旅情報の使い方 | 旅中毒

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バックパックと少しのお金とパスポートがあればいい。行けば行くほど行きたい場所が増え、人生狂って後悔なし!

今時の旅行関係のメディアの商売上手にはすごいものがあります。旅フェスも彼らの商売の一部です。大手ともなると大したものですよ。初心者向けの入門編があり、旅の最中の人たちが情報交換する場があり、インフルエンサーが発信する場があり、就職支援の人材紹介まで始めている。旅したい人がここで始めて、ここで過ごして、ここで終えて、ここに戻ってくるように整えてある。巨大キュレーションサイトも複数あり、旅情報の種類と量はすさまじいほどです。

 

15年くらい前にメキシコで会った若い日本人旅行者が「僕はガイドブックは見ません。他人の書いたものに従うなんて真っ平なので」みたいなことを言ってましてね。「読んでも従わなければいいだけでは」と思いつつ「そうなんだー」と返事しておきました。ガイドはルールではないんだけど、書いてあることを大勢の読者が一斉に実践するから、嫌になっちゃうのかな。大阪の梅田スカイビルも、いきなり大量の外国人観光客が来るようになって何事かと思ったら、ロンプラが「現代の神殿チックな建造物20選」だかに選んだかららしい。

 

今の時代にもきっとあの若者のような子はいて、上記のようなウェブメディアなどを見るのを拒否しているのかもしれない。敢えてのオフライン旅に挑む子たちもいますし、それも、ちょっと苦労してみたいとか、知らないやり方を経験してみたいという冒険心だけでなく、他人の経験に影響されずに旅してみるぞと言う気概なのかもしれない。

 

旅情報なんてもんは、どの情報を採用するかも、採用した情報のうちどれくらいの部分を採用するかも、自分に合わせて選べばいいのでありまして、書いてある通りにする必要なんてないんですが、選べず丸っと誘導されちゃう子が多いのも推察できます。「旅体験の商品化」を書いた際にコメントで、「好きなところにテントを張れと言ってるのに若い子は「どこがいいか」と聞いてくる」とか、「書き手の主観にすぎない情報をそのまま再現したがる人が増えている」とか、いろいろ伺いました。そして「情報がありすぎるせいで考えられなくなっているのではないか」とする指摘も。

 

なるほど、提供される情報が大量すぎると考えたり調べたりしなくなるし、ましてや、ぶっつけで体験するなんてこともなくなっていくよね。そして、自分の希望を把握していないと、情報の山の中からどうやって何を選べばいいのかわからなくて、「とりあえずは、有名な〇〇さんがやったのと同じ通りに」みたいになっちゃう子もいるのかも。

 

発信側にその意図があるか否かとは別に、価値観を植え付けられた人の中には、思考停止して行動の基準を発信側に委ねてしまう人が出る。ファッション業界や美容業界もそうなんだろうけど、ブランド化したサイトや有名人(あ、つまりはインフルエンサーってやつですか)の発信が価値判断の基準になっちゃうんだよな。そして、内容が似ている発信がたくさんあるから、その中で目につくのは、内容の質が良いものより、り伝え方が上手いものになっちゃうかも。

 

「情報をなぞる旅」も悪くはないと思いますよ。ある旅行者が「ちょっと話しただけの人から『〇〇さんの写真と同じアングルで撮影できました!』と写真を送ってこられて目が点になった。僕と同じことをすることに意味があるの?」と戸惑っていて吹き出しましたが、素敵だと思ったことを自分もやってみたいと言う気持ちも、わからなくはない。それに、「憧れて調べ尽くしてよく知っているものをついに生で見る」と言うパターンもあるしね。

 

ただ、さすがに、常に「あのサイトにこう書いてあったから」とか「〇〇さんがやっていたから」が基準になっていたら、ちょっともったいない気もする。旅を続けるうちに、「他人が書いたから」ではない自分自身の基準が生まれたらいいね。そうなればガイドブックやサイトを自分好みの情報を見つける場所にできて、もっと楽しくなると思うよ。

 

メキシコで会ったあの若者は人生初の海外長期一人旅に出たところだった。それで無意識のうちに『ガイドブックの情報に誘導されてしまうかも』と恐れて忌避していたのなら、それはそれで立派なものです。でも単に「ガイドブックに書いてある通りにしていると思われたらカッコ悪い」と思っていたのなら、別の意味でガイドブックに振り回されている気もする。

 

これをこじらせた例として思い浮かぶのが、某国で会った日本人中年男性です。「外国旅行するなら『えっ、そんな国に行ったの』と周りに驚かれるような国でないと意味がない」と言っていたんだよね。彼にとっては承認欲求を満たす手段として簡単なのが外国旅行だってだけでは。自分がどこに行って何を見て何をしたいかじゃなくて、他人が自分をどう見るかを基準にして行動してるんだもの。ああ、ループするなあ。これ、「旅行者の商品化」で書いた、15歳男子の『旅に出る目的が「人とは違うことをして注目されたい」 になっているのと同じやん。

 

ところで、メキシコで会った子は「沢木耕太郎が「26歳までに旅に出ろ」と書いていた(正確には「26歳が最適」と)。僕はもう26歳だから今年旅に出ないといけなかった」とか言ってて、「そこまで厳密なものではないのでは」と思いつつ「そうなんだー」と返事したっけな。てゆかこの子、沢木氏の書いたことにまんま従ってますやん。ガイドブックはダメで沢木氏ならいいのか。その前に、最適なタイミングなんて千差万別だと思いますが。

 

余談。沢木氏はよく「若い人に外国へと旅に出るよう呼びかける寄稿を」と依頼されるそうです。で、軒並み断っているそうです。自分も若い頃は年長者の偉そうな「叱咤」や「激励」が鬱陶しかったからって。こういうのこそ「いつまでも若々しい」ってことなのでは。

 

とにかく、他の人と同じことをやりたい人も、他の人がやったことないことをやりたい人も、どっちも好きにしたらいいと思う。ただ、他人と同じであろうが違っていようが気にしないのが一番楽だと思う。自分が基準なら必然的に、他人やっていることなんてどうでもよくなる。他人の発信が基準や指針ではなく、ただの情報になる。そして、大量の情報の中から大半の物を「今は要らない」と省き、残りの部分から探しものを見つけるのも、やりやすくなると思います。