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旅中毒

バックパックと少しのお金とパスポートがあればいい。行けば行くほど行きたい場所が増え、人生狂って後悔なし!

2018/5/2

 

しつこく、大好きなBaznīcas通りを歩いてみる。

 

この写真は再掲になるのですが、前回記事をアップした時に建物の説明を書いていなかったので…。こちらは18世紀前半の建物で、こういうハーフティンバー様式はこの地方(クルメゼ地方とゼムガレ地方)ではとても一般的だったんですが、この規模で現存しているのは珍しいんだって。

 

上の建物の裏側。倉庫も年季が入っていていい味わい。


 

これも再掲。この建物は18世紀に建てられた男爵の邸宅だったそうよ。19世紀にすっかりリノベーションされたので新しく見える。今はミニスーパーマーケットが入っている。

 

広場を除けばこのBaznīcas通りが一番、往時の繁栄を感じさせてくれる気がする。一般市民が住む住宅街ではなく、大きな商店と邸宅が並ぶ目抜き通りだったんじゃない? 言い伝えによると、上のハーフティンバー様式の大きな建物があった場所には、クールラント公御用達の薬局があったそうな。この建物がそうなのかはわからんのだけど。

 

 

右側の黒い木造の家もなかなかいい味。若いお父さんと坊やがドアを開けて入っていく際に、ちょっと中を覗かせてもらった。すぐに階段が見えて、そこそこ奥行きのあるアパートメントっぽかったよ。

 

振り返って見たところ。

 

聖カトリーナ教会の尖塔が見えてきた。手前の半分レンガの建物、補修でこうなったのかしら。

 

上の建物は、かつては自転車屋さんだったのだろうか?(今もかしら?)

 

Baznīcas通りを北に折れてPolicijas通りへ。Ventspils通りに突き当たったので、そこを東に折れ…

 

ロータリーになっている場所にあるおうち。これもハーフティンバー様式だね。このように、屋根が二重勾配になっているのもセットで、この様式の特徴らしい。

 

ここら辺で、どっちに行こうかなあとボンヤリ立って周りを眺めていたら、声をかけてくれた女性がいたっけね。買い物袋を下げた現地の人。私が迷っていると思ったみたい。ここら辺はもう観光のルートからは外れているから。私はひたすらウロウロするのを楽しんでいただけなのですが、せっかくなので、川に行きたいと言ってみたところ、あっちに行けばすぐよと教えてくれました。

 

教わった通りに行ってみたところ、ヴェンタ川に沿った Upes通りに出ました。この家々の庭の向こう、左がすぐヴェンタ川なの。この道は特にお気に入り。

 

振り返って見たところ。素敵だと思いません?

 

さて、レンガ橋を渡って、川向うに来てみたよ。こっちは新しい家が並んでいる。やっぱり旧市街に比べると家も大きいし、庭も広いですね。左側は道が舗装されていないあたり。右側は市バスも走る大きな道沿いで、お屋敷が建っていた。

 

 

レンガ橋まで戻ってきました。これは駐車場のところにあるカフェバー。おやつにしました。お手洗いが外にありまして、駐車場に面しているだけに、利用客でもない人たちに勝手に使われないよう、鍵を借りて外のお手洗いに行く形式でした。

 

 

川の反対側、旧市街側の、川に沿ったPils通りから西に折れる形で、Dīķu通りに沿ってこんな場所もあります。噴水があったりときれいに整備されているけど観光客があまりいなくて、地元の人たちの憩いの場と言う感じでした。

 

ここを突っ切ると、ドイツ式グラマースクールだった建物の裏手に出るのだ。

 

グラマースクールの横を通ってKalna通りに出て、ふと足元を見ると、歩道にクルディーガの市章が刻まれていました。どれくらいの歴史を持つエンブレムなんだろう?

 

2018/5/2

 

翌朝は7時台に家を出てお散歩に出かけました。当初の予定では朝からバスで西に向かい、途中で降りてお城を見学し、お昼すぎにリエパーヤに着いて、夕方にバスでリガに向かうつもりでした。でもリエパーヤに行くのは中止にしたの。

 

クルディーガが気に入ったので、もう少しじっくり見たくなったのです。もちろんリエパーヤも楽しみにしていたし、いろんなタイプの街が見たいから港町って点でも興味があった。でも町並みはクルディーガの方が好みっぽいし、リエパーヤまで足を延ばしたらこの日だけで合計5時間くらいバスに乗ることになるんだよね。そう思うと、もうクルディーガで心残りがないようにした方がいいよなあと思って。

 

そこで宿に「もう1泊分の料金を払うので夕方まで部屋を使いたい」とお願いしてみたけど、残念ながら次の予約が入っていました。

 

ま、とりあえずは街歩きしに行く。まずは旧市街を貫くアレクシュピーテ(アレックスの小川)を、旧市街の端から端まで追いかけてみよう。新市街に近い南の方からね。

 
 

旧市街の中心部に近づいて来たよ。右の写真の奥に見えているテントのような屋根は、観光案内所の角を曲がったパスタ通りに面したレストランのテラスだ。

 

 

パスタ通りの下を潜って更に北に流れていくアレクシュピーテ。

 

 

街の中を小川が流れていると言う理由で「クルディーガはラトビアのベネツィアと呼ばれています」だのと書いてあるんだけど、ちょっと無理があると思うし、クルディーガはクルディーガで素晴らしいのだから、他の街の名前なんか借りなくていいと思うんだ。スィグルダも、ラトビアでは珍しく渓谷があると言う理由で、「スィグルダはラトビアのスイスと呼ばれています」…。イメージしやすいようにと思ってそんな言い方するのかもしれないけど、なんかスィグルダやクルディーガが格下扱いされているみたいで気に入らない。日本でも古い家並みが残る街を「小京都」なんて言うけど、あれも嫌い。

 

 

 

そろそろ聖カトリーナ教会がある辺りです。

 

 

並行にかかる橋のところ。川の終わりも近い。

 

 

滝のところまで来た。昔はこの滝を使って発電して製紙工場に電力を供給していたとか。

 

 

ヴェンタ川に合流する地点から滝を見上げたところ。

 

昨日と同じカフェに入ってクレープとカフェオレで朝ごはんにします。

 

 

んじゃ、今度は川をさかのぼって歩いてみるね。ほとんど同じ場所を歩くわけだけど、眺めがずいぶん違って見える。こっちの方が好みだから写真も大きく載せよう。

 

右に見えている階段を上ると教会の敷地になる。教会も入ってみたかったけど閉まっていたわ。実はこの位置から人がいない写真を撮るの、かなり時間をかけた。人通りが多かったわけじゃなく、その橋のところで、犬を散歩させていた女性が立ち止まって、ずーっと川を眺めていたもので…。

 

よくわからんと思うけど、この写真には水を飲んでいる三毛猫が写っている。川にちょっと突き出しているような緑の部分、その手前の方にちょこっと茶色っぽい点が見えますでしょうか。

 

もう少しアップにしてみたりして。

 

この橋のとこには階段があって、降りられるようになっているの。

 

反対側にも階段があるよ。昔はここで水を汲んだり、野菜を洗ったりしていたのかな。

 

こうしてぶつ切りの写真にしていくとわからんけど、ここら辺は次々に小さな橋が架かっているのが目に入って、なかなか素敵な眺めなんですよ…。

 

 

このカーブの向こうはもう、パスタ通りです。

 

ここも降りられるようになっていた。こういうの、水郷って感じがして好きなんだ。そう言えば蘇州の旅行記はとうとう書かずじまいだったなあ…。水郷、良かったよ。

 

 

奥に見えているのがパスタ通り。そしてテラスのあるレストラン。

 

右側にテラスが写ってる。ここで食事もしてみたかったけど、営業していたのかな? テラスにお客さんがいるの、最後まで見かけなかった気がする。まだ少し寒いから?

 
ほぼ、出発地点に戻ってきました。

2018/5/1

 

観光バスが走ってきました。もうちょっとカメラを上げて撮れば良かったな、屋根が切れてしまっているのが残念。動いているものを慌てて撮ったもんでねえ。

 

私も乗ってみた。観光案内所のある広場と、ヴェンタ川にかかるレンガ橋を渡ったところにある駐車場を結びます。広場は毎15分発、駐車場は毎正時発。旧市街の中はもちろん、郊外も少し通るよ。

 

こんな道もいいよねー。

 

郷土博物館に入ってみよう。1900年のパリ万博の際のロシアのパビリオンを利用しています。

 

万博の後、リエパーヤ(ラトビア西海岸の大きな港町)の豪商がパビリオンを解体し、婚約者へのプレゼントとしてここに移築したんだって。今はクルディーガの19~20世紀の調度品が配され、当時の生活を紹介する博物館になっている。

 

ここは主人の書斎。確か、昔のボードゲームのコレクションも陳列されていたはず。

 

ここは確か、お嬢様の寝室。

 

ここは家族の団らんスペースです。この部屋はソファも置いてある居間で…

 

その隣が温室でもある、廊下的な部屋で…

 

ダイニングルームと繋がっているのだ。右側は本当に廊下。階段がある。

 

階段はこんな風。足元の窓がいいよね。んで、1階には台所があります。タコ焼き器みたいなフライパンは何を作るものなの?アルバニアのジロカストラで見たチフチ専用のフライパンに似ているわ。

 

 

アルバニアのチフチについてはこちらの記事をどうぞ…。卵チャーハン的な料理です。

 

さて、ラトビアの続きですが、これは確か料理を保温するための器具ではなかったかな。やっぱり旅行の後は時間を置かずに日記を書かなきゃダメね。昔のような記憶力はないわ。

 

博物館の最上階には昔の写真や釣り道具なども飾ってあったよ。あと、中世の歴史についての記述も少しあった。ちなみに、入場料を払おうとしたら、「今日は祝日だから無料です」と言われまして、ラッキーでした。

 

博物館を出た後は、また旧市街をブラブラ。これはカルナ通りにある1866年に建てられたドイツのグラマースクール。クールラント公国の貴族たちは自分の子供たちにドイツ語でドイツ風の教育を施したかったので、完全に自分たちの思い通りになるよう、私学の学校を創立したのだ。

 

しかしクールラントは1730年からロシア帝国の支配下にありました。1885年にロシアのアレクサンドル3世が教育機関を厳密に教育省(?)の管轄下に置くよう指示。クールラントの貴族たちはロシア語を主要言語とする教育を拒み、1899年にグラマースクールを閉鎖してしまったそうです。その後、この建物は別の教育機関に利用され、今ではリガに本拠を置く教員養成機関のクルディーガ支部が入っているんだって。

 

学校の向こうにあるのは19世紀後半に建てられた普通のアパートメント。優雅な建物ね。

 

この通りをまっすぐ行けば、私のクルディーガの仮の家に着きます。

 
ラトビアには他にも素敵な旧市街があるけど、たぶんクルディーガの旧市街が一番見ごたえがあると思うよ。リガみたいな大都会の旧市街もいいんだけど、私はやっぱり、こういう小さな住宅街が残っている旧市街が好きだなあ。ブリュッセルよりブルージュの方が好きなのと同じ。
 

2018/5/2

 

博物館を出るころにはこんなお天気になっていました。観光案内所のある広場です。レストラン、カフェ、土産物屋、ホテルなどが集中している。この頃には他にもたくさんの人を見かけましたわ。

 

広場を貫く教会通りを北に歩いていくと、ルーテル教会があります。この川は、街の中を流れるアレックシュピーテ(アレックスの小川)。水の色が茶色いのは泥炭のせいらしい。アイルランドでもよく見た。

 

実は撮った時間帯が違うので、またしても空の色が全然違うのですが、ルーテル教会を川沿いに下ったところ。(と言うか、このすぐ右に教会があるんだけど) 2本の橋が並行してかかっている。

 

上の写真の右側の煉瓦の橋から、左側の木製の橋の方を眺める。

 

木製の橋の下は滝になっています。ラトビアで一番高い滝だそうです。4.5メートル。この滝のすぐ先で、アレックシュピーテ川は大きなヴェンタ川に合流します。

 

上の写真の左側に写っているカフェ「Tilt」でおやつに。ここはしっかりした食事もできますよ。

 

カフェの前の道を進むとヴェンタ川に出ます。この橋は1874年に建築された橋で、レンガの橋としてはヨーロッパで最も長い橋の一つなんだって。ロマンチックなのでよく映画やドラマの撮影に使わるそうな。

 

街から橋を渡ったところから、川べりに降りて行けるの。カフェやキオスクがあるよ。ここでアイスクリームを食べました。さっきケーキ食べたばっかりなのに…。だって、すごい天気で暑くなったんだもの~。

 

これがヴェンタ滝。落差はせいぜい2メートルですが、ラトビアのみならず、ヨーロッパで一番幅が広い滝なんだそうです。249メートル。

 

川べりまで行きやすくて賑わっているのは街から橋を渡った反対側の方だけど、街のある方から撮った方がアングルとしてはきれいに撮れると思う。上から撮りやすいし。

 

こっちからも、川べりには降りられます。でも近くまで行こうと思うと、足元が湿原状態なので、ズブッといかないように慎重に渡っていく必要があります。

 
でね、見えるかな? 滝のあちこちに白いものが散っているでしょ? これ、お魚が遡上しているんです。

 

見事な眺めでしたよ! 魚が次々に川から銀色のロケットみたいに飛び出してくるの! 写真じゃ全然伝わらないと思うけど! これは春のこの時期だけに見られる光景なんだって。vimba という種類の魚。日本語ではなんていうんだろう。ググったけど、中国語のページしか出てこない。中国語では「文鯿」。魚へんに、偏のつくり。昔は秋になると鮭も遡上してきていたらしい。今もかな?

 

宿のおじさまが、「いい時期に来たね。これは4月の終わりから5月の初めにしか見られないんだよ」と言っていました。更に、「見に行くなら午後から行きなさい。午前だと逆光になるから」とのことでした。私の場合は、川の反対側からじゃ全然見れなかったから、こっち側から見物するのがお薦めします。

 

一応、動画も撮ったけど… ズームしているから画像が粗い…。でも、1匹がジャンプに成功して上の水面を泳いでいくのを動画に捉えたぞ!

 

他人の動画の方がよく撮れてる…。どんだけたくさん魚が飛んでるか、こっちならわかる。

 

昔は、魚の遡上を利用した漁も行われていました。クールラント公国のヤーコプ公が1640年にヨーロッパで初めてこういう仕掛けの漁を編み出したのだとか。その頃は1日に80~100匹の魚を捕えることができていたんだって。「空中で魚を釣れる街」と呼ばれていたそうな。
 

 

滝にずらりと40個のバスケットを備えて、ジャンプに失敗した魚を捕える。ここで獲れた魚は公国の他の町にも輸出していたんだって。この漁は、20世紀初頭まで行われていたそうですよ。

 

レンガ橋の反対側(川下)では、普通に釣竿を持った方々が普通に釣りをしていました。

 

てわけで、ジャンピングフィッシュはクルディーガのシンボルなの。橋の街灯の土台も魚モチーフ。

 

橋を渡ったところにある、これは駐輪場なのかしら?

 

2018/5/1

 

これが私が泊まっていたアパートメントです。元はドイツ人教区の神父様の家だったらしい。私が借り切っていた部屋は2階、この写真の向かって左側の窓2つ分。私が出入りしていたこの入り口は中庭に面している。

 

道に面している、建物の反対側はこう。実は上の写真と下の写真は撮った時が違うの。お天気が変わったせいで、空の色が全然違う。

 

明るい時間帯に撮ってみた室内。

 

 

宿のあるカルナ通り。ラトビア国旗が掲揚されていますね。これは、この日が5月1日のメーデーで、祝日だったからのようです。前の日も、次の日も、旗はなかったもの。

 

観光案内所。昔の市役所をリノベーションしたらしい。向こう半分が案内所で、こっち側の半分はクルディーガ名産の織物を実演販売している工房。近隣の女性たちが運営しているみたいよ。私もスカーフを一枚購入。

 

上の写真の向かって左側のパスタ通り。突き当りがカルナ通りです。

 

観光案内所のある広場を発着する、町の中心部を走る観光バス。平日は12:15から18:15、土日は11:15から19:15まで、1時間おき。

 

祝日のせいもあったのか、午前中は本当に静かでしたねえ…。めったに人が通らないの。

 

クルディーガは13世紀初めにドイツから来たリヴォニア帯剣騎士団が侵略して作った町。最初に文献に出てくるのは1242年、リヴォニア騎士団(ドイツ騎士団に吸収され済み)がこの町にお城を築く許可を得て、1245までかけて作られた記録があるんだって。場所は、今の町から3.5キロくらい離れたところだったとか。最初はこんな風だったらしい。宿で貸してくれた本に載っていた。


戦禍で損壊しては修復されましたが、大北方戦争でスウェーデン軍が焼き落したのを最後に打ち捨てられ、1709年にはもう居住可能ではなくなったそうな。

 

この絵は、修復の記録に基づいて、1680年にはこんな形だったのではないかと言う想像に基づいて描かれた、1932年に出版された本で発表された絵。この当時はこれほど完全な形では残っていなかったはずと言う記述もあるんだけど。それにしても、こんな大きな、立派なお城だったのか…。

 

崩壊するに任せていたお城の解体許可が正式に降りて、解体作業が始まったのが1794年。例によって近隣住民が建築資材として石を持ち去り、19世紀になってから、わずかに残った部分が町の中心に移築されたんだって。

 

クルディーガは1368年にはハンザ同盟にも加入したので、観光案内の中にも、ハンザ繋がりでまとめたものがあったよ。ああいう楽しみ方もいいね。

 

こちらは18世紀前半の建物で、こういうハーフティンバー様式はこの地方(クルメゼ地方とゼムガレ地方)ではとても一般的だったんですが、この規模で現存しているのは珍しいんだって。

 

1561年にリヴォニア騎士団が解散した後、現在のエストニア南部とラトビア北部にまたがる地域がクールラント及びゼムガレン公国となりました。最後のリヴォニア騎士団長が第1代のクールラント公となり、他の騎士団員が公国の貴族となって国を運営したんだって。クルディーガはその公国の首都(の一つ)になりました。

 

今残っている街並みは17~18世紀のもの。結構新しいんだけど、中心部でもそんなに大きな建物がなくて、家はせいぜい2階建て。このサイズ感が私好みなんだろうなあ。

 

この大きめの建物の1階にはミニスーパーが入っていた。買い物しようと思っていたけど、次に通りかかった時には閉まっていたので、もういいやって思っちゃって。

 

でも、街歩きはまだ本格的にはやらない。と言うのは、前の日に宿の人に教えてもらった博物館に行きたいの。11時に開館すると書いてあるのでね。…が、行ってみたら開いてないんだよこれが。あるある…。遅刻してるのかなと思い、また街をぶらついて戻ってきたら開いてたんだけど、「今、別のお客さんが来て、ガイドが案内しているところなんです。30分後に戻ってきてもらえますか?」て。

 

 

てことで、これも宿の人に教えてもらった、観光案内所の建物の地下にあるレストランのバーで時間つぶし。ビールのお供に軽くつまみたいと相談したらパンとチーズを薦められ、それを注文。

 

なんか、想像したのとかなり違った。カリカリに揚げたガーリックトーストとチーズソース。これがもう、めっちゃ美味しかったのよ! でもお腹がいっぱいになってパンは残してしまった。

 

やっと開きました、クルディーガ中世博物館。昔風の衣装に身を包んだガイドさんに連れられて、いくつかの部屋を回りながらクルディーガの中世の歴史や生活を疑似体験するのだ。

 

最初の部屋では町の広場の説明をしてくれた。なもんで、必然的に処刑の話にもなった。中世には動物裁判がありましたが、ここでも記録が残っているのか、そんな話も。動物裁判ってのは、モグラに畑からの退去命令を出したり、人間に怪我をさせた豚を絞首刑にしたりするやつね。

 

これは、当時の知識人の書斎とかそんなんだったかしら。

 

最近の、街の中心にある博物館によくあるように、ここも限られたスペースで色々説明するために、壁に写真や動画を投影して見せてくれる。これは、クールラント公国が最盛期を迎えた17世紀中ごろ、ヤーコプ・ケトラー統治下での植民地事業の説明ですね。西アフリカや西インド諸島にも船団を送って原住民を征服し、交易で莫大な富を得ました。

 

もちろん、いい時代ばかりではない。これはクルディーガの町全体が飢餓に襲われていた日々の説明です。このお人形が、空っぽのお皿を見つめて、指をコツ、コツ、コツ…とテーブルに打ち付けているのが恐ろしかった。あからさまな描写よりも、こういう静かな絶望の方が想像力をかき立てられて、しみじみと怖いのよ… 食べるものがなく街ごと死んでいく、その恐怖とはどんなものかと

 

グワッ!(と顔を上げて乗り出す)

「おわあああああ!!!!!」

 

絶叫して腕を前に突き出しながら(防御姿勢)飛び退った私に、ガイドのお兄さんは明らかに引いておりました。悪いのはそっちだろー! 歴史を学ぶ博物館になんでこんなお化け屋敷みたいな仕掛けを作るんだよ!

 

この飢餓の部屋の次は、ペストで死んだ人たちが無造作に並べられている部屋でした。これが動いたら私も死ぬと思って距離を取って説明を聞いたけど、こっちの人形は動きませんでした。その次の部屋はまだ死んでいない人たちが閉じ込められていた地下牢みたいなとこで、ここは最初から少し動いているのがわかったから、そんなにショックでもなかった。不意打ちが一番アカン。

 

2018/4/30

 

スィグルダ城からは歩いてホテルまで戻りました。今度は迷わずすぐ着いた。お昼はアーモンドと水だけだったので、ホテルのレストランでスパイシーチキンとビールでおやつにしました。

 

で、今度こそ電車に乗るのだ。リガ行きの電車の外側と内側。

 

お庭で家族みんなでパーティーしているお宅があったので写しちゃった。いいよね、こういうの。

 

リガ駅。

 

バスターミナルに行く前に少し迷っちゃった。地下道の階段に、土産物を抱えて売っている、体の悪い人がいました。ツェーシスやスィグルダでは見かけなかった光景でした。どこの国でも首都で一番そういうの目にする気がするよ。

 

左がバスターミナルね。入り口と反対側。そして、クルディーガ行きのバスに乗っている間に日が暮れました。クルディーガ到着は20時半でしたからねえ。

 

クルディーガではアパートメントを貸り切って2泊します。「到着が夜になるなら来るまでバスターミナルまで迎えに行くから知らせて」と言ってくれていたので、メールで連絡。バスターミナルは町の外にあるので。と言っても、旧市街の中心部から徒歩15分くらいかな。

 

で、こちらがアパートメントの中。玄関ホールからピッカピカ。玄関で靴を脱いでねと言われるくらいですので、中がどれほど清潔かおわかりになりましょう。寝室には、写ってないけど、広い荷物置きスペースと棚もありました。

 

この奥のL字型のソファの心地良いことったらありませんでしたわ。自分の家にもソファが欲しくなる。

 

バスタブ付きよ。このバスタブがまた心地良くてね! シャンプーやコンディショナーも各種揃っておりまして、バスソルトまであった。洗面台の引き出しにはブラシからドライヤーから綿棒から全て揃ってまして、ああ、ここに泊まるってことは、ここで暮らすってことなんだなあ、と。

 

キッチンにはもちろん食器やフライパンなどが一式揃っております。あと、前に泊まった人たちが置いて行ったのか、調味料やパスタやお茶、コーヒーなんかもあり、何でも好きに使っていいと。あと、宿のオーナーがお庭で育てているミントの葉の乾燥させたやつがあって、ミントティーを楽しめました。

 

オーナーは翌日からのクルディーガ観光について実に丁寧に相談に乗ってくれました。私が何をしたいか聞いたうえで、地図を見ながら見どころを解説してくれて、私が知らなかったこの季節ならではの名物も(後で書くね!)教えてくれてね。観光案内所が開ける勢いでしたわ。

 

更に、スーパーマーケットはまだ開いているけど、行きたいなら往きだけでも車で連れて行ってあげようか?と申し出てくれたので、お言葉に甘えることにしました。そして、行く途中で、ざっと町の中を回ってくれて、さっき教えてくれた場所をおさらい、と言うか、翌日の観光の予習までさせてくれたのでした。この宿の評価がすごく高いのもわかるわ…。

 

宿の名前は Kalna ielas Rezidence です。Booking.com や Airbnb で予約できますよ。

 

で、こちらがスーパーマーケットで売っていたスシ。手前はエビの握り(6.99ユーロ)、真ん中はSuši Kunžut roll (3.05ユーロ)です。Kunžut がグーグル翻訳でも教えてくれないのですが、ネットで検索するとゴマが出てくるから、たぶんゴマでしょう。白ゴマでコーティングしてある。

 

キッコーマンのお醤油はもちろん、自宅でスシパーティーしたい人のために巻き簀もあり、お箸とワサビと生姜をセットにしたものも売っているのだ。

 

左は「アジアの夢巻き」。この緑のはディルらしい。確かに日本の夢ではなくどこか他のアジアの国の夢だろう。日本でももっとディルが一般的になれば嬉しいわ。右は豪快なスシ・サーモン・タイム。

 

サーモンスペシャル。左がロールのまま、右が切ったやつらしい。鮭とアボカドね。

 

スパイシー巻きを選んでみました。中はサーモンとクリームチーズ。外側にゴマとペッパーなど。美味しかったよ。私らの思う寿司ではない別の食べ物だけど、これはこれで日本人の口にも合う。あと、つい、ドラムスティックも美味しそうで買ってしまった。それとビールね!

 

この時、なんか料理の勢いがつきましてね。左の写真、置いてあったフジッリ(たぶん)を茹でてシーズにングで味付けし、買っておいたスライスチーズを載せて無理やり溶かして混ぜたもの。スシは一切れだけ食べて後は翌日に取っておき、晩ごはんにはこれを食べたのだ。

 

右側のプチプチしたやつは、後で調べたらキビだったようです。これも適当に茹でて、ドラムスティックを混ぜて塩を振って朝ごはんに食べました。美味しかった。

 

これは、スーパーマーケットから帰る道すがらに撮影した夜のクルディーガです。

 

オレンジ色の街灯が灯る小さな街の静かな通り。最高でしたわ。

 

2018/4/30

 

洞穴を見た後、近くのバス停からバスに乗りました。バスがなかなか来なくて不安になり、バス停で一緒に待っていた女の人に「スィグルダ城に行きたい、バスはここでいいですよね」的なことを伝えてみたら(言葉が通じなかったので身振りと単語のみで)、その人も地元ではないようでよくわからない、と。でもバスが来たら彼女は運転手さんに私がスィグルダ城に行きたいのだと伝えてくれ、運転手さんが「大丈夫ですよ」と答えてくれました。そしてスィグルダ城に一番近いバス停で停めて、「ここです。ほら、あそこに塔が見えるでしょ?」と方向も教えてくれました。

 

で、これがスィグルダ城ね。実はスィグルダ城と呼ばれるお城は新旧2つありまして、これは「城址」とか「中世のスィグルダ城」とか書かれている、古い方。

 

このお城は1207年~1209年頃にリヴォニア帯剣騎士団によって要塞として建てられました。アルベルト大司教の城であるトゥライダ城に対し、騎士団が自分たち自身のテリトリーを主張する意味もあってガウヤ川の反対側に建てたお城らしい。元は水源と大司教勢力の侵略を監視するために建てられたとか。1237年にはドイツ騎士団に吸収されまして、1432年からは、ツェーシス城に住んでいたリヴォニア騎士団長に次いでNo.2の大物(管区長ってことか?)の住居だったそうです。

 

壊される前のお城はこんな風だったらしい。(こちらのページから

 

リヴォニア戦争で激しく損壊した後、続く戦乱の歴史の中で次々に所有者も変わり、修復しては破壊され、北方戦争の後には打ち捨てられました。

 

一番廃墟化していた頃でしょうね、1794年の状態。(ウィキペディアから

 

1962年に昔の資料に基づいた大掛かりな修復プロジェクトが始まりました。2004年時点ではの写真がこれ(ウィキペディアから)。これくらいにしといた方が雰囲気があった気がする。2011年にはEUも資金援助して修復が行われ、2012年に今の形が完了したらしい。

 

この部分、昔の絵にもないけど、17世紀にはあったのかな。

 

この前辺りに小さなステージがあったり、弓矢のアトラクションがあったりと、家族連れで楽しめるお手軽な観光施設という感じですね。

 

ゲートタワーの中はこんな感じ。

 

この木製の廊下は最近になって復元されたってことなのね。でも資料に基づいているのなら、本当にこういう狭間があって、敵を迎撃していたってことなんだよね。

 

廊下の向こうに見えているあっち側が修道院です。

 

あっち側に修道院がある、その壁を、ゲートタワーのあるこっち側から見ているんですが、なんか変じゃない?

 

窓の形からすると、こっち側が内側だよね? 採光のために、窓の一番外側が狭くて、部屋の内側に向かって広くなっているはず。てことは、もともとゲートタワーがあるこっち側に城館でもあったと思わないと理屈に合わなくない? でも、昔の絵からも、こっち側が屋内だったとは考えにくい気が…。

 

『あっち側』の、修道院跡。上の写真の窓の外側であるべき面が修道院の屋内になってない? 私が何か勘違いしているのだろうか?

 

と、色々考えちゃったけど、どうでもいいのかもしれん。だってね、何でも、ここの修復作業を始めてすぐ、思いがけず早く冬が始まってしまい、慌てた作業員たちは学者の指示を丸っと無視してさっさと仕事を終わらせちゃったんだそうです。てことで、『修復された』として今私が目にしているものの中には嘘が混じっているのだそうな。そんな部分の一つかもしれないじゃないか。

 

 

まあ、他の部分にも、学者が妥協して決定した形があるそうだし…。とは言え、妥協せずに済んだ部分も台無しにされたんだから学者たちは大激怒だったと思う。

 

現地の説明板に上記の作業員のメチャクチャぶりが書いてあったの。でね、このくだりの説明が、「修復が始まったのはソ連時代だった」で始まっているのがまた、印象的でした。ラトビアのせいではなくソ連のせいなのです、って意味よねw まあ確かに、アラル海の大惨事とかを思い出すに、ソ連時代ってホントに考えなしで無責任な仕事が横行していたんだろうと思うよ。

 

 

コートヤードを挟んだ反対側の塔も一応再建されておりましたが、見るからに新しくて、写真に収めたいと思うようなものではありませんでした。でもまあ、そこが展望台になっていますので、上っておきましたよ。エレベーターもありました。

 

ゲートタワーと修道院。

 

トゥライダ城も見えます。遠くに見える赤いやつ。

 

右の方にクリムルダ城の側にあるマナーハウスと、左にはロープウェイも見えるね。

 

スィグルダ城はリヴォニア帯剣騎士団の城、トゥライダ城はアルベルト大司教の城、そしてクリムルダ城は、アルベルト大司教を支持するリガの大僧正たちの持ち物だったそうな。クリムルダ城も、騎士団と大司教の争いに何度も巻き込まれたそうですが、後にはスウェーデン・ポーランド戦争のさなか、1601年の春にスウェーデン軍に征服されました。そして秋には、撤退するスウェーデン軍が火をかけたので、今は壁と土台の一部しか残ってないって。でも見てみたかったわ。マナーハウスは元々、クリムルダ城の執事の住居などだったらしい。

 

こちらは1878年に建てられた、新スィグルダ城。ネオ・ゴシック様式です。中には入れなかった。テラスに上がって中を覗いてみただけ。でもこっち側は実は裏側だったの。表側に回ってみたら、実は開いていたりして…? まあ、いいけど。反対側には美しいガーデンがあったよ。


 

お城のビール醸造所だった建物が今はアートギャラリーになっていたり、なんか周りの色んな建物が修復中っぽかったし、ガーデンの駐車場に近い辺りには土産物屋が店を出していたし、まあ、そんな感じで観光の一大集約センターになっていくんだろうと思います。

 

2018/4/30

 

朝ごはん。パンの他に甘いビスケットがあったのが新鮮だった。

 

あとやっぱりロシア系だからか、ブリヌイもあったよ(左の写真の右端のやつ)。私が「おー」と嬉しそうにブリヌイをもらったら、女の人がニコニコしながら「ジャムを塗って食べてね」と身振りで教えてくれました。紅茶もグラスで出てきたし、文化だなあ。

 

荷物を預かってもらい、さっそくトゥライダ城に。本当は歩いてスィグルダ城に先に行くつもりだったの。ホテルからゆっくり歩いても20分くらいのはずだったので。しかし何故か途中で道がよくわからなくなり、面倒になって、先に遠いトゥライダ城にバスで行っちゃうことにしました。

 

スィグルダはラトビアでは珍しい渓谷地帯で、さらに古城が3つある。市街にあるスィグルダ城址は駅からも徒歩圏内。渓谷を渡るロープウェイで山の上に上ればクリムルダ城の廃墟とマナーハウスがある。スィグルダ一番の名所トゥライダ城も市街からたったの5キロで、周りには野外民俗博物館が広がり、体験型アクティビティも豊富。そしてこのスィグルダはリガからバスや電車で1時間なのだ。リガにしか泊まらない外国人観光客でもスィグルダは日帰りで訪れるみたいですね。大人気の観光地。

 

さてトゥライダ城、私がチケットを買いに行ったら、ドイツから来たと言う団体さんがずらっと並んでいました。が、団体受付ってわけではなく、なんか一人ずつ支払っているっぽい…? これは時間がかかりそうだなと思いながら一番後ろに並んだら、前にいた女の人が「あら、先に行ってくださいね」と私に声をかけ、前の方にいる仲間に「この人を先に行かせてあげて!」とか何とか言ってくれて、順番を飛ばして先に入れてくれました。ありがたいね。そして、さすがトゥライダ、日本語パンフレットもあったよ。

 

入り口から歩いて10分くらい。こちらがトゥライダ城です。きれいに修復されているので新しく見えるけど、起源は1214年にリガのアルベルト大司教の命令でリヴォニア帯剣騎士団が作った砦だそうです。

 

17世紀までは増改築を繰り返していたけど、18世紀にはもう軍事上の重要性を失って、廃墟になっていったらしい。20世紀の後半に発掘調査が始まり、生き残った建物が修復され、今の姿に。

 

私が行った時には入れたのはこの塔と、左側の奥の建物だけ。どっちも中が博物館になっています。手前の時計がある建物とか、一つ上の写真の奥に写っている建物にも入れるはずなんだけど、開いていなかった。ローシーズンだからかな。ラトビアの4月は冬であると思い知りましたよ、ええ。

 

とかやってたら、ここでiPhoneのカメラが動かなくなった! 動画は撮れるしタイムラプスでも撮影できるけど、普通の静止画が撮れない! 買い替えてから半年も経っていなかったのに! iPadがあるので写真は撮れなくなったわけではないけど、iPhoneの方が使いやすいし、ショックでしたわ。

 

塔の中には、主にトゥライダ城の発掘と保存の歴史が展示されておりました。この部屋は単に昔の様子を復元しているだけ。一番気に入った場所はここだ。

 

塔の上からの眺め。こっち向きだとちょっと逆光になる時間帯で残念ですが、森林を縫って流れる川がとてもきれい。この塔の中で、日本人のツアーとも会ったよ。この階には、塔から見えるお城の各部分の解説もあった。何しろここからなら俯瞰で観察できますのでね。

 

もう一つ入れた博物館の中にあったのは、お城の歴史です。左が13世紀前半、右が14世紀。

 

左が15世紀、右が16世紀のお城の姿。展示は他にも、お城での暮らしや中世のこの土地の歴史や文化などの情報が盛りだくさん。英語の解説もあります。

 

ほとんどの見学者がさっと見て周って出て行ってしまうのですが、若いお父さんと7歳くらいの娘ちゃんが私と同じくらいじっくり時間をかけて見ていました。お父さんが娘ちゃんにあれこれ丁寧に説明して、娘ちゃんが興味津々で。娘ちゃんがお父さんの興味を受け継いだ、似た者親子なのか。あるいは娘ちゃんがこういうのが好きなので、お父さんがその興味を満たしてあげようとしているのか。以前にグァテマラで出会った可哀そうな女の子を思い出しますと(「キリグアで会った、未来の仲間」に書いております)、他人事ながらホッとする、嬉しくなる光景でしたわ。

 

これは3つの古城ね。クリムルダ城、トゥライダ城、スィグルダ城。

 

お城にもっといたかったけど、移築した古い建物も見て周りたい。これはお城の近くにある、ラトビアで一番古い木造の教会とのことです。残念ながら中には入れませんでした。

 

トゥライダの薔薇と呼ばれたマイヤのお墓があったの、この近くじゃなかったっけか。1601年、トゥライダ城が戦場になった後、生存者を探していた城代が、死んだ母親に抱かれた赤ちゃんを見つけたんだそうです。城代はその子を引き取ってマイヤと名付けて育て、マイヤは美しい娘に成長しました。マイヤは庭師のヴィクトルと恋仲になり、近くの洞窟でよく逢引きをしていたとか。しかしマイヤの美しさに目を付けたポーランド兵が彼女を偽の手紙でおびき出し、暴行しようとしました。マイヤは首に巻いていた赤いスカーフを示し、「これを身に着けている人は剣でも銃でも傷つくことはない。私を逃がしてくれるのならこれを貴方に与えましょう。嘘だと思うならその剣で私を突いてみればいい」と言い、ポーランド兵が信じて彼女の胸を突いたところ、マイヤは自らの狙い通りに、ヴィクトルへの貞節を守って死に至ったのでした。個人的にはこういう展開は好きじゃないけど、今でも恋人たちがこの愛の伝説に敬意を表してお墓詣りしているらしい。

 

これは移築した鯉の養殖場だって。地下と言うか、丘の下と言うか、これワクワクしない?

 

中にはこのように生簀が。博物館のレストランではここの鯉を出したりしないのかしら。

 

これは鍛冶屋さんです。この人たちは確かコインを作ってたんじゃなかったかしら。

 

レストランで食事をしたかったんですけど、時間がないのでもったいなくて、諦めました。ケーキくらいは…とも思ったんだけどね。で、駐車場で屋台をだしていたお土産屋さんで水とアーモンドとクッキー、それとラズベリーのジェリーを粉砂糖でコーティングしたみたいなお菓子(お土産にした)を買いました。

 

で、ここからどうするか迷ってたの。クリムルダの廃墟とマナーハウスを見て、ロープウェイで下ってくるのもいいよね。でも、それやったらスィグルダ城を見学する時間がなくなりそう。なら、朝にバスで来た道を戻ってラトビア最大と言うグートマニャ洞窟を見に行こうか。洞窟好きとしては外したくないよね。

 

てことで、30分くらいてくてく歩いて、洞窟に行きました(バスの本数が少ないので歩くしかないのだ)。ここら辺は森林の中の遊歩道もあるので、時間のある人は一日かけてハイキングがてらあちこち見て周るといいと思うよ。あと、サイクリングしている人もたくさんいた。と言うか、サイクリングの大会か何かがあったんじゃないかな。日差しも強くて、絶好の行楽日和。昨日までいたツェーシスでダウンジャケットを着ていたのが嘘のようでしたわ。

 

そして辿り着いたグートマニャ洞窟。まあ、写真で見た通りだったんですが… 私、これが入り口だと思っていたのよ。入り口じゃなくて、これだけでした。これって洞窟っていうの?と思ったんですが、よくよくガイドブックを見ると、洞窟じゃなくて洞穴と書いてあった。はい、崖に穴が開いているだけです。

 

ちなみにここがマイヤとヴィクトルが逢引きしていた洞穴ってことになっています。そのせいか、恋人たちが愛を誓い合う落書きがうちにも外にもびっしり。この写真の上の方、木が生えている辺りにもある。どうやって書いたんだろう。よじ登ったんだろうか。

 

2018/4/29

 

ツェーシス歴史博物館の見学の後は、昨夜歩き回ってチェックしておいた素敵な場所を明るい中で確認しに行きました。

 

この家と隣の煉瓦の建物も素敵。この間の道を通りぬけた向こうは小さな広場になっていて、バーやカフェ、レストランなどが集まっていました。聖ヨハネ教会前の広場よりこっちの方が、ツェーシス旧市街の繁華街として機能しているのかもしれない。(←適当です)

 

左の写真は、昨日ライブをやっていたお店。昼に開いていれば入りたかったけど、少なくともこの時は閉まっていた。右側は、宿の近くのおうち。玄関の庇が立派だな。

 

これは宿の前の通りです。ここら辺は良かったなあ。古い平屋の家がずらっと並んでいてさ。

 

左の写真、宿の裏側から撮っておきます。預けておいた荷物を引き取って、駅&バスターミナルに向かう。右の写真は、聖ヨハネ教会がある辺りから駅の方前で続いていく商業地区の通り沿いにある建物。

 

右の写真には、小さくてよく見えないと思いますが、右端の方に梯子を持った作業員さんが写っています。古い家屋をリノベーションしたのか、昔風のデザインで新しく建てたのか。どちらにせよ、この場所にこういう建物を作るってことは、観光客を意識したお商売をするんだろうなと思いましたわ。

 

特に遊んでくれなかったけど逃げもしなかった猫。右はラトビア独立戦争(1919年~1920年)で命を落とした兵士の記念碑です。旧市街と駅の真ん中辺のロータリーに立っている。

 

これがツェーシスの駅。これからスィグルダに向かいます。って、バスで行ったんだけどね。電車は本数が少なくて都合に合わなかったの。本当は電車で行きたかったのよ。スィグルダの宿は駅前で、ツェーシスからスィグルダへ私が乗るバスは駅から離れた場所に止まるので。

 

このバスの中で、近くに座っていた若い兄さんがスマホで喋ってたんだけどさ、途中から相手の音声がバンバン聞こえてきて。女性の声で、めっちゃ怒って泣いているらしい。で、ブチッと通話が切られ、兄さんはその後はかけ直すでもなく、ポチポチとメッセージを打っていた。若い人は大変ね。

 

あと、音楽がずっと流れていたのですが、日本語の歌が流れてきたのよ! 古い感じの歌で、「夢~ 夢を見たのよ~♪」。思わず検索したら「真夜中のボサノバ」という歌でした。1969年の歌。まさかラトビアの田舎で日本の懐メロを聞くことになるとは思わなかった。

 

さて、スィグルダ郊外の道端で降ろされ、民家や畑の中を30分くらい歩いてたどり着いたスィグルダ駅とバスターミナル。実は翌日撮った写真ですけど。スィグルダは、ツェーシスより少し開けている感じ。

 

駅舎の中にはピアノが置いてありました。チェコのチェスケー・ブディエヨヴィツェの駅にもあったなあ。私、「猫ふんじゃった」だけなら今でも弾けるんだけど。あと、ストーブが昔ながらの形でなかなか良かったです。形だけだと思うけどね。まさか薪は使わないでしょ…。写っている窓口は、鉄道用の窓口。バス用の窓口は反対側にある。電車の本数が少ないので、電車の到着時間が近づくまで窓口を締めるらしい。日本でもあるよね、そういう駅。

 

スィグルダの駅前にあった可愛い家。ここら辺、全体的にこんな感じの建物が多い。

 

 

駅が町から離れているところと、駅が町の中にあるところがあるよね。ツェーシスは、離れているってほどじゃないけど前者のパターンで、駅前はあまり建物が無くて、民家よりスーパーとかガソリンスタンドとかがありました。そしてスィグルダはどちらかと言えば後者ですが、駅のまわりに繁華街があるってわけでもなくて、駅の周りも住宅街で、その中に駅前らしい商業施設が混じっている感じ。

 

こちらがスィグルダで泊まったホテル。駅前にあるので選んだの。スィグルダを見て周るのは宿泊翌日だから、預けておいた荷物を持ってすぐ駅に移動できるのが理想的でね。土産物屋、カフェ、バー、レストランが併設されています。右側にあるテント屋根、レストラン席なのよ。

 

お部屋はこんな風。機能的で快適でした。

 

「ホテルピルス」のピルスとは、お城という意味。だからか、廊下や踊り場は中世の騎士の絵や甲冑が飾られておりました。あと気になったのが、廊下にあったこのベッド…。ここ、フツーに廊下なんだけど、ここに泊まる人もいるの…? 余ったベッドが置いてあるだけ?

 

上の写真のテント屋根のテラス席で晩ごはん。5月が近いと言ってもまだ少し寒いのでビニールで囲われており、快適でした。真上からより、少し斜めから撮れば良かったなー。これ、帽子と言う名前のお料理でしたよ。叩いたお肉を揚げ焼きにして、その上にチーズソースをかけて焼いたものだと思う。下に敷いてあるポテトもすごく美味しかった。

 

このホテルはロシア系みたいでした。受付にマトリョーシカが飾ってあったし、カフェでは「ハラショー」という言葉が聞こえてきたり。確かロシア系の人の国籍の事で何かあったよな…と改めてググってみたところ、下記のような情報が。

 

1991年にソ連から独立した後に制定されたラトビアの国籍法では、国籍保有者は、1940年6月17日(ソ連がラトビアに侵攻した日)までにラトビア国籍を持っている人とその子孫、またはその日よりも前にラトビアに居住していた人に限る、となっています。なので、1940年6月17日より後に流入したロシア人は帰化しない限りは無国籍者なんだそうです。記事によって数字がバラバラなんですが(その記事が参照した資料の年度によるのかも)、一番少なかった数字でも24万人だって。

 

彼らには参政権がなく、公務員にも慣れない。パスポートは作れます。「非市民」と表紙に書いてあるんだって。帰化するにも、ラトビア語と歴史の試験があるそうです。ソ連時代にはロシア語が通用していたから、ラトビア語を話せないロシア人はたくさんいるわけだ。

 

この件は「ラトビア 無国籍者」で調べたらたくさんの記事が出てきますので、ご興味のある人はどうぞ。

たとえば、こちらとか。

引き裂かれる東欧:ラトビア

 
 
 

2018/4/29

 

ツェーシスに戻るタクシーの運転手さんは英語が堪能で、色々と話を聞かせてくれました。前にも書いたけど、ソ連時代にはロシアに規制されていたのでツェーシスには高い建物が建てられなかった、とか。あと、ツェーシスは夏にはたくさんのフェスティバルがあって人が集まるし、冬場はウィンタースポーツが盛んで、国内はもとより国外からも大勢遊びに来るとか。特にスノーボードが有名らしいよ。

 

で、街に戻ってツェーシス城の新しい方のお城にある歴史博物館へ。昼間に写真を撮っていなかったようで、前の晩に撮った写真しかない…。18世紀の城主さんが増築したそうです。

 

歴史博物館は先史時代から始まっておりまして、ここは中世のコーナーね。リヴォニア騎士団の人がいる。この人、結構大きくて、近くで見たらちょっと怖くなったわ。

 

この地下室っぽいとこには、城の自爆で犠牲になった女性の遺骨から顔を復元したものが展示されていました。20代半ばの女性だったらしい。右側はツェーシスの歴代の紋章だったかな。

 

上の階には近代の城らしい華麗な空間が広がっており、近代の歴史に関する展示がある。あと、中世の書物や、民俗楽器の展示もあり、ヘッドフォンで音楽を聴くこともできたよ。

 

一番印象に残っているのは塔の中ですわ。これは城主さんの書斎だね。

 

書斎に通じる階段を見てよ! そして更に塔の上に上っていくわけですが、

 

その階段がまた素敵なのよ! この時代らしい、美しい曲線。

 

上の階にも図書室がある。円形の図書室なので、本棚もカーブしているのだ。

 

本の背表紙を見ているだけでもうっとりしちゃうわ。これはシェイクスピア全集だね。

 

下の2枚、なんか繋がっているように見えるけど、繋がっていませんよ。更に上へ。

 

 

塔であることを活かした実に美しい構造。ガイドブックにこの塔についての言及がないなんて!

 

上の階段を上り切ると、屋上に出ます。騎士団長の部屋がある塔は一つ一つの窓からしか外が見れないけど、こっちは居ながらにしてパノラマを楽しめるよ。

 

それにしても春で良かったよね。これ真冬だったら寒すぎて楽しめなかったと思う。4月の終わりでもそれなりに寒かったけどね。ダウンジャケットも着ていた。(でも途中で暑くなって脱いだりしていた)


上から見下ろすと改めて美しさにうっとりするわ…。

 

あと面白かったのは台所ですか。やっぱり生活の匂いがする場所は楽しい。あと、隅っこにこんなお遊びを見つけたよ。可愛いな。

 

なんか写真だけだったな、この記事。