猫神とは根子神。

国の根っ子を造った高良神を言う。

ここには猫城がある。

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★目次

☆1 猫嶺城は、高良神の城

☆2 猫神と大国主神

 

  猫城嶺は、高良神の城

 

(「儺の國の星」8、中時星(しなつぼし)より 引用)

 下代久事橋の上手に十入道(とうにゅうどう)の字名があり、標高九九・三米の輪郭をたどると市ノ瀬、成竹、不入道の部落が水底に水没し、猫城で支える巨大な湖が存在していたことが分かる。これを”なかのかふち”と呼んでいたらしい。(真鍋,1982,P36)

 

猫城とは、筑前風土記にも記されている。

「那珂川の一の瀬には、高良神が若い頃にいた猫城あり」
 

これが猫嶺城である。

 

(詳細は上の記事で)

 

猫嶺城

図1の猫嶺城を那珂川の向こう側(西から東)から見た。

橋は共栄橋。

 

図1 地図は標高が分かるweb

 

左の図の★マークが猫嶺城。

右図が拡大、中央の+マーク。

 

猫嶺城の標高はおよそ101.8m。

99.3mだと高すぎるだろうか。

 

高良神は根子神ともされているが、猫城が高良神の城と伝わっているのならば、その可能性が高い。

その名は、国の根っ子を造った神の意味がある。

国を平にした国平神、すなわち大国主神。

(根は、古語で神、貴人の意味がある)

 

 

彼は那珂川の地におられた。

それをうかがい知れるものがあった。

 

ここには二つの元宮がある。

住吉の元宮の現人神社。

 

現人神社

 

日吉大社の元宮の日吉神社。

 

 

彼、高良神が饒速日命であり、住吉神、猿田彦神でもあるからだ。

彼はこの地に存在した。

その一つが猫嶺城になる。

 

上記リンク先の日吉神社の伝承から、猿田彦とは乾田を広めた(実際に開拓して)者たちではと推測された。

 

彼らは水利工事を得意としている。

奈良湖の水を引いたのも彼らであった。

 

猫嶺城の横の那珂川を堰き止めれば、南に湖が形成される。

その城は、堰の監視場所だと推測されないだろうか。

 

彼は、猿田彦神なのだ。

国津神の天照。

まぎれもない、彼である。

 

神話の神は、二柱の天照に集約される。

それが饒速日命と御炊屋姫。

高良神と神功皇后。

 

ゆえに、彼らはこの地に「降臨」したことになる。

天孫であるニニギ命、神武天皇もかれらの伝承の一つだ。

 

「天孫降臨」の地とはここになる。

 

 

 

  根子神と大国主神

 

猫城の高良神が根子神。

彼は大国主神でもある。

 

大国主神の住まいは宇迦山の麓。

   ↓

饒速日命(歳神)と御炊屋姫(豊受大神)は、宇迦之御霊(稲荷神)。

   ↓

この地にある脊振山が久士布流多気(くしふるたけ)。

   ↓

櫛布留岳であり、饒速日命を意味している。

(神功皇后が祀った市杵島姫命(弁財天)が祭神=同神)

   ↓

脊振山が彼らの名を冠した宇迦山となる。

彼らは宇迦之御霊なので、

 

大国主神の「宇迦山」とは、この地の神の住いを意味し、見立てになるのだ。

(詳細、下のリンク)

 

彼らは、この地に確かに存在した。

 

 

(つづく  )

 

 

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