まさに天智帝は筑紫に行在所を定められた故に、後の京都に脊振と同じ葵祭を遷されたことになるのである。

葵祭は筑紫の神の為の祭りであった。

ここにおられた神が加茂の神である。

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★目次

☆1 加茂神は蹈鞴の神

☆2 葵祭は筑紫の神の祭り

☆3 現人神社と脊振神社と加茂神と饒速日命

☆4 まとめ

 

  加茂神は蹈鞴の神

(「儺の國の星」14、加茂星より 抜粋、引用)

(長いので、抜粋です)

一目を高麗の古語で Kana-muri(カナムリ)と言う。...一目は地中海の噴火口の神であり、後には蹈鞴の神となった。...那珂川ではこれを称して八丁様、京都山城では加茂の神と崇め奉った。

 

天一目箇神は、蹈鞴の神。

加茂の神は、蹈鞴の神であり、カナムリ=雷神である武御雷神(武甕槌神)と同神である。

これは後に解説。

 

 

  葵祭は筑紫の神の祭り

(「儺の國の星」14、加茂星より、抜粋、引用)

☆天智帝は元(六六二)年壬戌に筑紫の長州宮に遷都し給うた。

☆長州宮からは青葉若葉に風薫る山たたなみの彼方に脊振の頂が眺められた。

☆天智帝には後に大和に御帰還後、六(六六七)年丁卯に山城の氏神なる加茂の社に、筑紫と同じ葵祭を事寄させ給うたのである。

☆まさに天智帝は筑紫に行在所を定められた故に、後の京都に脊振と同じ葵祭を遷されたことになるのである。

 

 

天智天皇が暮らしたという筑紫の長州宮とは那珂川市の上梶原のこと。

 

地図はGoogle map

 

「儺の國の星」に記された写真の「上梶原」から。

今、小中学校が建っている場所と思われる。

 

天智帝はここで葵祭を見られて、それを京都に移した。

かの書には「長州宮からは脊振の頂が眺められた」とあり、筑紫と同じ葵祭を加茂に遷したとある。

 

脊振山山頂の脊振神社*上宮

 

その祭りはどこであったのか。

 

現人神社辺りから見た脊振山頂

 

☆上梶原近辺からは手前の山が近く、脊振の山頂は見えない。

現人神社辺りまで来ると、空気が澄んでる時は見える。

☆山頂で祭りがあったとしても、見ることは出来ない。(上の写真はうんと望遠)

 

肉眼だとこれくらい*冬の良く晴れた日
 

ここからざっと30kmはある。

☆「筑紫と同じ葵祭」とある。

脊振神社の下宮は、山を越えた向こうの佐賀にあるが、そちら側ではない。

 

 

では、天智帝が見られた葵祭は、この地のものだと推測される。

 

祭は神の為にある。

葵祭の「脊振の神」は筑紫におられたということになる。

 

 

☆脊振の神=櫛布留神

脊振の神は、神功皇后が祀った市杵島姫命=弁財天。

山頂近くには、タニシ仏(毘沙門天)。

 

脊振に伝わる数々の伝承から二柱の神に繋がる。

(以下、詳細)

 

市杵島姫命は弁財天=御炊屋姫。

毘沙門天は高良神=饒速日命。

 

饒速日命と御炊屋姫は夫婦である。

 

高良神は物部の神、饒速日命であり、彼女はその后の神功皇后。

祀った神と祀られた神は同神であった。

 

脊振の神は彼ら。

よって、久士布流多気=櫛布留岳。

饒速日命の名を冠する山であった。

 

 

  現人神社と脊振神社と加茂神と饒速日命

(「儺の國の星」14、加茂星より、引用)

筑紫の神々は畿内に遷座して故郷発祥の地を凌ぐ程の繁栄隆昌を今に示している。脊振神社は京都賀茂神社に、現人神社は大阪の住吉大社に生まれ変って本家本元はまことに寥々たる寂れ方である。

加茂の神は元来は蹈鞴の神であった。

 

 

だからこそ、この文も繋がる。

現人神社は住吉神の元宮であり、かの神は高良神と同神。

彼は饒速日命であり、籠神社の天火明命とも同神。

 

大阪の住吉大社の社家は、天火明命が祖神であった。

子孫が祖神を祀るので、住吉神が饒速日命となる。

 

脊振の神も彼らであり、加茂神も彼らとなる。

 

 

 

(上記、葵祭と住吉神と神功皇后 3 より抜粋)

 

加茂神社には、古代の斎場「糺(ただす)の森」に奈良殿神地(ならどのかみのにわ)がある。

そこで、卯の花神事があったという。

 

川の中の「舩(船)」の形の島を磐座とし、難良刀自乃神(ならとじのかみ)が祀られている。

その神は、天鳥舩(あまのとりぶね)に乗って降臨したという神話から、「舩島」と呼ばれていた。

 

難良刀乃神は、天鳥舩に乗ってやってきた。

アマノトリフネに乗る神は、饒速日である。

 

☆境内の伝承は神の由緒を示す。

加茂神は、彼なのだ。

 

 

加茂(賀茂、鴨すべて)は、饒速日命であり、高良神。

彼は筑紫の神であった。

 

その后の御炊屋姫は市杵島姫命=宗像神。

彼女が神功皇后。

 

加茂神は、神話の八咫烏。

鴨建津之身命=賀茂建角身命(かもたけつのみのみこと)と同神であった。

やはり、繋がるのだ。

 

賀茂建角身命は、別名、三島溝咋神(みしまみぞくいかみ)。

彼が饒速日命自身となる。

ゆえに、下記の姫もすべて同神となる。(上記、詳細)

 

三島溝咋神(八咫烏)←饒速日命

  ↓

★娘*勢夜陀多良比売(せやだたらひめ)=玉櫛姫

大物主神←饒速日命

  ↓

★娘*媛蹈鞴五十鈴媛(ひめたたらいすずひめ) 

神武天皇←(饒速日命と神話上で同神)

 

 

  まとめ

 

では、☆1の加茂神が蹈鞴の神であることと繋がる。

蹈鞴の神とは火の民が祀っていた”フツ”であった。

布津主神である、石上神宮の饒速日命だ。

 

彼がそれであり、その名と対になる勢夜陀多良比売が后の御炊屋姫となる。

(以下の記事の☆3 蹈鞴の神*フツ)

 

*勢夜陀多比売

 

彼女には、玉櫛媛、三島溝樴(みぞくい)の別名がある。

玉櫛媛とは、櫛玉比女神社に祀られる御炊屋姫。

弁財天であり、脊振に祀られる神であった。

 

 

また、彼は雷神の武御雷神。

高良神は、鹿島神、鹿島神とも同神であった。

 

 

間違いなく繋がるのだ。

神話は、暗号のようなもの。

意識の転換をすれば、必ず繋がる。

 

 

 

真鍋氏にお会いしたかった。

 

 

(つづく  )

 

 

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