北朝鮮が最近になって頻繁にミサイルを日本に向けて発射するものだから、ようやく、「これって日本にとって危ないんじゃないの?」という雰囲気が一般の国民の間にも出てきた。もちろん、既に手遅れの状況で、もしも日本の国内領土にミサイルが落ちた場合、迎撃できずに日本国民が被弾して虐殺される可能性はほぼ確実にある状況となっている。

 

 にもかかわらず、民進党の安住という議員は、敵基地攻撃は絶対に認めないという、相変わらずの議論すら認めないというお花畑路線を突き進んでいる。関口宏のサンデーモーニングでは、司会者を初め各コメンテーターが安倍総理憎し一色の主観的報道を繰り返して、客観的な状況分析を一切せず、感情的なコメントを発している。ちょび髭のコメンテーターは、「こういう危機を煽る勢力がいいように政治を動かしている」などと怒りに震えて吠えていたが、実際の北朝鮮、及びシナ共産党の動きを客観的に見て危機を感じない方が異常だと感じるのは筆者だけであろうか。

 

 ここから先は主観的な推測になるが、おそらく、もしも北朝鮮のミサイルが落ちて日本の国民の何人かが犠牲になった時、彼らはこういうと思う。

 

 「日本が悪いから、ミサイルを落とされた。日本政府の責任だ。」

 

 この仮説は空想ではない。客観的な事実として、日本人の拉致被害者の話が出る際、「日本が歴史的に悪い国だったからしょうがないんだ」というようなことを平気で言っていた進歩的文化人はいたのである。

 

 こうなってくるともう、通常の思考能力があるとは見なされない。初めに結論ありきなので、例えば強姦魔に女性が襲われたとしても、「女性が隙を見せて歩いているから悪いんだ、強姦された女性の責任だ、強姦犯人は悪くない」というようなもので、もはやその人独自のワンダーランドの世界観にしか過ぎず、通常の議論は不可能である。ところが、こういうレベルの進歩的文化人が、日本のマスメディアを占拠し、かつ野党にたくさんおり、さらには小中高大といった教育機関を支配しているのである。それが、隠しようのない日本の客観的な現実なのである。

 

 どうしてこういう種類の人々が日本のマスメディアや教育機関を支配するようになったかについては、社会学的、あるいは心理学的な研究の対象となるだろうが、ここでは深くは追求しない。

 

 兎にも角にも爆弾を落とされそうだろうが、実際に落とされようが、日本が国家として独立することを死ぬ気で阻止し、国家の尊厳をもつことも否定し、国民の生命を危険にされしても何も感じず、それでも憲法改正を命がけで阻止しようとし、挙げ句の果ては拉致問題に関しても、日本が悪いと言い放つ人々は、そういう人間としての基本的な倫理観(命は守るべきもの)が元から欠けているために、恥じることもないというのが、客観的に観察できる日本の現状なのである。

 

 多くの国民は、こうした進歩的な文化人によって支配されている国が日本であることを客観的に認識する必要がある。

 

 今回もお読みいただき、ありがとうございます。

 

 初めての方は、このブログを通して貫く基本概念である主観と客観との違いについての説明をしている以下の記事をご覧ください。

 

 主観と客観

 客観についての補足

 外国人には思い遣りがガチでないという事実

 優しさ(主観的)と思いやり(客観的)

 二種類の「正しさ」

 日本の常識は世界の非常識、日本の非常識は世界の常識

 


国際政治・外交 ブログランキングへ