信州読書会

信州読書会

長野市で読書会を行っています


テーマ:

 

2018.8.17に行った

 

J・D・サリンジャー『キャッチャー・イン・ザ・ライ』読書会のもようです。

 

メルマガ読者さんの感想文はこちら

 

私も書きました。

 

『9月1日ごろにつかまえて』

 

(引用はじめ) 

 

とても、とても多くの人々が今君が経験しているのとちょうど同じように、道義的に精神的に思い悩んできた。ありがたいことに、彼らのうちのあるものはそういう悩みについての記録をしっかり残しているんだ。君はそういう人々から学ぶことができる P321 

 

(引用おわり)

 

 ミスタ・アントリーニの言葉だ。

 

 中学生の頃、学校の周りを走るように部活の顧問に指示され、ふざけて歩道の縁石の上を走ったら、こっぴどく叱られて、罰として、何周も走らされた記憶がある。

 

 そういう理不尽なことが諸々あって、私は部活をやめてしまった。早くこの中学を卒業して、さっさとみんなとおさらばしたいと思った。同級会には一回も出ていない。

 

 その後は、本や音楽に慰められて、自分なりに自己を確立すべく、自分の周囲との折り合いをつけるように悪戦苦闘した。そのプロセスの中で読書会を主宰することにした。読書のおかげで、先人たちにキャッチされた感はある。

 

 『けっきょく、世の中のすべてが気にいらないのよ』P.286とフィービーがいう通りなのだろう。肥大した自意識ゆえに、世の中のすべてを拒絶してたくなる時期がある

 

 自分の話を聴いてくれる人が、ひとりもいないのはさみしい。プリーモ・レーヴィの『これが人間か』の家族友人から無視される悪夢が、現実の光景になっているようなものだ。

 

 自己正当化や世間に対する饒舌な批判が、どんなにみっともなくても、ホールデンのように、いちおう形になっていれば、この社会の中でなんとか居場所が確保できると思う。   

 

 書物でもいいから、仲間を作って、表現によって世間と折り合いをつければいい。

 

 新幹線でナタを振り回した若者も、日本版のホールデンの末路だったと思う。岩波文庫だらけだった彼の本棚の中にも、野宿していたライ麦畑ならぬ公園にも、彼をキャッチする人は現れなかった。フィービーのような肉親の同行の申し出もなかった。

 

 夏休みが終り、新学期のはじまる9月1日ごろに毎年、100人以上の子供が自殺するという。

 

 ライ麦畑の崖っぷちにいる子どもたちだ。いま、どうやって過ごしているのか。

 

(おわり)

 

 

読書会の模様です。

 

 

ランキングにポチッと協力お願いします。

 

  ブログランキング・にほんブログ村へ 

 

 

ツイキャス読書会の予定

YouTubeチャンネル「信州読書会」

メルマガで限定音声配信しています!!

Twitter「信州読書会」

Facebookページ「信州読書会」

ご支援はこちら


テーマ:

 

『催眠術と幸福』

 

エーリッヒ・フロムが『自由からの逃走』において、催眠術について面白いことを書いている。被験者Aが、催眠術をかけられる。自分の書いた原稿を、(実際には存在しないもの)人に読ませようとして、探すが、見つからず、Cという人物が盗んだのではないかと疑いだして、Cに怒りをおぼえるが、その一連の思い込みは催眠によるものだとは気づかないという催眠である。催眠術をかけられたAは、はたして、催眠の通りCに怒り彼を告発する。催眠術のとおり動いているので、その一部始終を知っている人はAの言い分に耳を貸さない。だが、恐ろしいことに、これが催眠だと知らない人は、Aの言い分そのものが事実なの否かを検証・判断しようとして、それが催眠の結果だとは考えない。

 

さて、『幸福』の話である。

 

他人が『幸福』なのか否かを事実ベースで考えるのはナンセンスだ。幸せそうな億万長者に嫉妬するのも、ホームレスを不幸だと決めつけるのも、主観的な思い込みである。催眠とたいしてかわらない。外国産の肉を松阪牛A5だと思い込む催眠をかけられて、『サシが入って美味しい』といか言いながら満足そうにもりもり食べている人いたとして、その当人の感じる幸福感は、偽物なのだろうか? 話を聞いただけなら、羨ましくて自分も「食べたいな」と思うかもしれない。

 

もし、この世の中が、いくつもの催眠術が複雑にかけられたレイヤー〈層〉から成り立っていると、仮定すれば、自分の求める『幸福』というは、どこかで誰かにかけられた催眠術の複雑な化合物かもしれない。

 

YouTubeの動画で紹介されたハンドスピナーを欲しがって子供がぐずれば、大人は、ステマの効果に呆れる。

 

だが、松阪牛A5かどうかわからない肉200gでうん万円に、口福を感じる大人をバカにはできない。結局、つきつめれば幸福は、よく効いた催眠術にすぎないのかもしれない。

 

催眠術で幸福を感じる人を見て、自分も催眠状態に陥る。幸福なるもののほとんどが、こんなものかもしれない。

 

(おわり)

 

ランキングにポチッと協力お願いします。

 

  ブログランキング・にほんブログ村へ 

 

 

ツイキャス読書会の予定

YouTubeチャンネル「信州読書会」

メルマガで限定音声配信しています!!

Twitter「信州読書会」

Facebookページ「信州読書会」

ご支援はこちら


テーマ:

 

2018.8.10に行った井伏鱒二『黒い雨』読書会のもようです。

 

 

メルマガ読者さんの感想文はこちら

 

私も書きました。

 

『倫理の一線 曖昧な日常』

 

2017.8.29AM 06:02北朝鮮がミサイル発射実験を行い、Jアラートが鳴った。その2ヶ月後の10月に衆院選があった。国難を訴えた政権与党が大勝した。その後、一転して今年6月の米朝首脳会談があり北朝鮮は非核化に合意し、核弾頭を積んだミサイルを撃ち込まれるという日本の国難は、一旦は遠いものになった。それでも、日本の核武装を唱える識者は後を絶たない。また、核兵器禁止条約への政府の態度も国民の意識も曖昧だ。

 

曖昧なまま日常が過ぎていく。

 

作中、虫供養という行事が描かれている。なんでもない些細な日常を熱心に生きるために、昔の人は、煩瑣な儀式を課していた。知らずに殺した土の中の虫すらも供養するのである。

 

自分が、スマホをいじったまま、核ミサイルに攻撃され、被爆して、数日苦しんだ挙げ句、河原で野辺送りされて、誰も経も読んでくれないまま葬り去られると想像したら、「結局、人間の生命とは、そういうものなのかもしれない。運が悪かった」と諦めの感情しか湧いてこない。

 

先日読書会で扱った『これが人間か』の著者であるプリーモ・レーヴィは、ナチズムの中にある人間の倫理を一線越えたものを語っていた。

 

核兵器も人間の倫理の一線を越えたものだ。

 

一線超えれば、合理的な抹殺収容所システムが出現する。

 

一線超えれば、何万人もが一瞬にして死に、生き残った人も差別と苦しみの中で時間をかけて死ぬ。

 

一線越えないために、なんとか日常を支える。もし、日常が倫理の一線を踏み越えたら、そのあとで恥辱が溢れてくる。人間の恥辱は、己の弱さに対して感じるものだ。

 

恥辱から目をそらせば、卑怯しかない。どれだけ恥ずかしさに目をつぶって生きているか、心によく反省してみれば、私はおよそ正気でいられない。感覚麻痺でやり過ごすのみだ。

 

毎年読書会で『黒い雨』を読み直すこと。これくらいしか私の勇気の発揮できる場所がないと思うと、情けない。正気でないものを目にしながら、今もなお、声を上げない己の感覚麻痺と、やがて募るであろう、恥辱を予期して、ため息しながら、今年も読み返した。

 

(おわり)

 

読書会の模様です。

 

 

ランキングにポチッと協力お願いします。

 

  ブログランキング・にほんブログ村へ 

 

 

ツイキャス読書会の予定

YouTubeチャンネル「信州読書会」

メルマガで限定音声配信しています!!

Twitter「信州読書会」

Facebookページ「信州読書会」

ご支援はこちら

 


テーマ:

2018.8.3に行ったプリーモ・レーヴィ

『アウシュヴィッツは終わらない これが人間か』読書会のもようです。

 

メルマガ読者さんに頂いた感想文はこちら

 

 

私も書きました。

 

『ムーミン谷の収容所』

 

『ムーミン谷の仲間たち』所収の短編に『春のしらべ』というのがある。

 

 放浪者スナフキンが、彼を崇拝する「はい虫」という名前のない生物に名前をつけるという話だ。スナフキンは作詞作曲に集中したいので、孤独に旅しているのだが、旅路で出会った名もない「はい虫」に孤独を邪魔されて、少々機嫌を損ねるのである。

 

(引用はじめ)

 

顔のない彼らが私の記憶に満ちあふれている。もし現代の悪をすべて一つのイメージに押しこめるとしたら、私はなじみ深いこの姿を選ぶだろう。頭を垂れ、肩をすぼめ、顔にも目にも思考の影さえ読み取れない、やせこけた男。 P.113

 

 (引用終わり)

 

 スナフキンは、春の息吹を作曲しようして直観を高めていた。だから、名もない「はい虫」の相手をしている暇はなかった。しかし、きまぐれに「はい虫」に「ティーティ=ウー」と名前をつけてやった。すると、驚くべき変化を目の当たりにする。名前を持って自信をつけたティーティ=ウーが、驚くべき生命力と希望とをもって生きはじめたのだ。

 

 スナフキンは、逆に、霊感を受け、春のしらべの最後のフレーズを書き上げることができた。生命力の相乗効果だ。

 

 ナチスの脅威は、人間を奴隷にするだけでなく、資本主義体制の永久機関として、ユダヤ人や社会的弱者から名前を剥奪し、その存在を究極の「労働力としての商品」の位置まで貶め、工場としての強制収容所で徹底加工し続けるシステムを考え出したことにある。

 

 そして、その結果、蓄積していく資本の上に、アーリア人の貴族制を確立してヨーロッパ一帯を支配しようとした

 

 アウシュヴィッツの強制収容所の入り口には、『労働は自由をもたらす』というスローガンがかかっている

 

 労働は、支配層を自由にするという皮肉なのだろうか。

 

 名前を持たない「はい虫」が、収容所で奴隷労働に従事し、最後は一握りの灰になる一方、ナチスに協力し、「はい虫」の隠れ家をSSに密告するようなスナフキンがムーミンと自由を謳歌するムーミン谷があったら、その悪は、やりきれない。

 

(おわり)

 

 

 

ランキングにポチッと協力お願いします。

 

  ブログランキング・にほんブログ村へ 

 

 

ツイキャス読書会の予定

YouTubeチャンネル「信州読書会」

メルマガで限定音声配信しています!!

Twitter「信州読書会」

Facebookページ「信州読書会」

ご支援はこちら


テーマ:

 

2018.7.27に行った村上春樹さんの『国境の南 太陽の西』読書会もようです。

 

メルマガ読者さんの感想文はこちら

 

私も書きました。

 

『ふるえながらのぼっていく』

 

 今年の夏も、鮎が故郷の川を遡っている。岐阜県のある川では、水不足で遡上する鮎が溢れかえっているというニュースをネットで見た。中島みゆきの『ファイト』の歌詞ではないが、魚たちは生まれた川を遡る。子孫を残すための本能なのだろう。フロイトは『快感原則の彼岸』という論文で、その本能は、エロス(性本能)とタナトス(死の欲動)であると論じている。産卵と射精の中で、遡った魚たちは役目を終えて、川底に沈んでいく。写真家アラーキーは、被写体からエロトス【エロスとタナトスをあわせた造語】を浮かび上がらせるのを表現のテーマにしているそうだ。

 

 島本さんと始が石川県のある川を訪れる。その源流のような川で、島本さんは散骨する。彼女の亡くなった子供の骨だ。この話は、川に遡るのを忘れてしまった始に、イズミと島本さんが交互に現れて、一緒に川を遡るのを促すのがテーマのように思えた。

 

 一人っ子で、およそ協調性のない主人公である。学生時代を政治の季節の中で過ごし、就職して、都会生活の中で埋もれていたのだが、妻、有紀子との出会いを機に、義父から出資してもらいジャスバーの経営者として成功する。

 

 時代背景と言えば、学生運動が終わり、ニクソンが訪中して、冷戦構造が自由主義陣営の勝利に傾く流れが、劇的に加速した時代だ。始が37歳になった1988年には、日本は、バブル真っ只中である。マルクスの『賃労働と資本』ではないが資本の価値の自己増殖によって、始も豊かさを享受する。一方、親が熱心な共産党員だったイズミは、そのこととはたぶん関係ないが、始と従姉妹の関係で傷つき、精神を病んで、不遇の人生を送っている。

 

 イズミが始の何に傷ついたのかと言えば、始の中にある無自覚な悪に傷ついたのだと思う。これが一体何なのか? この後に書かれた『ねじまき鳥クロニクル』では、その悪が、ノモンハン事件にまで遡る歴史的な由来をもって究明されている。

 

 歴史を遡ることも、エロスとタナトスの本能かもしれない。何かのきっかけで、存在困難をおぼえれば、私たちは私たちの由来に立ち返るのかもしれない。

 

(おわり)

 

 

 

ランキングにポチッと協力お願いします。

 

  ブログランキング・にほんブログ村へ 

 

 

ツイキャス読書会の予定

YouTubeチャンネル「信州読書会」

メルマガで限定音声配信しています!!

Twitter「信州読書会」

Facebookページ「信州読書会」

ご支援はこちら


テーマ:

 

2018.7.20に行ったカズオ・イシグロ『わたしを離さないで』読書会のもようです。

 

メルマガ読者さんの感想文はこちら。

 

私も書きました。

 

『往けるものよ、まったきに往けるものよ』

 

 ルースのやっていたジェラルディン先生親衛隊のくだりが悲しかった。彼女は、先生を何かから守っているという物語を友達も巻き込んで、本気で信じるという遊戯。

 

 ルースが親衛隊を組織するのと同じことを私たちだってやっている。それを信じられなくなれば、寄る辺なき世界への不安に耐えられなくなり、狂うだろう。すなわち、トミーが激怒するのは、狂気の一歩手前だ。神から見放され、魂を奪われ、自由を奪われて、それでもなお、この世に存在するというのは地獄だ。その孤独に耐えて、クローンは生きている。彼らは人間のように扱われて生きているが、臓器提供の使命を終えて、死んでしまえば、存在そのものがロストコーナー行きだ。

 

 彼らは、座礁した船のように、物質的現象としては、存在するが、航海すべき海を持っていない。手段としての存在であって目的を持たない。

 

 「わたしを離さないで」

 

 この題名の意味はなんだろう。私の存在の核心を、離さないで。クローン人間という存在の核心はなんだろう? マダムとエミリ先生の結論は、クローン人間に核心はないということだった。逆説的に言えば、ロストコーナーこそ彼らの核心だ。

 

 人間の存在には核心があるのか? 私たちはあると信じている。

 

 だが、クローン人間には、核心があると信じることを許されてはいない。彼らの存在に核心があると信じてしまえば、彼らクローンを、同じ人間として扱わなければならない。

 

 臓器を提供する手段として、人間を見ることはできない。それは、倫理に悖る。人間の社会秩序を支えるフィクションを破壊する。なぜなら、人間の現実存在は、一応は目的だからだ。

 

 しかし、仮に、その目的が、仮象でしかなかったら。

 

 私たち人間は、存在しないも同然だ。同じく、クローン人間も存在しない。そもそも、目的が嘘なのだから、人間もクローンも存在しないし、そもそも、ロストコーナーも存在しない。

 

 そんなことを、この世にいながら悟ることができるのか。

 

 智慧の完成があるとすれば、般若心経にあるように、その真理は、「人間は、いまだ存在していない」ということだ。

 

 目的もなく、実体もない。ただ、この世は、悟りきれない衆生の執着が、嘆き続けるだけの仮象なのかもしれない。

 

(おわり)

 

読書会の模様です。

 

 

ランキングにポチッと協力お願いします。

 

  ブログランキング・にほんブログ村へ 

 

 

ツイキャス読書会の予定

YouTubeチャンネル「信州読書会」

メルマガで限定音声配信しています!!

Twitter「信州読書会」

Facebookページ「信州読書会」

ご支援はこちら

 


テーマ:

 

 

日本語では哲学ができないということをいう知識人がいるが

 

私はそうは思わない。

 

 

 

岩波文庫の翻訳の哲学書でも、十分哲学はわかる。

 

カントはドイツ語で読まなければわからないわけではない。

 

日本語で読んで、十分理解できたら、ドイツ語で読むことも

 

意味があると思うが、いきなりドイツ語で読まなければ

 

理解できないということはないと思う。

 

 

私は、岩波文庫の『純粋理性批判』を精読するコンテンツを

 

YouTubeで公開しているのだが、いずれ全部解説したいと思う。

 

日本語で読んでも、きっと、全部理解できる。

 

たとえ話を駆使すれば、みんなが共有できるように解説もできる。

 

 

図を使えば、きっと誰でも、ある程度までカント哲学がわかるし、

 

カントの道徳哲学を使って小説作品を読み解くこともできると信じている。

 

 

『三四郎』で広田先生が、三四郎に講釈する部分がある。

 

(引用はじめ)

 

 

「東京はどうです」
「ええ……」
「広いばかりできたない所でしょう」
「ええ……」
「富士山に比較するようなものはなんにもないでしょう」
 三四郎は富士山の事をまるで忘れていた。広田先生の注意によって、汽車の窓からはじめてながめた富士は、考え出すと、なるほど崇高なものである。ただ今自分の頭の中にごたごたしている世相せそうとは、とても比較にならない。三四郎はあの時の印象をいつのまにか取り落していたのを恥ずかしく思った。すると、
「君、不二山ふじさんを翻訳してみたことがありますか」と意外な質問を放たれた。
「翻訳とは……」
「自然を翻訳すると、みんな人間に化けてしまうからおもしろい。崇高だとか、偉大だとか、雄壮だとか」
 三四郎は翻訳の意味を了した。
「みんな人格上の言葉になる。人格上の言葉に翻訳することのできないものには、自然がごうも人格上の感化を与えていない」
 三四郎はまだあとがあるかと思って、黙って聞いていた。ところが広田さんはそれでやめてしまった。

 

(引用おわり)

 

この引用部分には、カントの『判断力批判』の「崇高」に関する分析と同じことが書いてある。

 

カントは『崇高』や人格の『尊敬』は、構想力と理性の不適合から来ていると説いている。

 

私は、『判断力批判』を読んでいて、『三四郎』のこの部分を思い出した。

 

 

「自然を翻訳すると、みんな人間に化けてしまう」のはなぜか?

 

この問いのカントの出した答えを解説すると、

 

カントの文章をそのまま引いてこないと

 

うまく説明できないので、ここではできない。

 

カント哲学の概念である『構想力』の説明から必要になる。

 

 

 

夏目漱石も、カントを読んで理解していたことになる。

 

読んでいなくても、カントの『判断力批判』に何が書いてあるかは、知っていた。

 

 

夏目漱石のように、日本でも哲学している人はいる。

 

 

 

小説家のほうがよくわかっているケースが多い。

 

 

 

一流どころの純文学作家は、やはり理解している。

 

評論家は、理解していないし、利用もできてないケースが多い。

 

一流の評論家(文芸でも美術でも)と言われる人でも、

 

作家に比べると理解の程度が著しく、低いと思わざるえないのだが、

 

こういうこと書くと、お前何様だという話になるので、

 

地道に、カントを解説して証を立てるしかない。

 

(おわり)

 

ランキングにポチッと協力お願いします。

 

  ブログランキング・にほんブログ村へ 

 

 

ツイキャス読書会の予定

YouTubeチャンネル「信州読書会」

メルマガで限定音声配信しています!!

Twitter「信州読書会」

Facebookページ「信州読書会」

ご支援はこちら

 

 


テーマ:

 

2018.7.13に行った夏目漱石『こころ』読書会のもようです。

 

メルマガ読者さんの感想文はこちら

 

私も書きました。

 

『悲しい夢』

 

(引用はじめ)

 

女には大きな人道的な立場からくる愛情よりも、多少義理をはずれても自分にだけ集注される親切を嬉しがる性質が、男よりも強いように思われますから。

 妻はある時、男の心と女の心はどうしてもぴたりと一つになれないものだろうかと云いました。私はただ若い時ならなれるだろうと曖昧な返事をして置きました。妻は自分の過去を振り返って眺めているようでしたが、やがて微かな溜息を洩らしました。(下 54)

 

(引用終わり)

 

 お嬢さんは、先生が自分を守ってくれる覚悟があるか、ずっと試していたと思う。そして、「私の嫌いな例の笑い方」をするようになる。先生は、その笑いを、お嬢さんの技巧とみなすか、それとも先生のKに対する嫉妬ゆえに嫌に感じるものなのか、迷った。

 

 Kは「覚悟」があった。お嬢さんが許せば、一緒に駆け落ちしたかもしれない。先生には、そこまでの「覚悟」に欠けている。だが、Kを出し抜いた。

 

 意識的であろうが、無意識的であろうが、腹の探り合いで生きている。腹の探り合いに膨大なエネルギーを割けば、お互いの心がぴたりと一つになったような錯覚がやってくる瞬間もあるだろう。

 

 人が人とぴたりと心を合わせるのには、膨大な情熱がいる。あらゆる感情が混ざり合って、熱くなったふたつの心が、惹かれ合うのであり、若さと無知無経験は、恋という錯覚の培養地だ。

 

 プリーモ・レーヴィの『これが人間か』に抹殺収容所で囚人みんなが観る夢の話がある。故郷に帰り、家族に囲まれる夢だ。収容所でのおぞましい体験を、一生懸命に家族に語るのだが、誰も自分の話を聴いてくれなくて、全く無関心である。自分以外の家族が、お互い楽しく語らい、やがて立ち去っていくという夢。こんな残酷な夢を見るのだという。

 

Kも同じような夢をみたのかもしれない。取り残された絶望的な悲しさを思えば、もうあの下宿の部屋で悲しみの中、目覚めたくはなかったのかもしれない。

 

全世界から拒否されているという、悲しみ。物心つかない子どもでも感じる純粋な悲しみだ。

 

(おわり)

 

読書会の模様です。

 

 

 

ランキングにポチッと協力お願いします。

 

  ブログランキング・にほんブログ村へ 

 

 

ツイキャス読書会の予定

YouTubeチャンネル「信州読書会」

メルマガで限定音声配信しています!!

Twitter「信州読書会」

Facebookページ「信州読書会」

ご支援はこちら

 


テーマ:

 

2018.7.6に行った檀一雄『花筐』読書会のもようです。

 

メルマガ読者さんの感想文はこちら

 

私も書きました。

 

『皇子と物狂い』

 

スイスの療養所のベッドに横たわる吉良の写真の裏に何があったか? 

 

榊山が赤くなったのだから、それは、千歳に撮らせた美那以外の女子寄宿舎の女の裸の写真なのだろう。

 

鵜飼が美那に飲ませた鱗。その鱗の持ち主たる蛇は吉良のことかもしれなくて、彼はもともとエデンの園を住処としていたのかもしれない。

 

吉良というのは、脱皮した蛇の抜け殻みたいのようなもので、この世では、すでに生きていない。彼が自己申告の通り「形骸」である。

 

成仏できない亡霊のようなもので、儚い現在を目的もなく生きていた。

 

一方、風狂と倒錯は、鵜飼の生命を美しく際だたせる。吉良と鵜飼は、陰と陽だ。

 

吉良は、海に身を投げ、美那は、病を得て死んだ。榊山、その他人々は、鵜飼が夜光虫のきらめく沖まで泳いでいる間に、脇役がみな能舞台から退くかのようにひっそりと消えた。

 

世阿弥が創作したと言われる『花筐』は、突然皇位継承した男大迹(おおあとめ)皇子と彼を慕う、照日の前の物狂いが描かれている。鵜飼は、臣籍降下した光源氏のように世俗で過ちを繰り返して神に近づく一人の逆説的な皇子かもしれない。

 

人間社会の宿痾である孤独と無力と不安は、周期的に、大規模な破壊的衝動にまで膨れ上がり、マスヒステリーの物狂いとして、やがて爆発する。

 

だが、たいていの物狂いは、人間の表現形式の中で合理的に解消されていく。義満、信長をはじめ権力者が夢幻能を嗜むのは、物狂いに形式を与えて鎮めるためかもしれない。予備校の始業式に、どうどうと教室を出ていくような学生は、物狂いに形式を与えたくて出ていくのだ。

 

警官が警官を射殺し、無宿者が新幹線で単独テロを犯し、元自衛官が警官から拳銃を奪い、小学校に発砲し、死刑執行のリアルタイム報道が朝から流れる。大規模破壊の兆候としての物狂いが、憂鬱の原因にもならないで日々の雑事の中で雲散霧消していく。

 

現存在はつかの間の夢であり、その儚さはゆえに物狂いは、ますます募る。

 

(おわり)

 

読書会の模様です。

 

ランキングにポチッと協力お願いします。

 

  ブログランキング・にほんブログ村へ 

 

 

ツイキャス読書会の予定

YouTubeチャンネル「信州読書会」

メルマガで限定音声配信しています!!

Twitter「信州読書会」

Facebookページ「信州読書会」

ご支援はこちら


テーマ:

 

2018.6.29に行った大江健三郎『万延元年のフットボール』読書会のもようです。

 

メルマガ読者さんの感想文はこちら

 

私も書きました。

 

『共依存と暴力を克服するための闘争』

 

念仏踊りは、愛媛出身の一遍上人があみだした。南無阿弥陀仏を唱えて踊れば、救われるというのが時宗である。無力感から救われるために、念仏を唱えながら踊ったのである。

 

敗戦国として再出発した戦後の日本は、日米安全保障条約というくびきの中にいる。敗戦は日本の政治体制を民主的にした。しかし60年の安保の改正においては多くの民衆が、時の政府の強権的なやり方に反発して、安保闘争という名の政治運動に加担した。蜜三郎の自殺した友人も鷹四も、安保闘争で傷を負った。

 

友人は、頭の傷によって引き起こされた薬物依存とマゾヒズムに囚われ自死した。鷹四は、サディズムに囚われ、谷間の村で民衆を煽って、反資本主義運動のようなものを展開する。

 

サディズムとマゾヒズムは共依存の関係にある。覇権国アメリカと、敗戦によって従属的地位に置かれる日本も、サド・マゾ的共依存にある。資本の価値の自己増殖と、自らも労働力を商品として売る消費者=賃労働者も共依存関係だ。現代の社会関係は、多かれ少なかれ共依存を前提としている。共依存は、人間からあらゆる自由を奪い、無力感を与える。蜜の無関心と逃避癖、菜採子のアルコール依存、ジンの過食も共依存が原因だ。

 

鷹四は、サディズムによってリーダーとなったが、心の奥底は、マゾヒズムに支配されている。サディズムによって妹を自死に追いやった罪悪感が、彼を自己処罰というマゾヒズムにかりたてる。罪悪感にとらわれるほど政治運動における自己欺瞞が激しくなり、彼は支配の手段としての暴力を正当化する。暴力は、集団的な熱狂を生むが、同時に、恥の意識を植え付け、ますます群衆を自己正当化への暴力へ駆り立てる。

 

曽祖父の弟が、土佐藩の人間に導かれて、アメリカに渡ったのではなく、実は、蔵屋敷の地下倉に引きこもって非転向を貫いていたというのは、衝撃的な結末だった。彼は、明治四年に一度だけ地上に出て、一揆を指導し、民主的勝利を勝ち取った。

 

人は銘々の地下倉で、自分のかかえる欺瞞に向き合い、それを克服しなければならない。共依存から逃れ、無力感と恥を克服し、自由になるためにも。

 

曽祖父の弟は、地下倉の中で、無力感を克服し、政治的挫折を乗り越えたのだ。

 

(おわり)

 

読書会の模様です。

 

 

 

 

 

ランキングにポチッと協力お願いします。

 

  ブログランキング・にほんブログ村へ 

 

 

ツイキャス読書会の予定

YouTubeチャンネル「信州読書会」

メルマガで限定音声配信しています!!

Twitter「信州読書会」

Facebookページ「信州読書会」

ご支援はこちら

Ameba人気のブログ

Amebaトピックス