昔の人々は身の回りの持物にいたるまで天に則した器を置いて心を正していたのである。

日月星が、彼らの基準であるからこそ、そこに神を見出した。

「守護する者」は、守護されたいと思う者の手により、祀られたのだ。

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★目次

☆1 三角の神

☆2 佐太と三角と猿田彦神

 

  三角の神

(「儺の國の星」25、多比羅星(たひらほし)より引用)

 北国船全盛の頃は”かたしらす”は琴平星、或いは金比羅星とよばれ船頭連の守護神であった。肥前松浦田平(たびら)、高来平(たいら)などは”かたしらす”を祖神とする一族の故郷であり、神代はその姓であった。

 

前回の24の山形星の回に、カシオペア座について触れていた箇所があった。(前回は、引用箇所長くなるのでカットしてます)


(24、山形星より引用)

殷文で山は三箇三角形を並べた形であった。大和三山、即ち畝傍山(一九九米)香久山(一五二米)耳成山(一四〇米)の群山がこれである。

...”かたしらす”は五箇の星群よりなり、中の一つを共通にして二箇づつが相向う。或いは相等しい三箇が底辺の一つを重ねて並んでいるかの如くにもみえる。古人はこれを対三(たいさん)と書き”きさか”と訓じた。

 

山形星はカシオペア座のことであり、かたしらすと呼ばれていたとある。

カシオペア座は、オリオン座、北斗七星と共に見つけやすい。

では、様々な基準になりやすく、ゆえに神と崇められることになったのだろう。

 

また、その並びから「対三(たいさん)」と書き、”きさか”という。

言葉があるということは、複数人での共通の認識を持っていたということになり、重要視していたことにもなる。

 

三角は一番シンプルな結界であった。

 

大和三山を繋ぎ、畝傍山から三輪山の山頂まで線を引くと、三角がほぼ二等分される。

 

図1 大和三山

地図はGoogle map

 

三輪山は大神神社の御神体であり、祭神の大物主神(大国主神)は男神天照の饒速日命であった。

 

奈良にはもう一つの三角がある。


図2 奈良*三角

地図はGoogle map

 

1の畝傍山、2の三輪山、3の櫛玉比女命神社を結ぶと、その先の4は三島神社。

 

この形はどこからでも出来ると思うが、対応するものから意味を見いだすことができれば必然かもしれない。

 

畝傍山の麓には、最初の天皇とされる神武天皇の墓があるとされる。

三輪山には(神話で大和を譲り渡した)饒速日命の大神神社。

櫛玉比女命神社には、その后の御炊屋姫(市杵島姫命)。

その先の三島神社には、布留神である石上神宮の饒速日命。

(移動されている)

 

友人はこれが「矢的」であり、大和の語源の一つではないかと言われている。

 

 

彼らは筑紫へと移動して、高良神と神功皇后と名を変えられている。

筑紫にも「筑紫三山」があり、彼らが関与していた。

 

図3 筑紫三山 

地図はGoogle map

 

飯盛山、若杉山、基山を結ぶと綺麗な三角が出来あがる。

北を底辺にしたほぼ真ん中の2の場所に「熊野道祖神社」があり、神話の黄泉の大岩のくなど神が祀られていた。

黄泉との堺にあり、黄泉の者が入らないようにしている神であった。

 

 上とほぼ同じ



飯盛山にはイザナミ命、若杉山にはイザナギ命、その真ん中に両者を隔てるクナド神。

神話の「黄泉の国訪問」が意味するものはこれであろう。

 

これを支えるようなオレンジの線には、神社が並ぶ。

これが「真の道」。

 

神話で、葦原の中津国に天照降ったニニギ命が「笠沙の岬まで真の道が通じていて」はこれを意味する。

 

1は筥崎宮。

葦津ヶ浦と呼ばれていた、笠沙の岬。

4は現人神社。

 

彼らは高良神(住吉神)と神功皇后。

筑紫において、異類(羽白熊鷲)を退治していた。

彼らは祓いの神、住吉神と瀬織津姫でもあり、その名はこれに起因している。

 

これに関する全てに、名を変えた彼らが祀られているゆえだ。

 

 

これが神話の元の話となる。

  

若杉山には太祖宮がある。

下社とで結ぶ三角では、「岩戸」が導き出される。

それが図4。

 

図4 岩戸

地図はGoogle map

 

10は脊振。

クシフル岳である、櫛布留岳。

9は山神社の岩戸。

8は地形の岩戸。

 

(詳細、以下の記事)

 

これは神の交代を示唆していた。

 

 

(「儺の國の星」25、多比羅星より引用)

”たひら”のたは胡語の三で、英語のthree(スリー)独語のdrei(ドライ)と同じ系統であって、船人はWの上の三星をまず拾ってそれに直角の方向を北天の中心と撰ぶことになっておりました。

 

これは今でも北極を見つける方法である。

物部の先祖は近東から来たという記述が繰り返しある。

日本語の元(古語)には、方々の言葉があったのかもしれない。

 

 

  佐太と三角と猿田彦神

(「儺の國の星」25、多比羅星より引用)

(佐太の大神)

”さた”とは三対(*対三か)の訓読であった。対三は...漢音を移して大山(一七一三米)と書き伯耆(ほうき)の守護神と崇め、又大山祇命と木花咲耶姫を並べて山神の祠をたてる信仰に変った。...昔の人々は身の回りの持物にいたるまで天に則した器を置いて心を正していたのである。

 

 

さたとは佐太であり、猿田彦神を意味する。

那珂川は彼の発祥の地であるとされ、日吉神社は山王社と呼ばれている。

一般に山王社には、大山祇神が祀られる。

同神ゆえであった。

 

 

大山祇神=大己貴神=猿田彦神。

大己貴神は、三輪山の大物主神である饒速日命であり、猿田彦神とは彼であった。


饒速日命は高良神であり、住吉神と同神。

この地には住吉神の元宮がある。

 

つまり、この地に「住吉神と猿田彦神」の大元があるのは、同神であるからということになる。

 

饒速日命は男神の天照。

猿田彦神が国津神の天照ともされるのは、同神ゆえだ。

 

 

 

大山祇神は三島神社の祭神。

三島神は、奈良では布留神である石上神宮の饒速日命。

筑紫では高良神。

また、上記の引用に「”かたしらす”は琴平星、或いは金比羅星」とあった。

金毘羅神もまた、三島神社に祀られている。

やはり、同神ゆえなのだ。

 

(かたしらすは事代主神を表すのではないかとの表記もあるが、彼もまた同神)

 

伯耆である鳥取の大山には大己貴神が祀られている。

上記の引用の「大山祇神と木花咲耶姫」とは、彼らのことになる。

 

饒速日命と御炊屋姫

=猿田彦神とアメノウズメ命

=高良神と神功皇后

 

 

三角である三対が”さた”。

さたは佐太であり、猿田彦神(大山祇神)。

彼は饒速日命。

那珂川に彼がその名で祀られていることは必然になるだろう。

 

図4の「真の道」の★6にあるのは、その日吉神社。

 

三角である”さた”の神。

神は、それを守護する者であるのだから。

 

 

 

 

(つづく  )

 

 

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