『月経1-2日目の眠気』と題しましたこれまでの2回の記事で、
・娘のひどい月経痛は機能性(原発性)月経困難症らしい
・機能性(原発性)月経困難症の原因はプロスタグランジンE2の過剰分泌である
・プロスタグランジンE2の異性体であるプロスタグランジンD2に催眠作用がある
(ただしプロスタグランジンD2と月経との関係は今のところ不明)
ということが分かりました。
*それらについてまとめました記事は以下になります↓↓
そこで今日は、プロスタグランジンD2(PGD2)がどのように睡眠に関わっているかについて調べてみたいと思います。
*
■睡眠欲求と覚醒力
8/20の記事でも書かせていただきましたが、ヒトの睡眠(=眠気)は、大きくは『睡眠欲求』と『覚醒力』という2つの因子で形成されています。
この概念は1982年にチューリヒ大学のAlexander A. Borbely という方によって提唱されたもので、 『2プロセス説』と呼ばれているそうです。
上の記事の復習になりますが・・・
(この画像はこちらから引用させていただきました(厚労省のHP))
上の図のように、 睡眠欲求 は覚醒時間、つまり起き続けた時間に比例して徐々に強まり、必要な時間だけたっぷりと眠ると消失します。
睡眠欲求を決定しているのは、『睡眠恒常性』と呼ばれるシステムです。
"恒常性"とは「体の状態を一定の(正常な)状態に保つ力」のことです。
つまり、簡単にいうと 睡眠欲求(眠気)とは "蓄積した疲労を解消しようとする恒常性の圧力"のことなのだそうです。
一方の 覚醒力 は、「睡眠欲求」に打ち勝って私たちを目覚めさせる力のことです。
覚醒力は、主には覚醒中枢と睡眠中枢のバランスを『体内時計(生物時計)』が制御することにより生じ、その強さは24時間周期で変動しています。
(この画像はこちらから引用の上改変させていただきました)
■睡眠と覚醒の調節系
睡眠と覚醒の調節には、脳の神経細胞(ニューロン)から分泌される神経伝達物質が関わるシナプス系の調節系と、脳の液性因子による調節系(=非シナプス系の調節系)が関与しています。
上の10/20の記事でまとめさせていただきましたように、睡眠・覚醒に関わる神経核と神経伝達物質には下図のようなものがあります。
(※「脳の液性因子」は今回が初めての登場となりますので、後ほど説明させて下さい)
(この画像はこちらから引用の上改変させていただきました)
私たちの眠気が徐々に蓄積していくのは、液性因子による調節系(=非シナプス系の調節系)のためだといわれています。
一方、瞬時に入眠したり覚醒することができるのは、神経伝達物質が関わるシナプス系の調節系の影響だとされています。
このように二重の調節系が存在することによって、私たちの睡眠・覚醒システムが上手く作動するようできているのだそうです。
■「睡眠物質」と「覚醒物質」
シナプス系か液性因子かにかかわらず、睡眠欲求 や 覚醒力 に関わり、眠気をもたらしたり睡眠を維持する物質を 『睡眠物質』 と呼びます。
『睡眠物質』のうち、シナプス系の調節物質の代表は、脳の睡眠中枢から分泌されるGABAとガラニンです(*上の図の( )内の青字)。
9/6などの記事で触れてまいりましたメラトニンも、広い意味では『睡眠物質』に含まれるそうです。
液性の調節系の睡眠物質は数十種類が知られています。
代表的なものとして、アデノシン、プロスタグランジンD2(=PGD2)、インターロイキン1β(=IL-1β:細菌やウイルスに感染した時に免疫細胞などから分泌される。睡眠をもたらすことで感染症からの回復を早める目的があるとされる)、腫瘍細胞壊死因子(=TNFα:これも同様と考えられている)、ある種の蛋白質(約80種、2018年に日本の筑波大の柳沢教授らが発見)などがあるそうです。
(*実は日本は睡眠の分野では100年以上も前から世界の研究を牽引していて、数多くの発見をしているのだそうです)
一方、眠気を抑え、覚醒をもたらす物質を 『覚醒物質』 と呼びます。
『覚醒物質』は、シナプス系の調節系として、脳に複数存在する覚醒中枢から分泌されるノルアドレナリン、セロトニン、ヒスタミン、アセチルコリン、オレキシンなどが知られています(*上の図の赤字と黄土字の( )内)。
ちなみに月経困難症の原因であるプロスタグランジンE2(PGE2)には覚醒促進作用があり、液性の覚醒物質でもあることが分かってきているそうです。
■「睡眠欲求」の正体
では前述の数十種類にも及ぶ『睡眠物質』の中で、「睡眠欲求」をもたらしている"真の睡眠物質"はどれなのでしょうか。
すでに100年以上も前から世界中で「覚醒中に脳内に蓄積されるホルモン様の液性物質(睡眠物質)」探しが、日本の研究者らを中心に行われてきたそうです。
その結果、大阪バイオサイエンス研究所所長などを務められた早石修先生と、その後のお弟子さんたちの研究により、現在では アデノシン という物質こそが真の睡眠物質(脳疲労物質)らしい ことが判明しているそうです。
(*余談ですが…:早石修先生(2015年没)は、酵素の概念を覆すオキシゲナーゼ(酸化添加酵素)などの発見で日本学士院賞やウルフ賞医学部門など数々の受賞歴に輝き、なぜノーベル賞が取れないのか皆不思議に思っていたほどの生化学界の大御所でいらしたそうです。その方が全く畑違いの睡眠科学分野に、しかもなんと60歳を過ぎてから新たにチャレンジされての発見だけに、これはとてもすごい業績だとのことでした)
アデノシンとは、生体に必要なエネルギー源であるATP(アデノシン三リン酸)の分解産物のことだそうです。
(*そういえば高校の生物でも習いましたワ)
ATPはすべての生物(植物、動物、微生物など)の細胞内に存在しています。
呼吸や発酵によってブドウ糖(グルコース)が分解されることにより細胞内で合成される一方、細胞の増殖や生体に必要な物質(炭水化物やタンパク質など)の合成、植物の光合成、筋肉の収縮など生命維持のためのエネルギー源として使用されます。
つまり生命活動によってエネルギーが消費され、その燃えかすであるアデノシンが蓄積していくにつれて睡眠欲求が高まっていく、という構図になっているわけです。
これは、睡眠の主たる目的が疲労からの回復であることを考えますと、とても理に叶ってるのだそうです。
■アデノシンとプロスタグランジンD2(PGD2)
そしてこのアデノシンと密接に関係しているのがプロスタグランジンD2(=PGD2)で、"第2の睡眠物質"と呼ばれているそうです。
プロスタグランジンD2 は脳を包む"くも膜"の細胞内で産生され、頭蓋骨と脳の隙間を満たしている"脳脊髄液"に分泌され、脳内を循環します。
*くも膜の脳脊髄液のイメージ図はこちらです↓↓
(この画像はこちらから引用の上改変させていただきました)
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プロスタグランジンD2は脳脊髄液中を循環し、前脳基底部(前頭葉の底の部分)へと集まってきます。そしてその部分のくも膜に局在しているDP1受容体に結合し、アデノシンという物質の産生・分泌を促します。
ちなみにこのアデノシンは、覚醒中、つまり脳の活動中に徐々に前脳基底部付近に蓄積してもいます。
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合成・分泌されたアデノシンは、自分自身が産生されたくも膜下腔のすぐ近くにある腹側外側視索前野(=唯一の睡眠中枢)を活性化します。
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腹側外側視索前野の睡眠中枢は、活性化されることによってGABAを産生します。
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GABAは覚醒中枢の1つである結節乳頭核(TMN)と直接シナプス結合を形成しており、最も強力な覚醒物質であるヒスタミンの産生を停止させます。
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その結果、脳は覚醒を維持できなくなり、睡眠が開始・維持されるというわけです。
(*このあたりのこと、私はすっかり忘れておりチンプンカンプン・・・ そのため最初の方で紹介させていただきました8/20の記事を読み直してようやく思い出すことができました
)
上記を要約しますと以下の図のようになります↓↓
(この画像はこちらから引用の上改変させていただきました)
※余談ですが:
液性の覚醒物質と考えられているプロスタグランジンE2(PGE2)は、上述の結節乳頭体核(TMN)のヒスタミン神経細胞にあるEP4受容体(*下記参照)に結合し、ヒスタミンの生合成と大脳皮質での放出を促進することによって覚醒促進作用を示すと考えられているそうです。(*これも日本人の発見のようです)
(11/4の記事にちょこっと出てきますが、EP4受容体は4種類あるPGE2の受容体の1つです。PGE2はどの受容体に結合するかによって作用が異なっているそうです)
■ところで、なぜアデノシンが"真の睡眠物質"で、PGD2が"第2の睡眠物質"なのか?
動物の前脳基底部にプロスタグランジンD2を注入すると、前述のように脳内でアデノシンが産生されて、眠くなります。
一方、プロスタグランジンD2ではなくアデノシンだけを注入しても、同じように眠くなります。
この実験から、直接的に睡眠作用を発揮しているのはアデノシンの方だということが判明したのだそうです。
ただし、実験動物においてプロスタグランジンD2やアデノシンの受容体を遺伝子操作で欠失させる、つまりPGD2やアデノシンが作用を発揮できないようにしても眠気はある程度保たれることから、この2つが睡眠の中心的役割を果たしてはいるけれど、それ以外にも多数の生体物質が睡眠物質として働いている可能性があることが分かっているそうです。
睡眠は生命維持にとって非常に重要な生理機能です。
その生理機能がたった1つの物質や神経のダメージで損なわれてしまわないよう、二重三重、あるいはそれ以上の多数のバックアップ機構が備わっているわけです。
(*こうしてみると生物の体って本当にすごいですね 誰がどうやって作ったのか・・・)
■ちなみに、なぜカフェインで目が覚めるのか?
カフェインが眠気を覚ましてくれることはずっと以前から知られていますが、そのメカニズムは長い間不明でした。
しかし現在では以下のことが分かっているそうです。
・カフェインの構造はアデノシンとよく似ている。
・そのため腹側外側視索前野(=前述の唯一の睡眠中枢)においてカフェインがアデノシンの代わりにアデノシン受容体に結合してしまう(=アデノシン受容体拮抗薬として作用する)。
・その結果、アデノシンが作用するのを妨げて、眠気が抑制される。
(この画像はこちらから引用させていただきました)
なるほど
つまるところ、8/20の記事で出てまいりました脳内の睡眠中枢と覚醒中枢から産生される神経伝達物質以外に、実は脳内にはいくつもの液性の睡眠物質と覚醒物質(言うなれば脳内ホルモン)が存在しているわけですね。
そして液性睡眠物質の代表がアデノシンとプロスタグランジンD2で、プロスタグランジンD2がアデノシンの合成を促し、アデノシンが唯一の睡眠中枢である腹側外側視索前野(GABAを産生)を活性化する結果、覚醒中枢の代表格である結節乳頭核(ヒスタミンを産生)が抑制されて、ヒトなどの哺乳動物は眠りに落ちてしまうというわけなのですね。
では、月経とこのプロスタグランジンD2の間に何か関係があるのかないのか――引き続き調べてみたいと思います。