神話での「天孫降臨」の前の葦原中国は、悪しき神達、草木が話す世であり、混沌としていた。

それを平定したのが二柱の神。

その前後に焦点をあてた。

すべて、彼らに繋がっていく。

★前回の記事

 

★目次

☆1 天忍穂耳尊と𣑥幡千千姫*ニニギ命の親

☆2 経津主神と武甕槌神*国を平定した

☆3 大己貴命(大国主神)と事代主神

☆4 大物主神と大国主神

 

  ☆1 天忍穂耳尊と𣑥幡千千姫

 

日本書紀の本文では、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が高千穂に降臨する。

 

彼の両親は、この二柱。

天忍穂耳尊(あめのおしほみみのみこと)*天照大神の子

𣑥幡千千姫(たくはたちぢひめ)*高皇産霊尊の子

 

***

 

神話の神は、二柱に集約される。

二柱もまた、彼らであった。

 

天忍穂耳尊は、誓約(うけい)の時にスサノオ命の息から現れた者。

同神を意味していた。

*天照と持ち物を交換するのは、「天照の交代」を示唆。

スサノオ神が男神の天照であり、天忍穂耳尊であった。

 

 

さらに、紀の一書では、瓊瓊杵尊の兄が天照国照彦天火明命とある。

これは先代旧事本記にも記されていた。


この説に倣っているのが「ひめこそ神社」。

 

𣑥幡千千姫は、筑紫の媛社(ひめこそ)神社に、天火明命(=饒速日命と社に記載)と共に祀られている。

母子とされているが、もう一社の姫古曽神社と同神を意味する伝承がある。


饒速日命は高良神(と住吉神)であり、𣑥幡千千姫は市杵島姫命(宗像神)であった。

 

(*後述するが、彼らは大己貴命と宗像神でもある。)

 

 

まして、饒速日命は、神武天皇の時に大和を譲る者として登場する。

𣑥幡千千姫が饒速日命の母であり、ニニギ命が弟ならば、齟齬が生じるだろう。

「時代差」がまったく無視されていた。



図1*系図

 

伝承と神話の矛盾は、彼らが同神であることを示していた。

饒速日命は、男神の天照自身でもあった。

上記の神は、全て二柱の天照となる。

 

男神はすべて饒速日命=高良神。

女神は御炊屋姫=神功皇后に繋がる。


山幸彦の伝承は、高良神と同神の志賀神(安曇磯良神)と神功皇后の話が元であった。

 

 

それには、高良の伝承にある「神部物部」が関わっていた。(上記、リンク)

高良神は、物部の祖神、饒速日命なのだ。


  ☆2 経津主神と武甕槌神

 

この辺りの神話のあらすじを記載。

 

その頃の地上は、「地上は、悪しき鬼や、蛍火のように輝く神や、草木が話すような混沌とした場所」であった。

(中略)

後に、経津主神(ふつぬしかみ)と武甕槌神(たけみかづちのかみ)が派遣され、(悪しき神々を退治して)葦原中国を平定した。

 

二柱は、出雲へ行き、大己貴神に国譲りを迫る。

彼は、子に聞けと去ってしまう。

 

子の事代主神は、出雲の三穂にいた。

彼は「父が去るなら、自分もそうしよう」といなくなる。

 

古事記ではこの場面に、建御名方神もいて、二柱と力比べをし、信濃の諏訪へ敗退する。

「私を殺すな。父の大己貴命と事代主神の言葉に違いない。葦原中国は天つ神の御子に献じよう」と言う。

 

(参考「日本書記」岩波文庫、中村啓信 訳注「古事記」角川ソフィア文庫)

*****

 

経津主神は、布津主神と同神。

彼は石上神宮の布留神=饒速日命。

 

武甕槌神は、鹿島神であり、「高良玉垂宮神秘書」より、高良神と同神。

二柱は饒速日命であった。

 

 

 

  ☆3 大己貴命(大国主神)と事代主神

 

大己貴命(おおくにぬしかみ)の子が事代主神。

しかし、ここでも親等が錯綜する。

非常ーに難解なので、箇条書き。

(図1の系図を参照のこと)

 

☆事代主神は、三穂におられた神。

后は玉櫛姫など。

子は媛蹈鞴五十鈴媛命(ひめたたらいすずひめのみこと)。

神武天皇の后とされている。

 

☆美保神社の祭神は、事代主神と玉櫛姫。

夫婦で祀られていることになる。

 

**

 

☆大国主神の后も玉櫛姫。

別名、三島溝樴姫(みしまみぞくいひめ)。

賀茂建角身命(八咫烏)の娘とされる。

 

☆村屋坐彌冨都比賣神社(むらやにいますやとみつひめじんじゃ)の祭神は、大国主神(大物主神)の后の彌冨都比賣であり、三穂津姫と同神。


村屋坐彌冨都比賣神社

 

 

出雲の美保神社の神は、玉櫛姫であった。

彌冨都比賣が三穂津姫であるから、彼女は「(三穂にある)美保神社の玉櫛姫」ということになる。

 

だが、美保神社の玉櫛姫は、事代主神と祀られ、夫婦とされる。

では、事代主神と大国主神は同神ということになるのではないだろうか。

 

さらに、神武天皇の后とされる媛蹈鞴五十鈴媛は、大国主神の娘であったり、事代主神の娘ともされる。

 

両者が同神であるからこそになるだろう。


櫛玉姫の別名には三島があった。

三島神は、大和では布留神=饒速日命。

筑紫では高良神。


三島・大山祇信仰といえば、愛媛、伊豆では、事代主神(と大山祇神)を言う。 


(伊豆の三嶋大社の事代主神。愛媛の大山祇神社の神を後に事代主神と変更。複雑なので下記で)


三島明神について、wikiでは賀茂神と同一視される説があると記載されている。
これも皆、同神ゆえのことである。

 

*神話の事代主神が三穂におられたのは、「三穂に祀られている神」を意味している。

 

  大物主神と大国主神

 

ここで度々書いている両神も同神であった。(詳細は下の記事)

 

 

大物主神が祀られる大神神社の摂社の御炊社(みかしぎしゃ)から、籠神社の豊受大神と宗像神にたどり着いている。

饒速日命の后の御炊屋姫の名は、それを意味していた。


籠神社に祀られる豊受大神が御炊屋姫。

籠神のもう一柱の天火明命は、饒速日命。

彼らは夫婦だ。


彼は、大神神社の大物主神(大国主神)となる。
 

彼らは物部の祖神。

ゆえに、別社の村屋坐彌冨津比賣神社の社家は代々、物部の子孫だということになる。

祭神の大物主(大国主)神と三穂津姫は彼らとなるだろう。

 

基本、摂末社の神は、名を変えた彼らであった。

摂社の狭井(さい)神社には、市杵島姫命(弁財天)神社もある。

籠神社が示す、豊受大神=御炊屋姫である。

 

 

*子孫が神を祀る(上の記事に詳細)

 

大神神社の社家の大神氏(大三輪氏)は、加茂氏、宗形氏、更に宇佐神宮の当初の社家は大三輪氏であり、同族であった。

また、大三輪氏の始祖は大国主神ともある。

 

ゆえに、それらの社、出雲大社の神、大神神社の神、賀茂(加茂、鴨)の神、宗像大社の神、宇佐神宮の神は同じとなる。

同族の子孫が神を祀ったのだから、神も同じであった。

(*賀茂神が三島神である理由ともなる)

 

☆3で記述した、大国主神の后は玉櫛姫であり、賀茂建角身命(八咫烏)の娘とされていたが、男神は饒速日命自身であったということになる。

(図1*参照のこと)

 

 

 

二柱は、二柱の天照、饒速日命と御炊屋姫。

大国主神=大己貴命=大物主神。

豊受大神=市杵島姫命=宗像神。


「天孫降臨」前後の神もまた、全て二柱であったことになる。(その後の猿田彦の先導なども)


☆2の経津主神と武甕槌命も彼自身であり、葦原中国の悪しき神を平定していた。

 

筑紫には、大己貴命と宗像神が夷類退治をする伝承がある。

 

彼らは高良神と神功皇后。

二柱には、異類退治(羽白熊鷲)の伝承があった。

 

同じ神ゆえ、同じ話となるだろう。

 

 

( つづく )

 

 

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