福岡県久留米市大善寺町宮本にある「大善寺玉垂宮」。 

ここには「鬼夜」という祭りがあった。

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ご祭神 玉垂命(藤大臣、高良神) 
     八幡大神
     住吉大神 

 

大善寺玉垂宮のHP

(拝殿)
 

< 御祭神 玉垂命とは >
 

玉垂命は、高良大社の御祭神、高良玉垂命。

藤大臣とは、高良玉垂宮神秘書(以下、神秘書)でも高良神の別名。

神秘書には、神功皇后の前に現れ、人の姿となり、藤大臣と名乗り、神功皇后と共にイルヰと戦ったとあった。

 

また、住吉三神の底筒男神。

常陸(鹿島)神と、春日神(武御雷神)、志賀神(福岡の志賀神社の綿津見三神)とも同神。
鹿島神宮の伝承でも同じものがある。

神の鉾 2 ~高良玉垂宮神秘書~

 

高良大社の地は、古来、物部氏の領地。

高良神は、彼らの祖神、饒速日命。
(住吉三神は、実は一柱)

 

神秘書にはこのような一文も。

「高良神は物部の姓。たがえるならば当山滅す」

彼は物部の神なのだ。

 

しかも、三種の神器をもたらしたのは彼。

祖神なのだ。

 

 

高良神=住吉の底筒男神=鹿島神=春日神=武御雷神=志賀神(綿津見三神)=饒速日命。

 

神秘書には、高良神は神功皇后と夫婦。

ここには八幡神も祀られている。

八幡神は、本来は高良(住吉)神であり、饒速日命であった。 (後に説明)            .
 

< 鬼夜 >

 

日本三大火祭りの一つとされている。
以下、上の説明板から。

この火祭りは「鬼夜」と言い、その縁起は古く、仁徳天皇五六年(三六八年)に、 肥前に桃桜沈輪(ゆすらちんりん)という悪徒がいて、これらを伐つため、 藤大臣が勅命を受け、大松明をかざして打ち亡ぼした故事から。

 

 

由緒書きには、仁徳天皇の時代とあります。

しかし、この社の創建は1900年前とされる。(HPより)

 

藤大臣は、仁徳天皇の時代ではない。

彼が饒速日命ならば、AD200年頃(1800年前)と思われる。

藤大臣(住吉神)と夫婦であった神功皇后が、卑弥呼と今、言われている者だから。

 饒速日命は、神代と言われるほど昔の事ではないのだ。


 

< 高良神と神功皇后 >

 

この祭りには、彼女は描かれていない。
他の伝承で、上陸したと書かれているのみ。

 

各地の神社の伝承では、二柱が「行動を共にしている」という記述は避けている。

唯一、高良の伝承だけが伝えていた。

 



<楯崎神社>

大己貴命と宗像大神が夷の類と戦う。

後に神功皇后が三韓征伐の戦勝祈願で訪れる。


<波折神社>
住吉神と瀬織津姫と神功皇后が邂逅。

神功皇后は三韓征伐からの凱旋の折りに訪れている。

 

<大善寺玉垂宮>

高良神(藤大臣)が桃桜沈輪を火で追い払う。

後に神功皇后が船で上陸。


 

筑紫の地に伝わる彼らの伝承は、高良大社の伝承で解かれる。

すべて名を替えた彼らだ。


< 高良大社(高良玉垂宮神秘書) >

高良神(安曇磯良神、住吉神)、神功皇后
高良神と神功皇后は夫婦。

共に各地でイルヰと戦う。

 

 

羽白熊鷲、熊襲、桃桜沈輪、全てイルヰ。

 

それは人ではありえない。

「結界、神事、火の儀式」では、人は祓えないからだ。

 

 

<神功皇后の伝承地>

 

(地図はGoogle map より)

11が大善寺玉垂宮。

古代の海岸線。

 

 

神功皇后と住吉の神の社は、この海岸線に並んでいる。

彼らこそ、天照大神であり、豊受大神。

 

 

 

「祓いの神」の住吉三神と瀬織津姫は、異類と戦ったことを意味する。

 

境内には「佐野神」も祀られている。
賽の神。久那斗の神。

 

 

熊野道祖神社の神と同じ。
これも彼らを表し、「封印」を示す。

 

( 「ココログ 2018年3月22日 大善寺玉垂宮 ~福岡県久留米市~」大幅 改訂)

 

 

 

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