先進国として、発展途上国に、有償無償、資金技術、有形無形などの違いを問わず支援をすることは国際社会において一つの責務となっている。困っている人を助けるのが人の道という、万国共通の倫理観なのであろう。

 

 シナ共産党は随分昔、毛沢東が権力を握っていた時代からアフリカ大陸への投資や援助をしてきた。人民が食糧不足で餓死しているような状況でもアフリカへ食料を送っていた話は有名である。自国の民が餓死している中で食料を他国に送るというのは、人道的に素晴らしいという評価にはならないであろうが、毛沢東が明らかに意図と意思を持って世界外交戦略を展開していたことの証左である。

 

 その成果もあり、アフリカ諸国は現在、ほぼほぼシナ共産党の思うがままに動く。連合国(国際連合)などの会議では、シナ共産党のいうとおり、右へ倣えである。

 

 このブログでも何度も紹介しているように、アフリカ諸国の文化はおしなべて主観性の度合いが非常に高い。客観性がほとんどないため、公共心は日本人の基準から見ればありえないほど低い。そういう人々であるので、シナ共産党がお金をポンっと渡せば喜んで追随していく。実際、潤っているのは腐敗した政治家や官僚だけで、庶民は一切恩恵を受けていないからシナ共産党の人気はあまりないという指摘もあるが、実際アフリカの人々と話をすると、なかなかどうしてそうでもない。筆者が話した相手のほとんどが先進国に留学できるような富裕層であったことも一つの理由であるかもしれないが、話す人々のほとんどがシナ共産党の大ファンであった。

 

 日本もまたアフリカ諸国に支援をしている。日本人の論客がよくいうように、日本の支援はシナ共産党や欧米諸国と違って心のこもった見返りを求めない本当の支援であるかどうかは実際疑問である。ODAはだいたい紐付きで、計画も全て日本側の都合が優先されるもので、現地では「ないよりはまし」という認識しかないという話もある。また、だいたいが有償支援なので、結局はアフリカ諸国にとって負担になるという指摘もある。

 

 しかし、それよりも重要な問題は、日本がもしアフリカに無償で見返りを求めない支援をしたとしても、アフリカ諸国の人々は、日本人が受けるような「感謝」の気持ちを持つかどうかは、極めて疑問であるという点である。

 

 「思い遣り文化」のある日本では、どんな人でも大抵は、相手の配慮に感謝をする感覚がある。その同じ感覚をアフリカ諸国の人々に求めることは極めて危険であるというのが今回の記事の核となるポイントとなる。

 

 日本がいくら無償で見返りを求めない支援をしても、シナ共産党がそれをはるかに上回る実弾(金銭)や利権を渡せば、あっという間に日本への恩義を忘れてシナ共産党側を利する行動にうつるのが主観性の度合いの高い文化の人々の特徴である。

 

 「義理を感じて信義を通す」など、日本人だけの美的倫理感情であることを忘れて世界に出ると、日本はまたもやたかられるだけたかられて終わりということになるだけの話である。

 もちろん、それでいいというのなら、それはそれで一つの意見である。どうすべきかというのは、あくまで主観的な意見の問題なので、人によって変わるのは当然のことである。

 

 言わずものがのことではあるが、例外のない規則はないように、きちんと恩義を感じて義理を通す人も主観性の度合いの高い文化圏にすむ人々の中にもいる。あくまでも「傾向」としての話であることを理解していただき、読んでいただきたい。

 

 過去記事には発展途上国の政治状況、社会状況などに関しての記事もたくさんあるので、参照していただければ幸いである。

 

 今回もお読みいただき、ありがとうございます。

 

 初めての方は、このブログを通して貫く基本概念である主観と客観との違いについての説明をしている以下の記事をご覧ください。

 

 主観と客観

 客観についての補足

 外国人には思い遣りがガチでないという事実

 優しさ(主観的)と思いやり(客観的)

 二種類の「正しさ」

 日本の常識は世界の非常識、日本の非常識は世界の常識

 

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