初めての方は、このブログを通して貫く基本概念である主観と客観との違いについての説明をしている以下の記事をご覧ください。

 

 主観と客観

 客観についての補足

 外国人には思い遣りがガチでないという事実

 優しさ(主観的)と思いやり(客観的)

 二種類の「正しさ」

 日本の常識は世界の非常識、日本の非常識は世界の常識

 

 先日、テロ等準備罪が衆議院法務委委員会で可決された。民進党や共産党、小沢一郎の党などはあいも変わらず「強行採決」の印象を世間に与えるよう田舎芝居をうっているが、そろそろこの、野党の茶番劇にうんざりしてきている国民も多くなっていることであろう。マスメディアがいくら一生懸命野党応援団として偏向報道を繰り返したところで、問題の本質はインターネットの情報などを通して国民に広く知られるようになっていることは時代の進歩を感じさせる。

 

 さて、この法律、国際組織犯罪防止条約(パレルモ条約)に加盟するために政府としてはどうしても必要な法律であった。この条約に加盟していない先進国は日本だけで、世界の大半の国々が加盟しているという条約である。また、この条約に加盟していないことで、国際的な資金の送受信に大きな問題が発生することは以前からずっと指摘されていた。加盟していなかったこれまでの状況がむしろ国際常識に照らし合わせて異常で、スパイ防止法がないことから北朝鮮やシナをはじめとする諸外国のスパイ天国となってしまっている面も含めて、日本と日本人は、憲法9条の問題も同じであるが、あまりにも特殊な国になり過ぎてしまっている面が、今回浮き彫りになった。

 

 もちろん、全ての原因は敗戦後に連合国の中にいた共産主義の占領者によってなされた洗脳と、彼らによって作られた憲法を含む社会システムに帰されるものであるが、戦後70年も経ってそれらに責任を押し付けて話は終わらない。現に目の前に諸問題があり、それらの問題に対処しないのは、現代を生きる我々だからである。

 

 憲法9条も同じであるが、相手が発砲するまでこちらから攻撃できないと規定することは、最初の敵の攻撃で死ぬかもしれないけど我慢してねと言ってることと同義である。ストーカーの問題でも同じで、以前は被害者の女性が警察に駆け込んで相談しても実際に何もされていない以上警察は何もできず、極論すると「殺されるか、殺されかけるか、強姦されるか、強姦されかけてから警察に教えてね」と言っていたのである。これが異常でなければ何が異常となるのであろうか。

 

 今回のテロ等準備罪はあくまでもマフィアやテロなどの組織犯罪を対象としたものであるが、事件を未然に防ぐのは、ある意味当然の治安に関する考え方である。人間のすることなので、勇み足も出るかもしれないが、捜査した結果問題がなければそれでよく、むしろ法的な裏付けがないことから捜査に進めず、その結果多数の犠牲者が出ることの方がよほど深刻である。反対派は理由として監視社会云々と言っているようであるが、こういう人たちは実際に殺されたり強姦されても問題ないと言っているのと同義である。

 

 今回もお読みいただき、ありがとうございます。

 


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