ココログ(17/11/29)の記事
前回の続き。
その社に訪れた時、酷く違和感があったのだ。
女神に鉾は相応しくない。
そんな時だった。
神功皇后の時、皇太子品陀和氣命が来て、国平の鉾は「倭」に遷すと言って持って帰ったという記述があります。
それを友人のブログで見た時、天啓のようなものがあった。
これは、「あの鉾だ」と。
伊野天照皇太宮の神殿にある鉾。
「息長氏の足跡~支配圏(さほさんのブログ)」より引用
(あえてリンクしてません)
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崇神天皇の時、国平大神(大国主)と建御雷男命は
同殿同床では畏れ多いので分けるようにと言われています。
大国主を楯之御前社、建御雷を御前社とし、神殿を作ります。
(中略)
ところで、この楯之御前社は楯原神宮と呼ばれるようになり、
場所を移して、現在は楯原神社として存在していることとなります。
途中、神功皇后の時、皇太子品陀和氣命が来て、国平の鉾は「倭」に遷すと言って
持って帰ったという記述があります。
代わりに楯原神宮には、松を植え、鉾を突き刺して繁栄を祈ったと・・・
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*楯原神社は、大阪府にある。
*品陀和氣命(ほんだわけみこと)は、神功皇后の御子、応神天皇のこと。
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「国を平にした桙」とは日本書紀の中にあった。
大国主神がそれで国を平定したという。
国譲りの時に、直接それを迫った武御雷神に矛を渡している。
「従わぬ者がいたら、この矛を使え。国が平らになるだろう」と。
故に、大国主神には矛がつきものなのだ。
しかし、ここには女神の天照が祀られている。
前回、伊野の天照皇大神宮で、「天疎向津姫命(あまさかるむかつひめ)」ではない。
と感じた違和感の正体。
これが答えなのか、と。
大国主神は、三輪山の神である大物主神と同神。
三輪の大物主神は、饒速日命。
鉾は、彼を表しているのでは?
*
神功皇后にとっての「天照神」は、饒速日命ではないのか。
そういえば・・・と、そこで思い出したことがあった。
筑紫にある独特の伝承。
筑後国一之宮「高良大社」に伝わる「高良玉垂宮神秘書」の記述を。
(つづく)
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今更ながら始めました。
古代や神のこと、少しずつつぶやきます。
小分けなので分かりやすいかもです
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