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旅中毒

バックパックと少しのお金とパスポートがあればいい。行けば行くほど行きたい場所が増え、人生狂って後悔なし!

2018/4/29

 

ホテルの朝ごはん。手前に、暖かいソーセージやゆで卵が入っています。

 

今日はまず、郊外のアラーイシ湖にある野外博物館に行くのです。チェックアウトして、荷物を預かってもらう。アーライシ湖までのバスは本数が少ないので自転車を借りるつもりだったんですが、ホテルのレンタバイクは5月からしかやっていないんだって。他にも2軒ほどレンタバイク屋があるらしいんだけど、どうせ他も同じことでしょ…。旅程を逆回りにしたら良かったなあ。ほんの2日かそこらのことだったのに。で、7キロくらいだから歩いても行けるけど、今回ばかりは時間がもったいないのでタクシーで行きました。

 

この野外博物館には、石器時代と青銅器時代の集落の跡、9-10世紀の水上集落の跡、14世紀に建てられた騎士団の城塞の廃墟があるのだ。

 

まずは石器時代と青銅器時代から…。湖畔は湿地もあるので歩道が渡してある。そして例によって赤が退色した看板。「ハイヒールを履きなさい」になっちゃってますよ。

 

古代の住居跡はもちろん本物ではない。この土地のこの時代にはこういう住居があったと考古学で判明しているので、同じようなものを作ってある。これが石器時代かな?

 

で、こっちが青銅器時代か。扉は施錠されていたけど、ハイシーズンだと中に入れるのかも。石器時代のも青銅器時代のも、いくつかありました。

 

さて、こちらがリヴォニア騎士団が建てた城塞の跡。建てられた正確な年は不明だそうで、14世紀とだけわかっている。

 

ツェーシスにある本拠地からすぐ近くにこのお城を建てたのは、それだけ軍事的・経済的に重要な土地だったってこと。ツェーシス城が自爆した例のリヴォニア戦争の際に、こっちのお城はイワン雷帝の軍隊により破壊されました(1577年)。それでも17世紀までは人が住んでいたらしい。リヴォニア戦争の後はここはポーランド・リトアニア共和国になっていたので、そっちの軍隊が駐屯していたのかしら? ちなみに発掘調査の結果によると、城の住民のかなりの部分が地元の村人たちだったろうとのこと。

 

 

そしてこれが一番の目玉、『水上要塞』です。

 

9~10世紀頃にこの土地に来たラトガレ人たちの集落跡です。ラトガレ人はラトビアの最大部族だったそうよ。遺跡は湖底の泥に埋まっていたので非常に保存状態が良く、建築の構造をはっきりと解析することができたんだって。151棟が発掘されまして、見学用に14棟を復元してある。

 

今時だねえ。スマホを落とさないように!って注意書きがある。柵の向こうに見えているのが、本土と集落を結ぶ橋。敵が攻めてきたらこの橋を焼いちゃったらしい。

 

この右手の家が村長の家だと思うんだ。中央にあるし、一番大きくて立派だし、なんかテラスがあるし。

 

ここがメインストリートであろう。

 

反対側の道はちょっと狭いです。

 

狭いけどめちゃくちゃ密集しているので、これでも80人くらい暮らしていたらしい。今の基準に照らしたら快適とは言えなかっただろうけど…。

 

てゆか、151棟全部がこの湖にあったの? 151棟もあったら湖が埋まってしまうと思うけど。近在の他の湖も併せてのことだよね、きっと…。

 

家を出たすぐのとこに物置があるんだ。道具とか入れてたのかな。動物を飼っていた家もあったかしら?

 

左が何だったか忘れたけど、確か右は鍛冶屋の家だったと…。普通の家はこんな風に床の丸太の上に土を敷き詰めているんだけど、共同浴場は木の床だったそうな。水が下に流れるようにね。共同浴場は一番清潔な場所だったから、医療施設でもあり、子供を産む場所でもあったらしい。

 

家の玄関は必ず左側で、かまども玄関から入って左向きに作られていたと解説本には書いてあるけど、上二つの写真、どっちもかまどが正面を向いている。これは自宅のかまどではなく職場だからなのか? そもそも、職場と自宅は同じではなかったのか? 簡単な解説本だけじゃわからないことだらけで。ガイドさんがいてくれたらなあ。

 

あと面白かったのは、屋根の作り方が家によって違うことかな。外から見てもわかるけど、内側から見ると更にわかりやすい。これだけのスペースに、もしかしたら10人くらい住んでたかもしれんのか。そんなものなのかな。

 

 

この野外博物館、チケット売り場は小さな小屋で、あとはお手洗いと軽食スタンド(営業してなかった)があるだけだったけど、もうすぐ発掘品を展示する建物を建てると言っていたよ。近隣の子供たちが校外学習に来る場所だそうだし、せっかくツェーシスからも近くて観光客を呼べる施設なのだし、どんどん整備してほしいものです。

 

私が見に行った時は、小さな子供連れの3家族くらい(親戚かしら)が来ていて、この子供たちが大喜びでキャアキャアと隠れんぼ&鬼ごっこ。そりゃこんな場所だもの、隠れ甲斐も走り甲斐もあろうと言うもの。それにしても子供たちの身体能力はすごい! 床が丸太なのに、なんであんな風に走り回れるんだろう!? 驚異的だったわ。

 

ある家の陰に私が何気なく目をやったら、そこに隠れていた一人の子と目が合い、彼は目で「僕がここにいることを言わないで!」と訴えてきたんだけど、近くにいた別の子は私のその様子だけで悟ったらしく、何か叫びながら突進してきて、隠れていた子はダッシュで逃げていきました。ごめん… 笑

 

私が写真を撮ろうとするたび、どこかから子供が弾丸のように飛び出してくるので、なかなか人が入っていない写真が撮れない。私ももう可笑しくて楽しくて笑い出してしまい、あるお母さんが「貴方が写真を撮れないわね、ごめんなさい」と笑っていました。

 

一人、何があったのか拗ねちゃって、ある家の中にじっと閉じこもってる男の子がいて、お母さんらしき人がたまに行って宥めていた。なんだか懐かしい光景でしたわ。

 

2018/4/28

 

街の中心に戻るに、同じ道を通ってはつまらないので、少し遠回りを。公園の敷地の端っこにあるロシア正教会。入り口に立っている赤い服の方は、教会が開くのを待っている信者さん。

 

ラトビアはロシアの支配下にあった時代が長いので、今でも住民の3割はロシア系。でもツェーシスではその割合はグッと低く、ラトビア人が85%を占めるんだそうです。それでも、翌日乗ったタクシーの運転手さんが「ロシア支配の時代、ロシアの中央政府はツェーシスに高い建物を建てることを許さなかった。だからツェーシスに背の高いビルはないんだ」と言っていました。(今となっては、景観保護のためにはそれで良かったのかもしれませんが、そういう問題ではない) やはり軋轢はあるんでしょうね。

 

入り口で私も待っていたら、いくらも経たずに黒革ジャケットのおじさんがやって鍵を開けてくれました。入ってすぐは誰もいなくてこんな写真も撮れたけど、直後から次々に信者さんが訪れ、お祈りを捧げていました。そしてイコノスタシスの向こうから、僧衣に着替えたさっきのおじさんが出てきました。神父様だったのか。

 

これは幼稚園らしい。幼稚園もこんな素敵な建物なのね。って、町全体がそうなんだから当たり前か。

 
この左の建物が、ツェーシスでは結構大きな建物だものねえ。右の写真の左側の建物、窓がきれいだけど、何なんだろう。教会ではなさそうだったけど。
 
民家は平屋か2階建てがほとんど。やっぱり民家を見ている方が楽しいな。
 
ここは、駅へ続く道ね。旧市街の目抜き通りだから、建物も少し大きめで新しい、っつか、リフォームをきちんとしているんだろう。この通りにネイルサロンがありましてね。出発前、忙しくて爪がボロボロのままで来ちゃっているから、磨くくらいしてもらおうかなあと思ったんだけど、なんか勇気が出ずやめときました。
 
晩ごはんはヨハネ教会前の広場に面した Kafe Pride にて。お城の受付が観光案内所も兼ねており、お薦めの郷土料理レストランはと尋ねましたところ、「郷土料理ってわけじゃないけど、美味しいのはここ!」と一推しされたの。これは鮭とお野菜のソテー。確かに美味しかった!
 
もちろん地ビールも飲みましたし、デザートも忘れない。
 
 
食事の後はまた住宅街をぶらつき、猫と遊んでもらおうとしては逃げられたりしつつ、陽が暮れたので一旦お宿に戻りました。この頃の日没は21時くらい。やっぱり明るい時間の長い季節はお得だよねえ。洗濯やら翌日からの準備やらを済ませてから再度、今度は夜のお散歩に。
 
この聖ヨハネ教会、中に入るのをとても楽しみにしていたのですが、なんでか開いていませんでした。この日も、翌日も、開館時間とされている時間帯に何度も行ったんだけど。残念だわ。観光案内所の人に確かめても、「開いているはずなんですけどねえ…?」って。
 
もう一度お城の方に行ってみる。この、照明がギラギラ写っちゃうのが困るんだよな。そうならないように、スマホカメラでも調整できるのかしら?
 
公園も、ひと気がありませんね。
 
街の写真と言うより家の写真を撮っているよな、私。これは確か、ちょっと賑やかな界隈に通じる路地にあった家。私が泊まっていた静かな住宅街からもすぐ近くなんだけど、バーなどがいくつもあるらしくて、なかなか活気がありましたよ。
 
ここもバーみたい。中を覗いたら、何やらライブをやっていたよ。大変興味を引かれましたが、小さな店だし、みんな演奏者に向かって座って熱心に聞いているので、演奏の最中に入ると言うのが何となく気が引けて、やめてしまった。でもやっぱり入ってみたら良かったな。
 
結局、Kafe Pride に戻ってきて、ワインなんか飲んだりして。ここ、週末は0時までやってるんだ。
 
翌日のこともあるからそろそろ戻らないとね…。
 
ここは、ホテルの正面玄関側の、すぐ前の道だな。
 

2018/4/28

 

修道院の外に戻ってきました。この塔の下にダンジョンがあります。狭い穴を梯子を使って降りていくので、足の悪い人は見学は難しいかな。

 
梯子を下りた場所から更に下に、階段を使って降りる。ここ、お手洗いがあるんだよね…。かなりの地下になるわけですけど、塔が丘の上に立っているから、汲み取り口は作れるんだな。てゆか、専用のお手洗いがあるダンジョンって初めて見た気がする。ここの囚人って、そこそこの身分の人だったの?
 
 
実は前々から、ただの地下の部屋であるダンジョンだと用足しはどうするのか、身分が低い囚人なら、「隅にでもやっとけ、衛生状態なんか知らん」って感じだったんだろうか、と疑問に思っていたんだよね。ここはその点、多少は住環境に気を使われている気がする。お手洗いの上には通気口もあるし。
 
外に出てお城の周りを歩いてみる。ここが正門ですね。向かって左が、私が上ってきた塔で、右がダンジョンのある塔。今は通行禁止。修復中なんだよ。夏までには開放されるんでしょうが。私としては、ここ10年ほど年末年始しか旅行していなかったのに、久しぶりに暖かい明るい季節に来た!と思っていたけど、観光地的にはまだローシーズンですのね。
 
元々空濠なんでしょうね。建物がボロボロなのは風雨による劣化だけでなく、城が打ち捨てられていた頃、例によって近隣の村人たちが住居の資材として城から石を持って行っていたかららしい。
 
軍事技術の発達につれこのような古いお城は段々に軍事的重要性を失っていったけど、17世紀までは駐屯部隊がいたんだって。でも1700~1721年の大北方戦争(スウェーデンと反スウェーデン勢力がスウェーデンの覇権を争った大戦争)の後は完全に廃墟になってしまった。そして、19世紀にヨーロッパで起きた懐古趣味ブームでまた注目を浴びるようになったのでした。
 
お城の前は公園として整備されています。日があるうちに行ってみよう。
 
現存するお城の全景。
 
⑥が修道院跡で、①は騎士団長の部屋がある三角屋根の塔を指しているんだろうな。③と④は翌日に見に行った19世紀のマナーハウスです。今は歴史博物館になっている。時間がないのでこっちはもういいや、と思っていたんですが、ちょっとだけ見とくか…と、閉館時間間際に覗きに行ったら、まあこれが面白くて! 翌日また来ようと決意。⑦の右の方にある円形になっている部分、これがツェーシスの町の起源とされる石器時代の砦があった場所。
 
空濠の跡が遊歩道になっています。(この右側の盛り上がりが砦のあった丘ね)
 
時間があれば丸一日遊んでいたかったなあ、このお城…。
 
公園は18-19世紀のロマン主義に基づいて作られているそうですが、この華麗な階段なんか正にそんな感じ。真ん中のとこ、水が流れる仕組みになっていたみたいよ。
 
上の写真の階段を下りてきた手前がこの池。ここから階段で池の中に降りていける。池の真ん中には像が立っていたりする。
 
街の真ん中にあるから見学も簡単だし、ぜひ行っていただきたい。
 

ツェーシス城の公式ウェブサイト

 
 
お城のすぐ横にあるこれは、ラトビアで一番古いビール工場の跡。まだ営業していると思い込んでいて、見学できるものと楽しみにしてきたけど、遺跡らしい。ツェーシスの郊外には同じくらい古い現役の工場もあるとか聞いたよ。
 
 

2018/4/28

 

では早速、旧市街の散策に出かけます。まず目指すのはツェーシス城。写真の奥に塔が見えている。
 
これは聖ヨハネ教会の横にあった家だな、確か。だからかなり中心部。
 
聖ヨハネ教会の横にあった像。何を表しているのかよく知らない。何か言い伝えでもあるのかしらね。奥の、教会の裏ドアの前にそっくりなポーズをとっている仕事中のおじさんがいて、思わず撮ってしまった。写真だと小さすぎてわかりにくいな。
 
で、これがツェーシス城ね。リヴォニア帯剣騎士団が1209年に城塞を築いたのが始まり。段々に増強されて今の規模になりました。
 
リヴォニアというのは、今のラトビア東北部からエストニア南部にかけての土地で、リーヴ人が住んでいたの。ドイツからの侵略・植民や、バルト人・フィン人との混血が進んだこともあって、今では純粋なリーヴ人は数百人くらいしか残っていないそうだ。ドイツからこの地に十字軍としてやってきたシトー会の修道騎士団が、リガを制圧した後に1202年に結成したのがリヴォニア帯剣騎士団です。リヴォニアは彼らにより征服されてしまったのだ。ツェーシスはリガに次いで2番目に古い街なんだって。
 
ここが修道院の跡。ドイツの建築様式で建てられた4階建て。もともとはこの中庭を囲んでぐるりと四面に建物がありました。1階には教会や会議室、食堂なんかがあったのだ。
 
リヴォニア帯剣騎士団はドイツから連れてきた十字軍兵士で結成されているので、ちょっと荒っぽかったんですかね。戦いぶりの残虐さ、征服した異教徒への弾圧の過酷さで、同じキリスト教徒からも非難を浴びていたそうですよ。1236年にリトアニア軍と戦って大敗・弱体化し、1237年にドイツ騎士団(チュートン騎士団)に吸収され、リヴォニア騎士団と名を変えて分団として活動したのだそうな。中世のバルト海沿岸地域におけるドイツ騎士団の最も重要な防衛拠点として機能しました。騎士団長の住居はもちろん、集会所、文書庫、写字室などが揃っていたと。
 
1558年から1583年にかけて、ポーランド・リトアニア連合やらモスクワ大公国やらロシアやらが、この一帯の支配をめぐって大戦争しましてね(リヴォニア戦争)。1577年にイワン雷帝の率いるロシア軍がこの城塞に迫った時、敵の手に落ちないようにと爆破することになったんです。その際に、城に逃げ込んでいた村の住民を含め300人が自爆したと言うから悲惨じゃないですか…。
 
 
発掘調査の際、塔の下の部分(↑この辺り)から女性3人と子供2人の遺骨が発見されたんだって。恐らく、何とか生き残ろうと地下に隠れていたものの、爆発で天井が崩れて犠牲になったのだろうと。
 
ロシアに惨敗して弱体化したリヴォニア騎士団はポーランド王兼リトアニア大公の庇護下に入り、1561年には世俗化し、騎士団領の大部分と共にリトアニア大公国に接収されました。リヴォニア戦争は1582年にモスクワ大公国とロシアの敗北で終結。んで1620年にはスウェーデンに征服されてお城は修復され、だけど1703年に大北方戦争でロシアに攻撃されて損壊し、その後は廃墟に…。

 

この塔には上れます。実は、チケット売り場で蝋燭をガラスで囲んだランタンを渡されたので、何これと思っていたのですが、塔の地下室と階段の一部が真っ暗なので、灯りが必要なんですね。懐中電灯じゃないところがいいと思いません? 昔の人と同じ暗さを体験できるんだ。
 

 

こんな感じ。

 

螺旋階段を上ると、騎士団長の部屋があります。これが個室ってすごいな。

 

しかし、こんなに大きいと、暖炉で火を熾しても部屋が温まらないと思うのよね。窓も大きいから明るくていいけど、冬は開けていられないでしょう。

 

専用のお手洗いもあります。

 

 

螺旋階段って本当にワクワクするよね。騎士団長の部屋と最上階の間にはもう一つ、役員会議室かあるいは高位役職者の住居とされる部屋がある。でも立ち入り禁止でした。そこから学芸員っぽい人とよそから来た学者さんみたいな感じの人が出てきて、「ついて入らせてくれ~」って思ったわ。

 

最上階は見張り場所ね。ぐるりと窓がたくさん開いている。吹きっ晒しなら、冬場はさぞ寒かっただろうね。と言うか、生きていられるレベルなのかしら、この国で。ちなみに左側の盛り上がっている部分は階下の部屋の天井の盛り上がりです。

 

窓からは町が一望できる。聖ヨハネ教会もすぐ近くだ。

 

左は、お城の正門と修道院の間の部分。右は美しい螺旋階段。石の建物はいいねえ。

 

ツェーシス城の公式ウェブサイト

 

 

 

2018/4/27

 

私は帰りの便が出る町(今回の場合はリガ)は最後に見て周ることにしているので、リガからすぐにツェーシスに移動いたします。

 

まずは空港から市街へ。乗り場と言うほどでもない道端から出発…。待ち時間なしですぐ出発したのがありがたかった。飛行機の到着時間に合わせているのかな。

 

空港からリガ中心部に行く途中に、なかなか魅力的な旧市街がありましたよ。古い小さな民家が密集していた。車に遮られてろくな写真が撮れないので諦めましたが、一枚だけ何とか。って、一緒に写っているのはビアクルーズ用の車じゃないか。最近ヨーロッパでもアメリカでも人気なんだってね。オークランドの番組で見たのは、ホントに人力(各席の自転車ペダル)で進むやつだったと思うけど。

 

鉄道駅で降りたら、すぐ近くのバスターミナルへ。これはバスターミナルのお隣にある市場ですが。元は飛行機の格納庫だったらしい。中で食事できるし、お昼時だったからすごく行きたかったけど、リガに戻ってきた時の楽しみに取っておく。

 

これが中央バスターミナルです。広くてきれいで、カフェなんかもある。20分後に出るバスのチケットが買えた。素晴らしい接続だ。

 

建物が新しくても乗り場は昔ながらの感じね。キオスクでハンバーガーを買いました。レンジで温めてから渡してくれたよ。

 

今回私が訪れたのはリガの他にはこの星印の3ヶ所。リガの両脇に行くのは効率が悪いのではと思い悩みましたが、行きたいんだから仕方ない。本当はもう一つ行くつもりだったけど、現地で変更しました。

 

さて、快適なバスに揺られること2時間、ツェーシスに到着しました。バスターミナルと鉄道駅は隣接しております。そこから旧市街までは歩いて10分くらい。この写真の奥の道辺りから旧市街が始まります。

 

上の道を入ったあたり。ここら辺はレストランや宿が多いみたいよ。

 
旧市街の中心はたぶんここ、聖ヨハネ教会に面した広場。商業地区と住宅地の境目って感じ。

 

私は商業地区より住宅街が好きですね。商業地区の建物でも500年とか1000年前とかならいいなと思うけど、せいぜい17世紀くらいで大きな建物だと、そこまでそそられないの。いえ、そりゃもちろん素敵だと思うし、行きたいんだけど。でも住宅の方が、多少新しくても魅力を感じるのだ。

 

住宅街ですけど、泊まるのはホテルです。この写真の右手にあるピンク色の建物がHotel Katrina。ホテルそのものより、この通りが気に入ったの! って、実はここ、ホテルの裏側だったんだけど。

 

全景を映してみる。最初このドアが閉まっていて、どうやって入るのか途方に暮れたよ。こっちが正面だと疑ってなかった。だって、予約サイトのトップ写真もこっちからの写真だったんだもの。裏口のノッカーを鳴らしてもベルを鳴らしても誰も出てきてくれなくて困ったんだけど、近所で遊んでから戻ってきてベルを鳴らしたら、とうとうお姉さんが出てきてくれた。けど、「鍵かかってませんけど???」と怪訝そうに言われちゃった。遊んでる間に開いたのかしら…?

 

正面はこっちでした。私の泊まった部屋は、右端の煙突の下に見えている窓のところ。窓の横にある白い看板はレンタサイクルの広告。残念ながら5月からだそうで、私は使えなかったんだけど。

 

内装はシンプルだったけど、通りが気に入ったし、朝食付きで1泊30ユーロとえらく安いの。専用バスルームと冷蔵庫も付いているよ。

 

 

ホテルに入れなくて困っていた時に遊んでくれた猫。モフり放題にモフらせてくれました。

現地からメモしようと思っていて挫折したラトビア旅行記、ちゃんと書いておこうと思います。

でももう時間もないのでさっとね。

 

ゴールデンウィークに旅行に行くとは思っていなかったんですよね。うち、3月から5月末までが繁忙期ですし。でもGW辺りの仕事の都合がつけられることがわかったので、いつもチケット手配をお願いしている旅行会社勤めの友人に「どこでもいいからヨーロッパの北国を!」と依頼。いつも真冬にしか旅行に行っていないので、せっかく明るい季節に行くなら北でないと損だと思って。あれこれ探してくれた末に見つけてもらえた、金額的にもお得なチケットがタイ航空のストックホルム行きでした。

 

晩ごはん。鶏肉と野菜の炊き合わせ。

 

で、スウェーデンは以前に訪れていますので、隣国のデンマークを考えたんですよ。陸路で行けますしね。ですが、旅程を考えていたら飛行機を使うしかないなと思うに至りまして。さらに、私が一番いいなと思ったお城が2020年まで修復中だとのことですのでね。それなら別の機会にコペンハーゲンに直接行く方がいいのではと考え直しました。デンマークは2020年以降に行きます。

 

ノルウェイとフィンランドは前に行っているのでパス。地図を見ているうちに幸せの記憶がよみがえって、フィンランドに行くことも真面目に考えちゃったけど。で、行ったことない近隣国となるとバルト三国。その中でその時点で一番ピンと来たのがラトビアでした。特にこれと言う理由はないんだけど、ざっと見どころを探していたら、そうなったの。というわけでまた友人に頼んでリガ行きのエア・バルティックのチケットを押えてもらいました。ストックホルムに着いたらすぐに乗り換え。

 

タイカレー。美味しかったけどちょっと辛くて洟が出てきたわ。

 

でねー、ここでトラブルが起きたのですわ。もともと乗り換え時間は1時間55分。ゲートには30分前に行かなきゃいけないし、パスポートコントロールや荷物検査で30分は取られるでしょうから、余裕は実質1時間くらい。なのに、バンコクからストックホルムに行く便が50分遅れたんですよ! ストックホルムからリガへは、航空会社も違うのに、ああ!

 

更には、私の席は一番後ろ。飛行機が着いてから降りるまでにまた何分もかるわけですよ。客室乗務員さんに相談したところ、幸いなことにこのタイ航空とエアバルティックは同じターミナルを使っているとのこと。更に、到着が近づいたら、空いている前の方の席に移動させてくれました。「Good Luck !」って言ってくれたよ。

 

 

朝ごはんはいたって普通。フルーツがタイっぽいよね。

 

幸い、到着は30分遅れで済みましたし、ゲートオープンの15分前に到着できたので、上出来でした。

 

ストックホルムの辺りは入り組んだ入り江や島が多いので眺めも楽しい。

 

ストックホルムからリガへはこのような可愛いプロペラ機で。って、これホントはリガに着いてから撮ったんだ。ストックホルムでは全体が撮れなかったの。ストックホルムは晴れていたけど、リガは曇りね。

 

いかにもローカル線って感じの緩さがいいよね。あ、これ、出発前です。出発する時に閉めていました。

 

リガの空港はこじんまりとしていて、飛行機を降りてから空港の外に出るまで5分くらいだった。

 

2月の萩の記録もGWのラトビアの話もできないまま秋になってしまいました。いやー、5月からずっと忙しかったです。特に7月から9月半ばまでは久しぶりにすさまじかったです。でもお盆休みはきっちり取ったの! で、青森に行ってきました。それも書けるかどうかわからんけど。

 

そんなことしてるうちに冬の予定が決まってしまった。今度はイタリア中部です。ローマに入って、いつも通り小さな村や町を巡るつもり。今回はローマはスルーです。いつかローマだけ5日くらいの旅程で訪れたいですね。

 

私が行く予定にしている町は、まずはローマからも近いブラッチャーノ。

湖のほとりに中世のお城と旧市街がある、私好みの町です。

Travel Ideas

 

こちらのブログでお馴染みになり、いつか行きたいと思っていたんですよね。

古城と湖の町、イタリア ブラッチャーノ通信

 

そして、こちらのブログで紹介してくださっているカナーレ・モンテラーノ。

CC BY 4.0, Collegamento

 

時代祭りのようなイベントは普通は夏に開かれるものですが、こちらの町では夏だけでなく年末年始にも中世の暮らしをテーマにしたお祭りが開かれているのです。イタリア行きを決めたのはこの町なんですよね。毎年開かれているということですが、やっている間に行っておかねば。

 

そして最近大人気のチヴィタ・ディ・バニョレージョ。

By Alessio Damato, CC 表示-継承 3.0, Link

 

この3つだけは絶対に行って、あとは余裕があるかどうかで、ソラーノやピティリアーノを加えるかどうか…ってとこですかね。

 

これからまだもう少し悩む予定です。チケットを手配してもらったばかりなのと、忙しかったのとで、まだ他に何も考えてない。泊まるところがあるか、交通手段はどうかで、順番を考えていきます。

 

昨日、こちらの記事を読みまして、気になり始めたことが。


 

ビデの側に備えてある小さなタオルは、お尻用なんですって!

 

私は安宿か、せいぜい中級ホテルにしか泊まらないので、こんなちゃんとした設備というか準備がしてあるホテルは関係ないかな…。でも、バスルームにビデがあるホテルには何度か泊まったことがある。確か半年前にポルトガルでも…。と、記憶をたどってみましたのですが、お尻専用タオルがあったかどうか思い出せない。

 

幸い私は泊まった宿のバスルームは必ず記録として撮影しておりますので、探ってみました。

 

 

あった。

 

 

こっちも、明らかに専用タオル掛けが!

 

1枚目はトマールのホテル、2枚目はピオダン村のホテル。ピオダン村の方は、急に宿泊が決まったので、そこまで準備されていなかったのかもしれない。(急にと言うか、手違いで違うホテルに行ってしまったのだった)

 

これだけはっきりとわかる形で目にしているのに、まったく憶えていなかったのが面白いな。お尻用のタオルと言うものの存在を認識していなかったから、目に写ったものを頭がスルーしちゃってたんだろう。

 

きっとこれまでにも、何度もお尻専用タオルを目にしてきたに違いない…。使ったことはないと思うけど。ないと思いたいw もしかしたら、小さくてちょうどいいわとか言って顔を拭いてたり…!? まあ、きれいに洗ってはあるでしょうけどもさ。それに、シャワーの後なら普通にバスタオルでお尻も拭くんだし…。つっても、ビデを使った後って石鹸では洗わないよね? 使ったことないから今イチわからんわ。

 

とにかく、外国旅行歴は学生時代も入れたら30年になりますが、お尻専用タオルがあるなんて、今まで知りませんでしたよ! ビデと言うものを知らない人もいるのを、そりゃー知らなくても無理ないよねーなんて思ってたけど、私もたいがい無知でしたわ!

 

yuminaさん、ありがとうございましたー!

 

BBCのニュースで読んだんです。

 

 

 

エミレーツは、去年11月にファーストクラスにバーチャルウィンドウを付けると発表。最新のボーイング777-300ERには既に導入済みですって。1-1-1の3列シートの真ん中の席にバーチャルウィンドウを設置して、外の景色を楽しめるようにしている、と

 

その延長線上で目指しているのが、窓無し飛行機なんですって。窓を無くすことで機体が軽くなり、燃料が少なくて済むし、速く高く飛べるって。更に、窓が無い事で構造上も頑丈さを増すので事故防止にもつながると。

 
でも航空専門家の大学教授からは安全上の問題があるとの指摘が。
 
緊急時にはキャビンクルーは窓から外を見る必要がある。翼やエンジンに何が起きているか目視したり、火災で脱出する場合にドアを開けても大丈夫なのか確認したり、等々…。特に緊急脱出する場合には外の様子を確かめるのは必須だから、と。

 

それに、乗客の知覚の問題が一番厄介だろうとも言っている。今でさえ飛行機での移動に不安を抱く人たちが少なくないのに、窓がないことで閉所恐怖的な感覚が増すだろうから。それに、ヴァーチャルウィンドウの画面は揺れるのか、現実の景色とのずれは生じないのか等、長時間フライトで乗客に与える影響はまだ何もわかっていない、と。

 

一方で、欧州航空安全機関はそうは思っていないらしい。安全性確保において、窓がある機体と比べて特に問題があるとは思っていないって。

 
窓なしに肯定的な専門家は、窓がないことで機体の強度が増す点を指摘。窓がない機体の方が軽いなら燃費も良くなる。ただしその人も個人的には窓がある機体の方がいいと思っているそうで。直接外の景色を鑑賞する楽しみは、ヴァーチャルウィンドウでは代わりにならないと。結局皆、摩天楼を見下ろすことができるのが嬉しいんだから、と。
 
ふむ。
 
エミレーツだと、ヴァーチャルウィンドウではないけれど、今でもモニターで外の景色を見ることはできる。でも固定カメラの映像を流しているだけだから、直接窓の外を見るのとは比べ物にならない。ヴァーチャルウィンドウがあの程度のものを指すのなら、確かに、現実の窓の代わりにはならないと思う。
 
私も窓がある方が嬉しいなあ。眼下に広がる雲は何度見ても飽きることがありませんね。そもそも毎回異なる様相ですし。山脈の上を飛ぶ時は目が外に釘付けですわ。本当の窓なら、真横だけじゃなく、前の方や後ろの方を見たりもできるし…。
 
でも構造上は窓無しの方が頑丈だとか、燃料が少なくて済むとか言われたら、窓無しの方がいいのかなあ、とも…。だけど、教授が言うように、事故の際に窓の外を見れないのはなんとなく不安な気もするね。
 

ラトビアからのリアルタイム更新は挫折。

2月の萩旅行の旅行記は書きかけのを放置していたはずが、なぜか公開になっていて半端にご披露。(5月半ばくらいだったら書き終わってるだろと思っていたらしい、2月時点では)

 

あれもこれも中途半端なまま、今年の最繁忙期は終わりました。

6月は割と余裕があるはずだから、とりあえず萩から進めようかなと思っています。

 

さて、タイトルの外貨タンス預金。

使い残した外貨を大量に手元に置いたままにしておりまして、これをちょっと整理しようと。

 

理由はいくつかありますが、まず第1に、世界的にキャッシュレス化が進んでいるから。

第2に、各国の紙幣が刷新され、手元のお金が旧札になってしまっているから。

 

先日ラトビアに行った際にストックホルムに一泊だけしましたが、クローナには両替しなかったんですよ。スウェーデンは世界で最もキャッシュレス化が進んだ国の一つだそうですね。空港バスのチケットもオンラインで購入して車内でQRコードをリーダーにかざして乗りました。現金でもチケットは買えますが、割高ですって。スウェーデンに口座を持っている人は銀行直結のアプリでの支払いが多いそうですよ。

 

世界中でキャッシュレス化が進んでいるのは、偽札対策でもあるそうですね。特に高額紙幣は偽札の疑いをかけられ、忌避される。私なんかねえ、米ドルの100ドル札を12枚も持ってたんですよ! これを特に何とかしたくて。どんどん新デザインになるし、使えなくなったら困るもの。20ドル札や10ドル札も何枚もあったし。

 

米ドルと並んでたくさん持っていたのが英ポンド。こっちはもっと深刻で、偽札対策で3年ごとくらいに新しいお札が出て、旧札は使えなくなっていくのですと。友人から聞いて青ざめましたわ。彼女も英国から帰る時に、現地の友人が「古いお札が残っているなら新札に変えておいてあげるよ」と言ってくれたんですって。慌てて調べたら私が持っている英ポンド札は2世代前。1世代前までは日本でも両替もできますが、2世代前になると英国中央銀行でないと両替できないなんて情報もあり、泣きそうに…。200ポンドもあったんですもの! 2万7千円くらいですよ!

 

結果から言うと、米ドルも英ポンドも無事に両替できました。でも、日本円を手にして両替所を出るまで、「あっ、お客様、お待ちください」なんて呼び止められやしないかと内心でドキドキしておりました。米ドルと英ポンドで、私の月収くらいありましたよ。バカすぎる…。

 

もったいなかったのは、せっせと貯めていた1ドル札。100枚以上ありました。1ドル札って、東南アジアや中米で重宝したんです。現地通貨と同じように米ドルが使えたのですが、高額紙幣だとお釣りがなかったりしますので、1ドルが本当に使い勝手が良かったの。また行くからと思っていたけど、当分行きそうにないし、古いお札が使えなくなったら困るし、今後はそういう国でもキャッシュレス化が進むだろうし…と。

 

そして今回試してみたのがポケットチェンジ。10種類の通貨を機械で両替できるの。そのうち5種類は硬貨も両替できる。外国から帰ってきた人が死蔵している硬貨の額が膨大であることから、特に流通量の多い米ドル、ユーロ、韓国ウォン、中国元、そして日本円は、硬貨も両替できるサービスが誕生したのだ。香港ドル、台湾ドル、シンガポールドル、タイバーツ、ベトナムドンも両替できるけど紙幣だけです。

 

これは大阪駅前のTiSの中にある機械。関空や難波のホテル、京都、神戸にもある。東京や横浜、名古屋、札幌、福岡、長崎のハウステンボスのホテルにもありますよ。

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通貨ごとに手続する必要もなく、混ぜこぜに投入しても、機械の方で勝手に判別して計算してくれる。てことで、韓国ウォン、中国元、タイバーツを日本円に換えました。

 

受け取りは電子マネーだけです。アマゾンのギフトカードにしてもらったよ。他にLINEマネーや楽天Edy、iTune、Uber等も提携先も色々。あとユニセフやプラン・インターナショナル等に募金することも可能。

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7,077円のお小遣いができましたよ…。

 

古すぎて受け付けてもらえなかったお札もありましたが。

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こっちなんか2枚ずつあるの。

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合わせて1500円くらい。本国でなら替えられるかもしれんけど、もう、記念に持っていてもいいかも。他にもたくさんの国のお金を記念に持ち帰っております。記念ではなく、保管場所を分散しすぎたせいで間違えて持ち帰ったポーランドのズロチや、またすぐ来るから!と両替しなかったアイスランドクローナは、ちょっと額が大きいので悲しいけど。

 

そー言えば、ポーランドのズロチ、見つけた時は「8千円分くらいある」だったのに、今計算したら「6千円分くらいある」になってました…。円は弱くなり、ズロチは強くなったのかな…。