旅中毒 -34ページ目

旅中毒

バックパックと少しのお金とパスポートがあればいい。行けば行くほど行きたい場所が増え、人生狂って後悔なし!

2018/5/4

 

リガ空港のマスコットキャラクター? それとも税関か何かかしら?

 

復路は窓際だったので、プロペラの撮影を満喫しました。

 

これはリガのすぐ西にあるユールマラ辺りだな。首都から日帰りできるビーチリゾートです。

 

クルディーガからリガへの移動の際、ユールマラを通ったんだ。海に近い通りにお屋敷街があったよ。きっとお金持ちのホリデーハウスが並んでいるんだろう。

 

飲み物等の無料提供はないので、有料でコーヒーとアイスクリームを購入してみた。このKarumsってブランドのお菓子はラトビアの国民的おやつらしい。カテージチーズクリームをチョコで包んだもので、これは定番のバニラ味。美味しかったよ!

 

もうスウェーデン上空です。この島が散らばっているのがいいんだよね~。

 

雲を抜けて降りて行きます。

 

雲を抜けました。

 

撮ってる時は気付かなかったけど、飛行機の脚が下りたぞ。上の写真と比べて気付いた。

 
今夜はストックホルム泊です。別にストックホルムで一泊したかったわけではありません。翌日ストックホルムから帰国する便は午後の2時半くらいなのに、それに間に合うリガ⇒ストックホルムの便は、早朝しかないのよ。空港で何時間も過ごすなんてもったいないし、かと言って短い時間のために町まで出て急いで戻るのも面倒くさい。だから、前の晩のうちにリガからストックホルムに移動して、世界に名だたる旧市街ガムラスタンで夜遊びしようと思ったわけです。
 
ストックホルムのアーランダ空港からの市街への移動をどうするかは、ちょっと迷いました。一番速いのはシャトルトレインのアーランダ・エクスプレス、片道20分と爆速ですが、料金がお高い。普通の電車は片道40分ですが、アーランダ・エクスプレスよりグッと安い。そして空港バスは片道45分で最も安い。そりゃ空港バスにするでしょ…。
 
このチケットを買うに当たって、私は、漠然と知っていたスウェーデンのキャッシュレスぶりを実感することになったのです。チケットは、空港で現金で買うと割高になるのだ。空港バスはウェブで買えば往復2450円くらいだけど現金で買うと2950円くらい。アーランダ・エクスプレスの場合は、1時間前までに買っておく必要がありまして、普通に買えば往復割引でも7,000円を超える。もし事前に買わずに車内で買ったら更に追加料金が片道につき1240円くらい。しかし7日前までにオンラインで購入しておけば往復で4800円くらいになるのだ! オンライン購入が基本なんですよ。
 
てことで私も空港バスのチケットをスマホで購入しました。私はPayPal決済ね。QRコードが送られてくるので、それを乗車時に運転席脇のカードリーダーにかざすだけです。こりゃ楽だわ。しかしホントに、スマホが無きゃ身動き取れない時代になりつつあるねえ。まあ、かつては財布を忘れたらお金が払えなかったんだから、その点では同じことですが、停電したらどうするんだろうと思っちゃう昭和の人間。
 

 

それは良いのですが、バスがストックホルム中央駅に着いてから、地下鉄の駅に行くまでの間に… たったそれだけの間に、少し迷いました。ちゃんと標識も出ているんですけどね。リガも大きな町だけど、ストックホルムは比べものにならないほどのスーパー大都会。その中央駅ともなりますと、何が何だかわからんほど大きくて怖いわ。

 

地下鉄の切符を買うのもクレジットカードです。現金が使えないわけじゃないんだけど、券売機にクレジットカードを差し込めば買えるんだから、両替する必要がない。ユーロならともかく、スウェーデンは独自通貨のクローナですからね。

 

 

上の写真と下の写真は同じ場所を違う角度から撮っております。

 

 

お宿は、ガムラスタンの中ではそこそこお安いホテル。バス・トイレ共用で1泊12,000円くらいしたので、私には充分高いけどね。3人部屋のシングルユースだったので広々としていたよ。でもベッドは我が家のベッドよりも幅が狭くてびっくり。欧米人の男性、ここに寝れるの?

 

写真は翌朝に撮ったものです。手前のベッドに寝たんだけど、撮影のためにベッドメイクして懸命にシーツの皴を伸ばしたのよ。

 

ガムラスタンの中にあるくらいだから古い建物なのですが、徹底的にリフォームしてあるので、内装は撮る気になれないくらい現代的です。のっぺりペッタンコの白い壁にハリウッドの役者さんの写真が飾ってありました。そういうのがお好きな方には良いと思います。

 

共用のバスルームは清潔で非常に機能的。

 

 

 

 

バスルームの窓から見える光景。

 

 

ぺったんこでも、手すりにだけは優雅さが残っている。

 

こっちが表なのか裏なのか、よくわからなかった。夜に見る方が雰囲気あるなあ。

 

2018/5/4

 

リガ大聖堂を出た後にまたウロウロしておりましたら、聖イェーカバ教会の近くで「旧市街で一番ロマンティックなカフェ」という看板が目に入り、フラフラと引き寄せられました。お昼どころか朝ごはんも食べさせてもらえなかったんだし、そろそろ何か食べてもいいよね。(スィグルダで買ったアーモンドが少し残っていたのでそれを食べましたが)

 

窓際の席が静かで良かった。ビールとサンドイッチにも惹かれましたが、せっかくのロマンチックカフェなので紅茶とケーキを注文。ケーキはショーケースに各種あります。ポットが鉄瓶なのが、西洋的にはエキゾチックでロマンチックなんだろう…。東洋人的には、なんでそこだけいきなり鉄瓶…。

 

窓の外は中庭。たまに街歩きを楽しむ人が現れていました。

 

お隣はお土産屋さんでしたので、ちょっと入ってお土産を物色しました。ブラック・バルサム入りのチョコレートをばらまき用として購入。ブラックバルサムさえ入っていればラトビアの定番土産となるのだ。それから別のウールの専門店にも入って、自分用にマフラーを買いました。いかにも「ラトビアで買いました♪」的な定番柄のやつ。冬が楽しみだ。

 

その後はいよいよ旧市街を後にします。ホテルに寄って、預かってもらっていた荷物を引き取りました。さようなら聖ペテロ教会…。ラトビア滞在、あっという間だったな。楽しかったよ…



これは聖ペテロ教会からも近いAlksnāja通り。この道も細くて雰囲気がいいんですよ。

 

そろそろ旧市街の南端の外縁、Kalēju 通りです。昔風の建物をきれいにリノベーションしてあるね。

 

Reveal Rigaの建物にもこんなのあったな。何をするものなんだろう?

 

新市街まで来ました。これは地下道と地上を結ぶ階段にあったサイン。雨や雪で濡れると滑りやすいので注意。雪マークがあるところが北国らしいねえ。

 

空港行きのバスに乗る前に、市場に入ってみます。ここは元々飛行機の格納庫だったそそうな。4つ並んでいるうちの1つは使われていないようでした。その分、音がよく響くので、小さな子供などが「わっ」と声を上げて喜んでいましたよ。(これは到着した日に撮った写真ですが)

 

観光客にも人気が高いので、入り口にトリップアドバイザーの高評価のシールが貼ってあったよ。

 

お漬物コーナーには各種のピクルスがあります。

 

チーズも種類がすごいね。日本もこうならないかなあ。

 

お肉もさすがの充実度。

 

お野菜…

 

背後にずらっと並んでるの、全部カボチャ? 左端でうねってる巨大なやつもカボチャ?

 

パン売り場は、奥で焼いてどんどん売っていくスタイル。焼き立てが食べられるお店はいいね。

 

パン屋さんのお向かいにある食堂で遅いお昼ごはんにしました。

 

淡泊な川魚にクリームを詰め、紙で包んで焼いてある。これをつまみにビールを一杯。

 

1.5ユーロでこういう小さなカナッペも売っている。グラスワインのお供に最適。

 

 

これで1人分なんだろうか。成人男性ならペロッといっちゃうかな。黒いのはパン?

 

彩りの美しい前菜。市場の中のお安い食堂なのに、おされメニューねえ。

 

さて、お腹もくちくなったので見物を続けよう。さすがに海に面したリガです。魚コーナーは実に充実しております。一番印象に残ったのは燻製の充実ぶりですわ。日本では燻製ってあんまり一般的じゃないよねえ。私の大好きなニシンの燻製とか、もっと普通に売ってくれればいいのに。

 
そしてお魚の酢漬けコーナーに…
 
お魚系のお総菜コーナー。ホテルもいいけど、市場でこんなの次々に見ていたら、Airbnbでキッチン付きのアパートに泊まって自炊したくなるねえ。

 

外には果物売り場がありました。ヨーロッパって、1個割って置いておくの多いよね。瑞々しい美味しさを目に訴えることで購買意欲を掻き立てるためかしら。


その他にも、外には、おもちゃ屋さんや服屋さんなどが広がっておりました。もう時間がなかったのでざっと見て周っただけ。市場はいいね。一日潰せるくらい楽しい。やっぱ、もう少しリガに時間を割くべきだったか。あるいは旧市街を歩き回ってばかりいたから時間がなくなったのか。

 

空港に向かうバスは、旧市街の近くから乗りました。建物付きのバスターミナルとは別に、大量のバスが発着するバス乗り場があるの。

 

2018/5/4

 

さて、ホテルのチェックアウトも済ませて荷物を預かってもらい、リガ大聖堂にやって参りました。この写真は本当は朝早くに散歩に出かけて撮ったやつ。人が通らない瞬間のため何分も粘ったよ。お昼になったら絶対に無理だからね、この場所で人が写っていない写真なんて。


 

建物全体が古いので当たり前ですが、入り口からしてこんなに優雅。

 

バルト三国最大の教会だそうですよ。まあ、そもそも首都の中でもリガが一番大きいんだって。

 

きっちり修復されています。個人的には少々つまんないけど、市民が大事に使う現役の教会なんだから、どんどん修復されるのが当たり前なんだよね。

 

この大聖堂は1211年に例のアルベルト司教がローマ法王の命を受けて建てたもの。当然その頃はロマネスク様式でしたが、当然その後も増改築が繰り返されて、ゴシックやバロックが入り混じるように。建築として今の形に落ち着いたのは18世紀後半で、装飾としてはアールヌーヴォーも見られるらしい。

 

 

毎日正午にパイプオルガンの無料コンサートがあるとのことだったので、その時間に合わせたよ。このパイプオルガンは世界で4番目に大きいんだって。それだけに、オルガンの詳しい説明が展示されていた。

 

ソ連に併合されていた頃、1939年から1989年の50年もの間は、宗教施設としての使用を禁じられていたので、ここはコンサートホールとして利用されていたそうです。壊されなかっただけマシか。グルジアでもソ連時代に家畜小屋にされた教会とか見たけど、「壊されなかったから今もこうしてお祈りできる」と言っている人がいたっけね。壊されたのもたくさんあるんだもんね。

 

ステンドグラスも素敵。 「ティゼンハウゼン一家や聖母マリア」、「アルベルト司教による大聖堂の創設」、「1525年、リガ市長に信仰の自由の宣告所を渡すリヴォニア騎士団長プレッテンベルグ」 など…

 

 

こういう端っこにある観覧席みたいなのは、偉い人用なの? 古いお城の礼拝堂にテラス席があって、城主の家族用だと書いてあったりしたけど。でも、さすがにこんな大聖堂なら、偉い人たちは真ん前の真ん中に座るよね? この大聖堂に限らんけど、こういう席の使用場面を知りたい。

 

あっちのは、2階の部屋に続く廊下か何かかしら? 間取り好きだから装飾よりもこういうところが気になるんだよね。構造と使用目的が知りたい。

 

あと、この大聖堂で楽しいのは、修道院跡の一部が博物館になっていること。リヴォニア騎士団の解散まで、ここはリヴォニア修道会の本拠地だったんだって。

 

回廊の端っこには修道院の内部に続くこんな階段がある。素敵。

 

ここで大勢の修道騎士たちが暮らしていたのだな。

 

 

彫刻の中で気に入ったやつ。表示サイズを合わせるのって難しいねえ。縦のサイズを合わせたいのに。

 

 

これは屋根の上に乗っけるアイアンワーク。レースのように繊細で美しいね。ところで右のやつ、鳥が棒を咥えて、風に吹き飛ばされるのをこらえているように見える。
 

 

墓石かと思ったけど、玄関脇に飾る石の板だそうです。

 

修道院の中庭に面して飾られている、創設者、アルベルト司教のお姿。


あの先頭の向こう側に教会があるのだ。車が止まっているところが、教会からの出入り場所だった。

 
大きな教会自体よりも、この修道院跡の方が気に入った。

 

2018/5/4

 

何回載せるんだ…と思われそうですけど、この宿、ヒストリカル・エケス・コンヴェンツをそれだけ気に入っていたと言う話なのです。

 

しかしこの宿には良くない点もありましたので、それは書いておく。

 

ここの朝食、朝の9時からでした。普通は遅くたってせいぜい8時だから9時ってかなり遅いけど、わかっていて泊まったんだからそれはいい。問題は2泊目の朝に起きました。朝食が遅いから先に散歩してきたのよ。で、10過ぎくらいに戻ってきたら、他の客が受付で何か文句を言っている。聞けば、朝食会場のレストラン(同じ建物にある)が閉まっているんだって。受付の若い女の子は肩をすくめて「何度も電話しているけど誰も出ないんです。昨日のパーティーで飲みすぎてまだ寝ているんじゃないかな。私にはこれ以上何もできません。カフェならすぐ近くにたくさんありますから、そこで食べては?」 

 

完全に他人事ね。このホテルのスタッフは全員こんな調子。Wi-Fiも、教えられたネットワークが画面に表れず、2泊の滞在の間スタッフの誰に助けを求めても「大勢で使っているから。待ってみて」「技術的なことはわかりません」「同僚にメモを残します」と逃げ口上を述べるだけで、不都合を解消しようと動く人は一人もいなかった。たぶん安上がりな大学生バイトだけで、教育もしていなくて、『客に真摯に対応してもしなくても給料は変わらない』が染みついているんでしょ。どの子も愛想は良かったんですけどね。Booking.comの口コミにも『スタッフが客に無関心』『苦情を無視』『タクシーすら呼んでくれない』等々ありますわ。ちなみに現在、Booking.comでの予約はできないって。事前支払いしてあるのに現地で現金支払いを請求された客が何人もいるようだから、問題と見做されたのかも。

 

で、その朝のお散歩です。基本的には昨夜歩いたところをもう一度歩いたようなもんです。聖イェーカバ教会の近くにある、マザー・ピルス通りがイェーカバ通りに突き当たるところにあるお土産屋さん。

 

聖イェーカバ教会の横を通りかかったら、前日には見かけなかった警備が妙に物々しくてね。何か大事な行事でもあるのかしらと思いながら歩いていたら、前方から、すごく偉いと見受けられるお坊様が、結構偉いと見受けられるお坊様にエスコートされて、こっちに来るではないか。思わず道の端に避けてしまったよ。聖イェーカバ教会に入れたら入りたいと思っていたけど、あのお坊様が今から教会に入るんだろうから絶対無理だなと思い、諦めました。

 

さて、トゥルァクシュニュ通りを通って…

 

スウェーデン門に出る。

 

トゥァルニャ通りの修復された城壁。

 

昨日飲んでたアルダル通りには、こんな素敵な建物もある。右隣りの建物など、景観のためか昔風に作られてはいるけれど、一目で「新しいな」とわかるよね。けど、これは本当に古そう。

 

トリップアドバイザーによると、ここは「Reveal Riga」なる小さな歴史博物館が入っているらしいんだけど、今はもうやっていないとか、土産物屋になっているとか…書いてあったり… でも、とにかく何かは営業中でしたよ。ホテルか何かだと思って入らなかったの。入ってみたら良かったな。

 

 
建物だけでも訪れる価値があると思うし、見てみたかったなあ。でも、ネットで見る限り、中は完全にリノベーションして現代風にぺったんこの普通のビルに成り果てているっぽいな。
 

 

三人兄弟の長男。窓が小さいのは、建設された15世紀当時は窓の面積で税金が決まったからだって。上のReveal Rigaの建物も窓が小さいよね。同じ時期の建物なのかしら。

 

三人兄弟は9時に開館するはずなのでワクワクしていたのですが、閉まったままで入れず。後で悟ったんですが、ここって平日しか開いてなくて、この日はラトビアの独立記念日で祝日だったのですよ…。建築博物館にも興味があったし、何より15世紀の都市の一般住宅の中を見て見たかったのに…。

 

ああ、前日に街歩きをしておけば良かった! この日リガを発つのは夕方だから、この日に野外民族博物館に行くのもアリだとは思ったんですよ。だけど出発日に遠出するのは好きじゃないから、前日に野外民族博物館、この日に街歩きにしたの。でも、この日に野外民族博物館にしておけば、祝日で多くの人が訪れるからすべての建物が開いていたかもしれないし何かイベントもあったかも! そして前日に三人兄弟にしておけば問題なく入れたんだし! バカ!私のバカー!

 

そう言えば、ホテルの朝食会場のレストランの件でバイトちゃんが「昨日のパーティー」と言っていたっけ。あれも独立記念日の前夜だからパーティーする人が多いってことなんでしょうね。聖イェーカバ教会のあの偉いお坊様も、きっと独立記念日の特別ミサのために来ていたか何かなのではないだろうか。そういう特別ミサってリガ大聖堂でやりそうな気もするけど、宗派もそれぞれ違うだろうしね。

 

これはこの朝の散歩でなく午後に撮ったものですが、ご参考までに。右から15世紀、17世紀半ば、17世紀終わり頃。次男の頃になると窓税はなくなったので窓が大きくなったけど、リガの人口が増えて土地が高騰してきたので今度は間口税がかけられるようになって、末っ子はこんなに細くなったんだとか。

 

祝日だから旗が出ていますわね…(涙)

 

せめてもの慰めは、三人兄弟の裏庭に入れたこと。後で通りかかったら門が閉まっていたから、たまたま誰かの用事で開けていただけなんじゃないかと。そう考えると私は入っちゃダメだったのかもしれんけど、開いていて誰もいなかったから、何も考えず入っちゃったよ。

 

なんか、通りから見た形と、裏から見た形、違ってるね。

 

ガイドブックには「中庭から見える不思議な階段をお見逃しなく」と書いてあるんで窓の中を覗いてみたけど、どこにその階段があるのかわからんかった。

  

 

これも三人兄弟の中庭で、別の方向を撮ったものだったと思う。この中庭は良かったよ。ずっとそこにいたかった。大通りの宮殿のごとき立派な建物より、こういう一般住宅を見て周りたい…。

 

と言いつつ、色んなものを見たいので、また移動します。これは三人兄弟がいるマザーピルス通りに入っていく場所だわ。こういうフォーク道が好物。

 

そして上の写真の背後がリガ城のタワーと聖母受難教会ね。

 

1297年から1330年にかけて、リヴォニア騎士団とリガ市民が激しい抗争を繰り広げ、リガ市民が騎士団のお城をぶっ壊したんですと(当時のお城は現在聖ヤーニャ教会がある場所にあった)。現代において「市民」と言うと、非武装の非戦闘員を思い浮かべるけど、当時の市民は今の市民とかなり違うな。しかしこの抗争に市民は敗北し、壊したお城の弁償として新しく建てたのがこのお城。当時は要塞として使われていて、お濠で囲まれてたんだってさ。1470年までは騎士団長の居城でもあったとか。

 

 

その後はポーランド、スウェーデン、ロシアの支配下で増改築が繰り返されて、中世の城塞から、今あるようなペタッとした近代的なお城に変わってしまった。仕方ないけどなんか残念だわ。現在は大統領府として使われていて、一部が歴史博物館として公開されているそうな。

 

 

英国国教会、中に入れたのかな? 入れないものと決めてかかっていたけど。

 

また旧市街の南の方まで戻ってきた。これはリガ大聖堂の裏にある「リガと海運の歴史博物館」。入りたかったな。同じ建物の中に、写真博物館や市民の生活を紹介する博物館も入っているらしい。

 

なんですか、この一部だけ素敵な建物は?小さなバー? なんて思っていたら、これ、中世をテーマにした、Rozengrals っていうレストランの入り口なんですって。この奥に中世の空間が広がっているのだ。音楽付きでご飯を食べることができるらしい。素敵ね。

 

このクラム通りや、Jaun通り、Rozena通りなど、この辺りは旧市街の中心部だけど細い路地がたくさんあって、小さめの素敵な建物がいっぱいあるよ。もっとゆっくり滞在してカフェ巡りもしてみたかった。

 

2018/5/3

 

リガ市街に戻り、ホテルに帰る途中のいいホテルやレストラン、ブティックなんかが集まっているところで、オペラを歌っている男性がいて、しばらく聞いて楽しみました。

 

町中をプラプラ歩いて、ホテルに戻ったのは7時半くらいでした。部屋の出窓のとこに座って路地を見下ろして悦に入っていたら、別の男性がオペラを歌う声が聞こえてきましたよ。

 

やっぱりこの宿に泊まって良かったなあ。居ながらにして大道芸を楽しめるのだ。翌日の観光の予習をしながら、日が暮れて彼が帰っていくまで、ずっと聞かせてもらいました。さっきの男性は誰でも知っている有名な曲を一通り歌うって感じでしたけど、この青年のは何だか、音大生の練習を聞かせてもらっている感じでした。彼が去る時に5ユーロ札にコインを包んで、おひねりを飛ばしたよ。

 

野外民族博物館で豆だの麦だのお腹にたまるものをたっぷり詰め込んだ(ビールも飲んだ)せいか、夜になっても全然お腹が空かない。ラトビア最後の夜だし、目をつけていたレストランもあったんだけど、諦めて単なる夜のお散歩に出かけました。

 

これは私が見下ろしていた、宿と聖ヤーニャ教会の間の路地ね。

 

ヤーニスの中庭。

 

13世紀初頭の、リガの街がまだ建設途中だった頃は、リガの外から来る人は石を2つ持ってくることが義務づけられていたんだって。建設資材としてね。この城壁の下の方も、他とは違う資材が混じっている。それだけ古い時代のものが残っているということか。

 

これは宿のすぐ横の建物を貫いている通りを、またずっと進んでいった辺り(から宿がある方向を振り返っている)。こういう、道をまっすぐ通すために建物の1階がトンネルになっているところって大好き。

 

このトンネルが、宿(左側のベージュの建物)の隣の部分ね。トンネルの向こうに聖ペテロ教会が見えている。左側の門は、レストランの中庭に通じている。この中庭は私の部屋のバスルームから見えるよ。

 

明るい時間の写真ですが、こんな感じ。このトンネルを抜けて裏から見ると↑なのよ。

 

中庭はこんな感じ。

 

聖ヤーニャ教会の前の広場は夜遅くまで人通りが絶えないから、夜歩きも全然怖くないよ。

 

てゆか、リガは大都会だしね。人が写らないようタイミングを計っているけど、宿のある辺りより少し北、レストランやバーが林立する界隈は、たぶん午前2時だの3時だのまで、ずっと人がいるのでしょう。

 

これはリガ大聖堂。これだって人が写りこまない写真を撮れるまで粘ったんだ。

 

ドゥアマ広場からイェーカバ通りに入ったところ。リガの旧市街でも一番賑わう場所です。観光用の電動バスが営業を終えて停車中。このバスは各国語でガイドしながら市内の見所を回ってくれるんだって。


 

これは運河の近く、リガ城のお隣くらいにある英国国教会の裏側ですね。

 

英国国教会の裏側のお向かいにある建物。旧市街の中でも古い建物なんじゃないかな。大きな通りには巨大な建物が多くて、そのほとんどは幾何学的っつーか規則的なデザインですが、路地に残っている小さめの建物はもっと個性的で楽しい。

 

旧市街の北西の端まで来ました。ダウガバ川に沿って立つリガ城のタワーと、手前に聖母受難教会。

 

聖母受難教会の横、通りを挟んで反対側にある建物(の裏側)。表からストリートビューで見るとラトビア語で『ラトビア国立図書館』と名札が出ている。でも、ラトビア国立図書館という建物としては、これとは似ても似つかぬ近未来的な巨大施設が別にある。これはかつての図書館ってことなんですかね。

 

リガ城をダウガバ川の方から見る。

 

また中心の方に戻って行ってみる。この右手の通りを進んでみる…。今知ったけど、この通りの名前はマザー・ピルス通りですって。ガイドブックに通るべき道として載っている通りだわ。

 

と言いますのは、この通りには三人兄弟と呼ばれる建物があるから。リガの旧市街の中でも特に古い。夜だから当然閉まっています。夜が明けてから改めて来ましょうね。中は建築博物館です。楽しみ。この写真を撮っている場所のすぐ後ろが聖イェーカバ教会です。

 

マザー・ピルス通りがイェーカバ通りに突き当たるところにある建物。土産物屋さんです。屋根越しに聖イェーカバ教会の尖塔が見えている。

 

そこから適当に道を歩いて、すぐ近くにある小さな通りに入ったら、何やら両脇にバーが賑やかに営業中。これはちょうどいい。そろそろ帰ろうかなと思っていたところだったので、ここで一杯ひっかけてから戻ることにしよう…。と、適当に入ったバー。ガラージャというお店です。外国人観光客慣れしていることもありましょう、愛想の良い店員さんがニコニコ相手をしてくれて、とても居心地が良かったよ。

 

ラトビア国旗がついているカクテルを2種類、飲んでみたよ。下の2つは、ブラックバルサムと言うラトビア独特のお酒を使っている。ブラックバルサムは、18世紀にリガの薬剤師が考案した、ウォッカに24種類のハーブを混ぜたものなのですって。

 

全然気付いていなかったけど、この店がある通りの突き当りに「スウェーデン門」がありましたわ。リガは13世紀~18世紀には城壁で囲まれた城塞都市だったの。その城門のうち唯一残っているのがここ。当時は日没とともにすべての門が閉められ、夜明けにまた開けられていた。スウェーデン門という名前の由来は、17世紀の終わり頃に門の向こう側にスウェーデンの兵舎があったからだって。

 

この門には、禁を破ってスウェーデン兵士と恋に落ち、この門で逢引きを重ねていたリガの娘が、捕らえられて門の中に生き埋めにされたという伝説が残っております(こういう話ではいつも女が生き埋めに)。真夜中にここを通ると娘のすすり泣きが聞こえるそうな。真夜中だったけど0時ちょうどではなかったせいか、聞こえませんでしたわ。つか、まだまだ飲んで楽しんでる人たちがたくさんいて、そんなしんみりした雰囲気ではなかったよw

 

スウェーデン門をくぐってあちら側に出たところにあるトゥルァクシュニュ通り。私にとっては旧市街の醍醐味はこういう小さな路地にあるんだよねー。とても素敵。置いてある自転車が、またいい味。

 

トゥルァクシュニュ通りの横のトゥァルニャ通りには城壁がある。もちろん、修復でよみがえったもの。当時はこういう塔が28、あったそうだ。

 

宿に戻ってきたのは午前1時くらい。まだまだ人通りがあります。観光地の真ん中に宿をとる利点の一つはこういうとこだと思う。

 

 

2018/5/3

 

リガの郊外にある野外民俗博物館の敷地は、ラトビアの国土を分ける4つの地方、クルゼメ地方、ヴィゼメ地方、ゼムガレ地方、ラトガレ地方に分けられています。それぞれの地方から移築された17世紀~20世紀前半までの家屋や調度品を見学できる楽しい楽しい施設なのだ!

 

5月1日からは20時までやっているので安心して午後から訪問しました。ら、敷地内は20時まで歩き回れるけど、建物の中を見学できるのは17時までとのことでした。そういう意味ですか…。

 

お昼ごはんがまだだったので、入り口を入ってすぐの所にある17世紀の旅籠兼食堂(だったっけ…)に入りました。レストランがあるの。席には座れたんだけど、もう1時半くらいだったのに団体客に大忙しのサーブ中でして、店員さんを呼ぼうと思っても風のように飛んで行ってしまう。博物館の予習をしつつ15分ほど待って、諦めて退出しました。時間がもったいない。

 

さて、これはクルゼメの18世紀の教会。

 

 

 

小さいながらも2階があって、オルガンがあるのよ。

 

これも確かクルゼメの農家。

 

 

1つ上の写真の家の中。クルゼメ地方、リエパーヤの農家だって。大きな家だよね。クルゼメの南西部に特徴的な造りで、入ってすぐのところにはエントランスホールがあり、片側に暖炉のある部屋があって、台所でもあり、冬場に主一家と小作人の家族がそこで暖かく眠れるようになっている。ホールの反対側は夏場に使う寝室なんだって。そしてその奥には物置部屋があるのだ。

 

 

こういう様式の家屋は古くからあり、20世紀初頭まで一般的だったって。この家は1840年代の建築。

 

これは倉庫だったっけ? こんなきれいなテラスが付いているんだから、住居だったかな。

 

これはサウナよ。確かにサウナだったわ。これもリエパーヤから移築されたもの。

 

 

 

こんなシンプルなのも。狩猟小屋か農作業小屋か、そんなんでしたかね…。

 

 

どこかのおうちのお台所だ。

 

よく、動画を写しながら説明を喋っている人がいるよね。私もあれ、やろうかしら。でないと忘れ去ってしまう。説明板を撮影してあることはあるんだけど、その説明板の写真の前の建物の事なのか、後の建物の事なのか、わからなくなってしまった。確かルールを作って撮影していたはずだけど、どっちだったかねえ…。半年しか経っていないのに、もう駄目だわ私。

 

入り口んとこにあるレストランの他、こういう小さなカフェテリアもありまして、軽食を出してくれます。

 

ソーセージとかも美味しそうなんだけど、やっぱりラトビア料理を食べたという実感のためには、肉そのものではない何かの方が…てことで、お豆(と少量のお肉)を炊いたものを注文しました。これ、美味しい! そして、めっちゃお腹も膨れます。

 

1815に建てられたラトガレの教会。門や鐘楼ごと撮りたかったんだど、うまく写せなくて。

 

外は黒っぽいけど中は白く塗られているの。

 

 

 

 

 

入ったところにちゃんと細い階段があって2階に続いているのだ。

 

1930年代に建てられたラトガレのロシア正教会。閉まっていて中が見れなかったんだけど、どのみち内装は残っていなかったそうだから。残念なことね。

 

これはロシア系住民の家だった気がする。門の向こうは通路になっていたはず。ここは入れなかったんだ。まだハイシーズンじゃないからか、全部の建物が開いているわけじゃなかったの。スタッフが順番にいくつかの建物を1時間ずつとか開けて周っているのかなと思ったり。

 

上の家屋の内部ではなかった気がする。ここ、床が土なんだよ。んで、枕元の壁に棚が取り付けてあって、壺とかが置いてあるの。地震がない国なんだなと思ったわ。

 
風車小屋は3つあったかな。写真はどちらもラトガレのもの。左のは20世紀初頭のもので、小さいから無風の時は手で回すこともできたそうだよ。右のは1890年代に作られ、1950年代まで現役だったって。

 

 

ヴィゼメ地方、ツェーシスの19世紀半ばの農家。地下室があるね。セラーに使われていたそうだ。

 

入り口を入ったらまずこんな小さな部屋が。

 

お台所でもある。

 
右側の部屋。
 
左側の部屋。

 

 

これは漁師さんの家です。博物館が隣接する湖の側に集中しているのは、雰囲気づくりよね。

 

このクルゼメの漁師の家はなかなか見ごたえがあった。

 

 

漁師さんの家らしく、暖炉の近くに投網が干してあるのだ。

 

この家は確か20世紀のじゃなかったかね。だから台所も結構近代的だ。

 

こういう、家の前に小さな屋根付き廊下みたいなのがくっついているの、バスの車窓からもたまに見たよ。伝統的な建築様式なんだな。こういう二重勾配の屋根はクルディーガでよく見た。

 

これは豚小屋かな。

 

 

長持…というか、英語ではチェストって言うんだっけ? 家具を収集した博物館もあります。

 

こんなきれいな箱、中世だったらお貴族様かお金持ちでなきゃ持てそうにもないよね? 近世なら一般市民もこれくらい持てたのかな? 優雅な絵を描いたタンスもあったよ。

 

大変興味深い展示でじっくり見たかったけど、「もう閉めますので… ごめんなさいね」と申し訳なさそうに謝られて退出。ああ、こんなことなら朝一番から来ておけば良かった。到着が1時半だったから、たったの3時間半しか見学できなかったんだ。でも、5時を回ってから到着して見て周っているツアー客もいたわ。建物の中に入れなくても、外から見るだけでも楽しいしね。

 

カフェテリアは、お昼を食べた時に閉店時間を確かめておいた。「6時までなら開けてるよ」とのこと。で、5時半くらいに行ってみたら、閉店準備をしていました。おう…。でも快く食事を出してくれたよ。お腹は空いていなかったけど、食べてみたいものがまだまだあったのでね。これは麦のピラフ的なもの。サワークリームをかけて頂戴します。これも美味しかった!

 

きれいなレストランでラトビア伝統料理のコースをいただくのもいいけど、こういうB級グルメもいいよね。庶民が昔から食べてきたものよ。

 

入り口まで戻ってきて、レストランに隣接する土産物屋さんでちょいとお買い物をするついでにレストランも覗いてみたら、夕食を食べる団体客がこれから来るらしく、テーブルの上にずらりと食器が並べられ、店員さんたちが飛び回っていました。大人気なのね。

 

もう1周くらいしてやろうと思っていたんだけど、雨が降ってきたのでつらくなって、リガに戻りました。

 

あと、敷地内でこごみを見たよ。私の大好きな山菜。天ぷらにすると美味しい。

 

2018/5/3

 

このレンガの教会が聖ヨハネ教会(聖ヤーニャ教会)。

 

確認できる最初の記録は1297年ですって。ここは元々、例の、1200年にドイツから侵攻してリヴォニア人を制圧し今のリガの基礎を築いたアルベルト大司教の、司教館があった場所だとか。彼は1229年に他界しているので、この教会がたてられたのは当然、そのずっと後ですが、同じ13世紀にこの写真の反対側にドミニコ修道院が創設され、この教会はその礼拝堂として使われていたそうな。宗教改革を経て、1582年にプロテスタントのルター派教会として生まれ変わりました。

 

この教会の特徴は何と言ってもこの美しいゴシックのヴォールト。

 

見学者が天井をゆっくり見ることができるよう、下に鏡が設置されていたよ。これは鏡を撮ったの。

 

聖ペテロ教会は観光客も多く、そのため歴史博物館として英語の説明も付けた展示物も置いてあり、ツアー客で賑わっていましたが、聖ヤーニャ教会の方は静かでしたね。30分くらいいたけど、私の他には3人か4人しか人が来なかった。どちらかと言うと、現地の人たちが使っている場所なのかもしれないね。

 

ちょうどパイプオルガンの奏者が練習をしていたようで、無料できれいな音楽を聞くことができました。

 

 

ところで、中世には、生きた人間を壁に塗りこめれば建物が守られると信じられており、この教会でも2人の修道僧が志願して自ら壁の中に塗り込められたんだって。外壁に開けた小さな穴から、通りかかる町の人たちが水や食べ物を差し入れていたけど、2人は当然すぐ死んじゃいました。町の人たちは感謝していたのかもしれないけど、当時の法皇様はこの行為を是としなかったため、彼らは殉教した聖人とも見做されず、穴も塞がれて、忘れられていったんだって。19世紀になってから、言い伝えとして残されていたこの話を確かめようと思った人が調べてみたら、この2人の骨が出てきたそうな。今は彼ら2人を記念する十字型の穴が壁に開けられている。

 

聖ヤーニャ教会と私のリガの家との間の路地。

 

この奥が、ヤーニスの中庭と呼ばれる場所。修道院があった場所だよね。

 

部屋に戻ってちょっと休憩。路地を窓から見下ろしてみる。ねえ、この路地を好きなだけ、こうして見下ろせるの。私の窓から。いつでも好きな時に。下をたくさんの観光客が歩いて行ったわ… ここを、訪れるだけの人、通り過ぎていくだけの人たちをたくさん、ここに滞在する私が見下ろしていたわ!

 

反対側には聖ペトロ教会の端っこが見えます。

 

この宿と聖ペトロ教会の間に、ブレーメンの音楽隊の像があります。リガとブレーメンは姉妹都市なんだよ。アルベルト大司教がブレーメン出身だったからだって。触られ過ぎて鼻先がテカテカだ。

 

これは聖ヤーニャ教会に沿う、宿とは反対側の道。この辺りにはホテルやレストランが多い。旧市街の観光の中心地ですからね。

 

これが昔の市役所。広場には騎士ローランの像もあるはずだけど、オリジナルを見ているからもういいや。この左側の1階に観光案内所が入っております。

 

午前中に教会を2つ楽しみ、お昼からは郊外にある野外民俗博物館に行くのだ。旧市街から運河を渡って新市街に行き、そこからバスに乗る。

 

橋を渡ったところにある、自由の記念碑。ラトビア独立戦争(1918-1920)に命を捧げた兵士たちを記念するもので、市民の寄付により1935年に完成しました。

 

この場所には元々はロシアのピョートル大帝の騎馬像があったそうです。で、ラトビアがソビエトに併合された後、ピョートル大帝の像を元の場所に新しく作る案が持ち上がったそうだけど、記念碑を壊すことになっちゃうので、市民感情をとんでもなく逆撫でするであろうことから実行には移されなかったらしい。でもその代わりにソビエトのイデオロギーに沿って、母なるロシアと同志スターリンを崇める新しい説明が強制されたらしい。そしてリガ市民にはそれが全然浸透しなかったらしい(当たり前だ)。

 

彫刻はラトビアの歴史や文化を紹介しています。悪天候や厳寒の時期を除き、儀仗兵が常駐している。

 

野外民俗博物館の方面行きのバス停の時刻表。写真を撮ろうとしたらQRコードを読み込んじゃって、ウェブサイトに繋がったよ。

 

2018/5/3

 

これが私のリガの家、ヒストリカル・エケス・コンヴェントです。何度も書くけど15世紀半ばにできたホテル!向かって左側が宿への入り口。ここを入った正面の階段を上がり、廊下を通って右の突き当り、広場と反対側に私の部屋がある。

 

上の写真の向かって右側のドアはレストラン。そこでビュッフェ式の朝食を食べました。

 

昨日もほぼ同じ位置から撮りました。手前が聖ヤコブ教会、その奥に私のリガの家、そのお向かいに聖ペテロ教会。

 

まずは聖ペテロ教会に行ってみる。この教会の歴史は古い。1209年に「石造りだったのでリガ市を襲った火災の被害を免れた」という記録が残っている。てことはそれ以前に既にあったわけだ。増改築や修復を重ねて、ロマネスク、ゴシック、バロックの各様式が混じっているそうよ。と言いましても、第2次世界大戦で完全に焼け落ちましたので、今あるのは戦後に復元されたものです。

 

この136メートルの尖塔は1491年に作られた。ここからリガのパノラマを楽しむのが観光の定番なの。

 

ここでも日本からのツアーの方々にお会いしたよ。ツェーシスやスィグルダではアジア人もほとんど見かけなかったけど、リガとスィグルダには日本からのツアーも行くんだ。スィグルダはリガから近いし、見栄えのいいお城が近くに2つもあるしね。(トゥライダ城とか、スィグルダ城とか)

 

南東の方角。左下の方に、聖ヨハネ教会や私のお宿も見えている。

 

これは南西。鉄道駅やバスターミナルがある方向ね。真ん中より少し上にある半円ドームが4つポコポコと並んでいるのが、バスターミナルの裏手にある市場。その左奥に突き出ているのは教育センター。古く美しい建物で、展望テラスもあるよ。よろしければグーグルのストリートビューでも。次の機会があれば行ってみたいなあ。市場ももっと探検したいし…。

 

川の向こうにニョキッと突き出しているのはたぶんリガラジオ&テレビタワー。中州に立っているの。368.5mとヨーロッパで3番目、世界でも11番目に高い塔なんだって。97mのところにある展望台からの眺めはすごいらしい。

 

さて、聖ペテロ教会の中の様子。

 

騎士ローラン像のオリジナル。レプリカが市庁舎広場にある。彼は中世の都市の守護神だったらしい。

 

このローランってあの、シャルルマーニュの物語のローランよ。「ローランの歌」のローラン。「狂乱のオルランド」のオルランド。あの! ローラン! がっ! こんな風に! 人々の日常に! 存在していたのね!  ローラン自身は8世紀の人物で、史料からは、名前と、辺境伯だったことと、ロンスヴォーの戦いで戦死したことしかわからない。でも11世紀の終わりから12世紀の初めに成立した叙事詩に歌われ、中世の人々に特に人気の高い伝説上の騎士になったのだ。新しくできたリガの町と住民にとっては、できて100年経った頃の、すっかり定番になった有名ドラマだったんじゃないかな。私も姉も、小学校の図書館にあった「ローランの歌」を夢中で読んだものですわ。

 

さて心をフランク王国からラトビアに戻しまして。こちらも大きな戦いの記憶です。戦没者の家族であろう老婦人が記念式典でお花を持ってきて、孫のような年齢の若い兵士が丁重に案内している、印象的な写真。聖ペテロ教会の中はリガの歴史を紹介する写真がいっぱいあったよ。

 

あと、紋章がたくさん飾られていたのが楽しかった。

 

左のはグスタフ2世アドルフの紋章。1621年からラトビアを支配下に入れたスウェーデンの王様。

 

若くして即位しスウェーデンを一気に強国にした超絶有能なグスタフ2世アドルフは、私が数年前に訪れたチェコのヴァルトシュテイン将軍とも繋がりがある。三十年戦争で神聖ローマ皇帝が雇ったヴァルトシュテインの軍隊との衝突でグスタフは戦死したのだ。(勝ったのはスウェーデン側ですが)  チェコの旅行記も、よろしければ…チェコ旅行記 53 : ヴァルトシュテイン宮殿

 

 

もっともっと、たくさんあったけど、全部は撮り切れない。それぞれに意匠を凝らして自分を表現する最適な紋章を作り出す… と言うのは、現代で言えばバンドロゴみたいなもんかしら。デスメタルバンドのロゴは似たようなのばかりだと言われていますが、紋章にも、一定のパターンが見られる。最重要ポイントを蛇にするか猪にするか一角獣にするか、そういう違いはもちろんあるけど。

 

 

外に出ました。奥に、聖ヨハネ教会と私のリガの家が見えるね。こういう立地なのよ、こういう。ここに泊まっていたのよー!

2018/5/2

 

クルディーガを発つ前に、やっておきたいことがある。…てことで、観光案内所である、昔の市役所の地下に行きます。前日、ガーリックトーストとチーズソースを食べたレストランね。

 

昔の役所の地下と言うことはつまり、牢獄だったと言うことです。今はこんなにきれいですが。

 

魚を食べておきたかったんだよ…。せっかく魚で有名な街に来たんだから。これがあの遡上する魚と同じ種類なのかはわからないけど、形からするとアレって気がする。ジャンプに失敗した魚ってわけではなく、養殖なんですけどね。ところでこれ、お皿を、置いてくれたのとは逆向きに自分で起き直したような記憶がある(違ったかも)。魚を手前にして写真を撮りたかったんだけど、そうなると魚のお腹があっち向きなので、それはそれで変な気がする。

 

食べ物屋さんでこんな写真を撮って失礼。右側の、男性用の小便器ですよね? こういうのは初めて見た気がする。てゆかこれ、私のウエストくらいの高さがあったよ。ラトビア人男性は脚が長いのだなとしみじみ思いましたです。

 

実はこの日、朝から少しお腹の具合が良くなかったんですよ。ものを食べたり飲んだりすると、しばらくしてお手洗いに行きたくなる。どうってことない程度ではありましたが。しかしお魚ランチの後はリガまで2時間のドライブです。休憩はあるけどそこまで大丈夫かしらとちょっと心配になったりしていました。(大丈夫でした)

 

お世話になった観光案内所で、レンガ橋をバックに魚が跳ねているデザインのTシャツも購入。ここの案内所は、リエパーヤに行くバスの時間を調べて周り方を一緒に考えてくれたり、いろいろ面倒を見てくれましたわ。(結局リエパーヤには行かなかったんだけど、助けてもらったことに違いはない)

 

旧市街からバスターミナルまで歩いていく途中に聖アンナ教会があります。入ってみたかった。

 

これがクルディーガのバスターミナル。外壁にクルディーガの市章が入ってるね。

 

 

こんな小さな村を抜けていくのが楽しいんだ。

 

でも、草原の中の大きな道路が交差している場所にあるバス停とかも多いよね。見渡す限り民家も見えないようなバス停で降りた人がどこかに歩いていくのを見ると、最寄りのバス停から家までどれくらいかかるんだろう…と何だか心細いような気がしてしまうのでした。

 

昔、新しく知り合いになった人と会合場所までの交通手段についての話になり、私が「最寄駅まで何分?」と聞いたら、相手が「45分。車でね」と言いましたっけ。あれは私が不見識でしたね。使える鉄道駅を複数から選べる、相当に便利なところに住んでいるのだと改めて思いましたわ。

 

日暮れ頃にリガに戻ってきましたよ。バスターミナルに着いたのは21時半くらいかな。今どこを走っているかとか、今からどの町に到着するか等、モニタに出してくれるのが助かる。日本でも最近よくあるよね。

 

 

バスターミナルから近いってこともないけど、遠くはない場所に宿を取りました。もちろん旧市街のど真ん中だ! まずはそれが条件なので。この写真の真ん中辺に写ってる白っぽい建物が私の宿。

 

ヒストリカル エケス コンベンツ 1435」なるこの宿は、15世紀に建てられた、リガに現存する最も古い宿なのだ! 後に、夫を亡くした身寄りのない女性たちを収容する施設になったり、職人の寄宿舎になったりしたそうです。

 

2005年に全面改装してすっかりきれいになっているけど、古い建物の雰囲気はちゃんと残っている! そこいらによくあるような、外壁だけは昔のままのくせに、中を完全に現代的な四角いペッタンコの内装にしちゃってるみたいな、そんなつまらない張りぼてホテルじゃないの!

 

 

 

この部屋で眠りにつく幸せよ。

 

ちゃんと、部屋の中にお手洗いとシャワーがあるよ。部屋の一部を区切ったのかな?

 

 

残念ながら広場に面した部屋は予約できなかったんだけど、窓からは聖ヤーニャ教会のドアと路地が見える。中世に、今私がしているのと同じように、この窓からこの通りと教会を見下ろしていた人たちがいたんだよね。中世の頃には街灯もなく真っ暗で、窓辺に置いた蝋燭やランタンが目立ったことでしょう…。

 
 

2018/5/2

 

観光案内所の広場近くまで戻り、パスタ通りのカフェに入ってみる。

 

さっきケーキを食べたところですけど、エクレアくらいなら入る! ここはベーカリーカフェらしい。

 

1905 gada通りにあるこれは、たぶん「青少年センター」として使われている建物。

 

「1905年」は、第1次ロシア革命を記念しているらしい。道沿いの公園にはこんな像もある。

 

1905年通りには小さな建物が多いんだけど、企業のオフィスがいくつもありました。この写真の建物はたぶん民家だけど。

 

1905年通りが突き当たるVentspils通りの面白い建物。どういう理由でこういう造りに?

 

Ventspils通りからすぐPētera通りに折れて歩いていたら、聖ペーテラ教会の鐘楼の跡なるものが。しかし、この立て札、まっすぐにしておこうとは思わないのか…。

 

こんな建物も素敵よね。元は貴族か金持ちのお屋敷か、役所だったのかも。

 

お屋敷はお屋敷、庶民の家は庶民の家で、それぞれに魅力がある。

 

これは1871年に建てられたロシア正教会。クルディーガで一番小さな教区を持っているそうです。中には入れなかったよ。この周りは緑多い公園になっていて、更に、彫刻がたくさん置いてあった。

 

公園から出てきたところ。そこは期せずして、クルディーガ旧市街で一番賑やかなメインストリート、リエパーヤス通りでした。歩行者天国でして、ブティックやらお菓子屋さんやら文房具屋さんやらと商店が並び、カフェのテラスもたくさん出ている。

 

スシバーもあります。入らなかったけど、未だに気になっているスシキング。看板にはカプチーノがどうとか書いてあるし、アイスクリームのマークも出ているから、カフェ利用も可だと思う。

 

リエパーヤス通りはこういう旧市街には珍しくまっすぐな道だとか。昔からこんなに直線だったのか。

 

私はどうも繁華街に人通りがないかのように写す癖があるのですが、これは人間を入れないようにタイミングを見計らっているからこうなるのであって、ちゃんと賑わっております。

 

現代的な普通のスーパーマーケットもありまして、そこでつい誘惑に耐え切れず購入したカップヌードルらしきもの。まだ食べてないんだけど、焼きそばっぽいな。そろそろ賞味期限なので食べねば。

 

リエパーヤス通りは最終的にはバズニーツァス通りに突き当たるんだけど、そっちはもう見たから、途中で折れることにして…

 

Raina通りに入ってみる。1905年通りの、リエパーヤス通りを挟んだほぼ反対側にある小さな通り。

 

路地を抜けると聖三位一体教会がある。

 

ここは中には入れたよ。入り口で、教区の信者さんなのかな、おじさんたちがお喋りしていた。祭壇を撮らず入り口の方を撮ったのはどうしてなんだろう。思い出せないや。祭壇の方に誰かがいて遠慮したか、パイプオルガンに興味を引かれたのか。

 

教会の周りを囲むように家屋が建っていて、中庭みたいになっている。この建物の一つに尼僧様が入っていったのを見た。私が泊まっていた家はドイツ系の神父様の住居だった。あれも中庭の方が入り口になっていた。そういう造りなのかな、全体的に。

 

Raina通りには小さな建物が並んでいて楽しい。この家と、その奥の隣の家との間に、手押し式のポンプもあったよ。現役で使えるようだった。


Raina通りがMucenieku通りに突き当たるちょっと手前から、リエパーヤス通りの方を振り返る。

 

ちょっと戻って、上の写真の右側の建物の向こうを右折して、Tirgus通りに出ていこう。この通りのお土産屋さんにも入ったけど、特に気に入るものがなかったなあ。若い女性にウケそうなおしゃれな製品が多くて。私は民芸品とか民謡のCdとか、そういうものが欲しかったのでね。

 

Tirgus通りを道なりに進んでいくと、観光案内所がある広場に出ます。何やらステージを作っていましたよ。いよいよ観光シーズンが始まるんだな。

 

観光案内所の前にいるのはĒvalds Valters先生(1894-1994)。ラトビアを代表する俳優であり、劇作家であり、監督であり… とにかく演劇界の超大物だったお方らしい。3歳から18歳までクルディーガで暮らしていたんだって。中世博物館の最後の部屋でも紹介されている。ガイドのお兄さんも「とても尊敬されている人です」と嬉しそうに話していた。

 

 

彼のバイオグラフィを読んで印象的なのは、その演劇界でのキャリアだけじゃなくて、必ず「ライフル銃兵」とも紹介されていること。第1次世界大戦に従軍したの。亡くなった後はライフル銃兵の墓地で戦友たちと眠っているんだって。