昨日に引き続き、慰安婦の問題について触れたい。

 

 慰安婦の証言のほぼ100%が内容を疑われる証言であるが、その中でも色々と酷いものとしてあげられるものがある。

 

 既になくなっている「元慰安婦」の証言ではあるが、実名を出すと色々と問題もあるので、内容紹介にすると、例えば、「日本軍がクリスマスパーティーの時」という証言を残している人がいる。大変残念であるが当時の日本軍はクリスマスパーティーを戦場ではしていなかった、完全に偽証である。

 

 ある老婆は、証言をするたびに、時間と年代、場所などがコロコロと変わり、しかもその年代の差が数日ではなく数年単位、場所も隣町くらいではなく、支那大陸か朝鮮半島かの違いほどの大きなものであった。同じ内容なのに証言の度に毎回変わるのである。しかもよくよく調べると、その老婆が実際にその当時、そこにいた可能性は物理的にありえなかったりするのである。

 

 またある老婆は、戦後の日本で「従軍慰安婦」として働いていたということを平気で言ったりもする。もはや無茶苦茶である。

 

 実は、きちんと彼女たちの言っていることを精査すると、日本軍による強制連行や、性奴隷として働かせた実態は、一ミリも、完全に客観的に見て一ミリもないのである。証言のみで支えられている韓国側の主張は、その証言からすらも一切日本軍の罪の実態が浮かんでこないのである。別に「日本が無罪であってほしい」と思って見ているのではなく、完全に数式を解くのと同じように見た上での話なのである。

 

 結論を言うと、この慰安婦問題は、「嘘も百回つけば本当になる」方式で宣伝されているに過ぎない。一切の客観的、あるいは科学的な論考は無視されている。「大きな声で繰り返せば嘘も本当になる」方式でもある。

 

 「こんなに可哀想なお婆さんが勇気を出して証言しているんだからそれを疑うことは絶対に許されない、非人道的行為である!!」

 

 こんな理屈が通るなら、世の中偽証だらけである。冤罪天国となってしまう。嫌いな奴がいたらすぐ告訴、理由はその場で作ればいい。「こんなにお金もない力もない可哀想な私が言っているんだ!それを疑うなんてありえない!これは真実だ!」と大声で喚けばそれが真実と認定されるのであれば、これほど楽な話はないであろう。嫌いな奴は即逮捕、有罪である。なんの検証も必要ない。恐ろしい話であるが、こういう話を許容してしまうのが、主観性の度合いの極めて高い、儒教文化圏の支那大陸や朝鮮半島の一大特徴なのである。

 

 とにかく、まともに客観的に検証したら既に20年以上前に決着している話なのである。

 

 元慰安婦の老婆も次々となくなっており、そうしたことから既成の事実として定着させようとする政治的な動き(それしかない)が活発であるが、どれほど頑張ったところで、嘘は嘘、真実を歪曲することはできないのである。

  

 何かのご参考になればと思う。

 

 今回もお読みいただき、ありがとうございます。

 

 初めての方は、このブログを通して貫く基本概念である主観と客観との違いについての説明をしている以下の記事をご覧ください。

 

 主観と客観

 客観についての補足

 外国人には思い遣りがガチでないという事実

 優しさ(主観的)と思いやり(客観的)

 二種類の「正しさ」

 日本の常識は世界の非常識、日本の非常識は世界の常識

 


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