2020.4.17に行ったベルンハルト・シュリンク『朗読者』読書会のもようです。
私も書きました。
「転向左翼の小さな隙間」
評論家の西部邁氏は「ハンナは、ロマ族出身で、『朗読者』は、ロマ族がユダヤ人からも搾取されていたという、ヨーロッパの歴史の暗部を描いた小説なのではないか?」という説を、チャンネル桜のこの動画で開陳していた。私は、西部氏が、なぜこんな牽強付会な説を唱えるのか疑問だったが、ある本の中に、その謎を解く鍵を見つけた。
(引用はじめ)
学生運動の聖地と言われた東大駒場(教養学部)のトップリーダーは全学連主流派の西部邁である。彼は後年、転向して東大教授を務めたが、デモに結集した学生の大半が駒場から本郷に進学すると頭を切り換えたのと違って、平成30年(2018年)1月に自ら命を絶つまで「60年安保」の後遺症を引きずっているように見えた。
かつて自民党内で”闘うハト”として鳴らした宇都宮徳馬(1906-2000)が私にこう言ったことがある。
「若い頃左翼であって転向した人は深く傷ついているから察してやりなさい」
戦前に左翼であってその後自由党から国会議員になった宇都宮は、自分自身もそうだったんだろうと私は受け止めた。
東大駒場の自治委員長、そして60年安保の先頭に立った西部の死去は同時代人にとって一つの衝撃であった。一つの生々しい思い出であった60年安保が、ようやく歴史の一ページとして収録された感じである。
『自民党本流と保守本流』 田中秀征 講談社 P.15~16
(引用おわり)
ハンナもまたは、ナチズムの後遺症を引きずったまま生きた。西部氏が幼児から悩んでいた吃音を、全学連の左翼運動において克服したように、彼女の文盲は、ナチスの看守としての職を得たことで、一時的に克服された。しかし、イデオロギーの敗北とともに、彼らが克服したと思われたものは、深い傷となって心に刻まれた。
若い頃のイデオロギー体験と、その敗北からくる転向は、人間を深く傷つける。
ハーネスをつけて、弟子に幇助させて、多摩川に飛び込んで自死を遂げた西部氏に、当初から私は不快感しかおぼえなかった。西部氏は学生時代からTVでみていて、その達者な語りに、少なからず感化されたことがある。それは、なぜなのが、私は、ずっと考えていた。西部氏が、ハンナのことを、絹のネグリジェをもらって喜んで踊り出したルーマニア人ということで、ロマ族のハーフ決めつけていた。そして、今回の読書会にあたって見直したこの動画の中で、自分の分析に酔うように、悦に入っている西部氏の表情に、彼が隠しているであろうものを見つけた。西部氏は、昔から、酔ったような語り口であった。その自己陶酔が、視聴者の心の奥底にある何かを惹きつけていた。
朗読を送り続けて、ハンナが字を覚え、手紙で返事を書いてくれたとき、ミヒャエルは、こんなことを思った。
『ぼくは彼女を小さな隙間に入れてやっただけだった。(中略)隙間は隙間であって、人生のちゃんとした場所ではなかった。』(P.223)
西部氏も、ハンナをルーマニア出身のロマとレッテル貼りすることで「小さな隙間」に入れたのではないか。
ニヤニヤしながら、人種的なラベリングで、この作品の解釈を小さくしてしまうのは、西部氏が自分の傷に触れたくなかったからなのだと、今なら、私は思う。彼は、いつも、ああいう欺瞞にみちた露悪的なことをカメラの前でしゃべっていた。その欺瞞的レトリックに、知性を見出すのかもしれない。しかし、彼は、やっぱり深く傷ついている人たちなのだと思う。
転向した知識人に、関心を持つ人間も、また深く傷つくのだ。私も、西部氏の欺瞞によって深く傷ついたのである。
ファシストのハンナを愛したことで傷ついたミヒャエルのように。
傷ついた人間は、自分の深い傷に触れるものを皆、「小さな隙間」に押し込めてしまうのだろう。
現在の日本の保守と言われる人に私が感じるファシズム的な匂いが、何に由来するのかわかった気がする。排外主義と見紛うような差別的な言動を、あえて露悪的にする保守の人たちは、結局は、「小さな隙間」に押し込めて、自分の深い傷を隠そうとしているのだ。
自殺する前に 『ファシスタたらんとした者』などという著作を書いた西部氏は、保守だのファシスタだのというというラベリングを自らにすることで、傷ついた自分自身を、自ら「小さな隙間」に押し込めていたように思う。彼を慕う弟子や読者たちも、無自覚に「小さな隙間」に自分たちを押し込めている。それは、もしかしたら全体主義的傾向を肥大させつつある現在の政治権力が用意した「小さな隙間」なのかもしれない。
(引用はじめ)
彼女は常に闘ってきたのだ。何ができるかを見せるためではなく、何ができないかを隠すために。彼女の人生では、出発は大きな後退を、勝利は密かな敗北を意味していた。
(引用おわり)
伝統だの慣習だの尊ぶポーズをするのは、「小さな隙間」の中で生きるためのレトリックであり、結局は、転向左翼の逃げ場でしかなく、ヒュームだのバークだのといったイギリスの保守とは本質的には、なんの関係もないのだろう。転向左翼の保守は、生き様そのものが「大きな後退であり、密かな敗北であること」を、察してやらないと、いけない。
ファシズムから転向したあとのハンナの死は、西部邁の最期にそっくりだ。
(おわり)
読書会の模様です。