同神ゆえ、社や、周辺の伝承となる。

彼らは関門海峡の工事をしていた。

神業であるからこそ、神として祀られる存在となったのだ。

★目次

☆1 和布刈神社

☆2 関門海峡は天然の海峡ではない

☆3 安曇磯良神(高良神)と神功皇后の水利工事

 

  和布刈神社

 

和布刈(めかり)神社は、関門海峡の門司(九州)側にある。

 

 

福岡県神社誌でのご祭神は

 

祭神、豊玉姫神、日子穂々出見尊、多紀理毘賣命、市杵島姫命、多岐都比賣命、ウガヤフキアエズ尊、安曇磯良神。

 

しかし、神社のHPには、瀬織津姫が主祭神とある。

  

 

 

 

*瀬織津姫と宗像三神

瀬織津姫は女神の天照。

別名、撞賢木厳御霊天疎向津姫。

厳御霊は、厳島神社の神を意味し、市杵島姫命と同神であった。

神話での宗像三神は、女神天照の息から現れているので、同神を示唆している。

 

ゆえに、祀られている宗像神が瀬織津姫であると意味していることになる。

 

 

*安曇磯良神。

彼は高良神と同神と「高良玉垂宮神秘書」にある。

また、志賀海神社の志賀神、住吉神とも同神。

彼は物部の祖神でもある。

 

志賀海神社は龍宮と呼ばれており、このような伝承がある。

 

 

神功皇后高良神

彼女が三韓征伐の際に祈る

玄界灘から金色の雌雄の亀に乗った安曇磯良神が現れた。

干珠満珠の力で海の満ち引きを操り、彼女を助力。

月神と呼ばれる。

  (神話の月読神は彼のこと)

 

 

 

この話は、浦島太郎伝承、山幸彦海幸彦の話の元となったもの。

言うなれば、それに関わる者はすべて彼ら、アイテムは同じ物を意味する。

 

 

浦島太郎>=住之江の者

塩土老翁が助力する=住吉大社の奥宮の神

(亀に乗り龍宮へ)

龍宮の龍神*海神の綿津見神=志賀海神社の神

乙姫と会う。

玉手箱をもらう➡翁になる

 

山幸彦>=天火遠理命=日子穂穂出見命

塩土老翁が助力する(目無籠に押し込む)

海神=綿津見神

豊玉姫と夫婦に。

涸潮珠満潮珠をもらう。

 

ゆえに、和布刈神社の御祭神に、それらの神の名があるのだ。

 

志賀海神社の社家阿曇連の祖先伝承は姓氏録、右京神別に「海神綿積豊玉彦神子」とある

(岩波文庫「日本書紀」注釈)

 

志賀海神社の安曇磯良神は、綿津見神であり、豊玉彦。

祀る子孫がみな同族であった為、神の名は違っても同じということになる(これは後に)。

 

 

高良神は、物部の祖神である饒速日命。

ゆえに「天火遠命・山幸彦」に繋がる。

別の者ならば、伝承は一つにならない。

 

また、彼の后は神功皇后。

彼女は御炊屋姫=市杵島姫命(宗像神)=瀬織津姫。

(御炊屋姫の名は豊受大神を意味する)

彼女も然りだ。

 

 

  志賀海神社の綿津見神は、龍神。

八大龍王社の神。

そこからも彼らに繋がる。

脊振の乙護法善神が彼であるから、浦島太郎の乙姫が神功皇后となる。

 

 

 

安曇磯良神について、和布刈神社のHPにはこのような記述がある。

ご神宝

 三韓征伐の際、神功皇后が航海中に海の神さまである安曇磯良(あずみいそら)より潮の満干の法珠を授けられた。この時に得た宝珠が和布刈神社の御神宝「満珠(まんじゅ)干珠(かんじゅ)」である。この満珠と干珠は、月の満ち欠けの影響を受けて潮の満ち引きを操り、「全てのものを導く役目」を果してきたと言われている。
(和布刈神社HPより引用)

 

お守り*満珠御守*干珠御守

 

同神ゆえ、彼らにまつわる伝承がある。

また、「高良玉垂宮神秘書」には干珠満珠についてこうあった。

 

当山一火は高良神が神璽(しんじ)の玉を、異敵攻める時に皇宮に至るまで預かる。

また干珠満珠を竜宮に借り、異国を平らげる。

 

この三ヵ玉の威力、高良山一火と照らし、上宮御殿によりいで、八か寺を巡り(中略)元のごとく上宮御殿に留まる。

もしこの火消ゆることあらば、当山滅亡たり。

 

 

ウガヤフキアエズ尊も、彼と同神と繋がっている。

 

 

 

  関門海峡は天然の海峡ではない

 

少し前にこの記事を書いた。

「儺の國の星」に、神功皇后が早鞆門の工事を行ったとあり、それから和布刈神社へと繋がっていた。

 

 

関門海峡には、神功皇后が三韓征伐の際に通る時に山が崩れて海峡ができ通れるようになったという伝承がある。

「儺の國の星」の記述はこれを意味していると思われる。

 

まさかと思っていたが、「下関情報誌」に興味深い記述があった。

これは今、ネットでしが見られない模様。

(リンク先はDPF)

http://www.city.shimonoseki.yamaguchi.jp/seisaku/kikaku/kanmon2005/pdfdata/084-101.pdf

 

(以下、上の記事から引用)

地質学的に関門の地は太古陸続きだったといわれていて(中略)この説は明治43年に刊行された「日韓上古史の裏面」(西川権著)に語られるもので、「日本書紀」に記されている仲哀天皇が豊浦(現在の下関の長府の地)に滞在したのは、陸続きだった穴門の地を破(さくは)して関門水道を開通する為だったという伝承です。もともと関門海峡は天然海峡ではなく、海峡の東口方面から工事が行われたものであり、穴門開工事の起工式において、皇后がこの海中工事の無事成就を祝祷したことの名残として、長府沖に浮かぶ満珠・干珠(まんじゅ・かんじゅ)二島が干満如意の二玉を埋蔵したという伝説があります。

(「下関情報誌」より引用)

 

もしかすると、水道はあったが溜まっていた土砂などがあり、船が通れなかったものを工事して通れるようにしたということかもしれない。

 

何にせよ、これには「神功皇后」が関わっている。

 

 

また、対岸の山口側の彦島八幡宮のHPに、引島と彦島についての伝承が記載されていた。

 

 

千八百年前に、三韓出兵の際に仲哀天皇と神功皇后が舟で通る時に両側の山が崩れて船が通れるようになったという。

この海に落ちた山が西に流れて一つの島になった。

山が引きさかれたように見えたので、「引島」と名付けたとある。(彼女の伝承はすべからく千八百年前)

 

もう一つの説があった。

山幸彦海幸彦の物語はこの地が舞台とある。

(以下、彦島八幡宮HPより引用)


 今一つの説は、神代の昔、ヒコホホデミノミコトという神様が天から降られてお兄さんから借りた大切な釣り針で魚釣りをしていたところ、その釣り針を魚に取られてしまいしまった。

それを探すために海士(あま)になって海に潜り、龍宮へ行かれたという神話があります。
 このヒコホホデミノミコトが天から降られて海士になったところが彦島の海士郷(あまのごう)だといわれるし、ヒコホホデミノミコトゆかりの島という事で彦島と呼ばれるようになったという説もある。

 

前述のとおり、これらの神は二柱に集約される。

彼らがこの地に関わるから、祀られているのだ。

 

(当時は今より海面が3~4m上昇してると思われる)

 
和布刈神社*ふくのゆるみくじ
 

 

  安曇磯良神(高良神)と神功皇后の水利工事

 

安曇磯良神である高良神は、饒速日命であり、三輪の神である。

明日香の亀石の伝承から、古代奈良湖の水を引いたのは彼だとたどり着いている。

古代奈良湖は「亀の瀬」の北の山の山体崩壊により出現し、大和川開削をし、水を排出させたのは彼らなのだ。

 

古代、それをしなければ水は引かない。

周辺の伝承から繋がる彼ら以外にいないのだ。

 

 

 

 

 なお、大和のこの地に「神に繋げる伝承」を残したのは、饒速日命と共に天降った部族の一つ「当麻物部」が居着いたからであった。

周辺は武内宿禰も祀られており、物部以外の蘇我氏、紀氏、平群氏などの祖神は彼としている。

しかし、武内宿禰は物部姓であり、高良神。

饒速日命が彼である所以になる。

 

 

 

 

彼らは、福岡の那珂川でも裂田溝を土地の人と造り上げている。

 

彼らにはその技術が確かにあった。

 

関門海峡が天然の海峡でなく、神功皇后、山幸彦、安曇磯良神の伝承があるならば、彼らが行った可能性が大いにある。

いや、それをできるのは彼ら以外にはいないだろう。

 

これは「明日香の亀石」と同じ。

周辺にある伝承から繋がるのは彼らなのだ。

 

 

 

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