アルジェリアやチュニジアでも同様であり、中央アジア諸国もみごと独裁的である。東南アジアでもやはり独裁色の強い政府が立ち並んでおり、一見民主的に見える南朝鮮(韓国)も、大統領の権限が強大すぎて、利権関係の腐敗が後をたたない。政府が見事なまでに腐敗するのも、発展途上国の特徴なのである。賄賂を渡さなければ通常の事務手続きすらままならないのは、シナでもアフリカでも南米でも中東でも東欧でも普通に見られることなのである。  ではなぜ、人々の主観性の度合いが高ければ高いほどその国の政治は独裁になるのか。  人間はすべからく主観的な生き物であり、その結果好き嫌いがある。これは当然でこれを否定しては人間として生きていくことはできない。好きなものを食べ、嫌いな仕事を避け、好きな異性(同性)と付き合い、という具合に人間は主観的に行動して生きているし、それは当たり前であり、必要なことである。  しかしながら、もしこれを仕事の全ての場面、ありとあらゆる場面で完全に優先させたならばどうなるか。  簡単な話で、公共の秩序や利益というものが後ろに追いやられるのである。秩序よりも主観的気持ちが優先されれば、シナのように法律が存在しない状況となり、南朝鮮のように賄賂政治が横行することになる。南米、中東、アフリカ、東欧、東南アジア、中央アジアも同様である。殺したければ殺し、盗みたければ盗み、強姦したければ強姦するという状況が、社会の随所に見られるようになる。そのため、治安は極度に悪化する。それを見事に証明しているのが、上記の発展途上国の治安の悪さである。  好きか嫌いかを基準に動くので、才能も能力も正当に評価をされることがなくなり、その結果社会の発展は停滞する。  発展途上国の政治が大方独裁体制になるのは、庶民から金持ちまで、全てがこうした「主観性最優先」の法則で動いているからである。力の強いものが自分の好きなように振る舞い、反対者を弾圧するのが当然の社会では、独裁が横行するのは当然の結末である。  他方、日本、アメリカ、イギリス、ドイツ、フランス、カナダという先進国では、議院内閣制や大統領制といった民主制度が実質的に機能しているし、治安も比較的安定し、汚職腐敗はあるものの発展途上国のそれと比べると比較にならないほど軽い。もちろん、構造的に利権がうまく政治家に流れるようになっている場合もあるが、とりあえずは直接的な賄賂が横行することはまずありえない。  しかし、一方で、日本には世界ではあまり見られないような「ブラック企業」体質や「パワハラ」体質というものが見られる。客観性を重んじながらも主観性の度合いの高い儒教文化を取り入れることで世界でも見られない独特の暗い部分を社会に内包することになっているのである。  南米やアフリカなどの発展途上国で自殺があまりなく、治安も経済も最悪なのにもかかわらず人々が陽気に生きているのは、主観性を重んじて自由気ままに生きているからである。日本人は主観性を過剰に抑圧することで、そのマイナスエネルギーがブラック企業やパワハラという形で噴き出してきているのである。そしてその結果が自殺の多さやいじめの多さにつながっている。対人恐怖症も日本独特の病気であることはそのことを物語ってもいる。日本人の幸福度が、荒れ果てた社会に生きる発展途上国の人々よりもはるかに低いのは、そうした要因にもよるのである。  情勢を客観的に分析することで、人々が穏やかに楽しく暮らせる社会というものはどういうものなのかが見えてくる。日本人はもっと自分の気持ち(主観)を大切にして生きていくことが求められるであろうし、無理に自分の気持ち(主観)を抑圧するのではなく、好きなことを生き生きと追求するべきであるというのが、筆者の主観的な意見である。そしてそうすることで、「他者に犠牲を強制する」ようなブラック企業体質、パワハラ体質、いじめ体質も解消に向かうと分析される。  ようはバランスの問題である。日本は、「好き嫌い」という主観的な気持ちをより肯定しながら、「思いやり」という日本独自の文化を大切にすることで、世界に文化モデルを提示できる国となるのではないかというのが、筆者の意見である。  読者の方々はどう思われるか。  今回もお読みいただき、ありがとうございます。  初めての方は、このブログを通して貫く基本概念である主観と客観との違いについての説明をしている以下の記事をご覧ください。  主観と客観 客観についての補足 外国人には思い遣りがガチでないという事実 優しさ(主観的)と思いやり(客観的) 二種類の「正しさ」 日本の常識は世界の非常識、日本の非常識は世界の常識 国際政治・外交 ブログランキングへ 

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  • 03 Oct
    • 沖縄独立という人たちの主張内容について

       先回の話題に続いて、世界各地で盛り上がっている民族独立運動に関連して、今回は琉球(沖縄)独立を叫ぶ人たちの問題について客観的に分析したい。主観的な好き嫌いからではなく、あくまでも客観的な観察と分析である。  琉球は、法的にも文化的にも日本の一部である。これは単に客観的な話であって良い悪いの話ではない。だが歴史的に見ると、長い歴史において、日本の中央政権(大和朝廷)の権力の及ぶ地域であったとはいえない。長い間、琉球王朝が統治していた。しかし江戸時代のある時期から薩摩の島津家が琉球を武力で制圧し、さらには明治維新後の琉球処分により正式に日本国に組み込まれた。  この時、琉球の人々がこの結果によって幸せだったか不幸せだったかという話はここではしないが、様々な研究によると、比較的琉球の人々は琉球王朝の消滅によって様々な場面で幸せを感じていたという報告もあるが、左翼系の人々は真っ向反対の話をするので、ここではそれについては特に焦点を当てない。  ちなみにいうと北海道もまた、歴史的に見るとそれほど長く日本の中央政権の支配を受けていたわけではないが、現在ではまごうことなき日本の領土である。  兎にも角にも、地理的に本土から離れているため、またシナ大陸との交流もあったことから、言語学的に、また民族学的(遺伝子的)に日本人であっても、長い歴史のなかで、日本の他の地域と大きく異なる独特の文化を育んできたことは間違いない。  ここで一つ確認することは、佐賀県には佐賀県の文化があるし、岩手県には岩手県の文化があるように、沖縄には沖縄の文化があるという点である。ただ、地理的に隔絶していたために、沖縄県と愛媛県の差は、愛知県と神奈川県の差よりもたくさん見られるということであるが、基本的には沖縄の文化があるように、島根県にも独自の文化はあるということである。別に沖縄とその他の日本と分けられるわけではない。その違いが、「大きい」のか「小さい」のかは、どのポイントから主観的に判断するかによることは、先回述べた。  ただ、筆者は客観的に見て、確かに沖縄とその他の日本の地域との間には、たくさんの違いが見て取れる。たとえ、言語学的に彼らが日本語を話して、民族的に日本人のDNAを持っていたとしても、地理的あるいは歴史的背景から、そうした違いは客観的に見えるということである。ただそれはあくまで上記のように地域間の差という程度のものである。  そんな客観的な観察を踏まえて琉球独立論を眺めると、これが通るなら実は佐賀県独立論も、新潟県独立論も、また三重県独立論も論理的には全く同じ構造を持つことが見えてくる。各県にはそれぞれ「お国柄」というものがあり、方言も違い、独自の地域文化がある以上、沖縄だけが独自の文化を持つわけではない。  沖縄が独自の文化を持つことは、山梨県が独自の文化を持つことと、同じことなのである。  栃木県が独立しようとするならば、それはそれで政治的(主観的)な動きなので、各方面がそれなりに対処していくであろう。反対もあれば賛成もあり、大いに主観的な議論が求められる。沖縄にしても同じ話である。  ただ、客観的事実は事実として押さえておかなければならない。長野県は日本の一部であり地方である。沖縄がまたそうであるように。その客観的事実を無視して主観的に話をする人が多すぎることが、あえていうならば問題なのであるが。  沖縄独立が通るなら、千葉独立も通るということを、客観的に読み取る必要がある。どちらの側につくにしてもである。  ただ最後に筆者の個人的な意見を述べるならば、沖縄は歴史的にもまた法律的にも、さらには文化的にも、大きく日本というカテゴリーに含まれるまごうことなき日本の一部であり、沖縄が独立するという動きは、正直全くもってナンセンスであるが、これもまた筆者のみに属する主観的な意見なので、お気に召されなければ無視していただきたい。  主観は個人に属し、客観は万人に属する。  今回もお読みいただき、ありがとうございます。  初めての方は、このブログを通して貫く基本概念である主観と客観との違いについての説明をしている以下の記事をご覧ください。  主観と客観 客観についての補足 外国人には思い遣りがガチでないという事実 優しさ(主観的)と思いやり(客観的) 二種類の「正しさ」 日本の常識は世界の非常識、日本の非常識は世界の常識 国際政治・外交 ブログランキングへ 

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  • 01 Oct
    • スペインとイラクでの独立運動

       民族独立の機運が世界の各地で盛り上がっている。その最たるものはスペインのカタローニャ地方、中東イラクにあるクルド人自治区である。カタローニャではすでに住民投票が施行され、結果を巡って、また投票自体を巡ってカタローニャの地方政府と中央政府との間で激しい対立が生じている。イラクのクルド人自治区も周囲から次第に孤立させられている様相を呈している。  スペインの問題にしてもイラクの問題にしても、私はあくまで日本人なのでどちらかに肩入れすることはない。ただ、客観的に観察して分析するだけである。  カタローニャの話をすると、確かに彼らの話す言語はスペイン語とすこーし違う。まあ、すこーしであるが、確かに違う。スペイン語と同じラテン語系の言語であるが、確かにすこーしだけ違う。そのすこーしの違いが彼らの主観的な観点からは「もんの凄い違い」となっていることが客観的に観察できる。そして、まあ、言語は文化であるので、文化の違いもあるといえる。まあ、日本人から見たらほとんど顕微鏡で見るほどの違いであっても、彼らから見たら惑星の違いほどの印象がある。違いというのは客観的に観察できるが、それをどう「測る」のかは完全に主観的な視点によるので一ミリの違いでも「ものすごく大きい」という判断もありうるし、100メートルの違いでも「小さな小さな違い」とも判断できる。主観とはそういうたぐいのものである。  まあ、それはいいとして、カタローニャの問題からわかることは、文化や言語というアイデンティティの問題は、主観的な人間にとってものすごく大切な問題であるということである。第三者からは理解できなくても、当事者から見ればそれは命をかけても守るべきという判断にもなりうるものである。  そして、その感覚こそが、世界中で共通して見られる「常識」なのである。そう考えると、枝野やら岡田、赤松やら安住、菅直人や鳩山由紀夫といった旧民進党やら日本の主要マスメディアの「地球市民」的な感覚というものが、いかに世界的スタンダードからかけ離れたものであるかということが観察できる。もちろん、こうした感覚はあくまでも「主観的」なものなので、別に正しいとか間違っているという話ではない。ただ、筆者などから見れば、こういう地球市民的な感覚で日本を出て世界で発言されると、日本がますますバカにされて見下される傾向が促進されるので、少々困るというだけであるが。  自分の国をボロクソに罵って恍惚に浸り、シナや南北朝鮮があからさまな敵意をむき出してにしていても、「あくまでに日本が悪い」という日本のこうしたサヨク諸君の感覚は、あくまでも戦後の日本列島でこそ存在できる話で、日本を一歩出たら一切、全く通用しない感覚であることも、今回のスペインの問題から客観的に観察できる。  クルド人の話は各国の思惑やら利益やらが複雑に絡み合っているので今後の動向が注目されるが、こちらもこのまますんなりと終わる話ではない。主観的な感情のぶつかり合いの行き着くところは、大抵血なまぐさい武力衝突である。  なんども強調するが、筆者はあくまでも中立であり、どちらの側につくというわけではない。あくまでも観察しているだけである。  誇りやアイデンティティーというものがどういうものなのか、戦後の特殊な民主主義教育で洗脳されてしまっている日本人は、今一度じっくりと観察することが求められるであろう。そうしなければ、いつまでたっても世界中からバカにされる状況が続くだけであろう。もちろん、それでいいという主観的判断もありうるが。  読者の方々はどう思われたか。  今回もお読みいただき、ありがとうございます。  初めての方は、このブログを通して貫く基本概念である主観と客観との違いについての説明をしている以下の記事をご覧ください。  主観と客観 客観についての補足 外国人には思い遣りがガチでないという事実 優しさ(主観的)と思いやり(客観的) 二種類の「正しさ」 日本の常識は世界の非常識、日本の非常識は世界の常識 国際政治・外交 ブログランキングへ 

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  • 29 Sep
    • 日本を地図から消した国、自ら消滅した政党

       国内外での情勢変化が活発な中、南朝鮮(韓国)が冬季オリンピック公式サイトの中で日本を世界地図から消した。さすがにヤバいと感じたのか、慌てて訂正、謝罪をしたようであるが、その理由が単純な「ミス」。  今回のこの南朝鮮の日本消し、客観的に見てミスの要素は一分もない。地図の上から日本を消すのは、「意図的にわざと頑張って時間を割いて」初めて可能であり、「うっかり」やれることではない。いわば、計画した上で強盗に押し入って住人を強姦して殺したのが、「うっかりのミスでした」というのとほぼほぼ変わらない、全くもって説得力がない。完全なる確信犯の行為である。  日本はそろそろ、本当に、南朝鮮の人々の文化、精神文化がどういう種類のものであるのかをしっかりと認識するときに来ているというのが、筆者の素朴な感想である。彼らの子供達に教える歴史の大半がフィクションであり、全くもって史実とは関係がない。そうした嘘で固め尽くされた歴史を信じ込んで日本を憎む人々と、私たちはどう向かい合うべきであるのか。  ただ、気をつけなければいけないのは、日本にいる外国人を含め、諸外国人は客観性がかなり低いので、無条件に南朝鮮やシナの言い分を受け入れて日本を悪魔のように罵る人が多いので、アメリカ、カナダ、フランス、ドイツ、イギリスという先進国を含む諸外国人とこうした話をするときは、十分な配慮が必要である。うっかりすると、プロパガンダに優れた彼らにあっという間に「極右」だの「ネオナチ」だのといったレッテルを貼り付けられて罵倒されて終わりかねないからである。  この場合、キーワードは「客観的事実」、これに尽きる。「主観的意見がどうでもいいこと、個人にしか属さないこと」を徹底的にポイントとしてフォーカスして話すことが求められる。何よりも大切なのはobservation であってopinion ではないことにフォーカスすることで、感情論が後退し、客観的観察が可能となるのである。  さて、蛇足ではあるが、民進党が消滅するようである。この政党、三年間の政権運営で日本を徹底的に破壊し、国益と誇りを外国に売り渡しただけで何も国益に資さなかった政党としてやがて歴史に名を刻むことになるのであろうか。降って湧いたような希望の党も、反安倍一色のマスメディアの応援を受けながら何をやらかすのか。  今後とも観察と分析が求められる。  今回もお読みいただき、ありがとうございます。  初めての方は、このブログを通して貫く基本概念である主観と客観との違いについての説明をしている以下の記事をご覧ください。  主観と客観 客観についての補足 外国人には思い遣りがガチでないという事実 優しさ(主観的)と思いやり(客観的) 二種類の「正しさ」 日本の常識は世界の非常識、日本の非常識は世界の常識 国際政治・外交 ブログランキングへ 

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  • 23 Sep
    • 日本と諸外国とを分けるもの

       サヨクが好んで使う言葉に「人間は皆平等である」というものがある。人間が平等であるか不平等であるかは、実はこれ、全くもって主観的な判断意見の話で、客観的に平等か不平等かを判断する基準などない。だいたい判断が主観的なものである以上、判断が客観的になることなど何億年たってもありえない。  という前置きをしておきながら、筆者はあえて、「人間は平等である」という立場をとる。「立場」という以上は主観的な判断であり、これに納得されないかたはどうぞ無視していただきたい。人間は不平等であるという考えを持っている人とは何億年たっても議論は平行線で終わるし、それはそれでいいと思う。主観は所詮、個人に属するものであるからである。  ここでは「人間は平等である」という主観的意見を取り入れて話をする。  人間は平等である。平等である以上、人種、国籍、性別、年齢、能力の差異(上下ではない、全ての人はすべからく何らかの才能があり、そこには能力の違いこそあれ上下はない)などにより差別されない。  だから日本人も諸外国人も同じ人間であり、上下はなく、平等である。  しかしながら、当然であるが「差異」はある。つまり、「違い」はある。  ではその違いとは何かというと、それは文化の違いである。文化や伝統を背景に、日本人は行動様式がある程度決まるし、諸外国人も同様である。では日本人とその他の諸外国人を大きく分けるものは何かというと、随分前から何度も触れてきたが、それは「思い遣り」である。  思い遣りについては、結構しつこく解説してきたので、興味のある方は下記の過去記事を参照されたい。  優しさと思い遣りが、似て非なるもの、否、まるで違うものであることもくどいほど述べてきた、下記の記事を参照していただければ明白である。  この、「思い遣り」という、相手の立場にたって、相手に合わせて行動し思考する文化は、日本にしかない。これは差別でも何でもなく、単なる違いを言っているだけで、区別の話である。差別と区別が違うこともお分りいただけていると思う。銭湯で男女が別れるのは、差別しているからではなく、性別によって「区別」しているからである。そこに「上下」はない。当たり前の話であるが、この「差別」と「区別」をすぐに混同して話す人がいるのでここは重々注意していただかなければならない。  日本人には思い遣りがあるがゆえに諸外国に行くとはっきりと浮く。完全に浮いているのは日本人である。差別されるというより、浮くのである。 1:100で一人だけこれほどまでに違う価値観で生きていれば、それは間違いなく浮くことになる。  海外にいる日本人が、優しい外国人に感謝しながらも違和感を覚え始めるのは、日本文化や日本社会には当然のように、つまり水や空気のように存在している「思い遣り」の感覚がスッコーンと抜けているからである。英語や外国語で早口で話されて理解できないので「ゆっくり話してください」と頼んでも容赦無く同じスピードで話された経験をお持ちの方も多いと思う。はっきり言って、諸外国人は主観度が非常に高いので、相手の立場になって考える習慣がほぼほぼないため、外国人にとって通常の英語(もしくは諸外国語)の速度が早すぎるということをそもそも理解できないのである。  まあこれは一つの例に過ぎないが、こうした例を上げればまさに山のように出てくる。優しさはあっても思い遣りはないということは、こういう形で生活の随所に出てくるのである。  しかし「思い遣りがある」からと言って日本人が優れているわけではない。それが亜流で異端の大陸半島の儒教文化などと混ざると奇妙な化学変化が起こり、日本人独特の横柄な態度、異常なほどの要求(クレーマーなど)を求めたりする傾向にも繋がる。また、ブラック企業やパワハラなどはその症状の典型である。  あくまでも単なる「違い」という風に認識していただければ幸いである。  筆者が人間は平等だと思うのは、神道や仏教の考え方から影響を受けているからであって、別にそれが普遍的な真理というわけではないので、人間は平等ではないと固く信じている人は、そのまま生きていただければと思う。ただ、筆者はそういう人とは個人的におつきあいを避けるだけであるが。  いずれにせよ、日本人は特殊である。良い悪いの話ではなく、客観的に相当諸外国人と異なるが、これはひとえに、「思い遣り文化」があるためであることを改めて紹介したかったので今回の記事を書いた。  お楽しみいただけたなら幸いである。  今回もお読みいただき、ありがとうございます。  初めての方は、このブログを通して貫く基本概念である主観と客観との違いについての説明をしている以下の記事をご覧ください。  主観と客観 客観についての補足 外国人には思い遣りがガチでないという事実 優しさ(主観的)と思いやり(客観的) 二種類の「正しさ」 日本の常識は世界の非常識、日本の非常識は世界の常識 国際政治・外交 ブログランキングへ 

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  • 20 Sep
    • 「大義なき解散総選挙」という妄言

       来月の衆議院議員解散総選挙のニュースをうけて、内外から今回の選挙には大義がないという批判が出ている。  これほどお花畑な話があるであろうか。  隣国の北朝鮮ではひっきりなしにミサイルを日本上空に向けて飛ばし、水爆(核実験)を成功させ、日本を火の海にすると脅している。またシナは、尖閣諸島に大量の船をだし、日本の漁師を威嚇し、かつ海上保安庁を挑発し、海上自衛隊と睨み合っている。さらに南朝鮮(韓国)は、歴史問題でひたすらに虚偽の宣伝を世界中で喧伝し、国家をあげての反日教育に心血を注ぎ、永遠に謝罪と賠償を要求してくる際限なきストーカーである。  アラブのきな臭い状勢は日本にも及んでおり、東京オリンピックに向けてテロの可能性も十分に考えられている。  日本が連合国に加盟していることで求められる国際支援援助活動の現場となるアフリカや中東などは、いつ自衛隊員の命が危険にさらされてもおかしくない状況であるにもかかわらず、自衛隊員は国内法で縛られている。先に撃たれない限りはこちらから撃つことを固く禁じられ、さらには通常の世界では正当防衛であっても、日本の場合、状況によっては国内法によって「殺人罪」に問われる可能性すら十分にあるのが自衛隊である。  このような世界情勢で、現行の一切使い物にならない憲法を変える可能性を示唆し続けている安倍総理に、大義がないなどとよくぞ言えたものである。  客観的に事象を把握することができない人々が、主観的にどのような主張を繰り広げようとも、なんの意味もない。こうした人々は、ただひたすらに国家の領土と国民の生命と財産を危険にさらすだけなのである。  いい悪いではなく、客観的な事実として話している。  今回もお読みいただき、ありがとうございます。  初めての方は、このブログを通して貫く基本概念である主観と客観との違いについての説明をしている以下の記事をご覧ください。  主観と客観 客観についての補足 外国人には思い遣りがガチでないという事実 優しさ(主観的)と思いやり(客観的) 二種類の「正しさ」 日本の常識は世界の非常識、日本の非常識は世界の常識 国際政治・外交 ブログランキングへ 

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  • 19 Sep
    • 朝日新聞や毎日新聞の醜態

       今回の衆議院解散総選挙のニュースを受けて、戦後民主主義的左翼マスメディアの断末魔のような醜態が目を覆うばかりである。  客観的に見て、来月の選挙でどうやら情勢的に自民党に有利だと見るや否や、一斉に森友学園や加計学園を持ち出して「なんとなく」の雰囲気を作り出して安倍支持率を低下させようとしている。  そもそも、森友も加計の問題も、すでに終了している。否、初めから何も問題はなかった。それを、できるだけ騒いで安倍政権の支持率を下げるべく、マスメディアが嘘と分かった上でわざと騒いだだけである。その証拠に、何も問題はないことが分かった途端、あっという間に報道は鳴り止んだ。そしてタチの悪いことに、これまで散々、証拠も何もないまま騒いだことについて、一切の釈明も反省もなく、何事もなかったように素知らぬ顔をしている。  それだけに飽き足らず、今度は完全に終わったこの二つの問題を、「何が問題なのか」を一切明らかにすることなく、安倍政権批判に再度持ち出している始末である。  日本が亡ぼうと、国土が侵されようと、国民が拉致されようと、ミサイルをなんども撃たれようと、侮辱されようと、原爆で脅されようと、悪いのは常に日本であると言う彼らの信仰は、もはや完全にカルトそのものである。  儒教文化に染まり、戦後民主主義サヨク思想にまみれると言うことが、どう言う醜態を晒すことなのか、これほどまでにはっきりと国民に見せつけていることに、一人の日本国民としては、唖然とせざるを得ない。  今回もお読みいただき、ありがとうございます。  初めての方は、このブログを通して貫く基本概念である主観と客観との違いについての説明をしている以下の記事をご覧ください。  主観と客観 客観についての補足 外国人には思い遣りがガチでないという事実 優しさ(主観的)と思いやり(客観的) 二種類の「正しさ」 日本の常識は世界の非常識、日本の非常識は世界の常識 国際政治・外交 ブログランキングへ 

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  • 18 Sep
    • 海外の常識からは到底理解できない日本の戦後左翼思想

       先日、アフリカのベナンという国の若者と話をした。特に日本の政治状況については知らない様子で、多少説明したところ、やはり最後まで理解できていないようであった。  当然であろう。経済学者の森永卓郎氏は、「仮にとんでもない奴が攻めて来たら、もう黙って殺されちゃえばいいんだと思うんです」とヘラヘラ笑いながら話していたことで有名であるが、この人個人がそう思うのは勝手だとしても殺されることになる日本の一般市民はたまったものではないであろう。また、こうした発言は、海外のどれほど左翼的な人で、反戦的な人でもあっても考えられない発言である。どれほどヒラリーを応援するリベラル派(実質的には人種差別的で全然人権派でもなんでもないが)であっても、さすがにこうした発言を許容することはありない。国民の生命と財産を守るのは、国家として当然の責務であるという概念は、左右を問わず国民としての共通のコンセンサスだからである。  こうした日本のサヨクの特殊な感覚は、日本文化という特殊な「思いやり文化」を含む土壌があったからこそ育ってしまったものである。そう考えると、日本独自の「思いやり文化」も少々考えものであるが。ただ、日本の特殊なサヨク思想の発展は、日本独自の思いやり文化の土壌なしには育ち得なかったのは客観的な事実である。  いずれにせよ、海外でどれほどリベラルであろうとも、日本のリベラルのように、主権も領土も、さらには国民の生命までをも犠牲にしてでも国防の権利を否定しようとする勢力は皆無である。したがって日本のサヨクは世界の中でも相当特殊な地位にいることは明白である。  ベナンであろうとドイツであろうとイギリスであろうとフランスであろうとカナダであろうと、自らを守る正当防衛権を否定する思想など、まずもって見当たらないのである。どれほどリベラルな考えを持っていてでもである。  しかし、隣の北朝鮮がこうも何度もミサイルを飛ばし、さらには水爆の実験にも成功し、脅し文句とはいえ日本の四つの島(本州、北海道、四国、九州)を破壊すると息巻いている状況で、またシナの尖閣諸島への不法侵入がこうも常態化し、かつ世界中に尖閣諸島はシナ領土と喧伝しまくっている状況で、森永卓郎氏や朝日新聞をはじめとする特殊な日本サヨク思想の持ち主は別として、一般の国民は否が応でも危機感を抱かざるを得ない。  そんな中で、来月の10月22日に予定される衆議院解散総選挙は、まさに今後の日本の行く末を決定することになるであろう。  産経新聞とFNNとの世論調査では、久々に安倍内閣の支持率が50%を上回った。当然といえば当然であるが、今後筆者の分析ではさらに支持率が上昇することはまず間違いない。  自民党の中には民進党や共産党顔負けのサヨク思想の持ち主も多いし、親シナ、親南朝鮮の議員もたくさんいて玉石混合の状態であるが、それでもやはり安倍総理を総裁としている以上、憲法改正などを現実的に考えるのであれば、自民党への投票が必要であろうというのが、筆者の主観的な意見であり判断である。お気に召さない方は無視されたい。主観は個人に、客観は万人に属する以上、主観的意見の違いについて討論しても、永遠に平行線である。  いずれにせよ、1ヶ月を切った総選挙まで、政局と政情には目が離せない。  今回もお読みいただき、ありがとうございます。  初めての方は、このブログを通して貫く基本概念である主観と客観との違いについての説明をしている以下の記事をご覧ください。  主観と客観 客観についての補足 外国人には思い遣りがガチでないという事実 優しさ(主観的)と思いやり(客観的) 二種類の「正しさ」 日本の常識は世界の非常識、日本の非常識は世界の常識 国際政治・外交 ブログランキングへ 

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  • 17 Sep
    • 天佑神助の解散総選挙

       常日頃からいっているように、別に筆者は安倍晋三内閣総理大臣になんの個人的な借りも貸しもない。あちらも聞かれれば同じことを言うに違いない。面識すらないのであるから、当然のことである。また、安倍総理の政策に関しても、是々非々であり、賛同することもあれば、到底納得いかないこともある。慰安婦問題に関する日韓合意などはもってのほかだし、消費増税も、何が何でも阻止すべきことであった。  しかしまあ、安倍総理もアメリカからの暴力的な圧力もあるし、また党内の経済音痴勢力からの数に任せた理不尽な突き上げもあり、独裁者でもないわけで独断で全て決めるわけにもいかない事情もあり、誤った政策を進めることもある、と筆者は心を落ち着かせたものである。  しかし、たとえ安倍晋三総理がベストではなくても現時点で日本にとっては間違いなくベターな総理であることは、筆者、主観的に確信している。これはあくまでも筆者の主観的な意見なのでお気に召さない方は無視されたい。  その安倍総理が、ついに解散総選挙を明言した。  先日までの、マスメディアによるモリカケ蕎麦(森友学園、家計学園問題)の狂騒曲は、まるで「なかった」かのようにマスメディアで取り扱われないが、このことは、まことにもって羞恥心のかけらもない戦後民主主義思想マスメディアの実態をよく表している。最初からなんの問題もないことを知った上で、ただひたすら安倍総理の支持率を低下させるためだけに徹底的にこの問題を連日連夜取り上げ続けた儒教文化精神に染まった日本のマスメディア諸君の態度には、ただただ恐れ入るばかりである。恥も外聞もなくなっているようである。  しかしながら、そのモリカケ蕎麦の問題がついに立ち消え(?)、北朝鮮の暴発がいよいよ現実化し、現行憲法の不備が浮き彫りになり、さらには野党の代表たる民進党が自滅の道を歩み始めた今こそ、自民党にとってまさに総選挙の好機であることは言うまでもない。古い言い方をするならば、まさしく、  天佑神助の総選挙 と言うことになるであろう。  今後の動勢が注目される。  今回もお読みいただき、ありがとうございます。  初めての方は、このブログを通して貫く基本概念である主観と客観との違いについての説明をしている以下の記事をご覧ください。  主観と客観 客観についての補足 外国人には思い遣りがガチでないという事実 優しさ(主観的)と思いやり(客観的) 二種類の「正しさ」 日本の常識は世界の非常識、日本の非常識は世界の常識 国際政治・外交 ブログランキングへ 

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  • 15 Sep
    • 嘘が通用しない時代の夜明け

       筆者が長い間の歴史や世界情勢に関しての戦後民主主義的洗脳から解き放たれたのは、およそ20年程前である。その頃はまだ、シナや朝鮮が声高に主張する「従軍慰安婦の強制連行」やら「南京大虐殺」やらが世間一般では「歴史の事実」として漠然とであるが当然のように認知されていた時代であった。そのため、筆者がその手の話をする際には極めて慎重な配慮が必要であった。  ところがである。今では、もちろん例外はあるものの、特に激しい主張などを交えない限りは、大体において、「シナや朝鮮の言っている従軍慰安婦やら南京虐殺の話って嘘だよね」という認識が、ノンポリ(政治に特段の関心を持たない人々)においてすら、当然のように広がっているのである。  確かに、大東亜戦争の実態やら、歴史の流れやらといった細かい話にまでは通常はついては来ないが、少なくとも、「シナや朝鮮が日本を批判している歴史は嘘だよね」という認識だけは、ほぼほぼ社会的常識となりつつあるし、現になってきているのである。これは本当に、20年前では、考えられなかった状況である。  嘘が明らかになってくる時代  筆者は、この情報化社会を見るにつけ、この言葉が頭から離れない。安倍政権がこれほどまでに攻撃されながらも、それでも倒れず、団塊の世代を中心としたサヨクのマスメディアや教職員たちがいくら断末魔のようなプロパガンダを繰り返して狂騒を呈した安倍批判を繰り返しても、一定の支持率が保たれたのは、まさにこうした、時代の変化に起因する。  嘘が通用せず、明らかになる時代、私たちはその時代の幕開けにいるのかも知れない。  今回もお読みいただき、ありがとうございます。  初めての方は、このブログを通して貫く基本概念である主観と客観との違いについての説明をしている以下の記事をご覧ください。  主観と客観 客観についての補足 外国人には思い遣りがガチでないという事実 優しさ(主観的)と思いやり(客観的) 二種類の「正しさ」 日本の常識は世界の非常識、日本の非常識は世界の常識 国際政治・外交 ブログランキングへ 

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  • 13 Sep
    • 世界で信任される五つの通貨

       日本が実は世界でもトップクラスの経済大国であり、そのためにG7(実質G5:米日独英仏)の重要な一角であることは何度か述べてきた。先進7カ国というのは単に経済力だけではなく、実質的に政治制度で民主主義を採用していることもメンバーとしての前提である。  さて、今回は簡単に日本がどれほど世界から民主的経済大国として認められているかということを通貨の面から紹介したい。  世界でワールドマネーとして流通している通貨は全部で五つである。一つはアメリカドル。これは世界の覇者として第二次大戦後ながらく君臨してきた米国の実態を見れば当然であろう。二つ目は欧州の共通通貨ユーロ。ドイツ、フランスという欧州の三大大国の二つを背景とするこの貨幣は、実質ドイツのマルクであり、少し弱いがフランスのフランでもある。そして三つ目が、イギリスのポンド。これは欧州の三大大国の一角として、また大陸から離れた島国としての独自の文化と価値観、さらには老いたりといえどもその国力を誇る大英帝国の威信そのものである。そして四つ目はスイスのフラン。スイスは永世中立国としてその国際社会での立場を特異なものとしてすでに久しいが、銀行業などの金融大国としてもその中立的な立場を利用して強く世界で睨みをきかせている。  そして、我が日本の円である。すでにお気付きであろうが上記の四つの貨幣はいずれも白色人種の国の通貨である。その中で、唯一有色人種の国の通貨として日本円が世界流通通貨として、これまた不動の地位を築いているのである。  これがシナの元、あるいは南朝鮮(韓国)のウォンなどと比べて、それらの貨幣がいかに突発的に景気が良くても世界では共通、あるいは流通通貨としては相手にされえないことを見ると、円の世界での信任度合いは刮目に値する。 元やウォンが一切国際通貨として相手にされないのは政治体制が独裁的であったり非常に不安定な民主制であったりするとともに、その経済力が永続的ではなく、実に成金的な性質のものであるからに他ならない。  日本円は、これは見方によるが、実質アメリカドルの次に世界では信任されていると言っても過言ではないほど高い評価を得ている。  この世界通貨という側面から見ても、日本国の底知れぬ力が伺えるのである。  今回もお読みいただき、ありがとうございます。  初めての方は、このブログを通して貫く基本概念である主観と客観との違いについての説明をしている以下の記事をご覧ください。  主観と客観 客観についての補足 外国人には思い遣りがガチでないという事実 優しさ(主観的)と思いやり(客観的) 二種類の「正しさ」 日本の常識は世界の非常識、日本の非常識は世界の常識 国際政治・外交 ブログランキングへ 

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  • 10 Sep
    • 想像力の欠如が戦争(悲劇)を呼ぶ

       日本が先の大戦で敗北してからすでに72年が経過した。この間、日本国はひたすらに眠り続けた。眠るという表現が不適切ならば、日本国は、その間ただひたすら、現実世界を直視せず、現実逃避を続けてきた。一歩世界に出ればそこにはカオスが広がっているのに、それを見ても見ぬふりをしてきた。アフリカ、南米、中東、東欧、インド、ロシア、東南アジア、そしてシナ大陸や朝鮮半島。そのいずれを見ても、まごうことなきカオスであったし、今もカオスである。  そのカオスを、日本人はただひたすら見て見ぬ振りをしてきた。もちろん、そうした態度から生じる幾らかの悲劇はあったが、大多数の日本人は、それもまた適当に流してやり過ごしてきた。例えば拉致被害者。拉致の被害者は具体的な数がはっきりしないほど多いが、それについても、その問題が浮き彫りになるまでは、マスコミも野党も、自民党の多くの政治家も、ひたすらに無視し、見て見ぬ振りをしてきた。現実に小泉訪朝で拉致被害者が目の前に見せつけられてから、世論は一変したが、それでもある時期を超えたら、再び素知らぬふりに戻った。  海外、特に南朝鮮(韓国)で強姦の被害に会う日本人女性の数は明確に発表されていないが、相当数に登ると言われている。シナで身ぐるみ剥がされた中小企業は山ほどあると聞いているが、それもあまり声高には報じられない。ただひたすら、実態と一切そぐわない虚構の報道が繰り返され、シナと南朝鮮(韓国)がいかに素敵な国で素敵な人々の住む国であるかというプロパガンダが繰り返された。  そして最近、慰安婦の問題、また領土の問題、さらには北朝鮮の核兵器の問題が浮き彫りになることで、また、中東、アフリカの不安定情勢が繰り返し報道されることで、多くの日本人が、少しづつではあるが、どうやら日本を取り巻く現実世界が日本にとって決して他人事では済まされないことに気付き始めた。  ミサイルが落ちてからでは遅きに過ぎるが、それでも今現在の状況では、やはりなんらかの悲劇が起こるまでは日本人が完全に目を覚ますことはないと思う。  先進国といえども犯罪率の高さは日本の比ではない。先進国の大学の図書館にパソコンを放置してトイレなどに行けば、それは「どうぞ盗んでください」という意思表示であることも、実際に外国に行って住んで見なければわからない。  日本いる外国人でも、いかに日本に対して先入観と偏見を持って生きているか、そこまで深く話しをする習慣がない日本人には、読み取ることも難しい。  この場合、結局のところ想像力がないことで、悲劇を予想して防ぐことができないのであるが、これほどまでに深い眠りについている日本人が、一気に目覚めることは考えにくい。  もし日本が攻め込まれたら、ミサイルが落ちたら。想像してみれば、現行憲法を変えることが、どれほど緊急に差し迫った課題であることか、これまた想像は容易なのであるが。  今回もお読みいただき、ありがとうございます。   初めての方は、このブログを通して貫く基本概念である主観と客観との違いについての説明をしている以下の記事をご覧ください。  主観と客観 客観についての補足 外国人には思い遣りがガチでないという事実 優しさ(主観的)と思いやり(客観的) 二種類の「正しさ」 日本の常識は世界の非常識、日本の非常識は世界の常識 国際政治・外交 ブログランキングへ 

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  • 05 Sep
    • 経済政策への取り組みからわかる政治家の見分け方

       歴史問題あるいは安全保障問題で、政治家は改憲であるとか護憲であるとか、大きく二つに分かれるが、これはもうある意味人生哲学に関わる話になるので、主観的に日本が諸外国からバカにされても舐められてもあるいは攻め込まれて領土を奪い取られても、それでも「オッケー」と本人が考える以上、これはもうその人の主観であり、さらには素質であるので、他者には如何ともしがたい話である。そういう人が政治家として国政を担うことになって欲しくないと思うなら、選挙でそういう人ではない人を選出する以外はない、政治は最後は好き嫌いである。  しかし、外交安全保障、あるいは歴史問題とは異なる性質の政策がここにある。経済政策である。通常、よほど常軌を逸していない限りは、経済政策を考える際に優先するのは「成長」である。歴史認識なら、日本を貶めてシナや朝鮮を美化するのは、好みの問題として理解できなくもないが、経済政策においては、どんな立場にいようとも、目指すところは成長である。景気が後退して失業者が街に溢れる状況を目指す政治家はなかなか探しても見つからない。  しかし、彼らの経済へのアプローチの仕方は恐ろしいほど適当である。一切の勉強をせず、ただひたすらに財務官僚の言うことをなぞる。  左か右か、革新か保守かは正直、好みの問題につながるが、経済問題に関しては完全に知性の程度によりその言動が左右されるのである。  すなわち、理解能力がなければ消費増税やむなしなどと言うし、理解能力がなければ、国の借金一千兆円と臆面もなく叫ぶ。いずれも、ほんのすこーしだけでも注意して勉強すれば理解できる事ばかりであるのにもかかわらず、である。  安全保障や外交、歴史認識などではその人の知性の程度は完璧には測れないが、こと経済政策に関しては、それがはっきりと見て取れるのである。  小泉進次郎、前原誠司、etcと勇ましく経済政策を語るわりには中身がスッカスカという政治家は本当に多い。  国民の見極める目が、国政を左右する。  今回もお読みいただき、ありがとうございます。  初めての方は、このブログを通して貫く基本概念である主観と客観との違いについての説明をしている以下の記事をご覧ください。  主観と客観 客観についての補足 外国人には思い遣りがガチでないという事実 優しさ(主観的)と思いやり(客観的) 二種類の「正しさ」 日本の常識は世界の非常識、日本の非常識は世界の常識 国際政治・外交 ブログランキングへ 

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