以下のような報道があった。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170718-00000143-jij-eurp
カトリックの聖職者による少年への性的虐待というのは昔からよくある話であるが、近年になってもそうした傾向は一向に減っていないようである。
これは別に聖職者だけではなく、教師、弁護士、医師、政治家、学者など、いわゆる世間から「立派な職業」と言われる人ほど表と裏の顔に大きく差が出ることは昔からよく言われる心理学の話である。
人間、裸で生きれば皆似たり寄ったりのもので、欲もあれば見栄もある。そういうものを隠すような生き方で、他者から必要以上に崇められるようになると、心の闇がより深まり、上記のような事件となって世間に明るみに出たりする。自然な欲求を不自然に抑え込むことで人間の心理がいかに歪むことか。
「まさかあんな立派な素晴らしい人が.......」という話は、世間を騒がすような事件があるときによくある話である。
これは別に事件に直結しなくても日常どこにでも散見される話である。テレビで澄まし顔でコメントしている立派な肩書きのコメンテーターが裏に回ると信じられないような振る舞いをしたりすることが多いのもその例の一つであるが、会社でも組織でも家庭でも、権威を持って他者を威圧するような人などもそうした面を持っていることが多い。
そういう意味で、メンツを極端に重視するシナや朝鮮の文化においては、目を覆うばかりの残虐性が確認されることが多いのは、これもまた、心理学的には実に理にかなう話である。もちろん、日本でも上記に述べたようにこうした傾向はあるし、欧米にもある。しかし、文化において表面、あるいは体裁に重きを置けば置くほどこの傾向が強まるという点で、日本の隣の大陸や半島ではこういう傾向が他国よりさらに深まるという話をした。
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初めての方は、このブログを通して貫く基本概念である主観と客観との違いについての説明をしている以下の記事をご覧ください。