新嘗祭は冬至の頃にあった。

その頃の0時の南中には、オリオン座。

新嘗祭と同じ日、石上神宮では魂振神事がある。

本来の神事は何を意味するものなのか。

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★目次

☆1 旧暦の新嘗祭

☆2 石上神宮の魂振り神事

☆3 住吉神

☆4 天岩戸開き

☆5 閉じられた岩戸

 

  旧暦の新嘗祭

 

wikiによると、明治6年の改暦より以前は太陽太陰暦(旧暦)の11月の二の卯の日、旧暦11月13日~24日)に行われていたよう。(旧暦の11月は、冬至を含む月)
改暦にあたって、11月23日に行われるようになったようだ。

 

この旧暦の間に冬至がある。

一年に一番昼が短く、夜が長い。

 

冬至は「一陽来復(いちようらいふく)」とも呼ばれる。

大辞泉では
「(易で、陰暦10月に陰がきわまって11月に陽が初めて生じることから)陰暦11月。または冬至。
悪い事が続いた後、ようやく物事が良い方向に向かうこと。」
とある。

 

長い夜の後は、徐々に昼(日の光)が長くなる。

 

新嘗祭は元々は、この冬至にあり、太陽の復活を祈る儀式ではないだろうか。

 

その日でなければ、神事の意味が成り立たない。

 

 

  石上神宮の魂振り神事

 

新暦の11月22日。

石上神宮では魂振り神事(鎮魂祭)がある。

この神事も改暦により、日付だけ移動したものと思われる。

 

 

饒速日命の命日だと伝えられていて、奈良の石上神宮では、蘇りの儀式とされる。

 

石上神宮

 

 

神事では「十種神宝祝詞」が奏上されていた。

その中の「ひふみよいむなやこのと ふるべ ゆらゆらと ふるべ」は布留の言(ふるのこと)と言われる。

 

十種神宝を振るい、この呪文を唱えると死人も蘇るという。

蘇りの儀式。

 

新嘗祭と同じ日であるのは偶然であろうか。

 

 

  住吉神

 

冬至の頃にあったはずの両神事。

やはり、それだからこそ意味のあるものになる。

 

その日、オリオン座が真夜中に南中に来る。

それに気づいたのはこのサイト。

 

「こちらご遺体搬送の日礼自動車です」
http://blog.livedoor.jp/nichireij/archives/1728856.html

秘されてるという新嘗祭、大嘗祭のことについて詳しく記載されていた。

 

上記サイトによれば、新嘗祭は冬至の頃、オリオン座の動きと共に行われるとあった。

 

冬至の頃。

 

(アプリ*星座早見より)

日付時間での星の位置を知るにはこのアプリ!

 

12月23日の0時。

オリオン座が南中にある。

 

上記のサイトによると、天頂に来るころ、天皇はオリオン座と共に食事をし、これが魂を受け継ぐことになるという。

(上記サイト)

 

オリオン座の三ツ星は、住吉神の化身とされる。

また、北の正中には北極星、北辰の神である天御中主神がおられることになる。

 

冬至の新嘗祭の0時。

関わる神が、住吉神と天御中主神。

 

それが「魂を受け継ぎたい神」ではないのか。

両神は皇祖神になる。

 

住吉神とは、高良神。

彼は物部の神、饒速日命であった。

 

 

この一年で一番重要だという神事の日に、見守るようにある三ツ星。

古来から目立つ為に神とされてきた星が、この日そこにある。

皇祖神と結びつけられたとしても、不思議では無い。

 

(彼の命日というのは、後の世の設定では無いかとも思われる。)

 

 

  天岩戸開き

 

石上神宮ではその日、魂振り神事があった。

十種神宝祝詞を奏上するそれは、神の蘇りを祈る祭りになるだろう。

 

新嘗祭は、本来の冬至ならば「太陽の復活を祈る儀式」の意味がある。

 

では、石上神宮の神事と新嘗祭は、同じ意味。

彼は太陽神の天照なのだ。

 

神事は力の弱まった太陽=天照の復活ということになる。

 

 

天照の復活?

まるで「天の岩戸」のよう。

新嘗祭は、それを意味しているのでは。

 

もしかすると、神話の「天の岩戸」はこの神事を示唆しているのかもしれない。

 

 

彼は「天照國照彦天火明櫛玉饒速日尊」
(あまてる くにてるひこ あまのほあかり くしたま にぎはやひ の みこと)

天照は二柱であった。

女神は彼の后の御炊屋姫に繋がる。

 

では、男神天照は彼。

 

彼と住吉神を繋ぐもの。

そこには高良神の存在は欠かせない。

 

彼は間違いなく、高良神なのである。

后は「神功皇后」。

彼女が、御炊屋姫。

 

石上神宮にも、住吉大社にも彼女が祀られているのは、そういう訳になる。

 

だが、常識と言う名のバイアスが、この先もとり除かれることはないかもしれないと感じている。

 

 

 

 

 

 

  閉じられた岩戸

 

山友の山伏の法禅さんによれば、

 

「明治維新前の大嘗祭には、密教が深く関わり、北辰信仰が色濃く反映されている。
旧暦で行うからこそ、意味がある神事。」

 

 

旧暦でなくなった今は、本来の意味が分からない。

それは、本来の神事の役目をはたしていないと言えるのかもしれない。

 

 

天照は隠されている。

神事は本来の意味を成していない。

 

天岩戸は開かれないままなのだ。

 

 

 

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