旅中毒 -10ページ目

旅中毒

バックパックと少しのお金とパスポートがあればいい。行けば行くほど行きたい場所が増え、人生狂って後悔なし!

ここんとこ似たようなことばっか書いてるけど、自分の中では別格になっている黒い感情を吐いておきます。根に持つタイプなもので。

 

「筋金入りの旅人である自分がお前に旅の神髄を教えてやろう」みたいな奴って鬱陶しいですよね。

 

私の友人の中には、毎年のように香港に行っていた人や毎年のようにスコットランドに行っていた人(すべて過去形になってしまう2020年)がいます。そういう土地の何かが彼らを捕まえたんでしょうね。私は彼らとは違って、異なる場所に行きたくなる。たぶん、色んなものを見てみたいとか、知らないものを見てみたいとか、そんな気持ちがあるんだろうな。だけど同時に、その「毎回違う行先」で見たいもののカテゴリはあまり変わらない。遺跡とか中世の古城とか旧市街とか渓谷とか断崖とか…。友人たちも私も、やりたいことがはっきりしている方なんだと思う。

でも、そうやって自分の好みを把握して楽しく何十年も旅行している人間に対しても、「お前はわかってない」とダメ出ししてくる人間がいるのだった。

 

たとえば、こんな感じ。

「観光地に行くのは旅ではない」

「公共交通機関がなければ何時間でも歩くべき。歩いてこそ見つけることができるものがある」

 

こういう連中って例外なく「観光名所に行く奴はバカ。街に溶け込んで現地の人と話をするのこそが旅」とか言う。遺跡を見学して歴史に思いを馳せるのは軽薄で、バーの店員と会話するのは有意義なんだとよ。私も路地裏は歩きますしお店の人とも話しますけど、遺跡からも豊かな時間をもらえるの。もちろんお城に興味なくても全然構わない。ただ、「遺跡に興味がない俺かっこいい」と優越感を感じるのがメンター志願者の謎なところ。

 

奴らは「大勢が訪れているからという理由で観光名所なんかに行くのは愚かだ」と主張する。奴らの頭の中では、観光名所を訪れる理由が「大勢が訪れているから」ではなく「自分が興味があるから」である可能性はゼロらしい。奴らは無意識に、「この俺が興味ないものに本気で興味を持つ人間などいない」と思い込んでいるんだろうね。

 

奴らにはきっとクラック・デ・シュヴァリエとベルサイユ宮殿が同じに見えるのだ。それどころかクラック・デ・シュヴァリエとマーライオンも同じに見えているだろう。「名所」と言う括りでしか物を見れず、「名所だから価値がない」になっているバカらしさ。「自分の興味の有無に関わらずガイドブックに載っている場所は避けるのが旅人のあるべき姿」ってなっちゃってる人と同じだね。

 

世界の観光名所の全てに行くことなんて不可能なんだから、名所巡りする人だって広義では好きな場所を選んで行っていると言えるでしょうに。興味がある人がたくさんいるからこそ観光名所になっているんでしょ。その中で深い興味を持つ人はどこでだって少数だろうけど、深い興味がなければ行くべきではないなんて奴らが決めることでもない。

 

そもそも、大勢が訪れる場所だからと言う理由で見に行って何がいけないのだ。それで日常から離れた時間を過ごして楽しい気持ちになれるなら素晴らしいことだ。それを「そんなものは旅ではない」と侮辱せずにいられないところが惨めで醜悪なんだよな。遠出の全てが、奴らが一方的に定義する「旅」とやらでなければならない理由なんぞ、何もない。そもそも、奴らに価値を認めてもらう必要が皆無だ。

 

でもね、奴らが頭の中で思っているだけなら勝手にすればいいんですよ。勝手に他人を見下して勝手に優越感に浸って勝手に自己陶酔していればいい。そうやって幸せに暮らしてください。ええ、私がやってるのは旅じゃなくて旅行だし、私は観光客であって旅人じゃないから、あっち行っててね。

 

しかし奴らはあっちに行かない。だって奴らが必要としているのは「俺様がメンターとなってやったおかげで本当の旅を知ることができた人間」なんだもの。だから自分より下だと認定した相手に追いすがり、へばりついて、尊敬しろと迫ってくる。一人で完結できないのよ、哀れなことに。DV加害者と似たような精神構造なんでしょ。DV加害者が罵ったり殴ったりする相手を必要として、被害者が遠くに逃げても、生活を捨ててまで追いかけて探し出すのと同じ。メンター志願者は自分が見下して説教して指南する相手、自分を尊敬してくれる相手が必要なの。

 

うっかりこういうやつと旅先で関わると、せっかくの旅行が苦痛に満ちた時間になります。

 

恐ろしい例としては、別行動しようと言ってもついてくる奴もいる。しぶしぶ一緒に行動すると、こっちの計画に対して「俺はそれはしたくない!」「俺はいつもこうしているんだ!」「俺はこういう理由でそうしているんだ、わからないのか!」みたいなこと言って邪魔してくる。なぜか、「同行する=俺の正しさを認めた証、だから俺の指示に全面的に従うべき」ってなっちゃってんの。知るか。別行動しようと言ってるのについてきたのはそっちだろ。どうしてもついてきたいなら私に従えよ。私はお前に気を遣って楽しみを諦める気なんてないからな。

 

何とか別行動に持ち込んでも、後で顔を合わせたら、「お前は何をしていた? あーあ、そんなことに時間を浪費したのか。俺はお前と同じ場所に行ったけどこんな有意義なことをしていたぞ。お前はしていないんだな、あーあ」とマウンティング。経験したことない人には信じがたいでしょうけど、ホントにこういう奴がいるのよ! ちなみに、日本人だけじゃないからね。ほぼ全員男性なので、いわゆるマンスプレイニングの一種なのかもしれませんが、こと旅に関しては男性から男性に対しても行われていると思う。

 

こういう奴に出くわしたら、「こいつは俺に教えてもらいたがっている」と勘違いされる前に冷たくあしらって逃げましょう。相手が年上だろうが経験が上だろうが、礼儀正しくしようとか傷つけないようにしようとか気を遣ってちゃダメ。ロックオンされると長引くし、その後で冷たくするとキレられます。早めに関係を絶つのが大事。これもDVの「俺が殴っていい相手」認定と同じだから。「俺が教えてやる相手」認定されると執着されるよ。

 

私は他人の楽しみにケチをつける奴が大嫌いだし、他人に干渉して自分の思い通りに行動させようとする奴が大大大嫌いだし、他人に「○○は旅ではない」系の呪いをかける奴が反吐が出るほど大っ嫌い。皆が、先人に「旅ではない」だのと一方的に言われても気にせず、自分が心惹かれる方に進めますように。そして、「○○すべき」と言うのはお薦めにすぎないんだから、参考程度に頭に入れておけば良くて、「やっとかなきゃそこに行った甲斐がない」などと考る必要はないと思っていられますように。

 

後日、似たようなネタでもう1つ書きます。バックパッカーとは

 

今時の旅行関係のメディアの商売上手にはすごいものがあります。旅フェスも彼らの商売の一部です。大手ともなると大したものですよ。初心者向けの入門編があり、旅の最中の人たちが情報交換する場があり、インフルエンサーが発信する場があり、就職支援の人材紹介まで始めている。旅したい人がここで始めて、ここで過ごして、ここで終えて、ここに戻ってくるように整えてある。巨大キュレーションサイトも複数あり、旅情報の種類と量はすさまじいほどです。

 

15年くらい前にメキシコで会った若い日本人旅行者が「僕はガイドブックは見ません。他人の書いたものに従うなんて真っ平なので」みたいなことを言ってましてね。「読んでも従わなければいいだけでは」と思いつつ「そうなんだー」と返事しておきました。ガイドはルールではないんだけど、書いてあることを大勢の読者が一斉に実践するから、嫌になっちゃうのかな。大阪の梅田スカイビルも、いきなり大量の外国人観光客が来るようになって何事かと思ったら、ロンプラが「現代の神殿チックな建造物20選」だかに選んだかららしい。

 

今の時代にもきっとあの若者のような子はいて、上記のようなウェブメディアなどを見るのを拒否しているのかもしれない。敢えてのオフライン旅に挑む子たちもいますし、それも、ちょっと苦労してみたいとか、知らないやり方を経験してみたいという冒険心だけでなく、他人の経験に影響されずに旅してみるぞと言う気概なのかもしれない。

 

旅情報なんてもんは、どの情報を採用するかも、採用した情報のうちどれくらいの部分を採用するかも、自分に合わせて選べばいいのでありまして、書いてある通りにする必要なんてないんですが、選べず丸っと誘導されちゃう子が多いのも推察できます。「旅体験の商品化」を書いた際にコメントで、「好きなところにテントを張れと言ってるのに若い子は「どこがいいか」と聞いてくる」とか、「書き手の主観にすぎない情報をそのまま再現したがる人が増えている」とか、いろいろ伺いました。そして「情報がありすぎるせいで考えられなくなっているのではないか」とする指摘も。

 

なるほど、提供される情報が大量すぎると考えたり調べたりしなくなるし、ましてや、ぶっつけで体験するなんてこともなくなっていくよね。そして、自分の希望を把握していないと、情報の山の中からどうやって何を選べばいいのかわからなくて、「とりあえずは、有名な〇〇さんがやったのと同じ通りに」みたいになっちゃう子もいるのかも。

 

発信側にその意図があるか否かとは別に、価値観を植え付けられた人の中には、思考停止して行動の基準を発信側に委ねてしまう人が出る。ファッション業界や美容業界もそうなんだろうけど、ブランド化したサイトや有名人(あ、つまりはインフルエンサーってやつですか)の発信が価値判断の基準になっちゃうんだよな。そして、内容が似ている発信がたくさんあるから、その中で目につくのは、内容の質が良いものより、り伝え方が上手いものになっちゃうかも。

 

「情報をなぞる旅」も悪くはないと思いますよ。ある旅行者が「ちょっと話しただけの人から『〇〇さんの写真と同じアングルで撮影できました!』と写真を送ってこられて目が点になった。僕と同じことをすることに意味があるの?」と戸惑っていて吹き出しましたが、素敵だと思ったことを自分もやってみたいと言う気持ちも、わからなくはない。それに、「憧れて調べ尽くしてよく知っているものをついに生で見る」と言うパターンもあるしね。

 

ただ、さすがに、常に「あのサイトにこう書いてあったから」とか「〇〇さんがやっていたから」が基準になっていたら、ちょっともったいない気もする。旅を続けるうちに、「他人が書いたから」ではない自分自身の基準が生まれたらいいね。そうなればガイドブックやサイトを自分好みの情報を見つける場所にできて、もっと楽しくなると思うよ。

 

メキシコで会ったあの若者は人生初の海外長期一人旅に出たところだった。それで無意識のうちに『ガイドブックの情報に誘導されてしまうかも』と恐れて忌避していたのなら、それはそれで立派なものです。でも単に「ガイドブックに書いてある通りにしていると思われたらカッコ悪い」と思っていたのなら、別の意味でガイドブックに振り回されている気もする。

 

これをこじらせた例として思い浮かぶのが、某国で会った日本人中年男性です。「外国旅行するなら『えっ、そんな国に行ったの』と周りに驚かれるような国でないと意味がない」と言っていたんだよね。彼にとっては承認欲求を満たす手段として簡単なのが外国旅行だってだけでは。自分がどこに行って何を見て何をしたいかじゃなくて、他人が自分をどう見るかを基準にして行動してるんだもの。ああ、ループするなあ。これ、「旅行者の商品化」で書いた、15歳男子の『旅に出る目的が「人とは違うことをして注目されたい」 になっているのと同じやん。

 

ところで、メキシコで会った子は「沢木耕太郎が「26歳までに旅に出ろ」と書いていた(正確には「26歳が最適」と)。僕はもう26歳だから今年旅に出ないといけなかった」とか言ってて、「そこまで厳密なものではないのでは」と思いつつ「そうなんだー」と返事したっけな。てゆかこの子、沢木氏の書いたことにまんま従ってますやん。ガイドブックはダメで沢木氏ならいいのか。その前に、最適なタイミングなんて千差万別だと思いますが。

 

余談。沢木氏はよく「若い人に外国へと旅に出るよう呼びかける寄稿を」と依頼されるそうです。で、軒並み断っているそうです。自分も若い頃は年長者の偉そうな「叱咤」や「激励」が鬱陶しかったからって。こういうのこそ「いつまでも若々しい」ってことなのでは。

 

とにかく、他の人と同じことをやりたい人も、他の人がやったことないことをやりたい人も、どっちも好きにしたらいいと思う。ただ、他人と同じであろうが違っていようが気にしないのが一番楽だと思う。自分が基準なら必然的に、他人やっていることなんてどうでもよくなる。他人の発信が基準や指針ではなく、ただの情報になる。そして、大量の情報の中から大半の物を「今は要らない」と省き、残りの部分から探しものを見つけるのも、やりやすくなると思います。

 

1つ前の記事を書いているうちにどんどん頭の中に湧き上がってくるものがありまして、更に、前に書いて途中で放り出した記事もいくつか内容がかぶっているので、片付けちゃおうかと思います。

 

私が旅フェスと言うものを知ったのは、1年半前くらいに 、15歳の男子中学生が一人でアメリカ横断しようとして騒ぎになっていた辺りからでした。

 

それくらいの歳で一人旅する子もたまにはいますけど、この子はヒッチハイクで通すと言い張り、「カードが使えないので」と札束の写真をネットに上げ、観光目的では未成年ひとりで入国できないからと口裏を合わせてくれる在米人をツイッターで募集すると言った具合。結局、心配した現地の日本人からの通報で警察に保護されて帰国していました。その後の様子を見てみたら、彼は自分なりにその騒ぎを分析し、やり方を変えて元気に外国を旅行しているようでした。

 

苦労するのがかっこいい、調べないのがかっこいい、お金かけないのがかっこいい、危険を冒すのがかっこいい。大昔からバックパッカーには一定数、無謀さをアピールして目立とうとする人がいたものです。なのでこの子みたいな存在自体は目新しくない。新しいのは、「1000RTで裸足でアメリカ横断」「1いいねにつき10分間靴を履ける」 と双方向性の企画を上げ、ネットでの反応を見ながら、己を危険にさらすことを売りものとしていったことでしょうか。リアルタイムの反応は甘美な毒となりますね。炎上と言う形であっても大勢からの注目を得て舞い上がり、かつ、その注目を失わずにいるために懸命だったのでしょう。

 
そして彼の投稿にはこういう趣旨の発言がありました。
『高校生で世界一周した人は何人もいるから自分は中学生のうちにやっておきたい』
『中学生が一人でアメリカ横断と言う無茶をするのをリアルタイムで見てほしい』
 
もう最初から、旅に出る目的が「人とは違うことをして注目されたい」。そして実に最近の子だなあと感じたのが、「皆に夢と勇気を与えたい」なる発言。で、目隠しで歩いて転ぶ姿に夢を感じるの?と思っていたらね、これは「僕の姿を見て、自分でもできるんだと思ってほしい」って意味なんだって。だからこそ敢えての考えなし、準備なし、安全策なし。転んだ人を見て周りが騒ぐのを「皆が注目している」と感じ、助け起こされたのを「応援ありがとう!」と喜び、「目隠しして歩くという俺のチャレンジに皆が勇気付けられたんだ」と思ってしまうのか。
 
この子は、高校生になった後、旅行を続けるためには資金が必要だからと企業のスポンサーを募ったり、クラウドファンディングしたりしていたらしい。その後どうなったか知らないんですが、他人が投資するだけの価値が自分の旅にあると思えるのは、ある意味すごいな。彼には、ヒッチハイク計画での炎上すら「あの炎上の〇〇さん」と憶えてもらえた実績として認識されているのかもしれない。
 
この子(だけじゃないけど)、フォロワーやRTの数という魔物にやられちゃってるんだよな。だって、その「数」がキャリアに繋がる姿ってのを、旅フェスやら旅の総合メディアとやらでさんざん見てしまっているからねえ。だから、「数を増やすにはどうしたらいいか」が軸になっちゃう。旅で食べていきたい子は昔も今も大量にいますし、今は旅系YouTuberも大勢いるから、憧れちゃうんでしょう。
 
たくさんの人に見てほしいって気持ちは私にだってあるので(せっかく書いたんだし、読んでもらえたら嬉しいですよ)、理解はできるんだけど、見せ方ではなく行動の内容において「見てくれる人を増やす」が軸になってしまったら、それはやはり「好きなのは旅ではなく人目につくこと」って気がします。別にそれがダメとも思わないけどさ。無茶なことして怪我とかしないでいてくれたらいいよ。
 
彼を「若くして旅の中毒性にハマっている」と言う人がいたけど、私はそうは思わないなあ。別の人が言っていた「何でもいいから情熱大陸に出たい系」が近いと思う。彼は自分を商品化する手段として旅を選んだだけでしょ。旅好きでなきゃそもそも旅が手段の選択肢にならないってだけの話では?

なにしろ旅ってホンットに簡単ですからね。アスリートやミュージシャンや職人みたいに日々鍛錬する必要もなく、コミュニティを作り維持するための心労も地道な努力も要らない。旅なんて出かけるだけよ。誰にでもできる。一人旅なら人間関係からも逃れて、行く先々で気の合った人とだけ付き合っていられる。
 
で、その誰にでもできる分野で目立つために手っ取り早いのが、「無謀」なのだ。考えるのも準備するのも安全策を練るのも手間暇かかるけど、それをしなければ楽だし、「度胸ある」なんて勘違いもしてもらえる上に、他人のスリルで楽しもうとする人たちの耳目を集められるもんだから、そっちに走る若い子が大勢いる。

この子の一件の本質は、「昔からよくいる無謀で存在をアピールする旅行者がSNSのせいでよく見えるようになり、よく見えるからこそ見てもらいたくて無謀が加速する」ってレベルの話だと思う。あ、でも、見えるせいで叩かれやすくなったから、危険な地域に踏み込んで… みたいなのは減っていたりするかも? 知らんけどな。
 
本当は書きたいことは別にあったのに、この話で充分長くなってしまった。1年半も経ってから書くほどの内容でもないんですけどね。SNSが出てきてからずっと言われているネタの焼き直しです。

これ1年以上前に書いたものですわ。思うようにまとめられなくてお蔵入りしていたもの。使ってしまおう。

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今(つまり1年以上前ね…)ってバックパッカー向けの旅フェスが隆盛なようで。フェスでは、SNSで有名になった旅行者たちが旅を語り、彼らに憧れる若い子たちが「○○さんとお話しできて感激」「俺も△△さんみたいに旅を発信していきたい」とか感想を書き込んでいる。

 

カルトっぽい気もするけど、昔から界隈ごとに有名な旅行者はいたようだし(よく知らんけど…)、いわゆるインフルエンサーはいつの時代にも存在するのでしょう。そー言えば、18年前にウズベキスタンで、日本人バックパッカーに別の日本人バックパッカーのウェブサイトを薦められて、「連絡を取ってみるといいですよ。その際には僕が紹介したって書いてくださいね」と言われたことも。それが彼の、そのサイト主さんへの実績になるみたいなことを言ってました。(結局サイトを見に行かなかった、ごめんw)

 

そんなインフルエンサーたちをシステム的に取り込み、旅をキラキラした商品に仕立て上げて共有と消費の場を提供し、若い旅行者を顧客として囲い込んだのが旅フェスという商売なのでしょう。

 

別にそれがダメと言いたいわけじゃないのよ。宿での雑談のビジネス版みたいなもんだろうと思うし、SNS出現以前にもブログやウェブサイトで人気を集めている人はいた。と言うか、外国での一人旅が今よりずっと少なかった昔にも、その希少性を売りに書籍や講演という商品が売られていたわけですし。

 
希少性が薄れた今、売りになっているのは共感なのかな。情報だけでなく感情を共有し、それが消費へと繋がるように仕組むのは、他の商いでも同じだろう。そして消費の対象として提供する商品は、当然、価値を高めておかねばならない。
 
5、6年くらい前かな、旅指南と銘打ったウェブ記事に「名所旧跡を巡るのなんて旅とは言えない」と否定的に書いてあって、よくあることとは思いつつ、イラッと来ました。別に自分がしてることが旅と呼ばれようが物見遊山と呼ばれようがどうでもいいけど、他人に体験の意味や価値を定義・評価される筋合いはないよね。

 

でも、定義や規範が欲しい人もいるんだろうと思う。これも昔からだけどさ。特にSNSで他人に発信するのが前提の旅行者は、失敗したくないらしい。ここでいう失敗とは、「考え抜いたルート選択が裏目に出て過酷な移動に!」みたいな愉快なネタではなく、「バックパッカーならこれはすべき/すべきでない」系のやつね。

 

そして、規範に沿って動く中には、規範を作り出す側に回りたい人もいる。自分自身に高い価値を付与する設定で規範を作って他人を評価するのは、さぞかし気持ちがいいだろうさ。ええ、昔からいましたよね、そういう旅行者たち。

 

で、旅フェスは、それを冷静に商品化しているのでしょう。『旅とはこういうもの』 『バックパッカーならこう動く』 『こうやって発信しよう』 と刷り込む規範は営業ツールの役割を果たす。誘導された若い旅行者の中で知名度を得た人には、インフルエンサーとして特別の椅子が用意される。そして彼らは自分自身を商品化する機会を旅フェスを通して得る。インフルエンサーたちの発信は同時にフェスの営業となり、フォロワーたちが客としてフェスに集まる。

 

繰り返しますが、旅フェスもそのファンも好きにしてくれたらいいの。昔からよくある商法だし、そういうノリを楽しむ人も昔からたくさんいた。若い人が旅行しなくなっていると言われる今、昔とは違うチャンネルで人が興味を持ったり、入りやすくなったりしているなら、良いことだし。

 

これは若い旅行者が書いていたことですが、「SNSで繋がったまま日常の延長として過ごすようでは旅とは言えない』みたいなことを言ってくる年寄りがウザい。オンラインで発信・受信しながら旅するという現代のスタイルを理解できないなら年寄り同士で昔話をしていればいい」と。私でも、SNSでの情報収集や発信の何がアカンのかわからん。で、そんなことを言ってくる「年寄り」さんこそ、旅フェスにインフルエンサーとして登場するような人になりたかったんじゃないのかなあと言う気がするわ。

 

でね。これもかなり前、旅フェスなんてまだなかった(たぶん)頃に読んだもの。一人旅をしている人が大体こんな内容のことを書いていた。『旅先で日本人旅行者2人組に声を掛けられ、食事に付き合った。するとなぜか、同じ宿に泊まってしばらく行動を共にすると決めつけられていた。断ったら驚かれ、彼らのブログに書くつもりなのにと説得された。彼らは自分たちのブログに載ることを相手が喜ぶと信じて疑っていないようだった。聞いたことない名前だったけど、きっと有名な旅行者なのだろう』

 
私もこの人の感覚に近いかな…。結局は好みの問題ってことだよな。私が何か考えるといつも「好みの問題」で終わってしまう 笑
 
某日本最大規模の旅フェスのウェブサイトを見たら、イベントのトップで使われている写真が、大会場をステージから写しているもので、暗い客席を埋める人の頭と、ステージ上でまばゆい光を浴びて語っている一人の人の背中が写っていた。「旅フェスを象徴する図がこれなのか」とちょっと笑っちゃった。私にはちと気味が悪いけど、一体感を感じて感動する人や「夢の共有」に興奮する人もいるのでしょう。話に聞く大昔の日本のユースホステルの「ミーティング」とやらが巨大化したみたいなもんなのかもね。
 
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以上、多少は手を入れたけど、まあ、今もあんまり考えは変わってないです。
 
昔と違うのは旅行者の中身ではなく、体験の売り方の方なのかな。インターネット、そしてSNSの登場で旅体験商品化の難易度が下がり、新規参入が容易になったし、商品の流行り廃りのサイクルは短くなった。以前はうちなんかのブログにさえ「旅行サイトに投稿しませんか」ってお誘いがよく来ていたものだけど、今はめったにない。結局大手(4TRAVELとか)を追い越せず淘汰が完了したのかしら。トリップアドバイザーも昔は情報交換の場って感じだったけど、何年か前から公式ブログとか設置して、インフルエンサーによる「体験の共有・共感」方向に寄っている感じ。
 
ああ… コロナ自粛で、Airbnbとかがオンラインでのバーチャルツアーとかレッスン、トークを売り出したよね。正に「体験を売る」商売。他にも写真や動画を使った旅行や音楽、歴史等にまつわるオンラインのセミナーやワークショップも増えていて、私も楽しんでます。オフラインではあったけれど、旅フェスもそういう「体験を商品に」系の商売なんだよね。
 
でも、もしかしたらこれを書いている今、もう、そんなのも変わりつつあるのかもしれない。若い人たちはどんどん新しいことを始めていくから。

この4連休、友人たちからは「どこも行かないの? 地元で短い旅行するかと思ってた」とか言われましたが、1日目と3日目に予定が入ってしまい、遠出する気は最初からありませんでした。

 

1日目、まずは大阪は天満にあるバー「あるら~じ」で「天満貴族」さんによる古楽ライブ。

 

ここ、大きな店ではないし、お店の構造からして、元から密になれるほどの人数は座れない。ライブでは客用の椅子は4つだけで、客は私を入れて2名でした。贅沢すぎる時間。

 

演奏曲目は16世紀スペインのヴィジャンシーコ(小唄)が中心。庶民の歌をコレクションして楽譜に残してくれた音楽家がいるそうです。エル・シドにまつわる歌もあったよ! 「王よ、身を守れ」と注意を促す歌。

 

この後、お昼からウィスキーをいただきました。日本国内では売られていない外国向けの日本ウィスキーとか、今では生産禁止になったニガヨモギ使用のアブサン(既にあるのは売っていいんだって)とか、GHQに押収された旧日本軍のウィスキーとか、珍しいものがありましたよ。ウィスキー好きの人が来たら、2時間も座らずボトルを眺めていたりするんだって。

 

 

そして夕方からは芦屋の公園に移動してまた「徘徊古楽」さんのライブ。聖歌や、放浪楽師を歌った歌や…。ちなみに放浪楽師って呑む打つ買うで生活が乱れている人も多かったらしい。

 

日が暮れていくせいなのか、写真の色も違ってくるのだった。

 

 

2日目、急遽、吹田での弾き語りライブを聞きに。

 

やはり今は音楽やる人たちは特別警戒態勢でして、歌う人は顔の前にシールドを張って飛散防止に努め、、会場側も換気のためドアや窓を開け放っていたり。外気ツーツーだと、冬には屋内でも上着を着たまま演奏したり聞いたりするようになるのかな。熱いお茶でも飲んで体を温めながらにしないと。でも、お店によっては外と繋がるドアや窓が無くて、屋内循環型のエアコンしかなかったりするよね。もっと別の工夫が色々と必要になるのかな…。

 

 

3日目は姉夫婦と共に父のお誕生日を祝いました。

 

そのほかの時間は4日にわたってひたすら録画を消化しておりましたね。ヒストリーチャンネルの「古代びっくりトップ10」とかナショナル・ジオグラフィックの「もしもの時の生存マニュアル」とかが最近のお気に入り。

 

客席に闘牛が飛び込んできたら(ジャンプ力がすごいから本当にそういう事故があった)、どうすればいいかわかります? とにかく下に逃げるんだって。前に逃げても無駄なのは言うまでもないし、牛は目が横に付いていて180度近い視野を持つので横に逃げても追ってくるし、駆け上がるのも得意。だけど、下向きに降りるのは体の構造上苦手なんだって。馬も坂を降りるのは苦手と聞きますわ(だからこそひよどり越えはすごかったわけで)。「惨劇の瞬間」みたいな番組は怖くて苦手だけど、こういう、自分の役に立つ豆知識番組は好き。

 
そして、この連休の間にハッと思い立ったことがあります。テレビを見ている時、床に座り込んで背中と上腕を筋トレするだけでなく、歩けばいいのでは!?
 
父のウォーキングマシンも粗大ゴミに出してしまったし、自宅内で運動はできないと思っていましたが、この夏のお片付けの締めとして(姉が)居間を片づけましたので、少しスペースができた。マシンなんかなくて良いの。5歩進んで5歩戻るのを延々と繰り返していれば良いの。数えていなくてもスマホが勝手に記録してくれるし。飽きたらスクワットやカーフ・レイズなんかもちょっとだけ挟んだり、疲れたら座ってストレッチに切り替えたり。連休最終日は屋内だけで7,500歩くらい歩きました。
 
これまで「休日に運動は絶対にやらない! せっかく休日なのに外に出たくない!」と思っていましたが、私が面倒だと思っているのは外出であって運動ではないかもしれないわ。
 
というわけで、今後は「休日に何をしているかって? 軽く体を動かしてトレーニングしてるよ」だのとほざいてみようと思っております。誤解を招くとしても、少なくとも嘘ではない。
 

こないだうちから料理の写真をブログに使っているのは、ダイエットに関係しているからってのも多少はあるんですけど、使える写真があまりないからなんですよね。

 

春からこっち、あまり遊びに出ていないから、楽しい写真がないんだよなー。食べ物の写真は食事の記録としてほぼ毎回撮っているので、そればっかり溜まっている。もっと普段の写真を撮ればいいのでしょうけど、身の回りの物を撮って魅力的な写真にするセンスも技術もないわ~。

 

最近お外で撮ったものと言えば大阪の街中で見かけたビル。わかりにくいと思いますが…

 

この白い木の扉は隣のビルとの間の路地に繋がっているのかと思ったら、

 

 

路地への扉は別にあって(右側、青い扉)、白い木の扉(柱の陰にドアノブだけちょっと見えている)は両側とも外から出入り自由。何これ?

 

おまけに、上の写真と下の写真とでドアの位置が違うように見えちゃう(気のせいだろうけど)。夜の写真なせいもあって、ちょっと怖い想像が…。

 

ここを若者のグループが通りかかるの。

「何これ、ドアを設置する意味ないじゃん!」

「このドア開けるから、俺が通るところ写真に撮ってくれよ」

「鍵がかかってるぞ、無理だ」

「壊しちゃえよ。どうせ鍵かけておく意味もないだろ、両側ともアクセス自由じゃ」

そして若者の一人が扉を開け、通ると、姿が消えてしまう。

「おい、ふざけるのやめろよ… どこに隠れてんだよ」

どこにも隠れる場所なんてないのはわかりきっているので、作り笑顔で無理に笑う友人たちの声は震えている…。

 

そして警察沙汰になり、ビルの持ち主が呼び出されるのです。

「だから鍵をかけてあるのに、なぜ壊したんですか…」

「“だから”? “だから”って、どういう意味です?」

「私だって何も知らないんです。でも鍵は、開けてはいけないからかけてあるものでしょう。それくらい、わかりますよね?」

 

もっと話を膨らませて細部も描写しないと娯楽話になりませんが、とにかくこの手の話は、失踪した人はそれきり行方知れずで、扉の謎も解かれず、何もかもわからないまま終わるのが良いと思います。『そう言えば何十年も前に青い扉から変わった服装の男が出てきたことがある、その男の名前が失踪した男と同じだった』とかのパターンも定番ですが、個人的には、何一つわからないままの終わり方がいいかな。

 

まあ、現実的に考えますと、たぶん以前は灰色の柱の横は壁でふさがれていて、路地へは白い扉からしか行けなかったのでは? で、後で壁を撤去して、奥に路地の入口として青い扉を設置した。そこで白い扉は役目を終えたけど、撤去するのも面倒なので放置してある、と。これも想像ですけど。

 

 

ここは私の行動圏内ではないのですが、用事があって訪れた場所から電車を使わずウォーキングで帰るぞ~とブラブラ見物しながら歩いていて見つけたの。

 

この後、更に散策して日本酒専門店も見つけ、「福井県民の心の産湯」というお酒を購入。痩せるんじゃなかったのか私! でも店内にあった洒落た立ち呑みバーに寄ることもなく帰ってきたのだから、意識は高く保ったままと言って良いでありましょう。

 

 

 

以前は自分のブログ記事のカテゴリに「ダイエット」って作っておりました。他にも細かく分けたものが色々あった。しかし訪問した国が増えていくにつれ数が足りなくなり、雑談系のカテゴリをすべて「日常ブログ」にまとめてしまい、その中にダイエット記事もあったのでした。

 

このブログを始めて10年以上経っておりまして、その間ずっと減量するぞするぞと言っているわけだ。今の時点ではその当時と比べてあまり減っておりませんが、途中では今より痩せていた時期もあったんですよねー。油断するとすぐ放埓に飲み食いして膨れ上がる。

 

(サツマイモと舞茸の味噌炒め)

 

最近はダイエットアプリを使っていますが、いろいろ減量に役立つヒントをもらっても、目新しいものはないのです。30年もこんなことやってたら大体の知識は得ておりますし、自分の生活の何がいけないかも知っているし。ただ、自分自身が(主に加齢により)変わっていく中で、ダイエットの方法も指標も変わっていくと言うのは感じるところです。

 

代謝が落ちたせいなのか、やはり昔に比べたら食事制限だけでは痩せにくくなっているし、一方で、昔に比べて食べる量が減っているので食事制限がつらくない。それはいいんですけど、食べたいという欲求も減ってきているのが恐ろしい。

 

昔は、昼食がお弁当ではなく外食の時は、職場から出た瞬間から(あるいは出る前から)、どの店に行こう、どのメニューを食べよう、と楽しく思いを巡らせていたものです。なのに今は、飲食店街に着いてからも「今日は別に食べたいものないなあ…」なんて日も珍しくなくなってしまった。食べたらもちろんとても美味しいし楽しいのですけど。

 

(見切り品で半額だったエビ。ニンニクと塩で炒めた)

 

そう言えば、昔は「空腹感と食欲は違うんだよ! お腹は空いていなくても食べたいんだよ!」などと言っておりました。幸せな頃だった。「空腹ではないけれど食べたい、でも食べられない」なんてのも、まだいい方だった。今はもう空腹とは関係ない食欲」はもう知識や記憶として持っているだけのような…。だから、「空腹ではないけど食べたい!」と行動に移そうとして、食べられないというより前に、「本当は食べたくないよな?」と気づいてしまう。

 

「年を取ったら食べたくても食べられなくなるんだよ! 今のうちに食べ放題も飲み放題も充分やっとけ!」なんて若い人に言ってきたけど、その次に「食べたいと思えなくなるんだよ!寂しいぞ!」という段階があるんだわ。
 

(蕪と豚肉の炒めもの。塩味だけにしたのが大正解)
 

 

美味しいものをたくさん食べる楽しさは憶えているのよね。だから今でも食べ物やお酒を買うのはとても楽しい。でも食べたくないから食べない。だから冷凍庫がパンパンになって消費に追われたり、人にあげちゃったり。わかっていて繰り返す。年配の人の中に、やたらと若い人に食べさせたがる人がいるのって、こういうのもあるんじゃない? 自分の代わりに若い人に食べてもらって疑似体験を楽しむのだ。

 
旅したくても体が弱って旅できなくなる体力低下よりも、旅したいのに出かける気になれない気力低下の方が怖いし、その次に来るかもしれない、旅したいとすら思えなくなる欲求低下は想像するだけでも恐ろしい。同じように、食べたくても食べられないどころか、食べることに楽しみを見出すこともなくなっていくのかもと思うとつまんないですねえ。

 

(鶏肉と野菜のシチュー。とにかく、肉と野菜を合わせて炒めるか煮込むかすれば楽)

 

 

念のため。食欲不振ってわけじゃありません。これまでが異常だっただけです。だからこそ肥満になって医者から「痩せろ」と言われているわけでして。と言うか、今でも食べすぎだから減量に取り組む羽目になっとるのだ。

 

ただね、胃の容量が多いと色んな種類を食べたり飲んだりできるでしょ。量そのものを楽しめていたのは20代までだと思いますが、ついに種類が減るレベルに到達してしまったのだ。そして、それを残念だと思う一方で、「これでいいじゃん別に」と思っている自分も確かにいて、それが寂しい。

 

もっと色んな国で爆裂に飲み食いしたかった。そう言えば、ブダペストでの大晦日、屋台をハシゴしてたくさん飲み食いしようと思っていたのに、一軒目でもう食べ切れなくて残念だったもんなあ。あれだってもう何年も前。今はもっとダメだろうな。

3年連続で健康診断において「体重を減らすように」と指摘されましたので、今度こそ、今度こそ本気のダイエットに取り組んでいます。今度は本当だから!

 

と言ってもシンドイのは嫌なんで、やっぱり1年計画で。実は6月半ばに始めておりましてね、2ヶ月で3キロ落としました。基本はレコーディングダイエットです。そして、減量の一環としてウォーキングを始めたので、これを機に運動を習慣づけようとも思い立ったのです。
 

(ラムステーキ150グラム)

 

 

前から、年を取ったらどんどん今のスタイルでは旅行しづらくなると恐れておりました。既に重い荷物は持ちたくなくなっている。10年くらい前までは40リットルのバックパックにパンパンに物を詰めて背負い、同じく膨れたサブバッグを胸に抱え、それでも入りきらないものを手に提げて、何キロも軽やかに歩いたものです。それが段々つらくなってきて、バックパックも小さめのものに替え、今では、出かける時点でバックパックは5kg以内、サブバッグは2kg以内が目安(帰りにお土産で2、3キロ増える)。これ以上重たいと機動力に影響が出るのだ。往時の半分以下ですわ。これも筋肉が落ちたせいでしょう。

 

衰えに合わせてスタイルを変えるのは自然なことですが、体が衰えるに任せていたら、そのうちバックパックを担げなくなってしまう! 足腰はまださほど衰えたとは感じていませんが、いずれ影響が出てくるはず。衰えてからより、衰える前に対処していった方がいいよね。

 

(半額だったので4種も買っちゃった)

 

 

てことで、ウォーキングと筋トレを始めました。

 
通勤だけなら4,000歩くらいのところ、今は昼休みに歩いて、合計6,000~8,000歩くらい。段々に増やしていこう。一駅前で降りて歩くってのをよく聞きますが、考えるだけで嫌気がさすので無理。昼休みに25分くらい職場の周りを歩いております。あと、気が向いたら帰宅途中に余計に歩いてみたり。ウィンドウショッピングがてら百貨店をぐるぐる歩き回ってみたところ、ついバックパック売り場に吸い寄せられました。家に7個もあるんだけど、ほしい条件が全て揃っているバックパックはないので、常に目を光らせているの。結局その日も条件を満たすのはなかったんだけど、店員さんの上手なトークに危うくコレクションを増やすところでしたわ。
 
筋トレは主に背中と上腕を。最近、すぐ床にごろんと寝転がる癖がついていましてね。ふと思い出したのが亡き伯母です。伯母は衰弱して入院したのですが、退院する際に、お医者さんに「体がどんどん弱るから、とにかく横になってしまわないように。座っているだけでもいいから」と注意を受けたと言っていました(横になっていましたが)。それと同じで、横になるから筋肉が落ち、筋肉が落ちたからしんどくて横になるという悪循環では!? 今は頑張ってウェイトを頭の後ろで上げ下げしたり、背筋運動したりしております。テレビを見ながらできる。もうちょっとリズムが出てきたらスクワットやプランクも取り入れよう。
 
(水切りした木綿豆腐にミニトマトとオクラをポン酢で和えたものをかけた)
 
 

この体はもう、何もしなければ、今以上に元気になることはないのだ。体に痛いところが出てきて「あ、これ待ってても治らないんだ」と気づくのと同じなのだ。と言うか、「何もしなければ今以上に元気にはならない」状態に転じたのはおそらく10代で、それからずっと下降線だったはずですが、ついに衰えが生活に支障が出るレベルに達したってことなのでしょう。

 

「主任警部モース」だったかな… 毎晩泳ぐ習慣のある介護施設の職員の女性(確か23歳)が、彼女が泳ぐところを見ていたいという老人に好きに見学させていたというくだりで、「私はピークにいて、あの人は…」と言葉を濁す場面がありました。それは、若い女性の水着姿を高齢男性が見つめるという事態の不穏さを指摘する場面でもあったけど、同時に、老人への憐れみからそれを許していた若者の図でもありました。老人側に属する身としても見ていて切なかった。私は今は元気に駆け回る子供やすごい量を食べる若者を見て微笑ましく思っているけど、そのうち、あの老人みたいに現実逃避と自虐が混ざったみたいな心境になるんだろうか。
 

(ゴーヤを塩もみして缶詰のパイナップルと和えるとめっちゃ美味しい)

 

 

前にグァテマラで会ったアメリカ人に「僕は登山が好きで日本でもいくつも山に登ったけど、日本人で山登りをしているのはお年寄りばかりだった。日本ってどうなってるの? 若い頃は登山しないけど、高齢者向けの娯楽として登山が好まれているの?」と聞かれたことがあります。定年退職後の健康維持に登山を始める人は確かに多そうだ。

 

私は登山はやらないと思うけど、バックパッカースタイルで旅行したいので、10キロ程度の荷物を重すぎると感じないレベルを保つべく精進いたします。キャリーカートにすればと言われるけど、あれは機動力の点でバックパックとは比べ物にならない。でもいつかはあれになるんだろうなあ…。(父が使わなくなったキャリーカートが天袋に2つ入っているし)

 

土曜日に病院に行くために久しぶりに昼間の列車に乗ったので、一番前から車窓を堪能しました。各駅停車でたまに楽しむお遊び。

 

園田駅や十三駅に入っていくところも好きだけど、十三駅から梅田に向かう光景が特に好きなんだ。

 

十三までは普通の衛星都市の町並みが続きますので、たいして大きなビルはありません。でも十三駅を出てすぐに、淀川の向こうに高層ビルが見えてくる。

 

こうして切り取っちゃうとわかりにくいけど、川向うは別世界って感じなんだよ。

 

 

鉄橋を抜けたらもう大阪がすぐそこ。

 

 

梅田のひとつ手前、中津駅。駅も小さいし、駅の周りも梅田とはまるで違う小さな下町です。

 

十三から梅田にかけては、運が良いと4本も5本も列車が通るのを見れるんだ。

 

上の写真をアップで。奥にも走ってますでしょ。自分が乗っているのを入れて4本。

 

中津駅を出てから梅田駅に着くまでの間に何本も並行して列車が走るのを見ることができる時もあって楽しい。鉄分の多い方なら予め時間を調べるのだろうけど、私は偶然で充分です。

 

梅田に着いたよ。

 

今は梅田駅ではなく大阪梅田駅って言うんだよね。よその人が梅田駅で降りて、「大阪にはどう行けばいいんですか?」と聞いて、地元民が「??? ここが大阪ですけど…?」と答えたり、混乱を招いていたらしい。そのよその人は「大阪駅」の意味で言っていたんだろう。

 

 

かつては大阪駅の他に、大阪駅に隣接する梅田駅が3つあって、更に西梅田駅と東梅田駅がある状態だった。ちょっとわかりにくいと思う人もいたみたいだね。

 

【昔】

大阪駅(JR線)

梅田駅(阪急線)

梅田駅(阪神線)

梅田駅(御堂筋線)

東梅田駅(谷町線)

西梅田駅(四つ橋線)

 

今は阪急と阪神は大阪梅田駅です。(これも結局紛らわしいままでは)

 
個人的には、 神戸電鉄の鈴蘭台西口駅と西鈴蘭台駅の方が危険な気がする。鈴蘭台駅には西出口があるし。他人のブログで知ったんだけど。(前に書いたことがある
 
「大阪駅の意味で大阪と言う」で思い出すのは、前に京都人の友達に言われた言葉。「よその人は阪急河原町駅周辺のことを河原町って呼ぶけど、私らにしてみたら「河原町筋のどこ?」ってなる」。そうだよね、道の名前だもんね。阪急河原町駅のある場所なら四条河原町って言わないと。
 

膀胱炎は、抗生物質のおかげをもちまして症状も収まりました。これで気になるのは五十肩とアキレス腱辺りの痛みくらい。五十肩は回復しつつありますし、アキレス腱の方は、膀胱炎になったのを機に寝苦しさ改善を目指してエアコンつけて寝るようになったのと時期が重なるため、冷えが原因ではないかと思いますので、今は温めたりストレッチしたり。

 

とか思ってたらですね、右の脇腹から背中にかけて、ズキンと痛みが走るのです。最初は水曜日の深夜(火曜日の夜の続きね)。気のせいかなと思っていたんですが、水曜の夜にも、そして木曜日にも一度、ズキンと。そして金曜日には2回、ズキンと来ました。

 

これは膀胱炎の関係なのか!? 右の脇腹から背中にかけてズキンと痛みが走るという症状が示唆するものは、とネットで探してみたりしますが、当然よくわからん。場所的には腎臓とか膵臓とか当てはまりそうだけど、痛みの症状としては? で、金曜の夕方に膀胱炎を診てもらった病院に行きました。

 

エコー検査と血液検査の結果は、異常なし。これはこれでホッとしたのですが、じゃあこの痛みは何買って話でして、先生が挙げていく可能性に「帯状疱疹」が! そう言えば、1年半前に帯状疱疹を患ったのと同じ場所だわ! えええ、単純ヘルペスは再発を繰り返すけど、帯状疱疹は再発はほとんどないって聞いてたのに。私はレアケースなの?

 

別の意味で恐ろしくなり、せっかくの土曜日なのにお出かけして、帯状疱疹を診てもらったクリニックへ。通いやすいようにと病院はほぼすべて職場から近いところを選んでいるのですけど、こうなると不便だわ。なんで休日に職場と同じビルに行かねばならんのやら。

 

で、先生のお見立て。

 

「帯状疱疹は基本的に再発しない。再発する場合も、同じ場所には出ない。後遺症が残っているとしたら知覚異常がある場合がほとんどだけど(触ってもわからないとか、冷たさを感じないとか)、その症状もない。それに、普通は痛みが出てから2日くらいで皮疹が出るけれど、丸3日以上経っていることからも、再発とは考えにくい。もしかしたら単純ヘルペスの方が出たのかもしれない。それでも皮疹が出ていないので、とりあえずはこのまま二日三日様子を見た方が良い。皮疹が出たらすぐにいらっしゃい」

 

肋間神経痛も考えられるそうだけど、肋間神経痛という病気があるわけではなく、原因があって肋間神経痛になるわけなので、原因がわからないと何もできないのであった。最近の変わったことと言えば、月曜日から背中と上腕の筋トレを始めたことくらいだけど、痛みが持続せず単発なのだから筋肉痛ではないだろうし。

 

てことで、結局は原因不明なのであった。まあ、たまにしか痛くないし、激しい痛みってわけでもないので、様子見でもいいんですけどね。内臓がやられているわけでもなく、帯状疱疹でもないとわかっただけで、とりあえず安心できたし。

 

最近どこにも出かけてないから、写真もいいのがない。春に撮った散りかけの桜の写真でも…。

 

この頃は在宅勤務していたんだよなあ…。今は春よりも感染が広がっているけど、在宅勤務していない。何なんだろうな。