Par Mizzyjo — Travail personnel, CC BY-SA 3.0, Lien
こんなんとか。
最初と最後で、書いてること全く関係なくなってる。
Par Mizzyjo — Travail personnel, CC BY-SA 3.0, Lien
こんなんとか。
最初と最後で、書いてること全く関係なくなってる。
昨日のオートミール話からの続き。
もともとオーツは嫌いじゃないのです。オートケーキは大好き。ケーキとはいっても、甘くない、分厚いクラッカーみたいなやつね。オートケーキにチェダーチーズとか乗せるとワインのお供に最高。で、食べたいなと思うんですが、これこそなかなか手に入らんの。
アマゾンで検索したらこんなものが。
チーズ味やグルテンフリーがえらいことになってます。無料の機械翻訳なんてまだこんなもんという好例でもあります。
ショートブレッドでお馴染みのウォーカーズのは輸入食品屋にもある。やっぱ280グラムで600円くらいする。あーあ、どっか国内で大量生産してくれないかな~。
その気になれば自分でも作れるんだけどさ。
でも普段オーブンとか使わないから、それだけでハードルが高いんだよな~。と思ってたら、こちらはフライパンで作っている。でも生地作りはオーブン版より面倒くさそう。
あ、でもオールブランは一気に牛乳をかけちゃうなあ。最初はバリバリと噛み砕き、やがて水分を吸って崩壊していく様子を楽しむ。最後がお粥状態でもOK。コーンフレークとは何かが違うらしい。
とかこれ書いてて「そう言えば森永チョコフレークって販売終了になったよねえ」と思い出し、ちょっとググってみたら、今年の9月から「ゴリゴリチョコフレーク」という新商品が発売になってるのね。名前は継承していても全く違うお菓子だけど。見た感じ、ブラックサンダーみたいな固いクッキーっぽいね。ちなみにオーツが入ってるそうですw あとアーモンド。
森永チョコフレークの生産中止は工場の老朽化だってね。設備を新しくして生産を続けるのではなく、新しい製品に舵を切ったわけか。スマホ時代、チョコフレークは手にチョコが付くのか嫌がられたってさ。
従来のチョコフレークのタイプのお菓子は、実は日清シスコの方が75%と圧倒的なシェアを誇っていたそうな。でもTVのCMのせいか森永チョコフレークの方が有名だったので、「森永さんの製品だと思って当社の製品を召し上がっていた方もいらっしゃるかも」と日清の人がインタビューに答えていた(これが言えちゃうところが貫録w)。日清は「濃厚仕立て」や「砂糖50%オフ」、「ミント」、期間限定の「焦がしキャラメル」や「ミックスベリー」とかも発売して売り上げ好調らしい。昔ながらのチョコフレークが食べたい人も安心だね!
あかん、話がどんどんずれていく…。この辺でやめときます。
朝食にオートミールを食べることがあります。まだ5回くらいだけど。
さんぼさんの記事からオートミールのことをいろいろ思い出しましてね。
オートミールは大昔に一度だけ食べたことがあるのだ。学生時代、初めての渡航先はアメリカのカリフォルニアで、1ヶ月のホームステイプログラムでした。そこで一度、朝食に出されたのです。
それまでに何度か小説や漫画で読んだこともあり、うっすらとした憧れのようなものはありました。で、「不味い食べ物の代表」「子供が嫌いな食べ物の代表」みたいな扱いをされているので、いったいどんな食べ物なんだろうと、怖がりの癖に怪談を読みたがるような、妙な期待感もありました。
で、食べてみたところ、最初は「そんな、言うほど不味くないよな」と思ったんだけど、段々つらくなってきまして。別の人が「別に不味くないけど、食べているうちに気持ちが悪くなってきて、皿の中のものがとんでもなく汚いものに見えてきた」とか書いていましたね。うん、大げさだと思っていたけど、私も… 段々、別物に見えてきたんですよね、あの時…(先にそんなものを読んでいたせいかもしれませんが)。
食感を変えようとミルクを足しましたが、食べるごとにミルクを足し続けるものだから全然減らなくて、食べ切るのに苦労しましたよ。その後ミズーリに2年ほど留学した時に一度だけ再挑戦して再度「好きじゃない」と確認しましたけど、それ以来30年近く手を出していませんでした。
…と思っていたんですけどね。これを書きながらふと思い出した。1年半前にオークニーで朝食の際に食べたポリッジ、あれはオートミール粥だったのでは…?(↓食いすぎ)
ポリッジ、美味しかったです。あれなら毎日食べてもいい。
ところで、オーツ麦は日本語では燕麦ですが、これ、カラスムギの一種なのです。カラスムギって言う方が何となくワクワク感がありませんか。小説でよく出てきたな~とか思ってしまう。
燕麦と言えば有名な小噺がありますね。
イングランド人「スコットランドでは皆さん、燕麦を召し上がるそうですな。いや、イングランドでは燕麦と言えば馬が食べるものと決まっておりましてな、ハッハッハ」
スコットランド人「その通り。だからイングランドでは優れた馬が、スコットランドでは優れた人が育つのですな、ハッハッハ」
実際、英国で最初に発刊された辞書の燕麦の項目に、「イングランドでは馬が、スコットランドでは人が食べる」と書いてあったそうですよ。
話を戻しまして、
【訂正】 さんぼさんは前夜からミルクに浸けてふやかしておく、と書いちゃってたけど、さんぼさんは刻んだリンゴ(摺りおろし状態)とヨーグルトでふやかすんだって。ネットでも、前日から浸しておくやり方を「オーバーナイトオーツ」と書いて推奨している。朝からお粥を炊くのが面倒なら、これがオススメって。
てことで、オートミールを買いに行きました。私のオートミールに関しての情報は30年前に更新をストップしていたので(ホヤを初めて食べて「好きじゃない」と思い、その後25年間人生から締め出していたみたいに)、輸入食品屋に行くつもりだったのですが、コープさんにあったわ。今は色々売ってるなあ。ミズーリでの留学から戻ってきた頃なんて、ベーグルもベーコンビッツも手に入らなくてねえ…。
どれくらいが一食分としてちょうどいいか、まだ試行錯誤中。これは30グラム。
70mlの牛乳を足して一晩おいてみる。
朝に見たらこんなん。写真じゃほぼ同じに見えるな…。ここにバナナを入れて潰して食べました。
美味しかったけど、もう少しお粥っぽくトロトロにしたいので、牛乳の量を増やしてみよう。
今となっては昔オートミールを美味しくないと感じたのが何故なのかわからん。味覚が変わったのか、調理法が何か違うのか。ホスト家庭で出されたのは、記憶は薄れていますが、もっと粘っこかった気がする。 牛乳を足した時に、混ぜると言うか延ばすためにスプーンで何度もかきまぜた記憶がある(そんなことするから更に粘っこくなるのかも)。
いっぺんちゃんと煮てトロトロのお粥も作ってみようと思います。でも、牛乳をかけてすぐに食べ始めるのも、時間の経過とともに歯ごたえが変わっていくのが面白くて好きです。味も色々試してみたい。砂糖とシナモンにも再挑戦してみよう。ちなみにしょっぱい系も美味しいらしい。
コメント欄がレシピ集と化しています。
Von V. Kostitsin-Teterin - Eigenes Werk, CC BY-SA 3.0, Link
イタリアのB&Bに泊まる外国人旅行者で「朝食が甘いものだけで、塩気のあるものがない」と怒る人は少なくないらしい。きっとフランスでも同じことが…?
「セカイのおはよう」はこちらから各国のものを読めますよ。なかなか面白い。
少し引用しますと、
「小さいサイズのフランスパンにチーズとハムを挟んで食べるのが、一般的。コーヒーは、日本のカフェオーレに沢山砂糖を入れて朝に飲むのがブラジル流。ブラジルは果物が安いので、朝によく食べていましたね。あっ、あと日本でなぜか人気の「ポン・デ・ケージョ(一口サイズの丸いチーズパン)」も朝に食べることが多いですね。会社や学校へ行く途中、屋台やパン屋さんで買い、始業前に摘まんでいる人も多いですよ。」
「 他の東南アジア諸国同様に、3食とも外食する文化が根強く残っています。 街の至る所にありますが、誰もがお気に入りの屋台街とお店があります。「コピ」と呼ばれるコンデンスミルク入りのコーヒー、半熟卵、そして「カヤ」というココナッツベースの甘いジャムを挟んだトーストの3点セット。これなしには、甘~い星国の朝は始まりません。(笑)」
マレー人との論争の話もめっちゃ面白いwww
「インド人は、皆さんのご期待通り(?)、朝からカレーを食べてます!(正式には、カレー風味の料理)
私の出身地である南インドでの朝食と言えば、豆と米粉で作った「ドーサ」、ドーサ用のソース「チャツネ」、そして日本の味噌汁に相当する「サンバール」が鉄板メニューですね。」
「外食好きの私たち台湾人は、朝食も外で食べることが多いです。台湾の伝統的朝食を外で味わう際、絶対外せない定番が「豆漿(豆乳)」。日本と同様に飲料として飲むだけでなく、スープや粥風料理のベースとしてよく使います。これに酢や醤油、ラー油等をかけ、お好みの味にしていきます。そして、豆漿と一緒に食べるお約束サイドメニューが「油條(台湾風揚げパン)」と「焼餅(台湾風焼きパン)」。値段は豆乳と1~2品食べて、200円くらいですね。」
台南の朝食を別途紹介してくれてます。楽しい。
「ドイツには、「朝食は皇帝のように、昼食は国王のように、夕食は乞食のように」という、有名なことわざがあります。このことわざが示す通り、ドイツ人にとって最も重要な食事は朝食。カリッと焼きあげたパンの上にタップリバターを塗り、ハムやサラミを乗せて食べます。」
ドイツ、超朝型社会…。
「日本に来て驚いたのは、マクドナルドの朝食メニューに、ホットドッグがあること! 実はアメリカ人、朝食にホットドッグを食べることは、絶対にありえません!!!
アメリカの家庭で食べる朝食で圧倒的に多いのは、皆さんご存知のシリアルですね。大人も子供も飽きもせず、毎朝食べてます。食文化に乏しいアメリカで、一番変化に富んだ味を楽しめるのが、もしかしたらシリアルかもしれません。(笑)」
他にもいろいろ面白いことが書かれている。
そして、新しいものも取り入れようとしているんですが、話が既にズレまくってるので別記事で。
前記事でカプチーノの時間について書きまして、「 感覚的にフランスのカフェオレは夜に飲むイメージではない、そんな感じでしょうか~ 」とコメントを頂戴しまして。
そう言えばカフェオレも朝食時のイメージだよなあ、と。映画やドラマでしか知りませんけど、朝食の際にカフェオレボウルでカフェオレを飲んでいるのは何度か見た記憶があります。が、それ以外の時だとフツーにコーヒーだよな、と。(イタリアは、警察署内にあるコーヒーマシンから小さなプラカップにエスプレッソを入れて飲んでいるイメージばかりが)
なので、カフェオレと時間帯についてちょっとググってみました。そしたらねえ、カプチーノの時はたくさん「朝だけ」という情報が引っかかってきたのに、全然出てこないの。検索ワードを変えて調べているうちに、「定番かと思いきや…フランスのカフェにはカフェオレがない!? その理由をフランス人に聞いてみた」とか、「セカイのおはよう<フランス編>」とか、いくつか出てきましたけど。
いわく、「カフェオレは朝食時に自宅で飲むもの。だからカフェのメニューにも載っていない」、「仏国内のフランス料理店で晩にカフェオレを出す店も増えたが、これは米国人とアジア人観光客向けの特別メニューである」。などなど。
英語ならどうだとググってみたら、「A Guide to Ordering Coffee in France」で「朝食時にのみ注文しましょう」、「Drink Coffee the French Way」で「朝食時のとても一般的な飲み物。ただし、午後や夜に注文されることはまずない」 と書いてありますね。
午後にミルク入りが飲みたかったら、キャッフェ・クレーメ? ミルクかクリームをちょっぴり入れたコーヒーを頼むといいらしいけど、これはカフェ・マキアートと同じく、しずくを垂らす程度みたい。
マキアートがしずく程度の量を指すと言うのも最近知ったんだけどさ。マキアートは汚れとか染みと言う意味だそうです。つまり染み程度の量。カフェ・マキアートならカフェにミルクを染み程度、ラテ・マキアートならミルクにコーヒーを染み程度に垂らす。
でっかい染みだな、おい。
By coffeefellow - Own work, CC BY-SA 2.5, Link
これも朝の飲み物らしい。カフェラテも朝の飲み物だそうだけど、カプチーノに比べると、「カフェラテは朝の飲み物である」と言うネット記事はうんと少ない。それだけカプチーノが大人気ってことなんだろう。
私、セルビアで「セルビア語は喋れないし、相手が英語を喋るかどうかわかんないし、国際語であるエスプレッソかカプチーノしか頼めない」と思ったわけですが、この時なぜカフェオレやカフェラテを選ばなかったかというと、『それはフランス語でありイタリア語である』というイメージが強かったのよね。いえ、カフェオレとカフェラテは作り方が違うけど、そういう話じゃなくて、その二つに比べてエスプレッソとカプチーノはもう国際語としての存在感が強いと言うか、他の言語にならない感じじゃない? ニンジャと同じで。
INDIA TODAY のコーヒーの記事には、「カフェラテとカフェオレは似たようなものだと思う人も多いでしょうけれど、世界各国のカフェでより多く見かけるのはカフェラテの方です」と書いてあります。そうなのか。「イタリア人のコーヒーに関する創造性にはすごいものがある」とも、からかい気味に書いている。めちゃたくさん種類あるもんね。日本だったら個人の微妙な好み・習慣として片付けられそうなレベルまできちんと名前がついて。
私の友人はミスタードーナツの氷コーヒー(凍らせたコーヒーを牛乳に入れて溶かしながら飲む商品)が大好きです。ああいうのはイタリアにもあるのかしら。
す私、3年くらい前まで知らなかったんですが、カプチーノって基本的に、午前中の飲み物だそうで。イタリア、ローマ近郊、最高に素晴らしい旧市街のあるブラッチャーノにお住いの野本さんに教わりました。
彼女のブログにも書いてありますよ。
ググったら、たくさん出てきます。カプチーノは朝に飲むもの。しっかりした食事を摂る昼食以降の時間帯にはミルク入りのコーヒーは重過ぎるので飲まない。などなど。
食後にカプチーノやカフェラテなどミルク入りコーヒーを飲む日本人を、イタリアの人は「マジかよ、よく入るな!?」という目で見るらしいです。こっちにしてみたらイタリアの方々の食事量の方にビックリしてしまうのですけど。
さて、カプチーノを飲んでも良い時間のリミットについては人によって記載に少しズレがある。11時がギリギリの制限時間だと書いている人もいるし、基本的には朝食で飲むものと書いている人もいるし、野本さんのように昼食(午後3時ごろに食べ終わるって)以降の時間帯には飲まないと書いている人もいるし。
先日、AXNミステリーで放映した「トスカーナ大衆酒場の事件簿」を見ておりました。
主人公 「カプチーノは午後3時以降には出さないんです」
観光客 「??? カプチーノをお願いします」
主人公 「○○○(忘れた)はどうです? 冷たいカプチーノみたいなもんです」
観光客 「それはカプチーノなんですか?」
主人公 「まあ、そんなもんです」
観光客 「(ニコニコ)ではカプチーノをお願いします」
主人公 「……こりゃダメだ(イタリア語)」
第2話では冒頭で主人公が休日を楽しんでおり、ナレーションで「今日ばかりは午後にカプチーノを注文する客の相手もしなくていい」とか言ってました。現地のバールの人を困らせる代表例として使われてしまうくらいなのかしら。ところで、第1話の最初の方で「午後1時以降は出さない」ってナレーションが入った気がする。記憶違いでなければ、そして翻訳間違いでなければ、ナレーションと主人公とで意見が食い違っとるぞ。録画を消してしまったから確認できないけど。
第4話でまた「午後にカプチーノは出せませんけど、話ならいつでも聞きますよ」と言ってました。別に相手が午後にカプチーノを注文したわけではないんですが、何故かいきなりこんなこと言ってた。定番の冗談みたいになっているのだろうか。
私も、知らなかった頃には午後にカプチーノを注文したことがあったんじゃないかしら、とか考えておりましたら、ええ、やってましたわ。そんで断られてましたわ。
こう考えてきますと、日本にはそういうタブーってあんまりないよね? これは朝にしか食べないとか、夜でなければとか。「朝ごはんっぽいメニュー」みたいなのはあるとしても、そういうのを昼や夜に食べたらダメってことはないしさ。お店のメニューとして「○○は夜しかやってないんですよ~」みたいなんはあるとしても、それは社会通念ってわけじゃないし。ラーメンやカレーも昔は昼以降のメニューってイメージだったけど、今じゃ朝ラーとか朝カレーも珍しくないし。
あえて言えば、「喜多方ではラーメンは基本的に朝食であり、昼に食べないこともないけど、夜はまずない。ラーメン屋は遅くとも午後3時くらいで閉店する」と聞かされてぶったまげましたが。
英国にも「オールデイ・ブレックファスト」とかありますね。あちらも「食べたけりゃ時間にこだわらんでもええがな」的な考えなのかしら。他の国の事情も知りたいものです。アメリカに留学した人が、ホストファミリー宅で朝食に前夜の残り物のサラダを食べていたら「朝からサラダ!?」と驚愕されたと書いていたっけ。こういう異文化ギャップの話はとても面白い。
時間に関係ないけど、日本に来た外国人が寿司を食べたいと言うので高級なお寿司屋に連れて行ったら、なぜこの店には鉄板焼きがないのかと尋ねられた、なんて話も聞きました。日本のカプチーノ事情と似たような感じで、寿司屋=和食屋になっている外国ならではの事情があったってことよね。
イクラちゃんの記事を読んでカミーノのこと思い出した。
https://ameblo.jp/urouro-ikura/entry-12569208881.html
私はカミーノは行ったことがあるわけではないのです。ただ、若い頃からずっと、行ってみたいと思っているんだよな。
元々はサンティアゴ・デ・コンポステーラのパラドールに憧れていたからってのもあるけど(今はそうでもない)、徒歩旅がやりたくてね。景色をじっくり楽しめるし風や匂いを感じられるし、それに、荷物を背負って一日歩いて、辿り着いた村で宿を求める… というスタイルにも憧れがありまして。
大きな都市から都市へと街道沿いを歩くことには惹かれない。山の中や海沿いに点在する村を泊まり歩いてみたい。でも、ひと気のない場所を一人で徒歩移動するのは不安もあるし、辿り着いた先に宿があるのかさえわからないと、ちょっと怖いよね。そういうのを含めて昔の旅は命がけだったんだろうな。山賊も出たし、怪我をしても助けも呼べない。だから旅行者インフラが整備されている巡礼路が最適ではないかと考えていたわけです。
すると、2000年代に入ってからサンティアゴ・デ・コンポステーラを目指すカミーノが人気爆発。今では一大観光産業となっているそうで。更に行きやすくなったなと思いつつ、まだ行けていない。
でも真剣な巡礼者にとっては同じことかもしれない。あるキリスト教徒の人がSNSで「今のカミーノは教会に行くと言う意識すらない人ばかり」みたいなことを書いていて、それに対してはさすがに「すみません…」って気持ちに…。本邦には「
ちなみに、立命館大学人文科学研究所紀要110号に載っている「ダークツーリズムから見る聖地巡礼」によりますと、2009年のサンティアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼者のうち、巡礼証明書発行時に三択で答えるようになっている動機が「宗教的動機」だったのは42%程度。48%が「文化的・宗教的動機」と答えてはいるけど、この中には、「文化的動機」と答えると簡素化されたデザインの証明書しかもらえないから「文化的・宗教的動機」にしておくという人が相当数含まれると推察されるそうな。
また、カミーノが楽しいので「サンティアゴに着きたくない」「いつまでも歩いていたい」と口にする人もたくさんいるとか。本来手段だったはずの歩きが目的になっている旅行者にとっては、目的であったはずのサンティアゴ大聖堂の参拝はラリーの終点と言うおまけでしかないのだね。私なんかサンティアゴ・デ・コンポステーラに行かなくてもいいと思ってるくらいだもんな。どうせ勤めている間は長い休みは無理だし、旅行の最中に1日か2日だけ歩いてみる程度でいいので、ルート途中の小さな村あたりを希望。
まあ、コロナ禍が収束してまた外国に旅行に行くようになっても、巡礼路を行き先に選ぶのは当分先になりそうですけどね。この夏から始めたウォーキングと筋トレをきちんと習慣化して体力増強に努め、その日が来たら元気に歩けるよう準備してまいります。そして、せめて教会には寄って、多少は献金もしてきたいと思います。が、教会が開いていなかったと嘆いている巡礼者もいたりして、難しいもんだな、と…。
イクラちゃんが自分の体験も記事「たかが旅行に色々考えすぎ!」に書いてくれているよー。いやー、読んでるだけでイライラするわw
さて私はダラダラと同じようなことを書き続けてきましたが、とりあえずはこれでおしまい。
「現地の人と交流するのが旅」みたいな人を見ていて思ったこと。
誰の言葉だったか、『現地人と交流したと得意げに語る人がいるが、外国人旅行者を相手にしてくれるのは、彼らを相手に商売している人を除けば、子供か老人だ。働き盛りの大人はそこまで暇じゃない』っての読んで「だよねー」って思ったことがある。商売人や子供や老人と話すのももちろん楽しいけど、威張るようなことじゃないって話。「ローカルな店で現地人と話すのが旅」と主張する人のやってることが、英語を解する店員に話し相手になってもらうだけだったりするし。それはそれで楽しいし私もやるけど、英会話に付き合ってもらっただけで「物見遊山とは違うんだ」と威張るのは滑稽だと思う。
そんな長話じゃなくて少し言葉を交わすだけでいいんだ!と言うなら、それこそ「交流するぞ!」なんて気負わんでも、いくらでも小さな関わり合いはできるよね。道を教えてもらったとか、乗る電車を間違えないよう駅員さんが気を遣ってくれたとか、バスで乗り合わせた小さな子に飴をあげて親御さんにお礼を言われたとか。社交的・積極的な姿勢でいれば自然に経験できる。だから、 「旅とは」 「バックパッカーだから」なんて構えずにフツーに旅行してればいいと思うんだよな。観光地でも路地裏でも関係なく機会はあふれているでしょ。
そんなんでもなくて「旅を通して一生の友人を作るんだ」みたいなのを目指している人もいるね。それが旅行の目的であれ副産物であれ友達を作るのは素晴らしいよ。ただ、「それこそが旅だ」と言い張る人の「旅先で作った友達」へのこだわりや、旅に成果を求めてしまう心理は、なんだか痛々しいんだよね。
そもそも『名所旧跡も見て回ればいいし、その際にちょっと触れ合いがあると楽しいよ』程度で落としどころとならず、「名所旧跡を見て回るのは旅ではない」まで飛ぶのは何故なのかねえ。本当に、「旅の達人が初心者に旅の楽しみ方を教える」と称してこのまんまのこと書いてあるウェブ記事もあったんですよ。『名所に行かず市場に行って現地人と交われ』みたいなん。若い子に呪いをかけるなっての。
「名所見物だけで終わる人が多いからでは」とも言われたけど、名所見物だけして楽しんで何がアカンのかと思うし、名所見物だけで終わったらもったいないと思うなら、さっきも書いた通り、「その際にちょっと触れ合いがあると楽しいよ」と、要素をプラスする言い方で良いのでは? 「名所見物なんかくだらない!交流しないと旅じゃない!」と煽るメディアの手口は脅迫広告と同じだと思うね。『肌が汚い女は結婚式で恥をかく!それを避けるためには今すぐこの化粧品を!』みたいなやつ。
それに、家に招いて御馳走してくれた人たちもいたし、楽しかったけど、それが旅の目的や必要条件だと思い込んだり、現地でそういう扱いを受けられるものと思いむのは、変な気がする。極端な例としては、最近聞いた話ですが、沖縄に来た若い旅行者がいきなり見ず知らずの住人に泊めてくれと頼んできて、断ると「沖縄の人は暖かいって聞いていたのに、全然そんなことないですね」と捨て台詞を吐いたとか。色んな人にどんどん話しかけて仲良くなって、結果として親切にしてもらえるのは素敵なことだけど、過程をすっ飛ばして最初から親切を当然のものとして期待するのは厚かましいってもんです。何か、テレビ番組とかで勘違いしちゃってるのかな?
あと、パッケージツアーを否定したりバカにしたりする奴も本当に嫌い。休暇の短い日本人の勤め人には、足が確保できているツアーはありがたい存在なんだ。見に行きたい場所があっても移動時間の点からパッケージツアーでなきゃ行けないって時に、「パッケージツアーは旅ではないから諦めるのが正しい」なんて思えるかいな。そもそも、日本発のツアーはNGだけど現地ツアーはOKってのも意味がわからん。個人で行ける所しか行かないスタイルも面白いけど、それを理由にパックツアーを馬鹿にするのは痛すぎる。
これも15年以上前のメールでのやりとりを記事に書き直そうとして10年以上放置。さすがに内容が古い…。そして内容が前記事と被っている。
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一頃、「外こもり」なんて言葉がよく聞かれましたね。日本を出たまま外国に居ついている人たち。日本人宿には、宿に住みついて牢名主のようになった人が威張っていると、日本人宿を使う友人から聞かされました。面白いねえ。
その友人が、ある宿でそんな牢名主に会いました。牢名主は自分が日本を出てからのあれこれや「旅とは」「人生とは」を得々と語り、まだ旅の経験が少ない若い旅行者たちがはすごーいと感心して聞き入っていたそうです。
友人はそれから4ヶ月あちこち周りまして、帰国前にまた同じ宿に行ったところ、牢名主はまだそこにいたんですって。どこにも行かずにずっとそこで暮らしていたとか。そして、4ヶ月前と同じ話を別の旅行者に語って聞かせていたそうです。
友人が帰国して長いこと経ったある日、雑誌だったかに「旅のエキスパート」 としてその牢名主がインタビューを受けた記事を読んだそうです。記事の内容は主が宿で語っていたのとまったく同じだったそうで、笑ってしまったと友人は語っておりました。
友人は牢名主の話に興味がなかったので一度目も二度目も近寄らないようにしていたそうです。そして、若い旅行者の中にも当然、牢名主の話を聞きたがっていない人たちもいたそうです。しかし牢名主は彼らに対しても自分の経験を一方的に語り、かつ、乞われてもいないのに 「教える」 立場として振る舞って、嫌がられ避けられているようだった… とのこと。
沢木耕太郎が 「深夜特急」 で、長旅しているバックパッカーを気力に満ちた独立心の強い若者と称賛する人は、彼らが放っている腐臭が感じられないだけの場合もあるのでは、みたいなこと書いていました。腐臭ってすごい言い方ですけど、それは彼自身の経験から。
沢木氏自身、沈没して動けなくなり、ある日無理やり気力を奮い立たせて宿を発ったそうです。出発する沢木氏を見送る隣のベッドのフランス人が、沢木氏の行き先を尋ねて 「僕も行こうかな」 と呟いた。一緒に行こうと誘ってほしかったのでしょう。その子は、そうでもなければもう動くことができなくなっていた。沢木氏は聞こえなかったふりをして別れたそうです。冷たいとかじゃなくて、自分自身を引きずるので精一杯の身には、他人を背負うことなんてできないってことよね。重みでまた沈没して共倒れになったら意味がない。
宿に逗留し続けることを「沈没」と呼ぶの(今でもそう呼ぶ?)、センスがあると言うより、言い出した人たち自身の実感がこもっていたんだろうと思うと、なんだかゾッとしますね。
私はいつもも3ヶ月で帰国していましたので、いつだって「まだ帰りたくない」と思いながらの帰国となっていました。だから長旅に倦み疲れて動けなくなる人たちの気持ちって想像しかできない。
ノルウェイで会ったイスラエル人の男の子は、兵役を終えて大学に入ったところだった。「旅は大好きだけど、いつまでもやる気はない。たまに、50歳になってもフラフラ旅し続けている人を見かける。彼らは人生で何も成し遂げていない。ああはなりたくない」と言っていました。個人的には、別に何も成し遂げんでも楽しく生きられたら良いのではと思いましたが(今も思っている)、これから輝かしい未来を作っていくのだと意欲に燃える若者が「旅の楽しみと引き換えに人生を無為に過ごすのは嫌だ」と思うのは自然だとも思います。私だって二十歳過ぎくらいまでは彼に近いタイプだったかも。
カンボジアで会った30過ぎくらいの日本人男性も、「就職先は決まってます。帰国したらすぐ仕事なんです。いつまでもこんなことしてたらバカじゃないですか」と言っていましたねえ。彼より少し年上なのにまだそんなことをしていた、そしてその後もいつまでもそんなことをしていたかった私は、みんな割り切ってんのね…と感心したものです。
宿で腐ってしまい、牢名主となることで居場所を作っている人って、中途半端だったのかもなと思います。何かを成し遂げるような生き方を選ばなかったのに、一生を無宿の放浪者として生きる開き直りもないし、慎ましく暮らしながら余暇で旅を楽しむ小さな旅行者にもなりたくない。何も成し遂げない生き方を選びながら、何かを成し遂げた人でありたいと感じている。だから宿に自分の王国を築いたつもりで幻の中に生きているのでは。
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ここで文は終わっておりました。何を解析しとるんだか。でも、こんなの今はもう書かないことだろうから、書いておいて良かったなと思います。今はもうどうでも良くなった、昔の私が気にしていたポイント。でも腐ってしまった牢名主が「何者かでありたい」という欲求を持っているんだろうと言う点は、ここんとこ書いている内容にも通じますねえ。
牢名主みたいな人って今でもいるんですかね? 安宿とはいえ逗留し続けられるのは物価の低い国ならではだし、私は最近ヨーロッパ方面が多いから、よくわかんないです。SNSが発達して旅情報が現地に行かなくても手に入るようになった、そして旅メディアで有名人たちが現地からバンバン発信するようになった現在では、牢名主の価値(あれば、ですが)は下がってしまったのだろうか?
私は安定を求めてフツーに就職した口です。旅三昧の時期の最初から、いずれはフツーに就職したいと思っていました。中年の身で貯金がゼロになるまで旅する度胸がなかった。いつ幕を引くかなんて考えていなかったけど、その日が来ることは意識していた。金が尽きるまで3年8ヶ月世界をうろついていたイクラちゃん・ホタテくんカップルや、ギターを弾いて日銭を稼ぎながら世界を放浪しているマイケルみたいにはなれん。憧れるけどね。
タイで会った若い女性が、私が屋台ではしゃぐのを見て、「いいなあ。私はもう、そういうの楽しいと思えなくなっちゃった。これから中央アジアに行こうと思ってる。東南アジアとは全然違うって聞いたから、驚きとか取り戻せるかなと思って」と言っていました。腐る前に土を入れ替えるんだね。
雲南省で会った中年男性は、短期バイトで資金を稼いでは外国に出るのを繰り返しているとのことでしたが、楽しんでいる感じがしない、と言うより、生気がなかった。本当はもう旅にも飽きて疲れて、こんな生活をやめたくて、だけど就職と言う壁に直面するのが面倒なのかも…と思ったりもしました。(単に体調が悪かっただけだったりして)
前の記事「旅のメンター志願者」と基本的には同じような内容なんですけど、ああいう鬱陶しい人は大昔からいた思い出を書いておく。これ、元は15年以上前に友人に宛てたメールで書いたもの。それをブログ用に書き直したまま10年以上放置していた。内容が古すぎて今更な感じはするけど、昔の自分の考えていたことも、記録として残しておきます。
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頭の中に「バックパッカーはこうあるべき」と言うマニュアルがある旅行者がたまにいますね。そのマニュアルでは、バックパッカーの最大公約数的な行動を「規範」としている。彼らはその規範に従って旅する、あるいは、規範を実践するために旅している。そして、同じように行動しない人を「バックパッカーにあるまじき」と否定する。
たとえば。 繁忙期でホステルが満室になりやすいと聞いて電話で予約を入れたら、 「宿を予約するバックパッカーなんて初めて見た」と笑う。
楽しみにしていた値の張る食べ物を買えば、 「バックパッカーがそんな贅沢をするなんて」と笑う。
バスが出ないと聞いて待つのを諦め、座席指定しか残っていない列車を予約したら、「苦労を避けるようじゃバックパッカーとは言えませんね」と笑う。
行動のすべてにおいて、「正しいバックパッカー」であることが最上位に来ている。何がしたい、何が見たい、何が食べたい、それらよりも、「それはバックパッカーのマニュアルから外れていないか」が優先するの。
ほとんどのバックパッカーにとっては、バックパッカーであることは手段であって目的ではないでしょう。時間はあってもお金はなくて、交通機関の乗り心地が気にならなくて、宿はシンプルで良くて、高級料理より庶民の食事に興味を引かれる。そんな感じに好みをまとめていくとバックパッカーのスタイルが向いている。それだけです。
バックパッカーの中にだって、大部屋では眠れない人も、偏食で現地食が無理な人も、バーが好きでお金をつぎ込んじゃう人もいる。「俺は米が食えないとダメなんで」と炊飯器を背負って歩いている日本人バックパッカーもいました。みんな、自分の好みに従って、自分で考えて、自分で選んで行動している。「バックパッカー的(=他のバックパッカーがどうしているか)」 かどうかなんて、どうでもいい。
しかしマニュアル派は、「典型的」 なバックパッカーであることを誇る。つまりは、どの視点から見ても「いかにもバックパッカーだね」という行動を取りたがる。多くのバックパッカーと共通する範囲から逸脱しないことを目指している。それって「皆さん、こうしてらっしゃいますよ」というパターンを踏襲することで安心しているだけじゃん。そんなものを「正しい」 と位置づけて優越感に浸り、他人の行動に是非の判断を下して悦に入っているわけだ。
「規範に外れた」 バックパッカーを、自分の属する 「(正しい) バックパッカー」 のカテゴリから排除したいんですかね。同類同士でお互いの正しさを認め合い、褒め合い続けていないと不安なのかも。いっそホントに同類だけでつるんでくれてたらいいんですが、彼らはいちいち他人の行動を評価したがるのが鬱陶しい。
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この文章で「若かったな私も」と感じてしまう今の私。昔から、自分がバックパッカーであることを理由に周りを見下すタイプが苦手だったけど、今はもうこういうことを言われてもあまり気にならんと思う。はいはい、って感じで。前記事の類の経験に比べたら、腹立ち度合いは半分以下ですね。実害がないと言うか。
最近はこっちが年を取ってバックパッカーと見なされていない気もするし。バックパックを担いではいてもね。50を過ぎた人間に「楽をするな」と言う人もあまりいないだろうし(少しはいる。前記事みたいな奴らがw)。だからこういうのを書き残しておくと面白いのよ。その年代にしか経験できないことってあるからね。
で、まだそんなことも言われていた20年近く前の思い出ですが、宿で、他の旅行者からやんわり避けられるようになっちゃったっぽい旅行者を見たこともある。まだ若い男性だったけど、「ああするべき、こうするべき」とやらかしちゃったみたい。仲良くする相手が欲しいのに避けられている様子は痛々しかったけど、彼自身がそこから学ぶしかないよね。
私も彼と少し話をしまして、気負ってるなあと感じました。彼は初めての海外旅行を始めたところで、バックパッカーで一人旅。若いだけに理想とする旅のあり方を心に持っていたみたい。私は彼より10歳くらい年長だったからか押しつけがましいことは言われなかったけど(こっちはひたすら相槌を打って聞いていただけだしね)、同世代の若い子たちを相手にするとまた話し方が違ったのかもしれない。
以前にも、ちょっと気になったことを書いていた。これ、ちょうど10年前だわ。