旅中毒 -8ページ目

旅中毒

バックパックと少しのお金とパスポートがあればいい。行けば行くほど行きたい場所が増え、人生狂って後悔なし!

実は私、アイスランドのセーターも、一枚は持っているんですよ。

 

5、6年くらい前に、アイランドのロックバンドがやってたクラウドファンディングに参加しましたの。知らないバンドだったけど、ネット上で何曲か聞いてみて、これならと参加することにしました。リターン品が良かったのでね。送料込み300ドルの出資で、CD、出資者としてのクレジット、フォトブック、Tシャツ、そして手編みのセーターが付くの。お得やん。

 

やはりリターン品目当ての人が多かったのか、ファンディングは好調でした。最初の目標額は軽く達成し、バンドは目標額を引き上げました。「この新たな目標額を達成できたら、全員に火山灰もお付けします!」  その頃はまだ、2010年のエイヤフィヤトラヨークトルの噴火も記憶に新しかったっけねえ。最終的には惜しいところで目標額を達成できなかったけれど、ほぼ達成したのでと、アトマイザーに入った火山灰も送ってくれました。

 

余談ですが、住所が間違っていて送った品が戻ってきてしまった人がいたらしかったです。バンドから「まだ届いていない人、お願いですから連絡をください! お金だけ取ってリターン品を送らなかった奴にはなりたくありません!」と悲鳴のようなメールを送ってきていました。ちゃんと全員の許に届いたかしら。

 

さて、このセーターは、メンバーや関係者の家族が頑張って編んだらしい。予めサイズを伝えて編んでもらうことになっていたのですが、その時に私、ふと考えたのです。S、M、Lで選ぶならMですけど、袖が長すぎるんじゃないかなと。

 

スロヴェニアで買った長袖のカットソーは、袖が長すぎて、日本国内では上に何かを重ね着するのでなければ着れないのですよ。

 

幸い、具体的なサイズを書いてくれたらその通りに編みますと書いてくれていたので、そのやり方にしようと決定。ネットで「サイズの測り方」を参照しながら巻き尺を使ってきっちり測って書き送りました。

 

でもバカだから、腕をまっすぐ下ろした状態で手首が出るくらいの長さにしてしまったのだ! 腕を曲げたらずり上がることが何故わからなかったのか。

 

着用した姿がこちら(左の奥側がワタクシ)。ね、袖が短いでしょ。

 

私好みの色とデザインの素敵なセーターなのに! 軽くてとっても暖かいセーターなのに! オーダーメイドみたいなもんだったのに、敢えてまともに着れないサイズで注文した大馬鹿者。

 

先日、アイスランド好きの人たちと会ってお喋りした際にこの話をしました。

 

「動いていたら肘の下くらいまでずり上がってくるんですよね」

「もう、そういうデザインなんだと思って堂々と着る!」

 

「袖をほどいて編み足すにしても、同じ色と材質の糸がないとバレバレだし」

「もう、そういうデザインなんだと思って堂々と着る!」

 

背が低くて(=腕が短い)太ってる人にならすぐにでも着てもらえるんだけどな。どこかの子供にあげてもいいけど、胴回りがブカブカだろうし。いっそのこと、胴の部分だけ水洗いして縮ませたら、袖と釣り合いが取れるようにならないかしら(私は着れなくなっても、小柄な人なら…)。逆に袖を伸ばすことも考えました。ヘアコンディショナーに浸して、濡れたまま伸ばして1日置くと少しは伸ばせるらしい。でも袖だけ濡らして上手に伸ばすなんて自信ないなあ。変に形が崩れたら嫌だし。ああもう、泣きたい。

 

しかし、着ることができるようになったのです!

 

 

 

 

1998/7月

 

レイキャビクの街はこじんまりしていて、開放的な感じがしました。一つには、高層ビルがないからではないかと。ガイドさんも、レイキャビクには(=アイスランドには)高層ビルはないと言っていましたよ。「なぜかと言うと、必要ないからです」。つまり土地は広く人は少ないので、背の高いビルを建てなきゃいけないほど収容すべき人間がいないってことだよね。

 

高い建物がないと空が広くて圧迫感がないんだよな。ふと、ヘルシンキからストックホルムに移動したときのことを今、思い出したぞ。ストックホルムの大都会ぶりに萎縮したの。ヘルシンキにも大きなビル(と言っても6、7階建てくらい)はあるけど、それがずらっと並んでいるわけじゃないし、道は広いかった。でもストックホルムには高層ビルが林立していて、なんだか心細くなってしまった。

 

…という話を他の日本人に会った時に言ってみたら「大阪で働いてるんでしょ!?」と言われたっけな~(旅先はまた別なんだよぉ)… という話をデンマーク人に言ってみたら「ストックホルムごときで怖気づいてちゃコペンハーゲンには来れないよ」と言われました… という話をスウェーデン人に言ってみたら「よく言うわ! ストックホルムに比べたらコペンハーゲンなんか田舎だよ!」と言われました… という話をコペンハーゲンに住む日本人に言ってみたら「そりゃストックホルムの方が大都会ですよ」と言ってました。

 

さて、レイキャビクはヘルシンキよりもっと建物が小さいです。町の外れには大きなホテルがいくつか建っているけどね。と言いますか、レイキャビクではちょっと歩くとすぐ町外れになります。

 

観光案内所があったのはここら辺だと思う。観光案内所を出てすぐのところに階段があったのを覚えているのだ。

 

記憶が確かなら、上の写真を右手に曲がったところに観光案内所があったように思うんだよなあ。平屋だった気がする。入っていった時のイメージとかカウンターの様子は今でも漠然と脳裏にある。

 

でも今グーグルさまのストリートビューで見ると、観光案内所はこの通りのお向かいにある(写真の左のベージュの建物)。まあ、20年も経てば色々と変わっているでしょうけど。

 

今なら自分で撮った写真が手元にいっぱい残るんでしょうねえ。町の様子も、宿の様子も、食べたものも、手当たり次第にスマホで記録するだろうな。でもこれは20年以上前のこと。まだデジカメは普及していませんでした。すべて現像する必要があるからそうそう気軽には撮れんのだ。この時の北欧周遊2ヶ月半の写真の現像代だけで3万円を超えましたよ。

 

レイキャビクの街歩きもしましたけど、ほんの少しだけでした。町の外れから大聖堂のある方を見ていたようなうっすらとした記憶がある程度。あと憶えていることと言えば、道がわからなくなって若い女性に尋ねたら、「ごめんなさい、私も観光客なの」と言われたこととか、お土産屋さんとかが並ぶ辺りで本屋さんに入ってエッダやサガの英語の本を買ったこと(読んでないw)。


あと、アイスランド料理を食べておこうと思い立ち、海が近い(町全体がそうですけど)レストランの前でメニューを見たら、パフィン料理がありました。

Andreas Trepte - 投稿者自身による作品, CC 表示-継承 2.5,

 

胸肉のブルーチーズソースがけ。パフィンなんて食べる機会はそうそうないだろうと興味を抱きましたが、淡白な胸肉に濃厚なブルーチーズを合わせたら、そりゃ美味しいだろうけど、肉の味よりソースの味の方が印象に残りそうだなと思ったのと、何より予算オーバーだったので諦めました。


アイスランド、物価が高かったからさ~。スーパーでサンドイッチを買って食べていました。レイキャビクで泊まっていたゲストハウスはキッチンが使えなかったしね。もっとも、使えていたところで、自分でパンとハムやチーズを買ってサンドイッチを作ったと思うけど。北欧周遊2ヶ月半の長旅でしたんで、食費を切り詰める必要があったのですよ。

 

ノルウェイのスタヴァンゲルで、同じ宿(たしか大学の寮が夏休みの間開放されていた)の2人部屋で同室になったのが日本人女性で(たぶん宿側が気を利かせてくれた)、一緒に食事に出ることになり、何が食べたい?となった際、二人とも「温かいもので、お米のご飯」と意見が一致しましたよ。彼女も毎日毎日サンドイッチばかりだったって。(この人が上で書いているコペンハーゲン在住の人)

 

 

で、まあ、私はアイスランドらしい食事を一度も試していないも同然なわけです。昼食は出先になるので外食もしたけど、ドライブインのホットドッグとか、そんなレベル。レイキャビクではサブウェイにも入ったけど(外食の中では安いんで)、結局サンドイッチと言うw  ああ、少しくらい贅沢すれば良かったわ。羊料理とかさあ! パフィンも食べておけば良かった。

 

あとねえ、本当は、アイスランドでセーターを買おうと思っていたんですよ。白と灰色と水色のが欲しいと思っておりました。が、この旅の初期、ノルウェイのフィヨルドを見学に行った際にあまりの寒さに耐えかねて白と赤に黒と灰色が入ったカーディガンを買ってしまったのだ(セール品だったもんで)。上着は持ってきていたけど、夏の北欧は、阪神間の秋の格好じゃ無理でした。てことで、レイキャビクのお店のウィンドウを飾るセーターを見て「これ、好きだなあ」なんて思いながら通り過ぎていた。2着も買ったら散財しすぎだと自制しまして。

 

でもさあ、買っちゃえば良かったよね!? ノルウェイのカーディガンも気に入ってるけど、アイスランドで白と水色と灰色のセーターも買えばもっと幸せになれたよね!! ええやん別に2着買っ散財したって!! お金は後からでも稼げたのに!! 私のアホ!!

 

 

心残りがいっぱいのアイスランド。また行きたい。使い残した現金もまだ手元にある。旅行中って興奮しているから「また来るし!」とか思って両替しなかったの。2000円分くらいだったかな。今は1000円くらいの価値しかなかったりして。てゆか、今はアイスランドもキャッシュレス時代だろうな。

 

1998/7/??

 

どんな小さなことでも忘れないうちに書いておこうと思う。ブログを書き始めて10年、この間に書かないまま忘れてしまったことが多いだろうと思うと残念なので。

 

私、アイスランドではバスで移動し、行く先々でツアーに入って観光しました。レイキャビクからは、珍しい風景が集中している「ゴールデンサークル」へのツアーに参加。グトルフォス(大きな滝)、ゲイシール(間欠泉)、ギャオ(地球の割れ目)、シンクヴェトリル(民主主義発祥の地)などを見て回りました。

 

ツアーには市内の観光案内所で申し込んだの。お金を払い、泊っている宿を聞かれたので伝え、「明日の朝、9時にバスが迎えに行きますので外に出て待っていてくださいね」と言われました。

 

で、翌朝は30分前から外に出て待っておりました。早めに来るかもしれないし、置いて行かれたくないから用心のため。

 

でも、9時になってもバスは来ない。まあ、そんなこともありましょうよ。順番に参加者の宿を廻って拾って行くんだから、最後の方だったら10分かそこら余分にかかってもおかしくない。なので大人しく待つ。不安は不安でしたけどね。時々ツアーのバスが近づいてきて、「あっ!」と思って駆け寄ろうとするとスーッと通り過ぎてしまい、他のツアーだったか…と落胆。

 

そしてどんどん時間が経っていく。本当に宿の前だった? 別の集合場所を言われていたっけ? んなわけあるか、他の場所を聞かされていたら宿の前だと思うわけない… 等とぐるぐる考えこんでしまう。観光案内所は宿から遠くはないので確かめに行こうかとも思いましたが、もしその間にバスが来ちゃったらと思うと怖くて離れられない。今ならスマホで観光案内所に電話するところですが、20年以上前の話です。携帯電話すら一般的ではなかった時代でしたからね。

 

しかし30分以上経って、いくらなんでもおかしいと思い、観光案内所に走りました。カウンターには幸いなことに、私が昨日チケットを買ったのと同じ職員さんがいました。

 

私 「すみません、今日のゴールデンサークルツアーのチケットを購入済みなんですが、ピックアップは宿の前とおっしゃいましたよね?」

職 「そうですよ」

私 「30分以上経ってもバスが来ないんですけど…」

 

職員さんの顔色が変わりました。彼女はすぐに電話をかけ、私に、「すぐ迎えが来るから、ここで待っていて」と指示。それから10分も経った頃でしょうか、男性が一人、入ってきました。彼と一緒に行くように言われたのでついていくと、外にあるのはバスではなく乗用車。

 

そう、バスはもうとうの昔にレイキャビクを離れておりました。それを乗用車で追いかけてもらったのです。やがて道の端に停車しているバスが見えました。私を待つために、先に進めずにいるバスが。

 

ずらっとツアー客が座っているバスに乗り込んでいく気まずさったら。私が悪いわけじゃないんだから謝ったりしませんでした(私も誰からも謝ってもらってないぞ)。でも、私はちゃんと指示通りに待っていたのに置いて行かれただけでなく、他の人達から私のせいで30分以上も貴重な時間を無駄にしたと思われたんだよな。すっかり気が滅入って、窓から見えるきれいな風景も楽しめませんでした。

 

グトルフォスに着き、ごつごつした岩場を陰鬱な気持ちで歩いておりましたら、声をかけてくる人が。それは、前の日に町でちょっとだけお喋りしたアメリカ人観光客のグループでした。同じバスに乗っていたのに気づかなかった。「後から来たね、どうしたの」と聞いてくれた彼らに何があったかを訴えまして、「そりゃ気の毒に」と言ってもらいました。それだけで随分と気が晴れましたよ。たとえ4、5人にでも事情を知ってもらえたと言うのとは別に、人と話したことで気持ちが落ち着いた感じ。

 

その後見て回った景色の素晴らしさを思い出すと、それを見た時の記憶に嫌な部分が全くくっついていないので、グトルフォスで不愉快な気持ちはすっかり落ちたみたい。でもこうやって書いていると、あの時の悔しさを思い出しちゃうねw

 

アイスランドに行った時の思い出です。人生初のラフティングを楽しみました。

 

 

驚いたことがいくつかありました。

 

① ツアーのお迎えが来たのが夜の8時

聞き間違いかと思ったわ。白夜のシーズンでしたから問題なかったけどさ。宿に戻ったら日付が変わっていましたよ。

 

② 夏なのに凍えるほど寒い

7月でしたが、大阪の真冬並みに寒かった。その中で水遊びをするもんで、とにかく防寒が必要でした。アイスランドの「夏」って、「冬じゃない」って状態だな、と。

 

③ 指がかじかむのを通り越して萎えた

防寒着とドライスーツのおかげで凍えずに済んだけど、むき出しだった指が機能不全に。動かせるけど、筋肉が萎えちゃって力が入らず、自分ではドライスーツが脱げませんでしたよ。寒いとああなるんだ?

 

防水のカメラは持っていなかったので写真がないのが残念です。パドルで水をかく時の様子は今でも何となく目に浮かぶ。

 

で、ラフティングも終わって、最後にはボートを皆で担いで土手を上っていきました。これが私には本当に厳しくてですね…。

 

前提:私は昔から壊滅的に腕力がない。初めてスポーツジムに行った際の測定でも言われました。握力や脚力は普通だけど、腕力がダメダメ。上腕に筋肉がなさすぎる気がする。他の人と同じくらいの荷物は持てていたけど、きっと肩や背中の筋肉が活躍していたんでしょう。

 

そしてこのラフティングの後のボート運び。全員が私より背が高く腕が長いもんで、彼らが担ぎやすい高さって、私にはつらいんです。せめて肩に担いでくれたら私の手も届いたと思うんですが、なぜか彼らの頭の辺りで運んでいたので、私は腕を伸ばし切らないと支えられない。と言うか、腕を伸ばし切っても指先でしか支えられない。

 

腕をずっと上げていることさえきついダメ人間なので、途中で限界が来て、一旦腕を下げて回復を待ちました。しかしそれって、周りから見たら私だけサボっている状態ですよね。実際、一人の男性から「ようめはボートを運ばないんだね」と言われました。だったら位置を下げてくれよと思ったけど、私に合わせて彼らが支えにくい位置に下ろせというのもなあ…。元はと言えば腕力がない私が悪いんだし。てことで、「ごめん、ちょっと腕がしんどくて」と言い訳してから復帰しました。その後は下ろさないように頑張ったけど、あんなに腕がつらかったのは人生で後にも先にもあの時だけです。それだけつらい思いをしたのに、どう考えてもボートを運ぶ役に立っていなかったしな。

 

後に欧州に住んでいた日本人にこの話をしたら、「そこで自分が悪いと思っちゃうのが日本人だねえ」と言われましたw 「私には位置が高すぎて支えられないよ。私の肩の位置まで下げて」くらい言い返さなきゃ、て。(よう言わんわ今でも)

 

てことで、今でも腕力のなさを痛感する際には、ラフティングのことを思い出すことがあります。あと、スポーツジムで頭の後ろでダンベルを上げ下げする運動を1セット終わった後、手を下げたまま腕がプルプルしてそれ以上持ち上げられなくなり、慎重に体を横に傾けてダンベルを前に持ってきたこととか。

 

今はまだ、自転車を地下駐輪場に下ろす際にサドルを腰に当てて支えなくても腕力だけで下ろすのが平気になったって程度ですけど、これだって大きな進歩です。春にはそんなことしたら最後は腕がプルプルしていたもの(たま~に試していました)。

 

今後も筋トレを続けるぞ!

 

「○○すれば蔵が建つ」というのは、○○がお金を呼び込むことをたとえた言い方でして、それを「△△するのをやめれば」という方向で自虐的な冗談に使う人も少なくないのですけど、最近の若い人に「蔵が建つ」って通じるかな? そもそも蔵自体を普段の生活で見かけなくなっていますしねえ。

 

 

私、何十年も「酒をやめれば蔵が建つ」と言い続けておりまして、友人から「それ千回聞いた」と切り捨てられたこともありました。そして今ついに、(ほぼ)やめているのですよ。6月にダイエットを始めてから4ヶ月の間、飲んだのは友人との外食時くらいで、月に1、2度ってとこです。飲むのをやめたわけじゃないし、節制し始めて日も浅いので、まだ蔵が建つほどではありません。でもいずれは建てたいものですな。

 

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さて、減量に取り組むに当たり、私は何かを絶つと言う方法は取っておりません。友人の中には、これと決めたものを絶って他は今まで通りに食べる方が続けられるって人もいる。しかし私は糖質制限とか、甘いお菓子は食べないとか、揚げ物はNGとか、そういう縛りを作るより、全体的に少しずつ減らす方が合ってるの。日によって食べたいものも違うしさ。人それぞれに合ったやり方があるのだ。

 

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そんな私ですが、お酒はかなり減らしていましてね。もっとも、そう決めたわけではなく自然な流れでした。理由を考えるに、

 

① 元から食事量は適正~少し大めって程度で、夜中のお酒とつまみが肥満の最大原因と自覚していた

② ごはんを減らすのはつらいから、お酒やお菓子と言った「余分なもの」がターゲットに

③ お酒を飲むと自制心を失ってついつい食べてしまうので、それを防ぐ

 

こんなところでしょうかね。

 

 

①はもうずっと思っていたことです。外食で飲むと、普段より高カロリーの食事に加えて、それと同じくらいのカロリーをお酒で取ってしまう。家飲みはどうかと言えば、お酒付きで普通の量の夕食を摂って、夜遅くなってからまたお酒を飲み始め、チーズなど高カロリーのつまみをモリモリ食べてしまう。1食余計に食べているも同然でしたね。そりゃ太るわw

 

 

②はこのまんまでして、元から食事量はさほど多いわけでもないので、これ以上減らすとお腹が空いてつらい。適量から減らすより、過剰であるところのお酒を減らす方が楽ってだけ。

 

 

③は、酔うとタガが外れるってこと。最初は自制するつもりでも、酔いが進むと理由を付けて飲む量を増やし、「せっかくなら美味しく飲まなきゃ」とつまみを増やし…。元々飲む際に食べるものが欲しいタイプなので、飲み続ける限り食べ続けるという悪癖がありますしね。

 

 

で、今は家ではノンアルコールビールを飲んでいる。何年か前にダイエットした際にもアルコールを減らして、ビールの代わりに炭酸水を飲んでいたけど、今回はノンアルビールです。ビールとは味が全然違うけど、ビールだと思わなきゃ別に不満もない。

 


 

先日、2本目のノンアルコールビールを開けながら、「これだといくら飲んでも酔わないからいいな」と思い、そう思った自分に驚きました。

 

 

若い頃は「少量で安価に酔う方法」等と言って空きっ腹にスピリッツを流し込んで酔っ払ってからビールを飲むなどという蛮行を繰り返して面白がっておりましたが、酔うこと自体を楽しいと思う時期はさすがに過ぎました。かなり前に。でも、酔いたくないわけじゃないはずなのに。

 

 

 

いや、確かに、昼から飲むともうその日は他に何もできなくなることもあったよ。酔っぱらったら動きたくなくなるから。寝てしまうこともあったし。それにしても、自分がこんな風に考える日が来るなんて!

 

 

 

先日、ラム酒漬けのレーズン(たぶんお菓子用)が半額になっていたので購入し、おやつにつまんだところ、頭がフラフラしてきました。酔ったのか…!? あんな程度で!? これもさすがに驚いたなあ。体調が今イチだっただけだと思いたい。飲めない人間にはなりたくないもの。飲む日には思いっきり飲みたいんだ。

 

 

これ↑の翌日、これ↓状態でした。他にもいっぱい飲んだから。

 

 

昔、とても酒に強い同僚がおりまして、しかし言うには、「強いけど、美味しいと思わないから普段は飲まない。でも付き合いだから飲み会では飲むし、いくらでも飲める」って人がいました。普段は飲まないでいても、飲むとなればたくさん飲める。それが理想。

 

 

これができなくなるなんて考えられない!

6月後半から始めた減量、とりあえずマイナス5キロ程度は達成しました。ぱちぱち。

 

カロリー計算で言えばこの倍は減っているはずだったんですがw まあ機械じゃないのでそううまいこと行きません。と言うか、たいていの人はカロリー摂取量を低めに見積もってしまうものだそうですから、私も自分で思っているよりたくさん食べているんでしょう。
 

体重の減り方は、わずかに上下しながら全体として下降線をたどるって感じ。でもここんとこ10日ほどは1キロくらい戻った状態でかすかな上下を繰り返しております。停滞期ってやつですかね。こんな時は以前に先輩と交わした会話を思い出します。


私 「生活が変わらんのに食べる量を減らすのは、それが本来適切な量であっても、事情を知らん体にとっては山で遭難したみたいなもんらしいです。んで、細胞がパニクって、うわーなんやなんや、なんでこんなちょっとしか食べるもんないんや! やばいで、飢え死にすんで~ってなって、非常事態宣言するらしいですわ。食べるもんちょっとしかないんや! 次いつ食べれるかわからんで! 生き延びるためにはちょっとしか体力使ったらあかん! ってなって、ちょっとの栄養で生きられるように代謝をガクッて下げて、省エネモードに入るんですって。でもそれが続いたら細胞も落ち着いてきて、現状把握して、あれ?こんだけの栄養でも全然問題なく生きてるやん。ちゃんと毎日食べてるし、これ遭難ちゃうんちゃう? 心配することなかったわーハッハッハ~ってなって、その少なくした栄養で普通に生活するようにまた代謝を上げるんですって」

先輩 「あんたその言葉、細胞から直接聞いたんか」

 

ついセリフにしてしまうのは、どういう癖なんでしょうね。3年くらい前の上役にも似たような人がいました。その人の場合、他人との会話で得た情報を伝えるにも、録音再生みたいにすべてを再現しないと喋れない。当然時間がかかるので、「よく女房に『貴方は気持ち良く喋ってるんでしょうけど、聞いている方は大変』って叱られるんや」と言ってましたわ。

 

代謝と言えば、夏から始めたウォーキングと秋の声を聞いてから始めた一日3分程度の筋トレも、何とか続けてはおります。筋肉量が増加したわけではありませんが、体重と体脂肪率は下がっているので、筋肉を維持できていると言う状態なのかしら?

 

もっとも、腕の筋肉は少しは付いたらしい。これは私が最初に鍛えたいと思った場所なのだ。以前は地下駐車場にベルトコンベアで自転車を下ろす際に、サドルを腰で支えていないと下ろせなかったのに、今は腕の力だけで下ろせます。腕を伸ばして物を取る際にも「あ、以前ならこれ、片手では無理だったな」と思うことがありますね。腕だけではないか。床から立ち上がる時にも前ほど力が要らなくなったもの。このように、少しだけだけど、生活が楽になっていく実感がある。

 

「運動なんてシンドイから絶対にやらない」と思っていたけど、今となっては「運動をやめたらあのシンドイ生活に戻ってしまうのだ」という恐れを感じている。楽になった状態を経験するのが大事なのね。

 

前に通販で買って、着れなくはないけどきつ過ぎて着る気になれず放置していたシャツも、楽に着れるようになりました。今から半年後には、「いつかまた着れる日が来るかも」と未練たらしく置いていたスーツやシャツも着れるようになるはず。そのまま続ければ、1年後には、「着れる日はもう来ないだろうけど好きだから置いておく」と取っておいたエレガンス(を目指していた)時代のスカートも履けるかもしれない。でももうスカートを履きたいと思えないけどな。パンツスタイルが楽です。冬も温かいし。

 

履けなくなったまま置いてあるジーンズ(今はデニムって言うんですかね)も何本もありまして、まだ履けないのがほとんどだけど、1本だけ何年ぶりかで履くことができました。ぱちぱち。しかしストレッチ素材じゃないから屈むと少しお腹が窮屈。今はもうストレッチジーンズしか買わなくなってしまったもんなーw 本当はこれくらいカッチリ体をホールドする服を着て自らを戒めるべきなのではないかと。

 

こんな感じで少しずつ生活が楽になり、楽しくなっているので、何とかこれを人生最後の減量とするよう、引き続き努力してまいります。

 

写真フォルダから懐かしいのが出てきたので、残しておく。自分の写真じゃないけど。2019年4月ね。

 

アメリカ、テキサスの警察が州花ブルーボンネットと一緒に撮った写真を警察内で募集したそうです。

 

上層部としてはこんな感じのを想定していたと思うんですよ。

 

こんなんとか。

 

しかしなぜか段々…

 

大喜利状態になっていったらしい。

 

一番ウケたのはこれ。

 

 

で、以下は写真と全然関係ない話なんですけど。

 

私はたぶん、特別な事情でもできない限りはもうアメリカを訪れることはないだろうなと思います。でもやはり、たまにとてもとても懐かしくなる。基本的に人が陽気で、知らない人同士でもコミュニケーションをとるのが当たり前で、見知らぬ人に優しくすることに理由なんて必要なかった。

 

日本は良い国ですし、絶対にアメリカを見習ってほしくないところも多いけど(健康保険制度とか銃の蔓延とか!)、日本社会全体に、個人的な知り合いでなければ関心を向けない冷たさがあると感じています。

 

日本人、一人一人は優しいので、そして普段は個人的な人間関係の中で生活を送っているものなので、自分たちの冷たさに気づいていない人も多いんじゃないかな。例えば路上や電車の中で誰かが困っていても、見ぬふりをしていれば出来事そのものを自分の人生から排除出来て、自分を冷たい人間だと思わずに済む、そんな感じ。

 

隣近所と濃密な関係を築くべきだとかいう話ではなくて、濃密な関係がない相手に対してでも、もうちょっと想像力を働かせて、優しさを表に出すことに抵抗がない社会になればいいのになと、そういう話。

 

今日読んだニュース。岐阜で、「道に靴が片方落ちているけれど人の姿がない」と男性が警察に通報し、駆けつけた警察が、すぐ近くの路地裏で18歳の少女に覆いかぶさっている男を発見、逮捕したそうです。「自分に関係ない」と見て見ぬふりをせず、「もしかしたら誰かが困っているのでは」と想像力を働かせ、杞憂に終わってもと通報し、待機する労を惜しまなかった。そのおかげで救われた子がいるんです。こういう心がけが当たり前の社会になったらいいなと思います。

 

「Lost in translation」という映画があることは知っているのですけど、まだ見たことないんだよな。

 

最近、ちょっとテレビ漬けになっております。自宅内ウォーキングを思い立ち、そのためにと面白そうなテレビを録画するのは良いのですが、消化できないでいるうちに来週も見たい番組がたくさん… という、あるあるな状況に。

 

そんなことしているうちにAXNミステリーでニュー・トリックスの一挙放送が。

 

AXNミステリーで見たい番組がなかった時期がありまして、それ以来すっかりご無沙汰しているうちに、新シーズンは12なのか~。追いつくの大変だ。ヴェラもシーズン6から見ていないから今回録画しているし、ミステリー・イン・パラダイスもキャッチアップ頑張ってるし、フランス系は絶景ミステリーにパリ殺人案内にアート・オブ・クライムなどで未視聴エピソードがあるし…。毎日最低4時間分は消化しないとHDDがパンクする。おかげで毎日テレビの前で1万歩近く歩いておりますが。

 

でね、ニュー・トリックスを見ていて、クスッとなったセリフ。

 

聞き込みで、「ドクター」の異名をとるドラッグディーラーがいることをサンドラとジェリーが知る。オフィスに戻った後4人で捜査の打合せを行う(その際、このディーラーの話は出ない)。解散してオフィスを出ようとするサンドラに、ジェリーが「ドクター」のことを思い出して声をかける。

 

ジェリー 「ああ、そうだ、ドクターに話を聞けよ!」

サンドラ 「えっ」

ジェリー 「ドクターだよ、ドクター!」

ブライアン 「誰(フー?)」

 

ここ、ちゃんと字幕でも、「誰」の上にカタカナで「フー」って書いてあった 笑

 
 

どんなドラマでも、その国で有名な別ドラマや映画などをちょっと引用することってありますよね。日本ならドラえもんとか水戸黄門とか、最近なら半沢直樹とか? 誰でも知っている(半沢直樹とか、見たことない私だってネタとしては知ってるもの)一般常識と化した作品名ね。

 

 

イタリアのミステリードラマ「マッテオ神父の事件簿」では、事件の裏を読もうとする部下にチェッキーニ准尉が「お前はモンタルバーノ警部か!」とツッコミを入れる場面が。まったりほっこり系の「マッテオ神父の事件簿」より、マフィアも出てくる「モンタルバーノ警部」の方が本格ミステリー寄りだからかしらw

 

 

「モンタルバーノ警部」は暗くて悲しい雰囲気の事件が多いよね。

 

でも、「ドクター・フー」や「モンタルバーノ警部」がそのまま使えるのは、ニュー・トリックスを見ている人がドクター・フーを知らないはずがない、マッテオ神父を見ている人がモンタルバーノ警部を知らないはずがない、そういう前提があってこそなんだよな。

 

 

最近の私のお気に入り、「もしもの時の生存マニュアル」。

 

これのおかげで、ゾウアザラシに襲われても、アフリカゾウに襲われても、闘牛に襲われても、スカイダイビングでハーネスが外れかけても、湖で氷の割れ目から転落しても、マウンテンバイクのジャンプで8階の高さから落ちても、少しは生き延びる可能性が増えたのではないかと思います。

 

でね、この番組、三択で生き残るための正解を考えるようになっておりましてね。カンカンに怒った大きな雄鹿に追い詰められたらどうしたらいいかを学んでいる最中、「ジグザクに走って逃げる」を選択した人がどうなるかの答えの字幕、正確な言葉は忘れたけど、「すぐ追いつかれます」とか「とても逃げられません」とか、そんな程度だったのね。でもナレーションが言っていたのは「You will be a running dead.」。「貴方はランニング・デッドになってしまうでしょう」。

 

 

私は吹き出したけど、一緒に見ていた父は私が笑った理由がわからなかった。英語のナレーションを聞いていなかったのもあるだろうけど、父は「ウォーキング・デッド」なんてドラマがあることも知らないので。これが他のドラマの中だったら、「野生の鹿と追いかけっこ? そりゃお前、ランニング・デッドまっしぐらだわ」くらい書いても通じるかもしれんけど、ナショジオの視聴者のためには、「逃げられません」くらいが正しい訳し方なんだろうね。

 

 

「Law and Order」で印象に残っているセリフ。

 

公園で若い女性が死んでいるのを見つけたアル中らしいホームレスの老人が、「ああ、ドロシー、かかとを鳴らせよ」と嘆くの。「オズの魔法使い」の最後で、ドロシーが靴のかかと同士を3回打ち付けて家に帰る、それを指しているんだよね。その女性は成人だったけど、それでも老人から見たらきっと孫みたいな年齢で、こんな若い子は本当なら安全に家に帰れなきゃいけないのに、とショックを受けて。優しい、悲しいセリフ。私の友人は「オズの魔法使い」なんかもう忘れてたから気づかなかったと言っていたし、そういう人も多いかもしれないけど、これを「家に帰れなかったのか」とか訳しちゃうのももったいないよね。

 

でもさ、字幕が「ヒールを鳴らせよ」になっていたのは不満ですわ。普通、「かかとを鳴らす」でしょ、ここは…。

 
と、また違う方向に行きそうなので、ここでやめておきます。とにかく、ダジャレや、元ネタが一言で言い表す内容を、他の言語に置き換えるのは、難しいよね!
 

旅番組や外国の風景、街並みを紹介する番組が好きで、いろいろ見ております。

 

で、先日、「世界ふれあい街歩き ちょっとお散歩」(普通のは1時間番組だけど、これは15分の短いやつ)で、韓国はインチョン(仁川と書くと「にがわ」を思い浮かべる阪神間住民)の下町の街歩きをみておりました。

 
住宅街の歩道の脇の、少し高くなっているコンクリートの上に腰かけてお喋りしている5人くらいのおばちゃんに遭遇。彼女らの前にはヤクルト売りみたいなワゴンを引く女性がいて、どうやらソニワゴンからコーヒーを買って飲んでいるらしい。お茶請けはもちろんキムチ。
 
レポーター 「何を話していらっしゃるんですか?」
女性1 「出世した子供の話や、ダメだった子供の話」
女性2 「はっはっは、仕方ないことだよ」
 
レポーターがお礼を言って去ろうとしたら、
女性3 「ごはんはしっかり食べるんだよ!」
 
 
そして、「世界の山岳鉄道」の「中国・成昆鉄道」の回(初回放送は2001年)。お昼時に、乗客たちが車掌さんからお湯をもらってカップラーメンを作ったり、ホームの売り子からお弁当を買ったりしている。
 
テーブルにたくさんのおかずを広げてラーメンを食べているおばちゃん4人組にカメラが迫ると、
「あら、恥ずかしい。でも食べちゃう」
「いやだねえ、もっと若い人を撮りなさいよ!」
 
 
若者に人気の都会的なおしゃれカフェや最先端ファッションに身を包む人々ェもいいけど、外国人が見る番組としては取り上げてもつまらないんだよね。その土地に根差す個性を売りにしてはいないからさ。やっぱりローカル色あふれる下町の風情の方がエキゾチックで面白いんだよな。好みにもよるでしょうけど。
 
 
私の好きな番組の一つが「小さな村の物語」。2007年に始まった、イタリアの山間や海沿いの小さな村に住む人を毎回2人ほど紹介し、その生活に密着して村の暮らしを伝える番組です。コロナ禍で日本から現地に撮影に行くことができないから、今は、以前に紹介した村の人々の今の姿を現地スタッフが撮ってきて、前回の映像と合わせて紹介している。これはこれで、番組の長年のファンには嬉しいのでは。
 
私は毎回見ているわけでもないのでそこまでの感慨はないんですけど、先日見た13年ぶりに訪れるオルタ・サン・ジュリオ村の回ではちょっとしんみりしちゃった。紹介されていた3人のうち、湖の小さな島に浮かぶ修道院で一人だけ外出を許されているという修道女は(まだ見習いで世俗に近いのが理由だって)、昨年65歳で亡くなっていた。
 
対岸の村に住む観光船の船長は、毎日一人暮らしのお母さんの家に寄って昼食を食べていたけど、そのお母さんも今は亡い。コロナ禍で船長の仕事も大打撃を受けたけど、少しずつ観光客も戻ってきたって。先祖代々船に乗ってきた家系で、仕事にブレはない。
 
島で唯一の土産物屋を開いている女性は60を過ぎても手漕ぎボートで対岸に通うほど元気だったけど、足の骨を折って入院中。でも代わりに店番をする若い女性が「パワーアップして帰ってくるわよ。いつも『私の膝には人工骨が入っているのよ!』って文句を言っていたけど、これからは『骨を折ったのよ!』が加わるわね」と笑っていた。
 
役者さんとかをレポーターにしている番組だと、どうしてもレポーターを写す時間が多くなって、「いや、この人はどうでもいいから現地の風景を見せてくれよ」と思っちゃうんですけど、「ふれあい街歩き」や「小さな村」は、それがないのがいいね。「世界の車窓だけ」とか「空からクルージング」とか「ヨーロッパ トラムの旅」などは風景番組なのでまた色合いが違いますが、現地の様子を見たい人間向けって点では同じ。
 
町の歴史や建築物などに焦点を当てたドキュメンタリーとはまた違う楽しみがあるよね。「ふれあい街歩き」の方は興味がある場所の回しか見ていないけど、「小さな村の物語」はほとんどの回が私好みの古い小さな村(どう考えても小さな村ではない回もあるがw)。行きたい村がどんどん増えるよ。これの全世界バージョンを作ってほしいくらい。でもやっぱり、イタリアにはそれだけ、古い小さな村が昔の姿のまま残っているってことなんだろうねえ。自分で行った時も思ったもの。移動するバスから見下ろしているだけでも、こんなに私好みの村がたくさんあるんだなって。
 
今は外国に行くこともできないから、こういう番組を見て旅心を掻き立て、行ける日に備えようと思います。お金も貯めておかねばね。
 

 

 

書いたはずなんだけどなと思ってたら、やっぱり書いてた。でもリンク先に飛んでいただかなくてもいいように、書いちゃいますね。

 

これは30年くらい前、私がアメリカ、ミズーリ州のコロンビアと言う小さな町に留学していた頃のことです。3週間ほどの冬休みにグレイハウンドバスでアメリカをぐるぐる回る旅に出ました。そして戻ってきた後に、異変が起きたのでした。

 

学校が始まって授業とバイトの日々が戻りましたが、私は毎日、ひどい疲れを感じるようになっていました。とにかくだるくて仕方ないの。どんなに睡眠をしっかり取っても疲れが全く取れない。目覚めた直後からだるくて疲れて眠い。だるいとか眠いとかだけで他の症状がないので危機感はなく、そのうち治るだろうと思っておりました。が、なかなか治らない。

 

当時私は学食でアルバイトをしておりましたので、授業が終わったらまず寮の部屋に戻って仮眠を取り、それからバイトに向かうようになりました。仮眠を取ってもだるさは変わらんのですけどね。

 

学食で働いていてもとにかくシンドイ。私はその時、お料理の前に立ち、人が来たらお皿に料理を盛る係でした。学食が閉まる時間が近づきますと、ほとんど誰も来なくなる。それをいいことに、その日私は、もう一人のバイト学生に任せる形で、しゃがみ込んで休ませてもらっていました。

 

やがて、ついに学食が閉まる合図がありまして、『では後片付けを…』と私は勢いをつけて立ち上がりました。すると目の前に何か、見覚えのあるものが置いてあるのが見えました。なんだっけ… としばらく考え、それが自分の眼鏡であることに思い当たりました。はて、私は今日は眼鏡をかけているんだから、こんな風に見えるはずがないのだが…?

 

「カーティスを呼んで!」

 

その言葉を聞いてから私は、その声が、その言葉の前に私に向かって「大丈夫!? 聞こえる!?」と繰り返し呼びかけていたことに気づきました。バイト仲間の学生でした。私は「あ、ごめん、大丈夫…」とか何とか答えながら起き上がり、床に転がっていた眼鏡を拾いました。そして支えられて椅子まで連れていかれ、水をもらい、「今日はもう上がっていいから」と言われたのでした。

 

ちなみにカーティスと言うのは学食で配膳方を仕切っていた兄ちゃんです。この一件のおかげで、数えるほどしか言葉を交わしたことがない彼の名前を未だに憶えている。

 

どうやら私は、勢いよく立ち上がった途端に意識を失って転倒したらしい。料理に突っ込んだり食器をひっくり返したりしなくて良かったよ…。何もない床に倒れたから打ち身くらいで済んだけど、頭を角にぶつけたりする恐れだってある。本当に危険だ。皆にも迷惑と心配をかけた。

 

原因はおそらく、栄養失調です。

 

冬休みの旅行の間、私は経費削減に努めておりました。旅行費用のうち大きなものは、交通費、食費、宿泊費ですね。そのうち、今回切り詰めることができるのは食費と宿泊費。バスは周遊券を買っていたので、それ以上どうしようもない。

 

宿泊費は安宿を使うとか、夜行便に乗るとか、そんな程度の工夫を行っておりました。ニューヨークから一気にデンバーまで2日半、ターミナルで乗り換える以外にはバスに乗りっぱなしだったこともありました。どうでもいいけど、デンバーで日本のお寺を見かけて「へえ」って思ったのと、スーパーマーケットでカールのポタージュ味ってのを見つけて「へえ」って思った(当時日本にはなかったと思う)のが、デンバーの思い出の全て。一泊してすぐ発ったのでね。

 

一番切り詰めやすいのは食費でした。それでも、ワシントンDCの宿で出される無料の朝食がコーヒー(or 紅茶)とパンだけだったので50セントで茹で卵を追加したし(2日目はこちらが言う前に「茹で卵も?」と聞かれた)、ニューヨークのチャイナタウンでお粥も食べたし、ロッキーマウンテン越えのクソ寒い屋外でアイスクリームも食べたし、それなりに楽しんではいたのです。

 

しかし一方で、朝食なし、昼食はインスタントのスープ、夕食がクラッカー2枚とマクドナルドでもらっておいたピクルスだけなんて日があったりと、食費をかけない方面にギリギリの努力を続けておりました。今ならともかく、若い身にそれで足りるわけがない。あるいは、若くて体力があったから3週間そんな生活ができたと考えるべきか?


とにかく、これで謎が解けました。私は栄養不足で貧血状態だったのでしょうな。こんな簡単なことに何故気づかなかったかと言えば、

 

①当時は体力と健康に自信があり、食事を減らすことが体調不良に繋がると言う意識すらなかった。

 

②それまで一度も貧血を経験していなかったので、それが貧血の症状だと気づかなかった。

 

③あんな短期間のことで異変が出るなんて思ってもみなかった。

 

④旅行の最中なら結び付けて考えたかもしれないけど、症状が出たのは帰ってきた後だった。

 

ここら辺が原因に思い至らなかった理由でしょうか。

 

翌日から私はほうれん草など鉄分が多いと言われるものをモリモリ食べ、あっという間に回復いたしました。そして、貧血の人っていつもこんなにシンドイ生活を送っているのか…と愕然としたのでした。

 

 

以下、おまけ。

 

グレイハウンドで周遊するよと言ったら「一人でグレイハンドなんか乗ったらダメよ!危ないよ!」と心配してくれた友人がいたっけなあ。グレイハウンドでは危ないことはなかったんですけど、まあ、いろんなことがありましたね…。思い出せるうちに、もっと書いておこう。