初めての方は、このブログを通して貫く基本概念である主観と客観との違いについての説明をしている以下の記事をご覧ください。

 

 主観と客観

 客観についての補足

 外国人には思い遣りがガチでないという事実

 優しさ(主観的)と思いやり(客観的)

 二種類の「正しさ」

 日本の常識は世界の非常識、日本の非常識は世界の常識

 

 「東北でよかった」、正直、この言葉は「東京で震災が起きたら大変なことになる」という話を強調する為に入れなければならない言葉ではない。それどころか、この発想自体が、どのような文を構成する上でも一切、全く必要ではない。いや、それどころか、「震災が起きたのが東北でよかった」などという発言は、どう考えてもどんな状況でも、そう思っていない限り出てこない言葉である。安倍総理が即座に謝罪して復興相がクビになったのは、あまりにも当然の結末である。

 

 この事件をみて筆者は常に頭にある日本の闇について改めて考えた。

 

 自由民主党、政権政党であり、安倍総理が率いている日本でもっとも政権担当能力がある政党である。しかしながら、それはすなわち、所属している政治家全てが政治家に適した人材であるというわけでは全くない。周知のことであるが、理解に苦しむ親シナ派も入れば、親南朝鮮派、親北朝鮮派もいる。のみならず、理念もなにもなく、ただ職業として、商売として政治家をやっている政治家も多数いる。

 

 そうした政治家が、当選回数により、大臣の順番待ちをしている。無論、政治家としての政策遂行能力などない。復興相を見ればわかるが、東京大学法学部卒であろうが、なんであろうが、そんなものは政治家の素質とはなにも関係ない。政治家の素質も、大臣の素質も、政治能力もない人間が、当選回数の多さで大臣の地位を当然のこととして要求するわけである。

 

 これこそが、日本の闇そのものである。そしてこの闇は、やはり、日本文化に入り込んでしまっている亜流文化である、シナや朝鮮の本流文化である、儒教文化による影響なのである。以前も指摘したが、日本文化の本流は、「もののあわれ」「名こそ惜けれ」「思いやり」などであり、儒教文化は完全なる外来亜流である。

 

 年齢、肩書き、経験年数によって、上下関係を構築し、能力や素質を一切無視して権限や権力を手に入れようとする。そしてそれらの条件を元に、後に続く人材を拘束する。財務省で、未だに複式簿記や会計次年度繰越主義が採用されないのは、それを採用することは、単式簿記や単年度主義で伝統的にやってきた諸先輩のやり方を否定することになり、絶対に許されないという、全くもって不合理な理由によって暗黙に受け継がれているからに他ならないのである。こんな理由で、国家が運営されているのが、日本という国なのである。

 

 筆者は別に、西洋的な能力第一主義ではない。能力は誰にでもあるので、適材適所で人間が活躍できる社会こそが健全であると考えているに過ぎない。しかしながら、現在は、その場所で能力がないにも関わらず、年齢、肩書き、経験年数、しがらみなどの理由で大臣にもなってしまう時代なのである。

 

 ブラック企業のパワハラ会議やパワハラ上司の存在も同じである。年齢、肩書き、経験年数という、実際ほとんどなんの意味もない理由を元に、自分よりそれらの年数やら肩書きが下と認識される人に対して、人間性を否定するような、人格を否定するような暴言やら扱いを平然と行うわけであるから、正直、唖然とせざるを得ない。しかし、そうした状況は実に、日本全国津々浦々で、はびこり切っているのである。

 

 日本文化に寄生虫のように入り込んで巣食っているこの亜流、シナ朝鮮式儒教文化。これがなんなのかを冷徹に分析し認識することに以外に、日本文化の復活はない。

 

 「震災が東北でよかった」と、平気で言えてしまう東大卒で当選回数が多いだけの復興相の辞任劇を見ながら、心底そう思った。 

 

 今回もお読みいただき、ありがとうございます。

 


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