武内宿禰が祀られる武雄神社。

伝承から神に繋がる。

住吉神は高良神であり、神秘書に同神とあった。

★前回の記事

 

佐賀県武雄市武雄
「武雄神社」 

          


ご祭神は、武内宿禰、武雄心命、仲哀天皇、応神天皇
     神功皇后   

 

彼らは高良神とその后の神功皇后。

 

 

 

二柱の神となる。  


                       
神社の奥へ向かうと「武雄の大楠」がある。

 

東山圭吾氏の「クスノキの番人」のスペシャルPVの時のロケ地。

イメージぴったり。

 

 

  御船山の神

社の背後に、船の形をした御船山がある。

ここに祀られる神から、彼らへと繋がる。

 

武雄神社のHPより

 

「武雄神社本紀」によると、神功皇后が三韓征伐の帰途、武雄に兵船を止め、それが御船山に化したとります。

 

これにより同行した住吉神と武内宿禰が御船山の南嶽(船の艫)に鎮座し創祀されました。

 

して天平7年(735年)初代宮司 伴行頼に「吾は武内大臣である。艫(とも)には住吉神がおられ、艫獄に祀られていても畏れ多く落ち着かないので、幸い軸獄に自分を祀るならば、末永くこの地に幸福が訪れるであろう。」との神託がありました。

 

伴行は大宰府を通じて朝廷に奏請し、武内宿禰を主神に、仲哀天皇、神功皇后、応神天皇、武雄心命を合祀し、北麓に奉遷し武雄宮が創建されたとしるされています。

 

 

神功皇后に同行した「住吉大神と武内宿禰」。

高良の伝承「高良玉垂宮神秘書」と同じく、住吉神は彼女と共に行動していた、高良神なのである。

 

ここ大事!

住吉神は神功皇后と行動を共にしていた!

 

彼は「神」としての存在では無かった。

 

 

☆武内宿禰と住吉神

 

社の裏にある御船山に鎮座したはずの二柱。

武内宿禰が現れ、畏れ多いというので分けたという。

 

神を分ける話は他にもあり、同神に繋がる。

 

☆大阪の楯之御前社。

崇神天皇の時、国平大神(大国主)と建御雷男命は同殿同床では畏れ多いので分けたとある。

 

大国主神は大物主神と同神=饒速日命=高良神。

高良神は武御雷神と同神。

 

共に祀られていたということは、同神であるがゆえ。

 

 

後の世で別の神とされたため、分けられたのだ。

 

それは、元々は一柱の神を祀るものであったが、その神が他の神としても祀られるようになった為に分けたということにもなる。

 

武雄神社で、御船山に祀られていた武内宿禰と住吉神も、これに同じ。

同神なのだ。

 

御船山。

船の神はアマノトリフネでやって来たという、船の神、饒速日命。

彼は、住吉神であり、高良神、武内宿禰。

 

 

 

  元寇と再臨の神

 

武雄神社のHPには、「元寇」とこの社の関わりも記されている。

神が元寇を退けたという。

 

文永の役の十月二十日の夜、武雄神社の神殿から鏑矢が元軍目掛けて飛び、元軍は逃げていったとしてあり、弘安の役では上宮から紫の幡が元軍船の方に飛び去って、大風を起こしたとあります。

この霊験により「九州五社ノ内」と称され、九州の宗社として隆々と栄えた時代もありました。

 

 

元寇には、宝満山の神も退けたと「高良玉垂宮神秘書」に記されていた。

その功績故に、宝満山は崇められていた。

 

「高良玉垂宮神秘書」より。

 

三韓を神功皇后には玉水を持って、退治し給う。

文永には妙火をもって退治あり。

弘安には大風を吹かせたまう。

水、火、風、これ三つにして退治あり。

神功皇后 聖母大菩薩となりたまうなり。


三韓とはの件もある。

 

異国に三韓と申せば、新羅、高麗、百済国

神功皇后には、玉水をもって退治し給う。

聖母大菩薩なり。

 

宝満の神が元寇を退けた。

ゆえに祭神の神功皇后が聖母大神となったのだ。

宝満山には玉依姫も祀られている。

なのに彼女のみなのは、同神であるだからだ。

 

 

武雄神社と宝満山、高良神と神功皇后。

彼らは「高良大社の神」。

高良神は、再臨し、国を守る神とされていた。

 

「高良玉垂宮神秘書」には、こうある。

 

九国高良の麓の為依り、我九国人の慇(あわれみを)もらさず。

敵軍滅ぼさんと思わば者、味方の先鋒なりて供に戦う。

 

我兜率の内いんともいえり*、我ために心さしあらん人は、高山に登りて、むこはらをたたいて祈れ

 

高良神が崩御した後でも、九州人に何かあったら戻ってきて、先鋒になって戦うよと言う意味。(詳細下記)

 

さらに、高良神と同神の住吉の元宮の現人神社には、「国の大事の際、人の前に姿を現し、神通力をふるう神」とある。

 

 

それを踏まえての「元寇」での奇跡のような出来事。

 

「元寇」の際に敵を退けたのは、神のおかげ。

「国の大事の時に国を守るとされる二柱を祀った社」のおかげとされたのだろう。

 

それは、その二つの社の神は「高良(大社に祀られている)神」ということになる。

 

ゆえに、武雄神社の武内宿禰は、高良神であるのだ。

 

                   
木の向こう側に見えるのが流鏑馬の道。
前に、TVで一所懸命練習する子供達の姿を見た。

今年はあるのかな。

 

 

*記事内の考察や写真、イラストなどの使用は著作権のルールに沿ってくださいますようお願いいたします。

 

*******************************************

 

X(Twitter)

古代や神のこと、少しずつつぶやきます。

小分けなので分かりやすいかもです爆  笑

フォローお願いします笑ううさぎ

https://twitter.com/sakura15335       .