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旅中毒

バックパックと少しのお金とパスポートがあればいい。行けば行くほど行きたい場所が増え、人生狂って後悔なし!

ツェーシスから南に7キロのアーライシ湖に9世紀のラトガレ人の集落を復元してるとのことなので行ってきました。レンタバイクで行こうと思ったのに、まだシーズンじゃないからやってませんだって。古い教会も楽しみにしてたのに「冬季閉鎖中です」と。こちらでは4月って冬なのね…。確かに私もダウンジャケット着てるけど。でもお天気の良い昼間なら半袖の人もいるくらい暖かい。

さて、アーライシ湖では、先史時代、9世紀、14〜17世紀の3つの時代の遺跡を楽しめます。

この先史時代の復元は、ここで見つかったものを基にしてるのではなく、同時代の近隣の発掘物をモデルにしてるのだそうな。
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こちらが14世紀に建てられたお城の廃墟。ツェーシスの旧市街にあるお城の出先機関みたいなもん?
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このお城を建てたドイツ系入植者(リヴォニア帯剣騎士団)が滅ぼしたラトガレ人の湖上集落の復元がこちら。
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泥の中に埋まってたので非常に保存状態が良く、構造の解析が容易だったらしい。

メインストリート。真ん中にあるのが村長の家かな?大きいし、テラスがあるし。
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繋がってない長屋という感じの密集度。村全体では80人くらい住んでたのではないかとのこと。
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丸太を組んだ上に建てられているので足場が悪いのですけど、小さな子供達は鬼ごっこと隠れんぼに夢中。興奮して走り回っててすごかった。こんなとこなんで走れるの!? (人の入ってない写真を撮ろうとスマホを構えると物陰から子供が弾丸のように飛び出してくるのが面白かった)

普通の家はこんな風に丸太の上に土を敷き詰めて床にしていたけど、共同浴場は木の床だったそうな。水が下に流れるようにね。共同浴場は一番清潔な場所だったから、医療施設でもあり、子供を産む場所でもあったらしい。
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家の玄関は必ず左側で、かまども玄関から入って左向きに作られていたって。


さて、ツェーシスに戻って、昨日は時間が足りなくてよく見れなかったお城の博物館だけ行き直した。古いお城に新しいお城が隣接してる、新しい方にある。

一番印象に残ったのは、マナーハウスに改造されちゃった新しいお城に住んでた伯爵の図書館の塔。
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屋上に出れるのでした。

今は、ツェーシスから移動してスィグルダ。ロシア系のホテルに泊まってます。1940年6月17日(ソ連がラトビアに侵攻した日)以降に移住した人は帰化しない限り国籍を与えられないと国籍法で決まっていると聞いたけど、ここの人はどうなんかな。

ツェーシスのタクシーの運転手さん、「ロシアの占領自体にはツェーシスには高い建物を建てることが許されていなかった」と言ってたな。反感あるんだろう。
今、ラトビアに来ています。
メモ書くなら更新しちゃえと思い、適当に少しずつ。

今回はタイ航空にてバンコク経由でストックホルムまで行き、そこからはエアバルテイックでリガに。

タイ航空の分は、チケット手配してくれた友人がオンラインでチェックインしてくれてて、関空のカウンターで搭乗券をもらったけど、エアバルテイックはモバイルチェックインで、搭乗券はスマホ画面を見せる方式。時代が進んで乗り継ぎも楽になりましたね。

ストックホルムでの乗り継ぎ時間は1時間55分。降りてからの審査や荷物チェックに30分はかかるだろうし、ゲートには30分前に行かなきゃとなりますと、余裕は実質1時間ない感じ。

なのにバンコクからストックホルムへの便の出発が50分遅れたのであります。ひえええ。まあ、到着は30分遅れなんですが。しかし席は後ろの方だし、降りるのに時間がかかるのが怖かったので、機内でキャビンクルーに事情を話して、着陸直前に前の方の席に移動させてもらいました。空席があって良かったよ。

荷物検査のとこで引っかかって時間がかかってる人がいてやきもきしたりもしましたが、、ゲートが開く前に着けました。

エアバルティックの飛行機はこんなの。可愛いね。何人もがタラップを上がる前に写真を撮っていました。
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コクピットクルーがTシャツ姿なのもローカル感があって良いわ。

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リガ空港に着いて市内へのミニバスに乗りに行ったら、ちょうど出るところ。
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リガのバスターミナル前で降りて、ツェーシスへのバスのチケットを求めましたところ、出発は20分後。接続が素晴らしくうまく行きました。
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ツェーシス到着。
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こんな感じの古い家がたくさん現役の町。
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ツェーシスはリガに次いでラトビアで2番目に古い町なのですって。リヴォニア帯剣騎士団が13世紀初頭に建てた城塞修道院が残っています。
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この塔に登るのにランタンを貸してもらえるのが面白いの。懐中電灯よりこっちの方が雰囲気出るよね。昔の人と同じ明るさ(てゆか暗さ)の中で螺旋階段を登るのはなかなか楽しい。
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騎士団長のお部屋も素敵なのですが、
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ダンジョンにちゃんとお手洗いが付いていたのが印象的でした。
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2018/1/7

 

無事にバスに乗り込み、良いお天気の中、リスボンに向け最後のドライブを楽しみます。

 

旅行中にスマホにダウンロードしていたアプリ。左から、長距離バス会社Rede、ポルトガル鉄道、そして毎度毎度のRome2Rio。もう必要なくなったRede社と鉄道のアプリは削除しました。お世話になりました。あ、Rome2Rioは現地情報を提供するスタッフを募集しているそうですよ。

 

このサイン、バスとオートバイ専用レーンって意味? リスボンに着いてハイウェイから出るところなんて、5メートルおきくらいにこのサインが描いてあって、すごい圧を感じて笑ってしまった。

 

地下鉄のカンポ・グランデ駅に着いたよ。最後のバス、お世話様でした。

 

リスボンに着いた日や翌日は、リスボンカードで乗っていたから、普通のチケットを買うのはこれが初めて。自販機も英語表示になるしわかりやすい。でもこの時、確か窓口に行ったんだった。なんで窓口に行ったんだったかな。

 

車内にこんな可愛い子がいた。介助犬ってわけじゃなく、ペットの子。お行儀良かったよ。

 


空港駅に到着し、空港にドドドと人が流れていく中、思うようにポルトガルごはんが食べられなかったなあと思うと未練を感じて、改札前にあるカフェでツナの入ったパイとエスプレッソを…。

 

チェックインの際、バックパックを預け入れようとコンベアに乗せたら「違う違う、これ機内持ち込みでしょ?」と言われたわ。機内持ち込み荷物としても小さいくらいだからね。でも帰りは身軽になりたい。もっとも、Tシャツ姿で手ぶらという境地には至らないんだよな。だって、ロスバゲや空港足止めの際に手元に何もないのは不安だもの。前に1月のマドリッドでロスバゲが判明した時、若い日本人男性がヨレヨレTシャツにハーフパンツにビーサンに手ぶらで呆然としていた。確かに旅行なんてお金とパスポートさえあれば何とかなるけど、あの軽装で厳寒のマドリッドに出て行くのも、空港内でお高い衣服を一揃い買うのも、私なら嫌だわ。私の連れも「旅慣れてたら上着なんて預入荷物に入れちゃうのが当たり前だと思っていたけど、考えを改める」と言っていました。もっとも、上着やキャリーバッグを買って「保険で賄える、得した」と喜んでいましたけど。

 

さて、あとはゲートに行くだけとなりまして、でもまだ1時間半ある…ってことで、シャワーを浴びに行くタイミングではあるのですが、なんかもう面倒くさくなってきたのでパス。1日くらい入らなくてもいいや。トマールを出る朝にシャワーしてるしね。

 

で、ゲートに来てからまた食への未練がわき、何か食べようと…。しかしここまで来ちゃうともう軽食スタンドくらいしかないのだった。てことで、チキンパイとビールを。

 

搭乗前に並んでいる時、年配の男性と、その娘さんらしき二人連れの後ろになりまして。彼らはまあ当たり前ですけど横に並ぶんですね。で、父親の方が突っ立ったまま荷物をごそごそし始めて、娘さんだけが先に進み、後ろにいる父親を見るために横向きになる。娘さん含め列は少しずつ前に進んでいくのに、父親は動かず荷物を触っているので、彼の前にスペースが開いていく。そして、娘さんが最後尾であるかのように見えてしまい、横を向いている娘さんの背後に新しい列ができ始める…。さすがに黙っていられなくて私が「前に進んでください」と促すと、父親が慌てて前に進む。

 

これさ、私より先に娘さんが言うべきだよね? たとえ自分の後ろに列ができていることがわかっていなかったとしても、父親が開けてしまっているスペースを詰めるよう促さないと。しかしこの二人、後でまた同じことを繰り返したんだよ。何が問題かわかってないんだろう。以前、列に並ぶのが下手な人たちがいると聞いて「どういう意味だろう」と思っていたけど、ああいう人たちのことを言うのかもしれない。列を作らない国から来ているのかな。

 

あと、飴を舐めていた日本人の女性が、口の中の唾液を啜り上げる際に口が開いてしまうらしくて、何度もヂュバッとかジュロジュロッとか音を立てるのが鳥肌が立つほど気色悪かった。痰を切るのと同じくらい気持ち悪いし、あんな音を周りに聞かせるのはマナー違反だと思うんだけど、本人は気付いていないんだろう。身だしなみはきちんとしている女性だったのになあ。誰か親しい人が注意してやれよ…。

 

ポルトガルを離れました。

 

4月25日橋がきれいに見えている。

 

 

 

さて、帰りの機内食。まずはチキンのマッシュルームソースがけ、ニョッキ添え。レストランで食べてるみたいに美味しかった。サラダもクランブルケーキも美味しかったわ。エミレーツはごはんが美味しいよ。

 

 

 

朝食にはお魚の照り焼きをいただきました。普通に美味しかった。「何か変なところがあれば面白い」と阿呆な期待をしてしまうんだけど、エミレーツ航空の和食は普通に美味しいのだった。私は食べてないけど、晩ごはんに出た魚の唐揚げの甘酢あんかけも美味しかったらしいよ。

 

これは昼ごはんね。確かチキンのトマトソース掛けだったと思う。それとマッシュドポテト。それから豆のサラダと、デザートはココナッツのプディングだったかな。これも美味しかった。

 

ドバイからの帰路は、何かのスイッチが入ったかのようにずっとAC/DCを聴いていました…。(合間にブラックサバス)

 

 

ということで、ポルトガル旅行は無事に終了いたしました。今年は春の間に終わらせたぞ!

 

 

2018/1/7

 

朝には水も出るのではと期待したけど残念ながら一滴も出ない。前夜と同じくペットボトルの水で歯磨きと洗顔だけ済ませました。この日は帰国の途に就く日だったので、シャワーしておきたかったんですがね。ま、リスボン空港にはシャワールームがあるから、何だったらシャワーしてから乗ってもいい。

 

せっかく早起きして時間もあることですので、最後の街歩きに出よう。カルダス・ダ・ライーニャから出たバスがオビドスを通ってリスボンに行きます。私は8時15分のに乗る。てことで、またしても朝食は諦めました。8時からだそうでして。

 

薄暗いと言っても、朝の色はやはり夕方とは違うねえ。

 

ディレイタ通りもいいけど、こういう外れた場所で寛ぐのがいいよねえ。

 

ポルタ・ダ・ヴィーリャから入った眺め。雲がきれい!

 

城壁の外側。東側はこのようにライトアップされております。

 

こういう小さい門もあった、そう言えば。

 

さあ、明け切った。

 

洗礼者サン・ジョアン教会と南端の見張り塔。まだライトアップが続いているね。

 

これは城壁の外にあったカフェのドア。パンが取っ手に掛けてあるのが面白くて撮っておきました。パン屋さんが朝配達に来て、こうして置いていくんだな。

 

そして、水道橋。

 

水道橋は1573年ごろ、ジョアン3世の妃だったカタリナ・デ・アウストリアにより建てられました。代々の王妃は領主としてオビドスの町を発展させる義務を負っていましたので、カタリナ妃は安定した水供給システムを町に提供したのですね。資金捻出のため、カタリナ妃はオビドス周辺に持っていた土地を一部売却したそうです。

 

もともとここにはローマ時代の水道橋があったんだって。全長6キロあり、地上で水道橋になっているのが3キロと、地中部分が3キロ。水源はオビドスの南にあるウセイラと言う町で、オビドスのサンタマリア広場まで水を引いていました。ウセイラをググってみたら緑色のきれいな水に石橋のかかった写真が見つかったけど、地図で見るかぎり川があるようには見えないので、泉でもあるんですかね…?

 

今は、水道橋の北の端は、ポルタ・ダ・ヴィーリャの手前で途切れている。ちなみにこの写真の左端の階段を降りるとバス停があります。

 

昔は城壁内のサンタマリア広場まで水道橋が伸びていたんだって。

 

 

前日の雨は残念と言えば残念でしたが、雲があるからこそ見れる美しい光景もあるね。

 

ここがバス停です。私が昨日降りたところ。同じ場所からバスが出ます。リスボンへは1時間。

 

2018/1/7

 

雨も降ってるし暗くなってきたのでいったん宿に撤退し、ちょっと休憩…

 

…したら、眠っちゃって、起きたら9時を回っていました。あー、なんかまた具合悪いような気がするなあと思ったんですが、よく考えたら脱水気味なのかもと。朝から水を200mlくらいしか飲んでいないんですよね。昼食時もワイン一杯しか飲んでいないし、それは水分にカウントされないし。街歩き中にお手洗いに行きたくなったら面倒くさいと思っちゃったのもある。まだ残っているミカンを食べて、お出かけしましょう。

 

でもその前にちょっと洗濯しておこうと洗面所に行きましたところ、水が出ません…。受付に行って水が出ないと訴えると、町の水道システムに問題があって、今、作業員の方々が懸命に復旧工事中だとの返事。古い町だから仕方ないんだろうけど大変だな。客は気楽に待ってりゃ良いけど、飲食店とかは商売上がったりじゃないの? とりあえず受付で1.5リットルのボトルで水を買っておきました。

 

雨は上がっておりましたが、昼はあんなに賑わっていたディレイタ通りにも人影はない。

 

と言ってもレストランやバーは開いており、繁盛しておりました。水が出ないのに普通に営業できてるんだねえとか思ってたんだけど、後で改めてBooking.comで泊まっていたホテルをチェックしたら、「水圧が低すぎてシャワーは諦めた」という口コミがいくつもあるんだよね。それも2年も前から…。町の問題ではなく、ホテルの問題なんだろうな。復旧作業中ってのも本当かどうか。こっちを黙らせるための嘘では…。めったにこういうことは書かないけど、ホテル・ ライニャ・サンタ・イザベルはお薦めできないです。古い建物だから水回りで不具合が出ても驚かないし諦めもするけど、こんな状態が改善されず何年も続いていて、おそらくは嘘をついてごまかしているようでは…。部屋は素敵だったんですけどね。

 

さて、再度城壁を歩いてみよう。歩哨の気分でパトロールだ。お城の側から始めよう。

 

今はマグライトがあるから不安もないけど、中世の頃なんて大変だったろうな。松明やランプじゃ遠くに光が届かないもの。ブダペストの地下王宮で灯りを落とされてランプで見て周った時、自分の袖ばかり見る羽目になって、ランプは近くを照らすものなんだなとしみじみ思ったよ。

 

アルバラナ・タワーとブリッジ、夜に撮った写真の方がよく見えるな。

 

やっぱこの位置からの眺めがよろしい。

 

マグライトで照らすと他の部分が赤っぽく写るねえ。

 

町の西側の城壁はこんな風に真っ暗なの。東はもっと明るくしてある。

 

ここ、直角に曲がってるんだ。マグライトがなかったら気づかず真っ直ぐ進んで転落しそうだよ。

 

南端の見張り塔に来た。

 

オビドス旧市街の夜景。

 

では東側を通って戻っていきます。

 

ポルタ・ダ・ヴィーリャの上に座って休憩…。してたら、お城の方からなんか勇ましい音楽が聞こえてきた。お城かどうかはっきりわからないけど、もしお城なら、何か中世の宴イベントでもやっていたのかもしれない。でも、こんな街の反対側まで響く音を出すって、ちょっと迷惑だよねえ。夜の10時だもの。もう寝ている人だっているでしょうに。

 

サンタ・マリア教会の辺り。

 

お城が近づいてきたよ。

 

これはお城の側の見張り塔から。東側の城壁が明るいのは、こういうライトアップをやってるからもある。オビドス旧市街の西側は畑が広がるだけだけど、東側は町がある。それに、よその町と繋がっている道路も東側にあるからね。東側だけ飾っているのだ。そういう飾りはむしろ無い方が私は好きですが。

 

青く光っているのはディレイタ通り。青と言うか白くライトアップされてるんだけどね。なんか青く写る。

 

撮ったままの写真は、夜景にありがちなんだけど、どれもオレンジっぽく写っている。PC上で「自動調整」ってボタンを押すと、オレンジが消えて白っぽくなる。この白っぽい方が実際に自分で見た色に近いから、オビドスの夜景写真はすべて自動調整してみた。ソルテーリャとかの歴史村の夜景はオレンジのままにしてあるけど。オレンジのままでも上の写真のディレイタ通りは青く光ってるよ。そして自動調性したら青が更に濃くなるのだった。

 

街灯はオレンジ色なので、自動調整するとちょっとオレンジじゃなくなりすぎる気もする。でももうどうしたらいいかわかんない。自分で実際に見た色なんて思い出せないし、その色に近づける技術もない。

 

また南の方に戻ってきたよ。

 

この写真は自動調整してもオレンジ色のままなんだよな。何が違うんだろう。ちなみにこれが私が泊まっていた宿です。3階の手前の部屋。横長の窓がバスルーム、その向こうの窓が寝室です。

 

お散歩の最中、また雨が降り始めました。城壁を歩いている時は星がきれいに見えていたのに。ちょうど宿の近くを歩いてた時に本降りになってきたので、夜歩きを切り上げて部屋に撤退しました。結局1時間半しかお散歩できなくて残念。でも、もう濡れて寒い思いをするのはこりごり。 

2018/1/6

 

じゃあ今度は城壁の下と言うか街を歩き回りましょう。アルバラナ・タワーのブリッジの下を通って街の西端に出てみる。

 

細い路地に入ってお城を振り向く。

 

青く塗っている家と黄色く塗っている家って何か区別があるのかな…。

 

ここら辺にも宿があるらしく、バックパックを背負った旅行者が出てきたわ。民泊だろうね。民泊っつってもAirbnbに登録されている宿は1万5千円前後が多いようだ。Airbnbでそれって、さすが人気観光地だな。でもこの通りなど端の方の細い路地にある宿なら少し安いんじゃないかしら。

 

通りをまたいで両脇の建物を繋いでいるブリッジ、あれ、何のためにあるんだろう。古い町でよくこういうの見かけるけど…。

 

西橋の道を通って北から南に歩いてきまして、ここはもうかなり南の方。

 

ここみたいに、一本の道が三本に分かれ、かつ、その三本の道がすべて高さが違うの、大好物。

 

右側の家が異様に平べったいわけではなく、道の高さが違うせいでこうなってるのだ。

 

ポルタ・ダ・ヴィーリャまで戻りました。で、ディレイタ通りのお隣の筋を行ってみる。ここが2番目に賑やかな通りです。つっても、ディレイタ通りに比べたら静かなもの。手前に写ってるのは私がお土産を買ったお店のおじさんだ。

 

この通りにあったレストランに入って遅いお昼にしました。もう3時に近かったよ。10時半には町に着いていたのに。頼んだのは牛肉のキノコソースかけです。美味しかった!

 

食べている間に外では本格的な雨が降り始めました。昼食を後回しにして城壁に上っておいて本当に良かったわ。トマールからオビドスに来るためには朝7時発のバスに乗るしかなかったの、「もうちょっと遅いのがあればいいのに」と思っていたけど、結果的にはあれで本当に良かったよね。到着が2時間遅かったら、雨の中で城壁を歩く羽目になっていたよ。

 

食べ終わって外に出るころには雨は一応は上がっていました。が、一気に寒くなりました。そしてしばらくするとまた、しとしとと小糠雨が降り始めたのでした。

 

ここは城壁内の東側です。こういうくぼみは何に使っていたの?

 

 

 

上の写真の奥をズームアップ。奥の右側の建物の壁が好きなの。

 

 

これはポルタ・ダ・セニョーラ・ダ・グラサの門楼の中です。写真左から説明しますと、門楼内から見る城壁の内側、その正面の壁にある聖堂、外から見た門楼の中。

 

これは城壁から見下ろした門楼。この中が上の3枚の写真ね。

 

ここはかなり北に近づいてきた辺り。

 

観光客もあまり通らない外れに良さげなバー・レストラン。晩ごはんはここに来ようと決め、中に入って閉店時間を聞いたら、返事が「午前2時」。さすがに観光客が多い町は違うわね。山村ではどこも7時とか8時とかで閉まっちゃいましたよ。

 

2018/1/6

 

見張り塔は3面が壁になっており、正面の壁には窓があって外が見えるほか、階段もある。

 

洗礼者サン・ジョアン教会と墓地、そして水道橋が見える。

 

この水道橋は、1573年頃にジョアン3世の妃カタリナ・デ・アウストリアが建築させたもの。カタリナ妃は狂女王フアナがフィリップ美公との間に産んだ末っ子です。

 

見張り塔の上から北を向く。この尖った一角は家もなく空き地になってる。兵隊さんたちの宿舎でもあったのか、わざと空き地が作ってあったのか。ほら、攻められた時に武器を置くとかさ…。ガイドさんでもいれば何か聞けたかもしれないね。

 

階段はこんな風になってます。

 

お城をアップで撮ってみる。城壁の上を歩いている人がいるよ。

 

では戻っていこう…。オビドスで見かけた猫はこの子だけだったな。日向ぼっこしてお昼寝してる。

 

洗礼者サン・ジョアン教会と東側の城壁。

 

この頃になるとお腹が空いてきましたが、一周を済ませるまで城壁から降りるわけにいかないのだ。

 

お城に戻ってきた。

 

同じような写真ばかり載せてしまうけど、上の写真は城壁の歩廊を入れているとこがポイントで、この写真は城壁から降りる階段を入れているのがポイントなの。

 

お城だけをポイントにするならこれくらいの角度がいいと思うんだけどね。

 

これはアルバラナ・タワーと城壁と、それを繋ぐブリッジがポイント。

 

アルバラナ・タワーとは12~15世紀にイベリア半島に居住していたムスリムが持ち込んだ様式の塔。城壁から離して塔を建ててブリッジで連結するんだって。城を攻められた時の最前線となります。塔が敵の手に落ちた時のため、いざとなったら落としてしまえるように木製のブリッジも多かったとか。ポルトガルやスペインの南部でよく見られるとのこと。ヨーロッパも北部だと、城壁から突き出た形の脇塔がこれと同じ働きをするのだそうです。

 

これは町とお城を隔てる城壁をお城側から撮っているのがポイント。白い建物はサンティアゴ教会。

 

そしてこれはアルバラナ・タワーへのブリッジから、町とお城を隔てる城壁と町側を撮っているのだ。名もなき小さな門が見える(ホントは名前あると思うけど)。ここから出て歩いたりもしてみたかった。

 

城壁はお城の敷地内に続いていきます。

 

ここら辺が城壁の南端。振り返ってみるとお城の敷地内にも結構長く城壁が続いているのね。

 

お城を裏側から。泊まるなら塔の部屋でなくちゃ意味がない、ピカピカの現代的な部屋なら別に泊まらなくてもいいやとは思いましたが、泊まっていればお城の中も探検できたと思うと少し残念ではある。そしてコートヤードにある赤や緑の楽し気な小屋が雰囲気を壊していて残念ではある…。

 

お城のコートヤードが遊園地になっていたのよね。季節的なものみたい。クリスマスシーズンだからか、移動式遊園地が来ていたの。その日はもう6日でしたので、遊園地も終わりらしくて、小さな回転木馬も解体中でした。

 

日本の回転木馬にあるのは馬と馬車くらいですけど、こっちは鹿や子豚や自転車などもありました。コーヒーカップやアスレチックフィールドもあったよ。オビドスや近郊の子供たち、オビドスを訪れた観光客の子供たち、楽しい休日を過ごしたことでしょうね。今は日本も常設の遊園地がすっかり減ってしまったので、こういう移動式遊園地があればいいのになと思ったり。商売としては不安定でしょうけど…。

 

こ…、この緑の可愛い小屋さえなければ… 涙

 

頑張ってお城だけ入るように撮ってみる。(これより少しでも左に寄せると小屋が入る)

 

お城と町を繋ぐ門がサンティアゴ教会の横にあります。その門のとこから撮った図。一度カメラを構えて「ま、撮らなくてもいいかな…」とか思った時に、通ろうとした10歳くらいの男の子がハッとして足を止め、私が撮り終わるのを待とうとしてくれたので、せっかくだから撮っておきました。お礼を言っておいたよ。その子の背丈ではこのアングルで邪魔になるわけもなかったんだけど、気遣いのある優しい子だね。

 

これはウィキペディアから。この方角から撮るのがきれいだな。やっぱり城壁を出て歩くべきだった。

By Jean-Michel Brunet - IMG_6709, CC BY 2.0, Link

 

このウィキペディアの写真の部分、つまりお城の北東側で城壁が途切れるわけで、城壁を完全に一周できるわけではない。でもほぼ一周できるね。城壁散歩はオビドスのメインアクティビティです。

 

2018/1/6

 

これもグーグルのストリートビューです。私が城壁を歩き始めたのはお城からですので、北(写真の右側)の下側の「ここから北がお城」と書いてある辺り。まず東側(写真の下側)を通って南端まで行って、西(写真上側)を通ってお城まで戻るルート。南東(写真左下)にある門が私が入ってきた門。

 

城壁は、写真を撮ったり景色を眺めたりしながらのんびり一周して約40分。ソルテーリャだと20分だったから、やはりこっちの方が大きい。まずは、はるか遠くに見えている南端の塔まで行こう。

 

でもその前にお城の門の上を歩いておく。正面に見えるのはサンティアゴ教会と鐘楼。右側がお城の敷地内です。

 

お城の門の上から見るオビドスの城下町。

 

東周りで行くわね。角に見張り塔があって、そこからグッと下り坂になる。逆に周ってきた人がここを上がるのにゼエゼエ言ってたわ。西側の城壁は全体的に緩やかな上りで勾配が急な箇所はないから、しんどいのが嫌な人は東周りで行くといいのではないかな。

 

 

同じような写真ですが、城壁の内側と外側の両方を撮ったのがポイントなの! 見張り塔から撮ったんだと思う。下りの急なとこも写ってるの、ご注目いただきたい。

 

これも見張り塔から、お城を振り返ったところ。

 

急な下りのところ。

 

私が入ってきた門、ポルタ・ダ・ヴィーリャの他にもいくつか門がある。これは ポルタ・ダ・セニョーラ・ダ・グラサです。ポルタ・ダ・ヴィーリャと同じように門楼があるのはここだけでしたね。

 

正門じゃないからか、中はアズレージョもなくシンプルです。

 

ここからお城を撮るといい感じ。ここまでアップにせず、もうちょっと左に寄せて撮れば良かった。

 

見張り塔を振り返る。

 

お城まで入れてみる。

 

聖マリア教会がある辺りだね。

 

 

こういう階段がいくつかある。

 

ポルト・デ・ヴィーリャの上。

 

ポルト・デ・ヴィーリャまでは緩いカーブだったけど、ここでグッと湾曲して狭くなり…

 

この尖がった南端に至ります。半分歩いたね。

 

2018/1/6

 

オビドスはソルテーリャと同じく、城塞都市です。町の規模はオビドスの方がずっと大きい。やっぱ平地だからですかね。と言っても周囲1.5キロの小さな町です。

 

町に入る入口はこんなに小さいの。防衛力が高かったでしょうね。古代にはフェニキア人、その後にはケルト、ローマ、西ゴートの人々がこの土地に住み、今のような城塞都市になったのは、アラブ人がこの土地を支配した8世紀だって。この門もイスラム時代のもの。

 

門の中にある聖堂の周りは18世紀にすばらしいアズレージョで飾られました。

 

このスペースを通り抜けて目に入る光景がこちら。「谷間の真珠」と呼ばれる可愛らしい村です。(でもここ平地だから谷なんかないのに、なんでこんなニックネームがついたのだろう)

 

1210年にアフォンソ2世がウラカ王妃にこの町を贈ったと書いてあります。その子供たちの世代になると、聖職者の権力を弱めようとしたサンチョ2世から、聖職者サイドの支援を受けた弟アフォンソ3世が王位を奪うという争いが起きました。その際オビドスはサンチョ2世への忠誠を保ち、「いと気高く、とわに忠実」という言葉が現代に至るまで残っている。その後、アフォンソ3世の息子ディニス1世が1282年にイザベルを妻に迎えた際に、この町に魅了された王妃にこの町をプレゼント。それ以降オビドスは代々の王妃個人の領地となり、1834年まで、王妃たちがこの村を直轄していたそうです。

 

この小さな通りが村のメインストリート、ディレイタ通りです。若い王妃様が惚れ込むのもわかるわ。ホント可愛らしいよね。サイズだけではなく、何と言うか、雰囲気が…。

 

私が泊まったホテルはこのディレイタ通り沿いにあります。立地の割に安かったんで予約したけど、ちょっと問題もあるお宿でした。

 

部屋は素敵でしたし、バスルームもアズレージョで飾られていて美しいんですけどね。

 

窓からの眺めも良い。旧市街の中に宿を取る醍醐味です。左を向けばメインストリートが見えるよ。

 

さっそく街歩きに。これはディレイタ通りをお城に向かって歩いていく途中にあった聖マリア教会。中には入らずじまいだったのですが、アズレージョに覆われた内壁が息を呑むほど美しいと評判。

 

メインストリートよりやっぱこういう路地がたまらないよね。

 

中世の町並みがよく保存されており、リスボンから1時間ちょっとと言う好立地もあって、ポルトガル屈指の観光名所に。おとぎ話のようだと大人気です。狭い路地にひしめく白い壁とオレンジの屋根ってとこはモンサントも同じなんだけど、何でしょうね、オビドスのこの可愛らしさは。

 

脇道からお城を臨む。オビドスの町はレコンキスタの最中である1148年にイスラム勢力から初代ポルトガル王アフォンソ1世の手に渡りましたが、お城が完全にポルトガル王国に明け渡されたのはサンチョ1世の治世である1195年だったとか。

 

サンチョ1世が城壁を作り直したり、ディニス1世が外堡や門を増築したり、マヌエル1世の時代には立派な城館も増築したりと巨大化。居心地の良い居城となっていたのですが、1775年の大地震で城館は崩壊してしまいました。廃墟となっていたこのお城を修復したのは20世紀に入ってからで、目的はポサダの建築。ポサダと言うのは国営ホテルのことです。ポルトガルで歴史的建造物の中にポサダを作った第1号がこのオビドスなんですって。

 

グーグルのストリートビューで見るオビドス城。

 

私、10年以上前にテレビで見て以来このポサダに泊まるのが憧れだったんですよね。塔の中に中世そのままの内装と調度品を使っている部屋が1室だけあるらしい。狭いから、ベッドルームとバスルームは別の階にあるそうです。テレビで見た当時で1万5千円くらいで「そんな金額でいいの!?」とびっくりしたよ。今はいくらするんだろう。Booking.comで調べてやろうとしたけど、その部屋は載っていない。人気が高いそうだから、予約サイトには載せないのかもね。かなり前から予約しないといけないらしいので、私は最初から諦めておりました。今や塔の部屋でなくても2万近いから、予算的にも無理だろう。

 

てことで中には入れないので(レストランやバーなら使えるけど興味ない)、さっそく城壁に上がろう。城壁に上れる階段は何ヶ所かあるけど、王道でお城の横から上がるわね。

 

2018/1/6

 

トマールでバスに乗り込む時に「チケットはファティマで買って」と言われた、そのファティマに着きました。もうバスターミナルも開いていたよ。ファティマよりトマールの方が大きな町なのにな。ここで「トマールからレイリアまでです」と申告してチケットを購入。ファティマからレイリアまでは20キロです。走っていくうちに夜が明けてきました。

 

予定通り1時間10分で8時10分にレイリア到着。奥にある白と水色の建物がバスターミナルです。

 

レイリアはトマールよりもさらに大きな町です。人口で言うと、ファティマが1.16万、トマールが4.068万、レイリアは12.69万(いずれも2011年)。この像は法王パウロ6世だって。法王が1697年にファティマを訪問した際にレイリアを通ったのを記念して建てられたそうです。通っただけなのにと思うかもしれないけど、通っただけでも大事な思い出になるほどの出来事だったんだよね。

 

トマールからオビドスに行くにはバスを2回乗り継ぐ必要があります。レイリアの次はカルダス・ダ・ライーニャに向かうの。レイリアでのバスの接続待ちは35分。ターミナルの中にカフェもあるので時間をつぶすのは簡単ですが、もったいないからやっぱり街に出よう。しかしこのカフェ、ネイティビティ・セットを飾っていたり、空手教室のポスターが貼ってあったりと、なかなか趣がある。

 

それにしても寒かったなあ。後で調べたらレイリアはむしろ温暖な気候の町だそうですけど、この旅行で一番寒かったのがレイリアでしたよ。

 

ターミナルから出てすぐのとこに何やら良さげな建物が見えているではありませんか…。

 

こんな古いものも少し残っている。中世の頃の壁かしら。もっと古い? 説明を読んでくれば良かったわ。

 

この赤い建物がなかなか。格子や窓枠の意匠が美しいね。2014年のストリートビューを見ると壁がハゲハゲなので、近年に塗り直したらしい。一部だけ緑なのは、古いタイルを保存しているから見たいよ。お向かいは大聖堂の敷地です。

 

上の通りを抜けると、こんなちょっとした広場っぽいとこに出ます。丘の上の方だけ朝日が当たっている。丘の上にちょこっと見えているのはレイリア城です。丘の下にある塔は教会の鐘楼?

 

この広場に面しているのが16世紀半ばに建てられた大聖堂。17世紀初めに回廊やチャプターハウスが増築されたんだって。17世紀半ばの大地震でファサードが崩壊し、すっかり新しくされたそうです。

 

お城まで上ってみたかったけど、さすがに時間がない…。

 

歩いた中で一番気に入ったのはこの角。アズレージョで飾られた優美な建物も素晴らしいし、お向かいの建物も、壁は少し古くて汚れているけど美しい。下手に真っ白けに塗りつぶされるより味がある。

 

もうそろそろ戻らないと、てことで、上の写真の路地を抜けてバスターミナルの方に進む。と、開いているお店を発見。ここで朝ごはんのパンを買いました。

 

ズームを寄せてレイリア城を少しでもアップで…。ここも見学したかったなあ。ネットで見てみると、まあ、廃墟ではあるのですが、楽しく見学できる場所がたっぷり残っている。テラスが素晴らしいね。

 

お城の初期の情報は残っていないんだって。1135年に初代ポルトガル国王アフォンソ・エンリケスがイスラム教徒から奪い取ったところから記録は始まる。その後、まだイスラム圏だったリスボンなどに対しての防衛拠点となりましたが、1147年にそれら南の町が奪回されると軍事的意義を失って放置される。そして14世紀に農業王ディニス1世とイサベル妃が修復して、居城としたそうです。

 

さて、レイリアからカルダス・ダ・ライーニャに向かうバスに乗りこもう。……って。さっきと同じバスじゃん。あれ、ドライバーさんまで一緒じゃん。なんだ、トマールからカルダス・ダ・ライーニャまで通しでチケット買えば良かったわ。ちなみにこのバスはリスボン行きです。

 

で、9時45分に着きました、ここがカルダス・ダ・ライーニャのバス停です。人口5.173万人なのでトマールより少し大きい程度。だけどバスターミナルはレイリアより立派だ。新しいからかしら。

 

 

ここでは乗り換え時間が15分。余裕がないのでバスターミナルの周辺だけ見てこようと出て行きましたら、すぐ近くにこんな通りがありましたよ。エロイス・ダ・グランデ・ゲーラ通り。

 

でもこの通りで古い美しい建物が残っているのはこの一角くらいで、後は現代ビルばかりらしい。

 

この町には15世紀の終わりごろにジョアン2世の王妃レオノールが作った鉱泉病院がある。カルダス・デ・ライーニャって「王妃の温泉」て意味なんですって。バスターミナルから徒歩10分だし、バスは30分おきに出ているので、1本遅らせて見てくるのも良い。…けど、そこまでは…。由緒ある古い町だけど、建物は割と新しいのが多いみたいだしな。

 

さて、次はいよいよオビドスに向かいます。ちなみに、左がトマールからカルダス・ダ・ライーニャまで乗ってきたRede社の大型バス。右が、カルダス・ダ・ライーニャからオビドスまで連れて行ってくれたRodoviaria do Tejo社のバス。

 

カルダス・ダ・ライーニャとオビドスは7キロくらい。ちょっと走ったら見えてきましたよ、城壁が…。朝早くに出発しただけあって、10時17分にオビドス到着!