国平の神の鉾は、天照へと譲られた。
鉾は神の象徴であった。
★前回の記事
伊野天照皇大神宮にあった鉾。
御祭神は天照大神であった。
「鉾は、祭神のものだ。しかし、女神に相応しくない。」
最初に感じた違和感は、それだった。
鉾は、神話では大国神が国を平らにした象徴であった。
それを、武甕槌神に譲っていた。
「国を治める」権利の譲渡ともなる。
最終的に「国を治めた=地上の神」となったのは、天照なのだから、「鉾」は天照へと譲られたことになる。
では、伊野天照皇大神宮の鉾はそれを意味しているのではないか。
それならば、「女神」が持っていても不都合はないが?
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「鉾」から、高良神へと繋がった。
鉾は彼と共に現れ、神紋にもなっているのだから、彼の物だということになる。
彼の「象徴」でもあるのだ。
では、高良神(安曇磯良神)とは。
彼は、安曇磯良神。
磯神の名から、伊勢の天照へ。
彼が、いそのかみ=石上であり、伊勢の天照なのでは。
では、伊野の天照大神と、大国主神と、饒速日命は同神なのか。
ならば、あの鉾は「饒速日命」のもの。
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< 高良大社の神 >
高良大社の御祭神、安曇磯良(アントンイソラ)神とは何者なのか。
その姿を、高良玉垂宮神秘書から探る。
安曇磯良神とは筑前国にては志賀大明神
常陸の国にては鹿島大明神
大和の国にては春日大明神
志賀大明神とは海の中道の先の志賀島にある、志賀海神社の神、綿津見神のこと。
社家が安曇氏(故に安曇磯良神)。
前回より「神秘書」にある「神部物部を秘す為に名を変えた五氏」の一つであるので、彼は物部の祖神の饒速日命となる。
大和の春日大明神とは、春日大社の武甕槌(タケミカヅチ)神。
武甕槌神は、常陸(ひたち)の鹿島神宮から勧請されている。
ゆえに、春日神と鹿島神は同神の武甕槌神。
彼は住吉神でもあった。
高良神が物部の祖神、饒速日命なので、上記の神はみな彼になる。
*「儺の国の星」の著者、真鍋氏の先祖は物部氏であり、鹿島神宮の神官を代々していた。
鹿島神は、物部の祖神は饒速日命なのだ。
神話では、武甕槌神は経津主神と共に、大国主神に直接「国譲り」を迫っている。
「神の鉾 1」の最初に、楯崎神社に建御雷神の神の名があった。
崇神天皇の時、国平大神(大国主)と建御雷男命は
同殿同床では畏れ多いので分けるようにと言われています。
建御雷神は、大国主が「国譲り」をした相手。
だから同じ神殿ではいけないだろうと、「後の世」の人が分けた。
だが、元々は同じ神社に祀られてあった。
これは、同じ神だからということになる。
(社に配列されてあるのは、ほとんどが同神)
「神秘書」では、高良神は武甕槌神と同神とあった。
では、高良神は大国主神なのか。
さらに、
神功皇后の時、皇太子品陀和氣命が来て、
国平の鉾は「倭」に遷すと言って持って帰った
という記述。
「鉾」は、元々国平大神、すなわち大国主神の物であったのだ。
「神秘書」では、高良神と共に現れ、神紋ともなっていた。
彼の持ち物であった。
大国主神とは何者なのか。
後にまとめている。
大国主神は三輪の大物主神と同神。
摂社の御炊社(みかしぎしゃ)の豊受大神から、籠神社の神へ。
祭神の天火明命と豊受大神は、絵馬では天照国照彦天火明命(饒速日命)と市杵島姫命。
市杵島姫命は、女神天照の別名、撞賢木厳御霊天疎向津姫にある。
彼女が天照でもあり、宗像神、豊受大神でもあったのだ。
ゆえに、大神神社の神は彼ら。
伊勢は古来、磯宮と言ったが、籠神社から外宮の月神を勧請している。
では、内宮の神は、籠神の天火明命=饒速日命となる。
*国譲り
大国主神に国譲りをさせた天照。
直接迫った経津主神と武甕槌神。
これらはすべて、饒速日命だったということになる。
高良(安曇磯良)神=武甕槌神=春日神=大国主神=大物主神=饒速日命。
彼は、饒速日命であり、神武天皇に国(大和)譲りをしている。
「荒魂」である大国主神は、武甕槌神と国譲りをしている。
「和魂」である、大物主神の饒速日命は、神武天皇と国譲りを。
同じ者(饒速日命)の伝承を、別の表現にしていることになることになるだろう。
< 饒速日命は天照大神 >
彼の別名に、天照国照彦天火明櫛玉饒速日命がある。
籠神社の神だ。
一方、女神・天照の別名は、「天(日の)神ではなく、神を斎き祀る者」を示唆している。
このような名は、彼にはない。
☆伊野天照皇大神宮の撞賢木厳御魂天疎向津姫命(つきさかき いつのみたま あまさかる むかつひめみこと)は、神功皇后が祀ったという。
(詳細は下のリンク)
伊野天照皇大神宮
すなわち、伊野に祀られている天照とは、彼らになる。
ここにあった「神(伊野)の鉾」とは、大国主神であり、高良神であり、天照大神である饒速日命のもの。
ここに名は無いが、彼ら二柱が祀られていることになるだろう。
饒速日命は、彼を祀っていた一族が地方へ散らばり、その一族の名や、土地の名や、職業の神として、様々な名に変えられてきた。
これが<分御魂(わけみたま)>
ほとんどの神は、天照大神の分霊になる。
.
磯良神は、饒速日命に繋がった。
ならば、住吉(底筒男)神であり月神である、
高良大社の御祭神の高良玉垂神は、饒速日命・・・。
それは、腑に落ちる。
痛いほどよく分かる。
でも、一つ疑問があった。
高良神(磯良神・住吉神)は、神秘書や伝承の中で、常に「神功皇后」と行動を共にしている。
(*住吉大社に伝わる伝承でも、「住吉神と神功皇后は夫婦」とされている。)
「彼」が饒速日命、本人ならば、時代が違うだろう?
それを次の回から探ります。
( つづく )
*記事内の考察や写真、イラストなどの無断使用はご遠慮ください。
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今更ながら始めました。
古代や神のこと、少しずつつぶやきます。
小分けなので分かりやすいかもです
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