続き。
ココログ(2017/11/30 )の記事
「高良玉垂宮神秘書」
筑後国一之宮である「高良大社」の伝承が記される。
神秘書は漢字、カタカナの書き下し文になっている。
分かりにくい箇所は同義の言葉にしている。
ウガヤフキアエズ尊は住吉大明神
この御子、住吉五神。
二人は女子、三人は男子。
嫡男 表筒男尊 日神の垂迹 玄孫大臣物部大連 大祝の先祖(後に高良の祭司となる)
次男 中筒男尊 神武天皇
三男 底筒男尊 月神の垂迹 高良大菩薩 大政大臣物部保連
表少童尊
中少童尊
住吉明神、表筒男尊、底筒男尊の三神は、
兜率天に住まい、三光と現れ国土を照らしたまうなり。
この中で気になった名があった。
次男、中筒男尊は「神武天皇」。
*この国に留まって、神武天皇と現れ皇代の初めとなる
*守屋の大臣は神武天皇の変化なり
ここをもって大神御兄弟とは申すなり
他の住吉神と出現した後、この後の記載は一度もない。
「大神御兄弟」
「彼ら」は神話の全ての神。
親兄弟など全て同神。
ならば、神武天皇と高良神が同神、同時代であることを示唆しているのでは。
彼らが出現した時の様子が記される。
.
十五代神功皇后の時、イルヰ日本に来る。
その時、筑前国四皇寺の峰に登り、虚空を祈り給う。
東の空に白雲現れ来る。
白雲たちまちに四方に開き、光を放ち給えば、月神現れ給うなり。
白雲四方に開きたるは四天皇なり。
四つ鉾はその中に打ち違えて見えたり。
月神、この白雲に乗り給い、若冠となって現れ、四皇寺に下り給う。
これによってこの所を四皇寺の峰と申すなり。
高良の神は白雲に乗り、若者の姿となって四王寺に降り立ったのだ。
四皇寺とは、今の四王寺山。
太宰府市、大野城、粕屋郡にまたがる四つの峰を持つ標高400m程の山である。
彼らは神功皇后の祈りにより、出現した神。
彼の伝承に彼女は外せない。
住吉明神は告げた。
我が御子、三男 月神の垂迹 底筒男尊は応作天大将軍の再誕である。
天上の大力士なり。
大将軍にすればよいと。
彼を住吉高良大将軍と定め給う。
皇后いわく、
日神垂迹表筒男尊、両副将軍と定め給いて、三韓を攻めし給う。
その後住吉明神は皇后においとまもうす。(去った)
また虚空に住み給うなり。
神功皇后は、底筒男尊と表筒の命を両副将軍と定めた。
住吉大明神(父)は虚空へ戻った。
さて、最初の月神が現れた時の「四方に開き光をはなつ」様子を表したものが、高良大社の神紋である。
では「鉾」という記述は、神紋の由緒の一つとなる。
さて、その「鉾」は、誰の鉾?
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今更ながら始めました。
古代や神のこと、少しずつつぶやきます。
小分けなので分かりやすいかもです
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